娘五人連れ西国巡礼

沢田和早

 

第一話 五人の仲間

トメの力

 風のない穏やかな小正月。澄んだ青空にどんど焼きの白煙がゆらゆらと吸い込まれていく。茂助は竹箸を取ると火にあぶられている餅を挟んだ。


「そろそろ焼けたか」


 下火になったどんど焼きの周りには針金で結わえられた大小様々な餅がぶら下がっている。割られたばかりの鏡餅の破片だ。普段は雑穀米しか口に入らぬ貧しい小作の身とはいえ正月だけは白い餅を食える。有難いことだと茂助は思った。


「おっとう、早く食わせてくれ」

「おう、熱いから火傷せぬよう気を付けてな」


 ずっと待ちかねていた三人の子らに串刺しにした餅を渡してやる。子らは母の元へ走っていくと口々に叫んだ。


「おいらは醤油」

「あたしはきな粉」

「海苔巻きがいい」

「はいはい。わかりましたよ」


 女房と一緒になって十年。両親はすでに他界してしまったが二男一女の子宝に恵まれた。どんなに貧しい生活でも妻子の笑顔を見ていれば日々の苦労は忘れてしまう。茂助は自分の幸福を実感せずにはおれなかった。ただひとつの気掛かりを除けば、ではあるが。


「おまえも食わぬか、トメ」

「もちろん食べるよ」


 日の当たる縁側には妹のトメが座っている。今年で二十八歳。とっくに嫁いでいなくてはならない歳だ。


「具合はどうだ」

「今日はだいぶいい」


 それがカラ元気であることは茂助にはよくわかっていた。青白い肌、こけた頬。せっかくの餅も一口かじっただけで皿に置いてしまった。ここ数年で一段と痩せたように感じられる。今日も食欲がないのだろう。それでも明るく振る舞おうとするトメの姿がいじらしくてならなかった。


「熱っ!」


 次男の叫び声が聞こえた。火のそばで右手をつかんでうずくまっている。あぶられている餅を素手で取ろうとしたようだ。


「大丈夫か。おい、水だ」


 女房が慌てて井戸に走る。茂助は縁側を離れて子に走り寄ると右手を見た。赤くなっているがそれほど酷くはないようだ。


「熱いから気を付けろと言っただろうが」

「だって、早く食わねばにいやに食われちまうもん」


 用意できた鏡餅は粗末なものだった。この家に暮らす六人の腹を満たすにはあまりにも小さい。己の不甲斐なさを責められているような気がして茂助の胸は痛んだ。


「見せてごらん」


 知らぬ間にトメが横に立っていた。次男が火傷をした右手を開いて差し出すと、トメはその手に観音像を押し当てた。


「トメ、要らぬ気遣いは無用だ。この程度なら冷やせば治る」

「でも痛いでしょ。痛いのは嫌でしょ」

「これくらいの痛み、我慢できぬ子ではない。それよりもおまえの体だ。こんなことに力を使ってどうする」

「こんなことだから大した力も要らないんだよ。ほら、もう終わった」


 トメが押し当てた観音像を離すと手の赤みは引いていた。


「おトメさん、ありがとね。さあ、こっちへおいで」


 ようやく駆けつけた女房が濡れた手拭いを手のひらに押し当てた。そのまま縁側へ連れていく。トメはしゃがみこんだまま立ち上がろうとしない。


「どうした、疲れたのか」

「平気だ。観音様が守ってくれる」


 トメの両手には観音像がしっかりと握り締められている。茂助はこの観音像が嫌いだった。自分と妹に背負わされたごうを思い出さずにはいられなくなるからだ。


「縁側に戻ろう。手を貸そうか」

「要らない。一人で歩ける」


 トメはよろよろと歩き出した。日の当たる縁側に戻り二人並んで腰を下ろす。

 トメの横顔を眺めながら茂助はあの時のことを思い出した。朦朧とする意識の中ではあったが、何が起きていたのかはっきりと覚えている。


(こうなるとわかっていれば、無理にでも両親を止めたのにな)


