座敷童の恋

quiet

第一話 風吹けば長い春



 さいはて町とは、何とも名前負けの地名である。

 何といっても、こんなに近くの場所に汽車まで通ってしまったのだから。



 ぽーっ、と汽笛を鳴らして列車は遠ざかっていった。

 開国から幾十年。海の向こうから蒸気と共に渡ってきた鉄の車は、しかしまだまだ整備されたばかりで、人目には珍しい。旅慣れた人々が次々に改札へと向かう一方で、それなりの数の人々が、そのぐんぐんと小さくなっていく真っ黒な姿に、何とはなしに目を凝らしている。


「……合ってる」

 そんな中、手帳に記された文字と駅名表示とを、何度も何度も不安そうに見比べる、着物姿の娘がいた。


 洋装は汽車よりも早くこの島国に渡って来たけれど、しかしまだまだ着物の人気も根強い。少しばかり華やかな色合いに身を包んだその娘の姿も、その乗降所では目立つものではなかっただろう。


 丁寧に髪をしまい込んだ頭巾さえ被っていなければ、確かに。


 娘はとうとう二つの文字の完全な一致を認めたのか、手帳をめくる。次にじっと見つめたのは、これも手書きしてきたらしい地図のようなもので――


「あっ、」


「わ!」

「あら、ごめんなさい!」


 どん、と人にぶつかった。


 ぶつかられたとも言い難いところだろう。何せ、ずっと駅名看板の下に立っていたのだ。すみません、と娘は頭を下げる。が、それよりもぶつかってきた方、


「大丈夫ですか? どこか怪我とか……あ、こちらお手帳! ごめんなさいね、ちょっと、ほら、綺麗な着物に埃が……あんたも黙ってないで謝る! よそ見してたんだから!」

「ごめんなさい」

「いえ。私もすみません。道の真ん中に立ってしまって」


 幼子と、特にその母親が恐縮しきりだった。


 ぱんぱん、と母親は取り落とした手帳の砂を払う。大丈夫です、と娘はさらに告げる。母親はよほど自分の子の力加減に嫌な思い出があるのか、まだ不安そうな表情のまま、拾い上げたその手帳を娘に渡そうとする。


「あら、」

 不意に、その開かれた頁に目を留めた。


「これから『さいはて町』にいらっしゃるの?」

「あ、ええ。はい。ご存じですか?」

「親戚がそっちで暮らしているの。歩くなら少し遠いけど……確か、乗り合いのバスが駅の近くから出ているはずだから、駅員さんに訊いてみるといいんじゃないかしら」


 思わぬ道案内に、娘は頭を下げた。


「調べてはみたんですが、ここからどう行ったものかと。助かりました。ありがとうございます」

「いいえ。まだ雪が残ってる場所もあるみたいだから、足を滑らせてしまわないように気を付けて。ほら、あんたも」

「きおつけて」


 親子が頭を下げるから、娘もまた頭を下げて、踵を返した。


 階段を上って下って、向こう側の乗降所に駅員室はある。荷物を手に、娘はそっと一段目に足を掛ける。


「――いまのひと、」

 そのとき背中から、子どもの声が聞こえてきた。


「かみ、みじかい? みえなかった」

 こら、と母親がそれを叱る声も、続けて聞こえてくる。


 引き返して「気にしないでください」と言ってやろうかと、娘は迷っている。

 だって、事実なのだから。





 ずっと昔、まだ当人が生まれる前に交わした約束なのだそうだ。



 娘――春河はるかわ櫻子さくらこの祖父がその生涯で一体どんな仕事をなしたかを一口で言うのは、とても難しい。


 何せ開港からこっち、とにかく何もかもが目まぐるしく変わっていった時代である。昨日まであった仕事が今日にはなくなっているなんてことはよくある話で、櫻子の祖父は家の四男坊。継ぐものもないからと身軽なままに、ふらりふらりと世間を渡り歩いていたそうだ。北から南、東から西、ときには海すら渡ったと言うのだから、長じては転勤族になった祖父の子――櫻子の父と比べてすらも、全く落ち着かない。故郷はどこかと訊ねられても、答えあぐねる有様だった。


 しかし、その約束を交わしたときに限って言えば、彼の仕事は大きく分けてふたつあった。


 ひとつは、鉄道線路の敷設地探し。

 どういうわけか、祖父には多少の測量の心得があったそうである。どこぞで専門的に学んだわけでもないそうなので、おそらくその放浪生活のどこかで誰かに手解きを受けたのだろう。全国津々浦々を渡り歩いては「この道はまだ開かれていない」「ここを真っ直ぐ突っ切れば随分な時間が短縮される」「この山を越えるには傾斜のゆるやかなこの道が……」とどこぞの鉄道会社に情報を売っていたらしい。


