陽の光と共に

夏菜しの

第1話

 夜の七時半。

 とあるオフィスビルの入口は、一日の仕事を終えて帰路につく者たちでごった返していた。一階に到着したエレベーターは、ひっきりなしに人を吐き出していく。

 その流れと真逆、全員が降りて空っぽになったエレベーターに、全身が黒のライダースーツを着込んだ女性が一人乗り込んでいく。

 服装から見て解るように、サラリーマンではないからオフィスに忘れ物を取りに帰るのではない。

 彼女は今しがた出勤してきたこのビルの清掃員だ。


 目指すは二階にある管理会社の事務所兼更衣室。

 二階ならば階段で行けと言うのはごもっともな話だが、管理会社の入っている事務所は階段からは遠く、ビル中央にあるエレベーターからは近い。

 登りのエレベーターは空っぽで、どうせ帰路につく人を乗せる為に上に行くのだからと、近い方を選んだ彼女は責められる覚えは無い。


 事務所に入りタイムカードを押してから更衣室へ。

 今日のシフトに入っている同僚おばさんたちと挨拶を交わして、手早く清掃着に着替えていく。

 開始時刻の八時になると、主任から朝礼ならぬ夕礼を聞く。本日は病欠でどうやらシフトの一人がお休みの様だ。だが組まれているシフトは、少しばかり人数に余力があるから、終了時刻の四時には間に合うだろう。


 さて夜の十時までは、会社によってはオフィスの電気も付いていることも有るから、まずは天辺の十二階にある食堂から掃除が始まる。

 掃除は上から下へではないが、ここでは退社の遅い傾向のある会社ほど下の階に位置されているから、彼女たちは十二階が終わると十一階、終われば十階と言う様に一つずつ進んでいった。そして下の階へ着く頃にはすべての会社のオフィスの電気が消えている寸法だ。


 休憩は〇時から一時間、事務所の休憩室で深夜食を食べながら同僚おばさんたちは会話を楽しむ。

 一人だけ年齢が離れている・・・・・・・・彼女はいまいち会話に混じれない。しかし和を乱すつもりもない・・・・・・・・・・ので、隣で静かに相づちを打つのだ。


 一時間の休憩が終わりに近づいた頃、事務所勤務の主任、佐々木陽太が現れた。

 年齢は二十八歳、華奢で線が細く、軽いパーマの掛かった明るい髪にフレームレスの眼鏡は少しばかりの清潔感を醸し出す。おまけに幼い顔立ちだから、彼は年配おばさんから、とても人気があった。

「佐藤さんは居ますか?」

 やって来るや、早々、佐々木は一人の女性の名前を呼んだ。

 呼ばれた同僚さとうが主任に走り寄る。少しばかり立ち位置を遠くに変えて何やら伝えていた。

 すると同僚さとうはぺこぺことお辞儀をして早足に去っていった。

「佐藤さんですがお子さんが熱を出されたそうで早退されました。

 この後から人数が減りますが、どうかよろしくお願いします」

 元々病欠で一人少なかった所に加えて、さらに一人減ってしまった。これは残業を覚悟した方がいいなと誰もが思った。


 そんな中、唯一顔を青ざめさせているのは、一人だけ年齢の離れていた彼女だ。

 二十代前半の白磁器の様な肌と銀髪と言う日本人離れし容姿。鼻筋はスッキリと通っていて、目元もキリリと彫りが深い。それもそのはず、彼女の生まれはヨーロッパ。日本人の血は一滴たりとも混ざっていない。