 茂助が十歳になった夏のことだ。村に麻疹はしかが流行った。疱瘡ほうそう水痘すいとう、麻疹はお役三病と呼ばれたびたび大流行を引き起こしたが、その中でも麻疹は一番致死率が高かった。

 その恐るべき疫病に家族の中で茂助だけが感染してしまった。一家の住む知井ちいみや村は松江の城下から十里ほど離れた片田舎にある。医者などいない。よしんばいたとしても診てもらうだけの銭はない。


「さあ、これをお飲み」


 村には新右衛門しんえもんという郷士が住んでいた。片手間に生薬を調合していたので病にかかった村人は皆、彼の薬を飲んだ。そのおかげで助かる者もいたが茂助に回復の兆しはなかった。衰弱していくだけの息子を前にして、両親に残された手立てはただ神仏にすがることだけだった。


「南無観世音菩薩。なにとぞこの子をお救いください」


 一家には代々伝えられた観音像があった。金箔は剥げ、角は丸くなり、ヒビ割れもひとつやふたつではなかったが、家宝としてずっと大切にされてきた木像だ。


「これは、いったい何が……」


 満月の夜だった。観音像にわずかに残った金箔が光り始めた。月光の反射にしては眩し過ぎる輝きを茂助の両親は神妙な面持ちで見守った。


 ――信心深き者よ。その願い、聞いてやろう。


 厳かな言葉が響いた。二人は観音像に平伏し「なにとぞこの子を助けてください」と声にならぬ言葉を発した。


 ――ひとつの命を救うには別の命の助けが必要となる。観世音とは世の音を観て救いの手を差し伸べる善行。その役割を最も幼き者に担わせてよいのならばその子は助かる。如何にや。


 最も幼き者、それが今年四歳になる茂助の妹のトメを指しているのは間違いなかった。茂助は大切な跡取り息子。トメはいずれ嫁に行く身。どちらが大切か考えるまでもなかった。


「お願いいたします」


 ――ならば代受苦だいじゅくの役目を授けよう……。


 さらに幾つかの言葉を残して観音像の輝きは消えた。両親は夢から覚めたような心持ちで木像を眺めた。普段と同じ何の変哲もない古びた観音像だ。茂助も熱にうなされたままである。何も変わっていない。先程までの出来事は夢だったのか、いやそんなはずはない。


「トメ、起きなさい」


 母親は寝ているトメを起こして観音像を持たせた。寝ぼけまなこのまま茂助の枕元へ連れていく。


「さあ、あにさを治しておくれ」

「あたしが? どうやって」

「観音様にお願いするんだよ」


 トメは訳がわからぬまま観音像を茂助の額に当てた。しばらくすると乱れていた荒い息が整って静かになり頬の火照りも収まった。熱も下がっている。観音様は願いを聞いてくれたのだ。両親は手を取り合って喜んだ。しかしその喜びはすぐ失意に変わった。トメが倒れたのだ。息が乱れ頬は火照っている。


「自分の身に病を引き受けることで茂助を治してくれたのか。すまない、トメ」


 トメは茂助の身代わりになったのだ。両親は手を合わせて心からトメに詫びた。だがそうではなかった。翌朝トメは何事もなかったかのように目覚め、いつものように庭を走り回って遊んだ。治癒の代償は思ったよりも小さかったのだ。両親は胸を撫でおろした。


 それからトメは観音像を肌身離さず持ち歩くようになった。


「痛いの飛んでけー」


 トメは具合の悪い者や怪我をした者を見かけると観音像で治してやった。治してもらった者は喜んだが両親も茂助も気が気ではなかった。力を使った後は必ずトメの元気がなくなり、時にはその場で意識を失って倒れることもあったからだ。