 もうひとつは、鉱脈探し。

 折しも海の向こうでは、金脈探しが盛んに行われていた頃だ。向こうにあるならこちらにもあるのではないかと、その日暮らしが一獲千金を夢見て、山やら川やらを歩き回った。祖父もその例に漏れず、敷設地探しと並行して山の奥深くまで分け入っては、きらめく何かを探していたのだという。


 そしてあるとき、彼はぱったりと道に迷った。


 冬の厳しい寒さ、雪が積もっていたと語ることもあるし、夏の熱帯夜、息苦しいほどの湿気だったと語ることもある。つまりは彼自身、細かいことは覚えていないのだろう。


 しかしとにかく、山の中、祖父は道を見失った。

 いつの間にか真夜中になっていたことは間違いなく、なまじ旅歩きに自信があっただけに供もない。提灯片手に真っ暗闇でひとりきり。おうい、と声を張っても返ってくるのは己の声ばかり。心底孤独な夜だったそうだ。


 ひとまず、山を登ることにした。

 人里に出ようと無暗に歩き回れば、かえってますます自分がどこにいるかわからなくなる。月明かりも朧で頼りなく、視界も利かないから、ある程度開けた場所まで行って朝を待ち、それから山を見下ろして、どこをどう下るか決めることにしよう。そう考えた。


 からん、と爪先で弾いた石が、しかし奇妙な音を立てる。

 驚いて祖父が足元を照らすと、そこは崖のほんの切っ先だった。


 後にも先にも、このときほど肝を冷やしたことは両手の指に余るほどしかないと祖父は言う。見れば、地の果てまで続くかという大奈落だ。たとえ何が落ちていったところで、もう二度と日の目を見ることはあるまいと思う。ひょっとすると本当に底なしの谷かもしれない。人など歯牙にもかけないような大妖が、ばっくりとその口を開いて自分を待ち構えているように感じた。


「――――おうい、」

 そのとき、奈落の底から声がした。


「おうい。そこに、誰かいるのかあ?」


 女の声だったそうだ。


 そのとき祖父の頭の中には、子どもの頃に何度も聞かされた化け物話がいくつも浮かんでいた。真夜中。山の中。それなりに険しい道のりを越えた先で場違いな声とくれば、その呼びかけに答えるだけでそのまま頭から取って食われてしまうのではないかと思った。


 が。

 それでも祖父は、勇気を振り絞った。


「――いるぞお。あんた、落ちちまったのかあ?」


 おう、と案外とあっけなく声は返ってきた。


 かくかくしかじか。聞くところでは、朝方にキノコ採りに出かけたところをすってんころりん。よじ登る術もなく、困り果てていたそうである。


「全く、散々だ。あんた、悪いんだがどうにか助けてくれないか? 礼ならするからさあ」

「と言っても、おれだってこう夜更けじゃろくに見えやしない。朝まで待っちゃあくれないか?」


 しばらく、返事はなかったらしい。

 ひょっとすると何かの癇に障ったか、やはりこの声は物の怪の類か……そう不安に思ったのも束の間、




「――ああ。夜に見えてるのか」

 ふと目を上げると、昼だったそうだ。




 何度聞いても櫻子はここのところが理解できなかったが、それもそのはずで、祖父も自分で全く理解できていないらしい。そういうもんなんだ、といつも言うので、櫻子もそういうものなんだ、と受け止めるしかない。考えてみりゃあれだけ山歩きに慣れてたのに、夜中になるまでうろうろ歩き回ってるはずもないんだ、とまで言われれば、確かにそうだと思うしかない。


 明るくなったらこっちのものだった。


 祖父は近くから木から蔓を引っこ抜くと、それを縒って丈夫な縄を作ってやる。念のためと思って「下に降りていこうか」と訊ねれば、「そのまま垂らしてくれりゃあ勝手に登るよ」と答えが返ってくる。


 そして女は、あっさりと崖の下から姿を現した。

 それを見て最初に祖父が思ったのは、「何事にも限度がある」ということだったそうだ。


 冗談みたいに美しい女だった。

 顔立ち、立ち姿、表情。どれをとっても「そこまで綺麗だと得よりも気苦労の方が多いんじゃないか」と、他人事ながらかえって心配になるほどに整っていた。そして、これもまた冗談みたいに長い髪。西ノ丸におわすお嬢様方だってここまで長くはあるまい。西ノ丸がただ『都』と呼ばれていた頃の遥か昔のお姫様たちだって、ここまで艶めいてはあるまい。そんな長い髪を、結い上げもせずに山風に流していた。