 西洋生まれと言う事よりも稀有な事は、彼女の瞳が赤いこと。白い肌は常識を超えた白さを誇り瞳の色と合わせて、先天性白皮症、通称アルビノを思わせる。

 その姿の通り、彼女は日光が苦手なのだ。

 だから人目を惹く容姿を持っているのに、この様な深夜のパッとしない仕事に就いているし、日が昇る前には家に帰りたい。

 だが和を乱すつもりはない・・・・・・・・・・から、彼女は残業を甘んじて受けた。


 定時の四時をほんの一時間だけおして、五時にビルのすべての清掃が終わった。

 季節によっては大丈夫だろうが、残念ながらビル群の隙間から朝日が見え始めていた。

 体をすっかり包み込む黒いライダースーツに着替えて、「うっ」と低い声を漏らす。するとそれを聞きとめた同僚おばさんが心配そうに声を掛けてきた。

「ミラちゃん大丈夫かい?」

 陽の光にどれほどの害があるかまでは知られていないが、彼女が日光に弱い事は同僚おばさんたちも知っている事実だ。

「……大丈夫です」

 外国生まれとはとても思えない様な、綺麗な発音の日本語が返ってくる。

 発音は兎も角、心配させたくない一心で返した言葉も、言い淀んだことで逆に心配させてしまった。

 もう一度、「大丈夫です」と返してミラはビルの駐輪場に停めたバイクへ走った。

 頭に電力会社の名前が入った無骨な白いタオルを巻いて……

 もっと彼女に似合うお洒落なタオルを使えば良いのにと思わないでもない。しかし長く・・日本に住んでいる・・・・・から、ミラはすっかり日本人に溶け込んでいる。


 朝日の光りはまだ弱く、駐輪場には屋根があるから日光は随分と遮断される。

 頭に乗せていたタオルは手早く折り畳み鞄の中へ。原付のシート部分を開けてフルフェイスのメットを取り出して被る。バイザーはミラー状に加工されたものに変えてあるから、ライダースーツを合わせれば日光が入ってくる隙間は無くなった。

 ヘルメットが無くなり空いたシートの中には、鞄を突っ込んで、ミラはアパートに向かって原付を走らせた。



 朝の道路はガラガラでスイスイと走る事が出来た。しかし五分ほど走ったところで眩暈を覚えて、ミラは原付を路肩に寄せて降りた。

 道路に植えられた樹に出来た木陰に入り、メット越しに恨めしそうに日向を睨みつける。その迂闊な行動でまたくらりと意識が飛びそうになった。

 いよいよ不味いとミラは焦った。


 こんな時間だ、ファミレスはまだ開いていない。二十四時間やっているネカフェに入ろうにも、陽が落ちるまでの時間を滞在するのならば堅実でお財布の紐が硬いミラからすると無駄で勿体ない。

