物語に飽きた令嬢は全てを壊しました。

えんがわなすび

テンプレもいい加減にしてほしい

「オリアンナ!」

 バン! と扉を開けて入ってきた人物に、窓辺に備え付けられたチェアに座って紅茶を飲んでいた女は慌てた様子もなく優雅に手を止め、肩で息をするその人物に向けて片方の掌を見せた。である。

 その仕草を見て一瞬息を吞んだその人物は、けれどぎゅっと眉根を寄せて大きく一歩を踏み出した。柔らかな産毛が立つ絨毯がブーツに押し付けられる。

「オリアンナ! 僕は――!」

「少し待て、と。伝わらなかったのかしら、アルバート」

 そこで漸くティーカップをテーブルに置いたオリアンナは扉を開けて入ってきた人物――アルバートに目を向けた。冷めた紅茶のような目に見つめられたアルバートが、いやしかし、と言い淀む。

「オリアンナ、いい加減にしてくれ。ここで僕が君に婚約破棄を言い渡さないと物語が始まらないだろう」

「言い渡さなくとも、この物語はもう始まっています」

 座ったままのオリアンナに下から睨みつけられるように見られ、アルバートはたじろいだ。きょろきょろと周囲を見渡し、額から垂れた冷や汗を無作法に手の甲で拭いた彼は、自身を落ち着けるためか一度大きく深呼吸した。


「じゃあ僕はどうしたらいいんだ」

「どうもしなくて結構です」

「ええ……」

 オリアンナの返答に、アルバートは心底困惑した。

 物語が始まったら、自分はこの扉を開けてオリアンナに婚約破棄を言い渡す。それが彼の役割だったからだ。それをしなくていいと言われては、どうしたらいいのか分からない。路頭に迷った鼠の気分だった。

 そんな彼の心情を知ってか知らずか、オリアンナは窓の外に視線を移す。

 空は異常なほど晴れ渡っており、見下ろす庭園では花が咲き乱れ、風に遊ぶ小鳥は歌い踊っていた。

 その光景に、オリアンナは張りぼてみたいだなと思う。

 彼女の小さな口が開く。

「だって、もう飽きてしまったんですもの」

「え、飽きた? まだ始まってもないのに?」

「だからもう始まっているんですって。それより、わたくしはもう飽きてしまったんです」

 今度はオリアンナが溜息を吐く番だった。アルバートは絨毯に縫い付けられたように立ち尽くしていた。

「口を開けば婚約破棄だの、溺愛だの、聖女だの、義妹だの、お飾りだのと。テンプレもいい加減にしてほしいのはこちらの方なのよ」

「いやしかし……。結局は落ちこぼれだの、義弟だの、悪役だの、転生だの、離婚だのを求められているんだし、そうでないとPVも伸びないのは君も分かるだろう」

 アルバートはまたぎゅっと眉根を寄せる。

 自分はこれまでそうやって生きてきたものだから、それを『飽きた』の一言で止められてしまってはどうしようもない。では今か今かと待っている人たちもいるのだ。

 なんとかして彼女を説得できやしないかと思考を巡らせていたところ、不意に「だからね」という声に遮られる。多少機嫌の良さそうなその声色は、目の前のオリアンナのものだった。


「だから私、いい考えを思いつきましたの」

 音もなくオリアンナが立ち上がる。

 ドレスの裾がゆらりと揺れ、それがダンスパーティーのように翻って綺麗だ。

 かと思えば一気に距離が詰まり、正面から彼女の体が彼にぶつかる。

「え――?」

 押し出されるように離れたオリアンナの両手の中には、どろりとした鮮血を纏うナイフが握られていた。

 それが何か理解するより早く、アルバートの体が崩れ落ちた。

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