「助かったよ。どれ、若い男だ。御礼にうちの婿にしてやろうか」

 結構な金持ちだから玉の輿だぞ、なんてことまで平然と言ってのけるから、度肝を抜かれた。


 これだけの美人からの申し出なら大歓迎……とはいかなかった。さっきまでの恐怖感が、いまだに『山の中で出会ったどえらい美人』に対して「物の怪の類ではあるまいか」という警戒感を抱かせていたのか。はたまたこれだけ相手が美しいと乗り気よりも引き目の方が強く出るのか。あるいは本人が常々言っていたとおり「おれは生来一途者でな、ばあさんを一目見た日からどんな美人を前にしても心が揺れたことなんざ一度もないね」なのか。とにかく、祖父はこう言った。


「いや、いい。その、想いを寄せてる相手ってのが、もう他にいるんだ」


 そうか、と女は大して気を悪くした風でもなく頷いたという。


「その言いぶりだとまだくっついてるってわけじゃなさそうだから惚れ薬でも……と思ったが、そういうのも無粋だしつまらんか。うーむ……」


 じっ、と無遠慮に女は祖父の顔を見つめてくる。

 初めは負けん気から見つめ返してみたものの、居心地の悪さにとうとう祖父が目を逸らせば、


「よし」

 女は、一本の簪を取り出した。


「これをやろう。証文の代わりだ」

「はあ」

「お前自身でも、孫子の代でもいい。何か困ったことがあったら、この簪を持ってうちの店を訪ねてくるといい。もし孫子が結婚に困るようならうちのとさせてもいいし――ま、当人同士が気に食わんかったり、うちのがみんな相手を決めてたらしょうがないが――何かしらそれに相応するものを譲ろうじゃないか」


 はあ、ともう一度祖父は頷いた。

 そのときには内心の「ひょっとすると」は少し別の形に変わっていて、だから訊いた。


「もしかして、華族の方でいらっしゃいますか」

「いや? そんな大したもんじゃないよ。ああそうだ、忘れちまわないように書いておかないとな」


 言うや、女は懐から取り出した立派な手帳に、さらさらと何事かを書きつける。

 びり、とその頁を惜しげもなく破ってしまうと、祖父に向かってぐいと突き出す。


 そこには、こう書いてあった。


「『もがみや』……?」

「おう。華族ってわけじゃないが、由緒正しい立派な道具屋だよ。なんせ、もう千年以上続いてる」


 冗談かわからないでいると、ぽん、と女は祖父の肩を叩く。


「何にせよ、ここで会ったのも何かの縁だ。それとは別に、飯くらいは奢らせてもらおうじゃないか」

「あ、いや待った」

「ん?」

「おれもおれで、迷ってるんだ。あんたもそうなんじゃないのか? このあたりは入り組んでるのか道がわかりづらくて――」

「何言ってるんだい」


 女は笑う。


「すぐそこだよ」

 ほんの百歩も歩かないうちに、確かに、街道が見えたという。





 さて、こっちの街道はそれなりに長かった。


 鉄道があれば、バスがあれば――もちろんなかった頃よりはずっと便利な世の中になったのだろうが、それでもすぐさま行きたい扉の前に着くわけでもなし。櫻子はバスを降りてからしばらくの間、見も知らぬ『さいはて町』とやらを、地図を頼りにてくてくと歩き通した。


 駅で会ったあの子連れの言ったとおりだった。春の花も芽吹き始めた頃だというのに、まだ日陰には雪が積もっている。日の光は暖かいが、町の隅に漂う気配はまだ冷たく、青白い。雪道を歩くのにはそれほど慣れていないから、日向の氷が融け切っているのは幸いだった。


 地図のとおりに行けば、どんどんと人通りは少なくなっていく。


 果たして間違った道に進んでしまっていた場合、自分はもう一度バス停や駅まで戻ることができるのか。そんな不安を抱え始めた頃になって、とうとう櫻子の足が止まる。


 いかにも立派な屋敷だった。

 ただし、『屋敷』の前に『幽霊』が付きかねない。


 板塀の向こうには、庭木の頭が覗いている。しかしそれが何とも辛気臭い。桜の木なのだと思うが、さっきまではそれなりに蕾の芽吹く様を見てきたというのに、ここだけ全くその気配がない。枯れているのだろうか。門構えも大層らしいものなのだけど、その桜の木に釣られてか、どうにも落ちぶれたように見える。


 櫻子は、尻込みをした。


 本当にここなのかと手帳を何度も見返した。しかし道を間違えた気配はない。よっぽど引き返そうかと迷ったけれど、ここまで来てはそうもいかない。最後には恐る恐る、開け放たれた門を潜って、玄関戸の前に立った。


「ごめんください」


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