 休み休み、コンビニを梯子しながら進むか……

 一瞬だけそう考えてミラはその考えを否定した。

 自分にはきっと、何も買わずに店を出る事は出来そうにない。無駄にならないだろう一番安いお茶を買い続けるにしても原付では運ぶには無理があるし、そもそも勿体ない。

 どうしよう……

 そう悩んでいる間にもミラの体調はどんどんと悪くなっていった。

 もっと陽が早く昇る真夏だったら、ライダースーツは厚手でメットの中でサングラスも掛けていただろう。しかし季節がら薄手・・のライダースーツにしていたのが仇になった。


 その時、ミラの前に黒い軽自動車が停まった。

 助手席側の窓が開き、

「スピエルドルフさんだよね? こんな所でどうかした」

 そう言いながら運転席からひょっこり顔を覗かせたのは職場の主任、佐々木陽太だ。

 フルフェイスで顔が判らないとは言え、こんな時間に原付に乗った黒のライダースーツを着た女性となると心当たりは一人しか居なかったのであろう。

「主任……」

 ミラは助けてと口から出掛ったところを寸前で飲み込んだ。

 主任と呼ばれたから佐々木は相手をミラだと確信し、ハザードランプを点けてから車を降りた。

 佐々木は身長が低いミラに合わせるように腰を曲げ、ヘルメット越しにミラの顔を覗き込んだ。もちろんミラー加工のバイザーの所為で表情が見える事は無い。

「もしかして気分が悪いのかい、風通しを良くした方が良いだろうからヘルメットは脱いだ方がいいよ」

 しかしミラは首を振りそれを拒否した。

 ヘルメット越しの日光でさえこの調子なのだ、ここでヘルメットを脱げばもっと悪い事になるとミラには判っていた。

「う~ん君の様な症状に僕は詳しくないんだ、ごめんね。えーと気分が悪いのなら僕が家まで送ろう。

 問題はその原付だけど、もう少し先に駅があってそこに駐輪場があるんだ。今日はそこに停めるってことでいいかい?」

 こんな場所に置いていく訳に行かない事は理解でき、ミラはコクリと肯定の意を返した。

「車の中で待っていてくれるかな? ひとっ走り行ってくるよ」

 ミラのは原付だから、ヘルメットさえあれば普通免許を持つ佐々木ならば乗っていくことも出来ただろう。しかし日光に弱いミラから、ヘルメットを取り上げる訳には行かず、佐々木は原付を押して行くことに決めた。

 ただし内心では、八頭身を誇る小顔のミラ用のヘルメットを、自分に被れる訳が無いと思って安心していたが……


 佐々木は一〇分掛かって駅に辿り着き、帰りは手ぶらだから五分で戻って来た。

 ほんの十五分だがそれだけの時間があれば、朝日はさらに昇り、すっかりミラの体力を奪い去っていた。

 ミラは車の中でぐったりとしていて、佐々木が話しかけても返事は無い。

 困った、彼女の住所が判らない。

 もちろん事務所に帰れば彼女の履歴書から住所も判るだろう、だけどこんな状態の彼女を連れまわすのは違う気がする。

 そして日射病の様なもの、と言うのが佐々木の知識であるから、病院までは大袈裟だろうと思い直す。

 悩んだ末に佐々木は自宅へ向かった。




 ミラは陽が入らない様に分厚いカーテンで閉ざされた、やや薄暗い見覚えのない部屋のベッドで目が覚めた。

 首元だけは緩められていたが、他には目立った着衣の乱れもなく、外されたヘルメットだけがベッドの脇に置いてある。ふと視界に入った壁掛け時計は、六時を指していた。

 カーテン越しの光りは赤みが無いからまだ朝のはず。

 五時きっかりにビルを出て、たったの五分で気分を悪くしたところに佐々木がやって来た。車に乗った時はたしか五時十五分ほどだが、その後の記憶はおぼろげだ。前後を考えればきっとここは佐々木の家だろうと推測する。

 額に乗せられていた湿ったタオルを、ベッドの脇に有ったタライに戻すと、ミラはベッドを起き上がって部屋のドアを開けた。ただし日光を警戒してそっと顔を覗かせただけで、部屋に入る事はしない。

