第38話:怪しい部屋へ

「お邪魔します……」


 リビングへ入ったれんがぎょっとするのがわかった。

 なにせ、部屋のいたる所に白い布がかけられているのだ。


「あっ、あの、片付いていなくてお見苦しい感じで……なので、布をかけたんです……」


 見苦しい言い訳をして、明日花あすかは蓮を招き入れた。


「ソファにどうぞ……ああっ!」


 ソファには刃也じんやの顔がプリントされたクッションが、これみよがしに鎮座ちんざしていた。


(棚や壁に気を取られて見逃していた!!)

(痛恨!!)


 明日花は飛びつくようにしてクッションをつかむとグッズ部屋の扉を開けて、そのままハンドボール選手のような華麗なホームで投げ入れた。


「え……?」


 明日花の突然の敏捷びんしょうな動きに蓮が硬直する。


「あ、あの、大丈夫ですか?」

「はいっ……すみません! まだ片付いてなくて! ささ、どうぞ! ソファにお座りください!」


 はあはあと息を切らせながら、明日花はさっとソファを勧めた。

 改めて部屋を見回すと、怪しさ満載だ。

 どこもかしこも布がかかっていて、ホラー映画に出てきそうな部屋だ。


(ううっ、人を呼ぶことを前提にしていないから!)

(お洒落で女子力の高い部屋とか夢のまた夢だし!)

(蓮さんみたいな物が少ないすっきりした部屋は、一回死んで生まれ変わらないと無理!)


 ソファに腰掛けた蓮は前傾姿勢でぐったりしている。

 いったい何があったのか、明日花はおろおろした。

 明るく穏やかだった彼の心をここまで打ち砕いてしまう何があったとしか思えない。


(ど、どうしよう……)


 明日花は声をかけることもできずにただ蓮を見下ろした。


(こういう時ってどうするの!?)

(何が正解!?)


 ぐったりと前のめりになった蓮に、刃也じんやの姿が投影された。


(見たことのある構図……)

(そうだ、ひどい怪我をしているのを皆に隠してるとき)

(刃也くんは絶対に弱みを見せない。相棒の耀ようくんにすら)


 だから、無理をして戦闘中に倒れた。

 あのかたくなな刃也の背中――今の蓮に重なって見える。


(言えない……言いたくないんだろうな……)

(私には聞けない。聞けるような間柄じゃない……)

(もっと親しい人じゃないと……)


 それはふっとした思いつきだった。


「あの……彼女さんとか、呼びますか?」

「いないです、そんなもの!!」


 蓮ががばっと顔をあげて叫ぶように言い放つ。

 その強い語気に明日花は息を呑んだ。

 蓮の苦しげな表情からは、怒り似た激情がにじみ出ている。


「俺、恋人とかいませんから!!」

「わ、わかりました……」


 何か逆鱗げきりんに触れたらしい。

 蓮がふいっと顔を伏せてしまう。


(『俺』……って言った。いつも『僕』なのに)

(素、ってことなのかな)


 180㎝を越える男性に声を荒げらたというのに、なぜか明日花はまったく怖くなかった。


(不思議だ……)

(むしろ、ねている子どもを見ているように可愛いい……)


 思わず頭を撫でてあげたくなり、伸ばしかけた手を明日花は慌てて引っ込めた。


(いやいや、29歳の大人の男性なんだから!)

(しかもただのお隣さんだよ?)

(でも、どうしたものか……)


 明日花はこれまで男性と付き合ったこともなく、男心に関してはほぼ限りなく低い恋愛偏差値しかない。


(落ち込んでいる男性ってどうしたらいいの……)

(いや、同じ人間だから!)

(おっ、落ち込んでいる時は……)

(そうだ! 何か美味しいものを食べるとか!)


 自分が落ち込んだ時は、ちょっと贅沢ぜいたくなスイーツを食べたりする。


「あのっ……何か食べたいものとか……」


 口に出して、明日花は失態に気づいた。


(いやいや、蓮さんは飲み会帰りだよ!)

(もう晩ご飯も食べ終わってるでしょーよ)


 だが、蓮がそろそろと顔を上げた。


「何か……食べさせてくれるんですか?」

「ひえっ!?」

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