第三話 一人きりには戻れない



「この店つぶれちゃうの?」

 と三田村幸多が率直な心配を述べて、三田村父に口を塞がれたその日の夜のこと。


 布団の中でじっと櫻子は考えていた。

 この店は潰れるのだろうか、と。


 何のかんのと言って、この最見屋に来てからそれなりの時間が経ってのことだった。少なくともこれまでの櫻子の人生に、これだけ多くの夜を寝泊りして過ごした建物は、実家の他にはどこもない。


 しかし、この最見屋で「働いていた」と言えるほどのことを、果たして自分はしただろうか。


 帳簿はほとんど真っ白。

 たまに幸多が遊びに来て、三田村がそれを迎えに来て、託児所代わりにしては恐縮ですからと何かしらを買って帰る。大体、そればかりが経理として数字に残す全てのことだ。


 金というのは理不尽なもので、黙っていて入ってくることはないのに、黙っていても出ていってしまう。


 幸多の心配もごもっともなものだ。何せ、いつ来ても店の中にいるのは店主と従業員だけ。これではどうやってやりくりしているのか、出ていく金はともかく入ってくる金はどこから来るのか、不思議になって仕方あるまい。まさか目の前にいる二人が全く何の収入もないままのほほんと暮らしているなんて、あのしっかりした父の下で暮らす幸多には、想像も及ばないに違いない。


 よし、と櫻子は決めた。

 明日、肇に言ってみよう。





「自由市に参加してみませんか?」

 肇は元々、朝は食べる習慣がなかったそうである。


 が、櫻子が来てから少しずつ生活の時間がずれ込んでいったのか、今ではこうして朝日を浴びながら机の前、座って納豆をかき混ぜている日もある。


 きょとん、と彼はこっちを見ていた。


「それは、あれですか。町の人たちが不用品なんかを売り買いする、あの」

「そうです。あの」


 先日、商店通りで聞いた話だった。

 総菜屋の店主から詳しく訊いてみればチラシまで貰えたから、それを机の上に出してみる。


「自治会の皆さんが主催で、今度の日曜日に商店通りの傍で開かれるそうなんです」

「へえ。自治会なんて出来たんですねえ」

「……え?」

「昔、この町にそういうのはなかったんですよ」


 ないわけはないのではないか、と櫻子は思った。

 が、肇の顔はとぼけている風でもない。


「さいはて町の名の由来でもあるんですが、このあたりは素性の知れない人間がふらふら集うような場所だったんです。人だけじゃなく、物の怪なんかも寄っては離れていく土地で、そのあたりは野放図と言いますか」

「はあ、そうなんですか」

「私が昔住んでた頃は、少なくともそういうのが存在感を持っていた気はしませんね。近くに駅も出来たから、標準化の流れなのかな」


 ほー、と肇は興味深そうにチラシを手に取る。

 本筋ではないけれど、気になったから櫻子は、


「肇さんって、ずっとこちらに住んでいるわけではないんですよね」

「ええ、父の仕事の都合で数年ほど海外に。で、戻ってきたら店はこの有様ですし、町も色々と変わってますし、隔世の感というやつですよ。にしても、祖母さんもこういうのには関わってたのかな」


 一体どうやって経営をしていたのか、と肇はいつものように悩み始める。

 が、決めるのは早かった。


「出てみましょうか」

 きっぱりと、彼は言った。


「そもそもお客が来なければ商売にはなりませんし、こういうところで顔を売ってみるのもいいかもしれません。しかし、これは我々のような店持ちが出てもいい場なんですか?」

「いいそうです。それ、教えてくださった総菜屋さんもちょっとした出店をするそうで」

「ああ、あそこの……そうだ。櫻子さん、今度買い出しに行くときは声をかけてくださいよ。蔵の方に籠っているから、いつもお一人で向かわせてしまって」

「気にしないでください。好きでやってることですから」


 いやいや、いやいやいや、と他愛もない応酬があって、


「それより」

 と櫻子は本題を口にする。


「どんなものを出しましょうか」


 しかしこれは、相当に難しい問題である。


 ここに来てからしばらく肇といて、店員として勘定台に座り込んで、二人で頭を悩ませ続けて、櫻子もすでにこの最見屋が原理的に抱え続けている一つの問題に気付いていた。


 それは――


「物の怪の品を扱ってるなんて、怪しすぎて誰も寄り付きもしませんもんねえ」


 ううんと肇はまた、悩ましげに目を閉じた。





 ――うちでは凄まじい効き目のある、妖由来の品を扱ってますよぉ。

 ――お代はたんまりいただきますがね、ひひひ……。



 普通に考えれば、こんなことを言っている店に誰も近付くはずがないのである。

 そのことが櫻子にはもう、身に染みてわかっている。


 商店通りで、幾人かの知り合いはもうできているのだ。総菜屋の店主もそう。よく買い物をする店では従業員はもちろん、同じ時間帯によく鉢合わせるお客たちとも、お互いに顔も名前も知っていて、他愛もない話をするくらいにはなっている。