 隣の部屋はどうやらリビングの様で、こちらも分厚いカーテンで閉ざされていて安心してリビングに入った。


 部屋に入ってすぐにミラはギョッとした。危うく声を出しそうになったが何とか飲み込んだのは奇跡だろう。

 こちらの部屋からはソファの背の部分しか見えていなかったが、部屋に入って見ればそのソファには佐々木が横になって眠っていたのだ。

 そうかベッドをわたしが占有してしまったから……

 そっと佐々木の肩に手を触れる。華奢だと思っていたがやはり男性、思いの外に逞しくて驚いた。

 しかし驚いている場合じゃないと、すぐにミラは控えめに佐々木の肩を揺すった。

「あのぉ主任?」

 ううんと迷惑そうなうめき声が漏れた後、佐々木は目を覚ました。

 少しだけ呆けたようにぼぅとこちらを見つめた。

 眼鏡が無い顔を始めて見たなとミラは思い、童顔っぷりがさらに増してるわと変に感心する。

「どうぞ」

 もう充分に堪能したからと、テーブルの上に置かれた眼鏡を佐々木に差し出した。

「ありがとう、えーと。もう平気そうだね」

「お陰様で。本当にありがとうございました」

「いやいや礼には及ばない。じゃあ送るよ、家はどこ……、いや明日じゃなくて今日の出勤の時に困るから駅の方が良いのかな?」

「あのぉそれなんですが……」

 言い辛そうにミラは言葉を濁した。

 それを聞いて佐々木はどうぞと先を促す。

「出来れば陽が落ちるまでここに居させて貰う訳にはいきませんか?」

「それは構わないのだけど、そんなに陽の光って不味いのかい」

 佐々木は慌てて、僕は君の体質について詳しくないんだと言い繕った。

 ミラはくすりと苦笑を漏らし、「陽の光は苦手なんです」と返した。

「ふぅんアルビノだっけ、大変なんだね」

「そ、そうですね」

「スピエルドルフさん? 何か僕に嘘をついていないかな?」

「どうして急にそんな事を?」

「昔から僕は嘘に敏感な性質でね、嘘をつかれるとうなじがこそばゆく・・・・・なるんだよ」

 嘘をついている自覚があるミラは居た堪れなくなりツイと視線を反らした。彼女は根がとても正直なのだ。

「本当の事を教えて貰えるかな?」

 佐々木はニッコリと笑ってそう言った。

 ただしその笑みは目が笑っていなくて、拒否し難い雰囲気が多分に込められていた。



 リビングに置かれたテーブルの上には、湯気の上がる珈琲が二つ置かれている。二人揃って夜勤明けだから、眠気覚ましに佐々木が淹れたのだ。

「どうぞ」

 珈琲をどうぞなのか、それとも話をどうぞなのか、判断のつけにくい声が聞こえた。

 後者だと思ったミラはついに重い口を開いた。

「実はわたしは吸血鬼ヴァンパイアなんです」

「……」

 沈黙が落ちたのは無理もない。

 君はアルビノじゃないよねと聞き、吸血鬼ヴァンパイアだと返されればそりゃあ誰だって沈黙だってするだろう。

 でも、

「驚いたな嘘じゃない気がするよ」

 佐々木の特技【嘘看破】は、うなじをくすぐる事無く、今の言葉は真実だと告げていた。

 逆にまさか信じて貰えるとはと、ミラはポカンと間抜けにも大口を開けて佐々木を見つめていた。

 信じて貰った嬉しさは置いておいて、証拠だとばかりにミラは鋭い牙を口から覗かせた。普段は八重歯に見える程度だが、血を吸う場合はこのように小指の先ほどまで大きく鋭くなるのだ。


