第8話

 思ったんだけど、最近の私はちょっと強引すぎたのかもしれない。

 宿題を今からやろうとしている時に宿題をやりなさいと言われると、やる気がなくなる的な。


 私があれこれ言い過ぎているせいで、お姉ちゃんは余計に自立する気を失っているのかもしれない。


 つまり、押して駄目なら引いてみろというやつだ。

 今日はもう、お姉ちゃんに家事をさせたり、頑張れだとか言うつもりはない。


 もう嫌だってなるくらい、とことんまで甘やかして、どろどろにすれば。逆に自立に繋がるかもしれない。


「……よし!」


 私は頬を叩いた。

 一日の始まりは朝ご飯から。今日はとことんお姉ちゃんを甘やかす!


 震えて待つがいい、お姉ちゃん。私の甘やかし力を見せてやるとも。

 私は気合を入れて、朝ごはんを用意し始めた。





「わー、今日の朝ごはんは豪華だねー。旅館みたいだー」


 お姉ちゃんはのそのそリビングにやってくる。

 今日の朝ごはんは純日本風である。焼き魚に納豆にお浸し、きんぴらなどなど。


 全部お姉ちゃんが喜びそうなものを早朝から準備したのだ。

 もちろん、それだけで終わる私ではない。


「ささ、座って座って」


 私は椅子を引いて、座るよう促す。

 お姉ちゃんはふわふわした笑みを浮かべた。


「なんか、今日は至れり尽くせりだねー? さっきも優しく起こしてくれたし」

「お姉ちゃんのこと、いっぱい甘やかすって言ったからね」

「ちゃんと覚えてたんだー。感心感心」


 ふふふ。

 私の完璧な作戦に気付きもしていないようである。私はお姉ちゃんを座らせて、その隣に座った。


 今日は単に朝ごはんを豪華にしただけでは終わらない。

 そう、私の甘々シロップ大作戦は、この程度ではないのだ。

 私はいただきますを言ってから、箸を手に取った。


「お姉ちゃん、最初は何食べたい?」

「え? 乃愛ちゃんが食べさせてくれるの?」

「もちろん。今日のは全部自信作だからね。ほらほら、早くしないと冷めちゃうよ」

「んー……。じゃあ、玉子焼きからかなー」

「はいはい。……あーん」


 私は玉子焼きをお姉ちゃんの口に運ぶ。

 特に恥ずかしがる様子もなく、お姉ちゃんは玉子焼きを口に入れた。

 ……なんか、ちょっとだけ。


 あーんしている私の方が恥ずかしいような気がする。この歳でお姉ちゃん相手にあーん、とか。どうなんだろう。


 いやいや。

 私が恥ずかしがってどうする。


 今回の作戦は私がとことん甘い顔を見せて、お姉ちゃんを恥ずかしがらせるためのものなのだ。


 落ち着け、落ち着け。

 何も恥ずかしいことなんてない。私は策士、私は軍師、常勝無敗……。


「……ん、美味しい。また腕を上げたねー」

「そ、そう?」

「うん。小さい頃なんて、茹で卵作るだけで大騒ぎだったのにねー」

「ちょ、恥ずかしいからやめてよ!」

「いやいやー、あの頃の乃愛ちゃんも可愛かったよー。……今の方が、もっと可愛いけど」


 じっと、お姉ちゃんは私を見つめてくる。

 私たちの間に、嘘はなしだ。そう約束したけれど、約束がなくたって、お姉ちゃんの言葉が本当だってことくらいちゃんとわかる。


 わかるから、照れる。

 むむ、むむむ……。


 負けちゃ駄目だ。お姉ちゃんが素でこんな感じだってことくらい、もうわかっているのだから。今更恥ずかしがるなんてありえない。

 私は少し深呼吸をしてから、にこりと笑った。


「お姉ちゃんも、可愛いよ」

「ほんとに?」

「ほんとほんと。私よりずーっと可愛い」

「……具体的には、どの辺が?」

「全部だよ」


 私が言うと、お姉ちゃんは目を丸くした。


「……そっかそっか。でも、乃愛ちゃんの方がもっともーっと可愛いよ」


 彼女の指が、私の髪に触れる。

 お姉ちゃんの綺麗な黒髪とは似ても似つかない、癖のかかった茶色い髪。お姉ちゃんとお揃いだったらよかったのに、と何度も思ったことはあるけれど。


 そんな私の髪を、お姉ちゃんは愛おしげに指で梳かす。

 強い。

 無自覚に繰り出される攻撃に、私はちょっとたじろいだ。


「お、お姉ちゃん! 次は何食べる? 私のおすすめは鮭!」

「……ふふ。じゃあ、鮭にしよっかな?」