 が、いまだに櫻子は言い出せていない。


「うちでは妖にまつわる品を売っていますので、ぜひ一度ご来店ください!」


 ……どう考えても言えるわけがない。怪しすぎる。


 結局、肇もそういうことだったのだろうと今では櫻子も思っている。

 なまじっか、売るこちらの側にも常識があるから良くないのだ。こんなことをいきなり言っても人は怪しむに違いないとか、入り方を間違えればもう二度と店の紹介をする機会はなくなるだろうとか、そういう妥当らしい感覚が、最見屋という怪しい店の宣伝を躊躇わせる。躊躇えば当然、人は来ない。人が来なければ知られる機会もないから、ますます店は怪しくなる。


 仕事ぶりもてきぱきして、見目も良くて、愛想だって悪くはない肇が、これだけ資産のある店の経営に苦戦していたのは、偶然でも悪運でも何でもない。


 そう、問題は前提にある。


 怪しいものを売っている店だから、怪しく見えるのは当然で、実際怪しいのだ。





「あはは。見事に閑古鳥ですね」

 とうとう客が来たかと期待して振り向いたら、知った顔だった。


 彼は今日は――当然だけれど、耳も尻尾も出していない。いつもの少し目立つ洋装と髪色で、さらりと微笑んでいた。


「稲森さん」

「そう露骨にがっかりしなくても」

 満更図星でないこともなく、ばつが悪い。それでも「そんなことありませんよ。いらっしゃいませ」と櫻子は微笑んだ。


 あっという間に、日曜日は来た。


 商店通りから少し外れたところにある広場……と空き地の境目くらいの場所。そこにはいくつも机が並んでいて、さいはて町という名には似つかわしくない賑わいを見せている。駅のもっと近くにある町の方からも、結構な数の売り手と買い手が来ているらしい。


 櫻子も参加者の一人として朝から机を並べ、品物を広げ、今は昼前。

 最初の客が、稲森だった。


「ぬいぐるみですか」

 手を触れることはせず、机上を見つめて彼は言った。


「見たところ『そういう気配』はありませんし、生地も新しい。ひょっとして……」

「はい。肇さんが手縫いしてくれたんです」

「やっぱりか。あの子、昔から妙にそういうのが器用なんですよね。にしたって、これは随分出来が良いな」

「お手に取ってくださっても結構ですよ」


 では、と稲森が掴んだのが、今日の自由市での最見屋の売り物だ。

 肇が作った動物のぬいぐるみ。小さく区切った箱の中で、丸っこい頭がひそひそとたむろしている。


 稲森が手に取ったのは、奇しくも狐の姿のものだった。


「へえ。手触りが随分ふわふわで。これは全部彼が?」

「そうなんです。肇さん、作るとなったら簡単に作ってしまって」

「八代前の最見屋を思い出しましたよ。これ、何個くらい売れたんです?」

「……まだ……」


 ああ、と稲森は苦笑した。


「ま、そう気を落とさず。自由市は誰にも買われないのだってざらですし、物の売り買いは巡り合わせですよ。僕もよく仕入れたものが売れなかったり……は、最終的に最見屋が買い取ってくれるので、そんなでもなかったですけど」

「あの、」


 ちょうどいい、と落ち込んだついでに櫻子は思った。


「稲森さんは、昔から最見屋のことをご存じなんですよね」

「ええ。全く初めの頃からとは言いませんが、少なくとも櫻子さんが生まれるより前からは」


 何か訊きたいことでも、と稲森は言う。もちろんある。口に出す。


「肇さんのお祖母さんがどんな風に最見屋を切り盛りしていたか、ご存じありませんか?」

「できてたのかなあ」

「お、冷やかしの客か?」


 ぞっとするような答えが返ってきた直後、肇が戻ってきた。

 手には二人分のどんぶりを抱えている。


「櫻子さん、これ。うどんです」

「あ、ありがとうございます」

「なんだ、肇くん。櫻子さんに店番をやらせて自分は悠々買い食いですか」

「朝昼夕で順番に行ってるんだよ。ところで悪いな、買いに来てもらって。毎度あり」

「……まあ、買いますけどね」


 ごそごそと稲森が懐から財布を取り出す。いいんですかと櫻子が訊ねると、最初からそのつもりですよと返す。


「こういうのは一個買われると不思議と景気が付いて、次々売れたりするものです。僕としても最見屋が続いてくれた方が助かるんですよ。最後はここに来ればいいやというつもりでいれば、出先での買い付けも気が楽になりますから」