 牙が元通りに戻ってから、

「ねえスピエルドルフさん」

「えっとわたしの事はミラと呼んでください」

 長く発音しにくくて日本人には呼び難いだろうと気を聞かせて言ったつもりだが、何を勘違いしたのか佐々木は赤面し、「じゃあ僕も陽太と呼んでくれ」と返された。

 そう言う意味じゃないんだけどな~とミラは呆れたが、和を乱すつもりはない・・・・・・・・・・から受け入れた。

「それで陽太さん、一体なんでしょうか?」

「ああごめんね。ミラさんは吸血鬼ヴァンパイアだから太陽が苦手と言う事であってるかな?」

 ミラは肯定の意でコクリと首肯する。

 直接太陽を浴びると灰になる訳ではないが陽に当たった場所は火傷をする。そして直接でなくとも、今日の様に太陽に照らされていれば、貧血の様に眩暈を引き起こす。

「大体どのくらいなら平気なの?」

 ミラはスッと片手をパーに広げて見せた。

「へぇ五分か」

「いいえ桁が違います」

「ああ五〇分ね」

「いえ五秒です……」

「短っ!」

 〝分〟じゃなくて〝秒〟、そっちの桁だった。

 しかし油の中に指を入れて、五秒も経てば誰だって火傷するのだから極端に短くも無い。


「他に何が苦手なんだい? ニンニクとか十字架はどうかな?」

 興味津々、佐々木はグイグイと顔を寄せながらミラに詰め寄って来た。


 さて佐々木がこのような風になったのは訳がある。

 実は彼は生粋のゲーマーで、ゲームの中の存在である吸血鬼ヴァンパイアに出会えたことと、夜勤明けのナチュラルハイが合わさってテンションがエライ事になっているのだ。

 もしも彼が夜勤明けの徹夜状態でなければ、もう少しだけマシだったと言い訳をしておこう。


「にんにくは好きです。でも食べると大抵お腹を壊します」

 生ではなく火を通してもと言われるとはてなと思った。

「それは苦手なんじゃないだろうか。いや、でも死なないのだからただの体質とも言えるか?」

「十字架は見ると悪寒が走ります。でもゴキブリよりはマシです」

「ふむふむ。十字架とゴキブリが同列に語られるなんて面白いなあ」

 ミラの瞳が赤いのは吸血鬼ヴァンパイアだからで、緩やかな流れならば水の上も歩けるし、意識をすれば鏡やカメラ、それに写真にも写らなくすることも出来る。

 そして蝙蝠やら霧になれると言うのはデマで、彼女はこの姿のまま変わる事は無い。


「心臓に杭を打つと死んで、銀が苦手って言うのもあるんだけどどうかな?」

「心臓に杭が打たれれば普通は死にますよ」

 なお銀製品はアレルギー持ちの様で触るとただれるらしい。

「あははそれはそうだね!」

 ひとしきり笑った後、佐々木は真剣な表情を見せた。

吸血鬼ヴァンパイアが噂通り綺麗なのはこの目で見たから解るとして、血は? やっぱり吸うの。それとも赤ワインとかトマトジュースで良いのかな?」

「綺麗なんて、そんな」

 今まで人間に縁が無くてあまり綺麗だとか言われたことが無かったのでミラは盛大に照れていた。


 さて彼女は「わたしは血を飲みません」と言った。

 正確に言えばここ二百年ほど飲んでいない。かと言って赤ワインやトマトジュース、それに血の滴るステーキと言った物も食べたりはしない。

 彼女はパンダを例にとり、本当は肉食だけど笹を食べることで代用している事を話した。

 つまりミラは血を吸うのではなく、栄養価は低くとも人間と同じ食事を食べて補っているのだ。

 元々吸血鬼ヴァンパイアは人間を越える力を持つ存在であるから、血を一飲みするだけで、一ヶ月は軽く暮らすことが出来ていた。だから食事を、栄養価が低い人間と同じ物に変えたとしても、結局は燃費が良いから困らないのだ。

 そんな訳でミラは料理が得意である。

 これは血を飲まなくなってから、せめて食事は美味しくしようと努力をした結果だ。もう一つ言えば二百年も自炊していればそりゃあ上手くもなる。

 そして西洋で約八十年、日本で約百二十年暮らしているから、和洋共になんでもござれだ。

 近い将来、陽太が妻の食事に舌鼓を打つのは明らかな事実であった。


「じゃあ君を食事に誘っても迷惑じゃないのかな?」

「えっと、夜なら……」

 ミラは白磁器の肌をほんのり赤く染めてはにかむように返した。

 朦朧としていた自分をここまで運んで誠実に看病してくれた。そして突拍子もない話を聞いたのに信じてくれた。これだけ重なれば、元々見てくれが悪くなくて、評価もまずまずだった佐々木の好感度が一気に上昇したのも頷けよう。

 勿論佐々木はそう言う意味では聞いていなかったのだが、年下・・の誰もが振り返るほどの美女が見せたその仕草には、グッと来るものがあり危うく勘違いしそうになった。

 だが残念かな、佐々木は草食系と呼ばれる人種が多い世代で、彼も例に漏れず草食系であったからさっさとその邪な考えを心の奥に仕舞った。

 そして思い出したかのように話題を変えたのだ。

「ああ~。そう言えば初めての知人の家って招かれないと入れないって言うよね。

 今回は僕が部屋に入れたから問題なかったのかなぁ」

「なんですかそれ?」

 その様な事は聞いたことが無いとミラは首を傾げた。

「ありゃ。だったらこれは嘘なんだね」

「ふふふそうですね。でもわたしにはお友達は居ないので誘って貰えると素直に嬉しいです」

 ただのボッチの宣言だった。


「ところでミラさんはどうやって日本に来たの?」

 吸血鬼にもパスポートがあるのかと言う意味なのだが、履歴書は有ったし住所も書いてあったから見当違いな質問だったかなと佐々木はひとりごちる。

「そうですね。日本では明治時代だったでしょうか、その頃にオランダの港で今日の様に太陽に当てられて立ちくらみを起こしたんです。

 近くに有った箱の中に入って休んでいたら日本に運ばれていました」

 どこからツッコめばいいのか?