「おまかせあれ!」


 私はそのまま、お姉ちゃんに朝ごはんを食べさせ続けた。

 しかし、彼女が動じた様子は一切なかった。まるで、そうされるのが当然みたいな顔でにこにこしている。


 もしかするとお姉ちゃんの前世は昔の貴族か何かだったのかもしれない。


 私だったらこんなに何度もあーん、なんてされたら恥ずかしくて逃げ出しているというのに。


 ……でも!

 こんなのは序の口。コースで言うところの前菜。アペタイザーである。


 次だ。次は甘々度をもう一ランク上げる。

 ふふ、お姉ちゃんはついてこれるかな?





「……ん、そこそこ。そこ、もっと強く」

「ここ?」

「あ、そこそこ。気持ちいいよ」


 食事が終われば、今度はマッサージだ。

 自慢じゃないけど、私はマッサージがうまい方だ。お姉ちゃんにはしたことがないけれど、智友にはよくしている。


 彼女は演劇部で色々忙しそうにしているせいか、結構肩が凝ったりしているのだ。


 彼女に褒められた回数は数えきれず。私はいつの間にかマッサージマスターになっていた。

 ……そこまでではないかもだけど。


「乃愛ちゃん、すごいね。こんなのどこで覚えたのー?」

「智友にやってるうちに、自然と身についたんだ。うまいでしょ」

「そうだね。そっか、智友ちゃんか……」


 お姉ちゃんの体の硬さが、ちょっと変わった気がする。どうしたんだろう。


「……お姉ちゃん?」

「……喉乾いちゃったから、ジュースが欲しいなー」

「あ、うん。オレンジでいい?」

「お願いねー」


 私は急いでキッチンに向かった。

 さすがお姉ちゃん。お世話され慣れている。


 ……ていうか、待って?

 これじゃいつもと全く変わらなくない?


 お姉ちゃんを動じさせて、もう甘やかされたくない! って思わせるには、もっともっと、いつもより恥ずかしい感じの甘やかし方が必要なのではなかろうか。


 うーん。

 いつもと違う甘やかし、かぁ。


 ……おしゃぶりとか。

 いやいやいやいや。


 それはもう甘やかすというか特殊な趣味になってしまう。そもそもそんなの持ってないし!


「……あれ?」


 もしかして、私って常日頃からお姉ちゃんのこと過剰に甘やかしているのでは。


 お姉ちゃんはそれに慣れてしまっているから、今更私が何をしたって動じることがなかったり?


 私も大概に、感覚が麻痺しているのか。

 いや、だとしても。


 こうなったら行くところまで行ってやろう。どちらが先に根を上げるか勝負である。





 その後、私は考えつく限りの甘やかし方を試してみた。

 耳掃除、膝枕、添い寝にハグ。試したのはいいけれど、どれも割としょっちゅうしていることで、多少いつもより多めにやったけれど、あんまり意味はなさそうだった。


 お姉ちゃんは相変わらずだ。

 いつもよりちょっとご機嫌で、鼻歌でも歌い出しそうな気配を感じるけれど、それだけである。


 対して私はかなり精神が削られている。

 改めて考えてみると、私ってお姉ちゃんに激甘すぎるのではなかろうか。

 振り返ると恥ずかしくなってくる。


「乃愛ちゃーん。手が止まってるー」

「あ、ごめん」


 おっと。

 今はお姉ちゃんを膝に乗せて、頭を撫でてあげているのだった。上の空になっちゃ駄目だよね……じゃなくて!


 ちょっと待て。

 私は何をナチュラルにこんなことをしているのだ。

 いや、今日は甘やかすのが目的だからいいんだけど。

 いやいや、やっぱり良くない。


 そもそも私が無意識でこういうことをしてきたから、お姉ちゃんが貴族になってしまっているのではないか。


 むむむ、このままでは。

 そう思っていると、お風呂が沸きました、という音声がリビングに響く。

 もうそんな時間か。


「お姉ちゃん、先お風呂入っていいよ」

「んー? んー……」


 歯切れが悪い。どうしたんだろう。


「ねえ、今日はお風呂、一緒に入ろっか」


 お姉ちゃんは私の方を向いて言う。


「……え」


 私は目を丸くした。

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