 商売繁盛御祈願、と言い残して彼は去って行った。


 本日初売上。身内が相手でも売れたは売れた。売れたというより買わせたに近い格好ではあったものの、


「やりましたね、肇さんっ」

「ええ。次は登川から引っ張ってきて魚のも……しまった。魚のぬいぐるみは作ってないんだったな」


 昼頃になれば屋台も混むだろうということで、少し早いが昼食を摂ることにした。


 二人並んで、つるつるとうどんを啜る。美味しいですね。ですねえ、今度二人でお店の方にも行ってみましょうかなんて会話があって、


「そういえば、さっき稲森さんに」


 どうやってお祖母さんが最見屋を切り盛りしたのか訊ねたものの、返ってきたのはあの答えだった。

 そのことを伝えると、肇は不思議でもなさそうに頷いた。


「私も前に訊いたんですが、どうも本当に稲森も知らないらしいです」

「登川の主さんなんかもですか」

「稲森が知らないなら余計に知らないでしょうね。金勘定に明るい妖なんてそうありふれたものではありませんし。どうも聞くところによると、最見屋の店主は代々癖の強いのがなっていたようで、時期によって営業形態もかなり違ったみたいです。だから少なくとも稲森の目から見る限り、祖母さんの代もどうやっていたのかは定かではないと」


 わかれば楽なんですがね、と肇が言えば会話が途切れる。

 お互いにうどんを啜ったり、では歴代の最見屋はどういうやり方をしていたのだろうと思いを馳せる、僅かな時間。


 櫻子の視界が、道行く人々を捉える。

 ふと不安になって、髪に触れた。


「どうかしましたか」

「え?」

 そして、肇から声を掛けられる。


「何だか憂い顔に見えたので。髪ですか? 何か不都合がありましたか」

「あ、いや。そういうわけではないんですが」


 どんぶりを置いたときの動きが不自然だったのか、こちらの内心を見透かしたように肇が気にかけてくる。櫻子は髪を摘んでいた手を下ろす。視界の端、さらりと揺れたそれはもちろん黒い。


「その……肇さんって、目立ちますよね」


 ちらほらと視線を向けられているのが、隣にいてもわかるのだ。


 初対面でそれ以上の衝撃があったせいで、普段はそれほど意識しなくなってしまったけれど、肇は夜道で出くわせばそれこそ妖の類かと思ってしまうような美形である。それが白昼堂々店を出していれば、寄り付くまでは行かずとも、一目ちらりと視線をやるくらいのことはいくらでもされる。


 その視線は自然、隣に座る人物にも注がれる。


「あまり人前に堂々と立つことがなかったものですから、恥ずかしながら、緊張してしまってるんです。髪も染めてもらって、もう気にすることもないはずなんですけど……あ、でも肇さんのせいというわけではないですよ! 髪がまだほら、短いのも珍しいでしょうし」

「…………」


 す、と肇の右腕が浮いた。

 す、とその右腕を肇は自分の左手で抑え込んだ。


「…………」

「あの、どうかしましたか?」

「いや……ちょっと。まあ」


 よくわからないことを言う。


 はあ、といつものように櫻子は、判断を保留した相槌を打つ。じっと見ていても特に肇に変化は訪れなかったから、とりあえずとどんぶりを取り直して、ちゅるると麺を啜る。


 もぐもぐと口の中で噛んでいると、そこに立っていることに気付いた。


 小さな女の子だ。

 利発そうで、年は幸多と同じくらいだろうか。布の袋を手に持って、じっとこの机の上のぬいぐるみを見つめている。


 もしかしてと期待して見ていたら、女の子もまた、自分が見られていることに気が付いた。ひとまず櫻子は「いらっしゃいませ」なんて声掛けもせず、愛想笑いだけを向けてみる。


 女の子は目が合った瞬間、んぐ、と怯んだように見えた。爪先が横を向く。しかし数秒の逡巡があったのち、


「あの、」

 決断的な顔で女の子は最見屋の出店の前にやってきて、言った。


「ここ、人形の修理もしてもらえますか」


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