「この力を無闇に使ってはいけないよ」


 事あるごとにそう諭したのだがトメは止めなかった。外に出さないようにしても噂を聞きつけて村人がやって来る。そうなると両親も断り切れない。トメは自分の身を顧みずに観音像を使い続けた。ひ弱な体になってしまったのはそれが原因だ。


「なんだ、少しも治らぬではないか」


 ただひとつ、トメにとって救いとなったのは効果にムラのあることだった。臨終間際の者や瀕死の重傷を負った者は、トメの力を以てしても全快させるのは不可能であった。

 しかし本来なら容易に治せる微熱や擦り傷のような些細な傷病であっても、時としてほとんど治せないことがあった。


 トメは決して手を抜いていたわけではない。そもそもやっていることは観音像を押し当てるだけで、特別な呪文や所作などは一切必要ないのだ。それでも差が出るのは相手に対するトメの想いが大きく影響しているのだと思われた。顔見知りの村人や温和な旅人などは治療効果が大きく、城下から足を運んできた武士や金に物を言わせようとする高慢な商人などはほとんど治せなかったからだ。


「観音様の化身などと噂されているので来てみれば、やはりただの騙りであったか。やれやれとんだ無駄足を踏まされたものだ」


 一時は松江の城下まで広まっていたトメの評判はすぐ下火になった。今はもう治療のために茂助の家まで足を運んでくるのは村人だけになってしまった。しかしそれはトメにとっては幸運以外の何物でもなかった。もし全ての者を分け隔てなく治療できていたら、大勢の病人や怪我人が押し寄せて、一年も経たずにトメの命はなくなっていたことだろう。


「おトメえ、この餅、食わんのか」

「そうだね。おまえたちでお食べ」

「わあい」


 縁側に置いたトメの食い掛けの餅を長男が持ち去った。いつの間にかどんど焼きであぶられていた餅は全てなくなっていた。黒焦げになってしまう前に茂助の妻が取り除いたのだ。


「おまえさんの分も取ってあるよ。どうぞ」

「ああ、ありがとな」


 女房から餅を受け取って茂助は餅を食べた。横に座るトメはどんど焼きの燃え残りをぼんやり眺めている。食の細さは今に始まったことではないが、ここ数年は気の毒なくらい食べない。と同時に癒やす力も衰えていた。

 年齢とともに治療効果が減少してくことは数年も経たないうちに明らかになった。麻疹で死にかけていた茂助を救った最初の治癒、あれがトメにとって最大の力を発揮できた時だったのだ。もし今同じことをすればトメの命はたちまち消えてしまうだろう。


(不憫なことだ。こんな力さえなければ普通の娘としての人生を送れただろうに)


 茂助はトメが観音像を使うたびに自責の念に駆られた。兄を助けるために自分の命を差し出してしまった妹が憐れでならなかった。しかもそれは自分で選択したのではない。親によって押し付けられたのだ。そんな運命を甘んじて受け入れている妹に何もしてやれない自分を茂助は情けなく感じた。


「ねえ兄さ、驚くかもしれないけど、やりたいなって思っていることがずっと前からあるんだ」


 こちらを向いてそう言ったトメの顔はいつになく明るく見えた。茂助の心は弾んだ。トメが治療以外で自分の希望を口に出すことはほとんどなかったからだ。


「なんだ。言ってみろ」

「旅に出たいんだ」

「旅? 杵築きづきのおやしろにでも行きたいのか。たかが二里半ほどの距離で旅とは大げさだな。だが今のおまえには少し遠すぎるのではないか」

「大社様じゃないよ。もっと別の場所」

「まさか松江のご城下か。それならますます無理だ。泊まりの旅などできるはずがない」

「それも違う。勝手に決め付けるのはやめて」

「ならどこだ」


 トメは顔を伏せた。両手でしっかりと観音像を握り締めている。


「西国の霊場を回りたいんだ。観音様にお礼をするために」


 その言葉を発したのはトメではなく観音像なのではないか、茂助はそんな疑念を抱かずにはいられなかった。













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