 ツッコんでも解決しなさそうな話は聞こえなかった事にして、陽太は当たり障りのない所だけ確認した。

「明治時代って?」

「昭和の前の大正のさらに前ですね」

「いやそうじゃなくて、ミラさん年幾つなの?」

「あら陽太さんは女性に年齢を聞いちゃダメだと、お母様から躾けられていないのですか」

「聞いたけど、それとこれとは話が別でしょ」

「えと、……二十代です」

 ツィと視線を反らしながらミラはそう言った。

「その上の桁は?」

 視線を反らしたまま、ミラは恥ずかしそうに片手の指を一本だけ折り曲げて見せてきた。

 つまり四百と二十ちょい。年齢差は……、うん考えちゃダメな奴だな。




 秘密を知った者と知られた者。

 最悪は記憶を消せば良いと思っていたからミラにはそれほど焦りは無い。それに陽太は人畜無害の様だからしばらくこのままで良いかと放置した。

 いずれはお近づきになりたいと思っていた美女の思わぬ秘密を知る事となった陽太。

 もしも陽太が小悪党だったら─脅せるかどうかは別物として─脅してとでも思っただろうが、草食系の彼にはそう言う考えはなく、自分に釣り合わない美女が人外だったことで壁が一つ増えた気分だった。


 それから陽太は、陽が昇るほどの残業をミラに頼むことは無くなった。

 だがそれ以外の公私混同は避けようと、ミラも陽太も職場ではお互いの名前を呼びあう事は無かった。しかしその手の話に目ざとい同僚おばちゃんたちは、すぐに二人の間の雰囲気が変わった事に気付いた。

 しかし若い者同士・・・・・の事だから、あちらから言ってくれるまでは暖かく見守ろうと示し合せているのは流石である。


 同僚おばちゃんたちが、気付かぬ振りをしてくれているとは知らず、二人は徐々に親密になっていく。

 二人の待ち合わせは日が暮れてから、最初の頃は二人きりで食事に行った。段々と慣れてくると陽太は昼中に車に乗ってミラを迎えに行き、屋根のある駐車場を持つショッピングモールや、室内の遊技場などに行くようにもなった。

 かなり経った頃に一人のおばちゃんが焦れて話を振った事があった。

「ねえねえミラちゃん。最近綺麗になったわね。良い人でもできた?」

「気になっている人は居ます。でもお付き合いはどうでしょう?」

 人間と吸血鬼ヴァンパイアはそもそも寿命が違う。ミラは相手から求められるのならば応じるつもりは有ったが、自分から相手に業を背負わせるようなつもりはなかった。

 そんな事情を知らない同僚おばちゃんたちは、期待した答えと違っていて大層ガッカリした。

 そして半年後。

「あのぉ実はわたし、陽太さんとお付き合いすることになりました」

「あらまぁ! おめでとう!」

 その時ミラには心からの祝福が贈られた。

 その内心では、「やっと言ったのかあの主任ヘタレめ」と思われていたのだが、ここに至るまでの陽太の心の葛藤は、事情を知らない同僚おばさんたちには到底理解できないだろう。



 さて最後に。

 吸血鬼ヴァンパイアに血を吸われると吸血鬼ヴァンパイアになると言う伝承がある。

 これが真実かと問えば、半分は虚偽で、半分は真実となる。

 吸血鬼ヴァンパイアが真に愛し、愛されるのならば、その相手は永遠に添い遂げると言うのが真実である……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

陽の光と共に 夏菜しの @midcd5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

伯爵の褒賞品

★31 恋愛 完結済 56話