第4話:隣人に知られるなかれ

「はあ!? 部屋も職場も隣!?」

芙美ふみちゃん、声が大きいって!!」


 明日花あすかは控え室兼事務室で、慌てて口に指を当てた。


「ごめんごめん、でもびっくりしちゃって」

 叔母の芙美がクスクス笑う。


 幼い頃から一緒にいるので、明日花は『叔母さん』ではなく『芙美ちゃん』と呼んでいる。


 叔母といってもまだ40歳で、明日花とは16歳違いで姉のような存在だ。

 実際、芙美は若々しくてスタイルがいいので30代前半くらいに見える。


(今日も芙美ちゃん、めっちゃ綺麗だな……)

 サラサラのショートボブ、ほっそりと長い首筋に目がいってしまう。


 芙美に憧れてサロンに通う顧客も多い。

 店長である芙美自身が、アロマサロンのアイコンになっている。


 芙美は地元では有名な美女で才女だった芙美は高校を卒業後、当たり前のように東京の一流私大に入学した。


 面長の顔にきりりとした切れ長の目をした芙美とは、親戚なので顔立ちは何となく似ている。


 だが明日花は残念ながら、『目つきが悪い』『人を呪ってそう』などのマイナスな言葉しか言われたことがない。


 髪の毛もくせ毛で、芙美のサラサラストレートヘアは憧れだ。


「すっごい偶然ね」

「びっくりだよ……」


「ね、どんな子? かっこいい?」

「……すごく優しくて人間ができてる人」


 エレベーターでの再会を思い出し、明日花は吐きそうになった。


 動揺しまくりの明日花にもれんは「職場も隣なんてご縁がありますね! こちらでもよろしくお願いいたします」と丁寧に接してくれた。


(完璧すぎる……出来すぎ君か……)

天上人てんじょうびと……)


 地元のイケメンといえば、明日花のような冴えないオタク女は馬鹿にするか、完全に無視するようなタイプばかりだった。


(すっごくいい人なんだろうな、たぶん……)

(でも――)


 エレベーターでの蓮の声かけに、「どうも、でへ」などと気持ち悪い返答をした挙げ句に、早足でその場を離れた大人げない自分の姿が脳裏に浮かんだ。


(あー、記憶を消したい! もしくは昨日にループしてやり直したい)


「仲良くなれるといいね」

 芙美の気楽な言葉に明日花は目をむいた。


「はあ!? 絶対無理!!」

「なんで? いい人なんでしょ?」


「なんでって……芙美ちゃん、知ってるでしょ!! 私はリア充イケメンが怖いの!! あと、絶対オタ活のこと知られたくない!!」


 と言いつつ、明日花はレプリカ剣の箱を拾ってもらったことを思い出した。


(うぐうっ、初対面からやらかした!)


「ごめんね、明日花。落ち着いて」

 芙美の心配げな顔に、明日花は軽く息を整えた。


「私こそ、ごめん……大声出しちゃって……」


 地元では、オタク趣味については冷ややかな人がほとんどだった。

 身内で理解があったのは、芙美だけだ。


(芙美ちゃんが東京に呼んでくれて、オタ活も応援してくれてるのに)

(当たり散らすなんて……)


 しゅんとした明日花を慰めるように、芙美が肩に手を置いて覗き込んできた。


「上京してから新しい友達ができてないでしょ? だから、いい人そうなら友達になれるかもって」


「……無理だよ、リア充のイケメンとか」

「だよね。ごめんね」


 イケメンは怖い。

 三ヶ月以上たった今もまだ、心の傷は塞がっていないどころか血を流し続けている状態だ。


(たまたまあの人は刃也くんに似ていたから気になるだけで)

(普通のイケメンだったら、それこそ目も合わせずに距離を取ってただろうな)


「そもそも、すっごいかっこいいうえにお医者さんだから、私なんかと友達になってくれるわけないし! 世界が違うって感じ!」


 無理に笑ってみせたが、芙美は何か言いたげに明日花を見つめている。


(わかるよ、芙美ちゃんの言いたいこと)

(人に対して壁を作らずに、もっとフランクに接した方が人生が楽しくなるよね)


 だが、リア充のイケメンというだけで、忌避感がわき上がる。


(イケメンは二次元を愛でるのが精神的に安定する……)


 リアルの男性とは距離を置きたいが――推しにそっくりというルックスは無視できない。


(逢坂さんの美しい姿は遠くから拝ませてもらおう……)


 遠くからそっと貴重な野生動物を観察するように接すればいい。

(なるべく近づかず、接触しない。そうすれば傷つくこともない)


 正直、エレベーターを降りて店のガラス扉に描かれた『女性専用』の文字を見てホッとした。

 芙美からの誘いの魅力の一つがこれだ。


「さ、開店の準備をしようか。今日の予約は10時から渡瀬わたせ様90分コースね」


 動きやすい施術用の制服に着替え、二人は更衣室を出た。


「じゃあ、部屋の用意をするね!」


 明日花は張り切って6畳ほどの施術室に入った。


 丁寧に掃除をし、施術台を整える。


(タオルとバスローブ、それにマッサージ用の紙パンツを用意して――)


 ヒロットとはフィリピンの伝統療法で、全身をアロママッサージすることにより、血行をよくして自律神経を整える。


試しに芙美の施術を受けたら効果は絶大で、明日花はよだれをたらして寝落ちするほどリラックスできた。


 芙美は元会社員なので、ハードな仕事の合間に癒やしが必要と考え、オフィス街に店を構えたという。


 とにかく疲れている女性の癒しを提供したい、というのが芙美の理念だ。


 全身のアロママッサージでほぼ全裸で施術を受けてもらうため、店員も客も特別なケースを除いて女性のみ、という明日花にとって安心できる環境だ。


 地元でトラブルに巻き込まれて身の置き場がなくなったとき、ちょうどアシスタントを探していた芙美が誘ってくれたのだ。


 しかも東京という、オタクにとって最適の場所に。


 ――大人の夏休みだと思ってさ、楽しみなよ!


 落ち込む自分にかけてくれた言葉を明日花は忘れないだろう。


刃也じんやくんにとっての耀ようくんみたい)


 刃也が唯一気を許す相手が親友で同級生の三峯みつみね耀だ。


 過去の回想編で刃也が一番つらいときに、唯一手を差し伸べてくれたのが耀だとわかった。


 耀にとってはそれは普通の思い出。

 だが、刃也にとっては人生が変わるほどの衝撃だった。


 普段は感情を表さないけれど、『耀を絶対に守る』と刃也が密かに誓っているのを読者である明日花たちだけが知っている。


(だから、耀くんがそばにいると刃也くんは最強になる)

(全身全霊で守りたい相手だから)


(耀くんは耀くんで、刃也くんのことを特別に思ってる)


(でもお互いがそこまで相手に激重げきおも感情を抱いてるって知らないところが、またいいんだよね~)


 明日花はてきぱきと作業を終えた。毎日やっている作業なので、妄想をしながらでも完璧に仕上げられる。


(よし、二部屋とも完璧!)


 予約が入っている全身マッサージ用の部屋だけでなく、ヘッドマッサージ用の個室の準備もしておく。


「芙美ちゃん、施術室の準備できたよ~」

「ありがと!」


受付に戻ってきた明日花に、芙美が微笑む。


「私、お昼休みに差し入れもって逢坂さんとこに行こうかな」

「え?」


 思いがけない芙美の言葉に明日花はぎょっとした。


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