第9話 天使になり始めた推しのラスボスに看病されてます

 あれ、体が重い。目がチカチカする。

 別荘に帰っても、幽霊でも背に纏わりついているような気分が晴れない。

 流石にちょっと今日は頑張りすぎたかな……。

 

「シオン?」

「ああ、リリたん」


 リリたん、リリたん、リリたああああああん!!

 今日も小動物のような風貌が、俺の心臓を撃ち抜いてきやがるっ……!

 視界に入れただけで体力が回復した! ような気がした。

 

 この1か月で、彼女なりに運命と向き合おうとしている。

 まだ救神の事が心残りなのか、時折左手甲の【魔巫印】を見つめている時がある。

 それでも保留にした問いに、救神という楽な答えを押し付ける頻度は減っていた。


「二人に話がある」

「アタイにもっすか?」


 箒を持ちながら入ってきた、ポニーテールのメイド。ジョーロさんだ。王都行きに際して、別荘のメイドに立候補していた。

 この姉に欲しい感じは新鮮味がある。

 

 俺は今日決まった事を全て話した。

 エスタドール家が名誉貴族になった事。領地没収の事。俺は王立魔術学院のSクラスに推薦された事。

 ……さりげなく、リリエルの仇である二人に視察団が派遣される事。

 

 全て打ち明けた上で、あまり動揺していなさそうなジョーロさんに声を掛ける。


「ジョーロさん、あなたは雇い止めにはならない。給料もこれまで通り払う。勿論、ジョーロさんがよければ、だが」


 しかし、最初から金の事はどうでもいいと言わんばかりに、ジョーロさんは姉御肌満点の笑顔を欠かさなかった。


「んな心配はしないでくださいよ。シオン新当主。アタイがいなくなったら、二人とも明日からどうご飯を食べるってんですか」

「いいんですか?」

「ここだけの話、あんまりバロン様の事は好きじゃなかったもんで」


 めっちゃ笑うやん、ジョーロさん。環境の変化を物ともしてない。でもそれなら、何故ウチに来たのだろう。

 人見知りなリリたんも、彼女とだけは普通に話せる。ジョーロさんの人間力によるものだろう。

 

 と、リリたんを見ていたら、何故か顔を近づけてきた。

 うお、リリたんのくりっとした目が近くにあるっ……!

 一緒に過ごして1か月になるが、未だリリたんが近くにいる事になれない。


 可愛い、可愛すぎる。

 嗚呼、リリたんと一緒に過ごせているとか、夢の中にいるようだ……。

 ふわふわする。このまま倒れてしまうかも、と思うくらいに。


「シオン? さっきから、変ですよ?」

「変?」

「顔が青いというか……息も切れてるというか」


 それよりも、リリたん、今日は元気がないな。

 なんで眉がハの字になっているのだろう。家族の死を思い出したのだろうか。

 ケアしなきゃ。寄り添わなきゃ。幸せにしなきゃ。


「悪い、ちょっとだけ疲れててさ、でも大丈夫、大丈夫、だから……」


 あれ? 世界が横向きになった。

 俺、倒れてる?

 

「シオン……シオン!?」


 やばい、目の前に靄が掛かってきた。

 眠くなって……。


=====================================================


(SIDE:リリエル)


「シオン、シオン……!」


 シオンが倒れて二時間が経った。

 でも、シオンはベットで目を覚まさない。

 酷い高熱のまま、ずっと枯れた声で何か譫言を呟いている。

 

 高熱が移ったように、私も苦しい。

 また一人になる。家族がいなくなる。

 置いてかないで。置いてかないで。


 ……あれ?

 シオンとは婚約者候補というだけの関係なのに、なんでこんなにどうにかなりそうなんだろう。


「リリエル様、静かにしないと、シオン様の体に障るっすよ」


 ジョーロさんが私の肩を叩いた。

 私は、彼女のエプロンにしがみついた。

 何かに縋らないと、おかしくなりそうだった。


「じょ、ジョーロさん。大丈夫ですよね? シオン、ちゃんと治りますよね?」

「お医者さんが来て、薬も処方してくれたんだから、大丈夫っすよ」


 求めてた気休めを貰ったはずなのに、私の胸の奥が鳴りやまない。

 シオン、お願い。早く治って。怖い。苦しい。悲しい。

 本当に救神様が居るなら、早く彼を治してあげて……!


 その時玄関のドアノッカーがコンコン、と鳴った。

 こんな夜にどなただろう?

 ジョーロさんが怪訝そうに玄関まで行ったが、帰ってきた時は相当興奮していた。


「お、お姫様が来ちゃってスけど!?」

「やっほー! シオン、遊びに来たよ……って言える雰囲気じゃないね……」


 本当だ。私も一度だけ見たことがあるが、姫だった。そんな凄い人がなんでここにいるの!? 変装なのか庶民の格好をしているから、道中気付かれなかったのかもだけど……。


「やっぱり今日のシオン、頑張り過ぎたんだよ……明らかに過労だよ」

「頑張り過ぎたって……?」

「そういえば、貴方がリリたん?」

「はい。その呼び方は、シオンしかしませんけど」

「やっぱり! シオンね、『リリたんの為なら、私は魔王になっても構わないくらいです』って父……国王に挑みかかってたんだよ!」


 ……なんて反応したらいいのか分からなかった。

 ただ、全身が溶岩のように熱くなった。

 

 一ヶ月前シオンは、私の事を好きだと言ってくれた。だから、色々と今日まで励ましてくれた。

 その好意に、私はまだ向き合えていない。

 何故なら、シオンを見る度に疼く胸の高鳴りが、一体何なのか私には分からないから。

 シオンの事しか考えられない空白の時間が、最近増えてきたから。


 ……私にできる事だってあるはずだ。

 ここで何かしなきゃ嘘だ。

 

「あのっ、まだシオン、夕飯食べれてないですけど、こういう時に作った方がいい料理ってありますか!?」


 私の考えを読み取ったかのように、ジョーロさんはふっと微笑んだ。

 ルクジャスミン姫も、期待するようにこっちを見ている。


「いまある食材だと、スープがいいっすかね?」

「あの、ジョーロさん。私、スープ作りたいです。手伝ってもらっていいですか……?」

「合点承知っす」


 少しでもシオンが元気になる為に、私はキッチンへと向かった。

 料理なんて久々だ。お母さんやスノウと一緒だった頃は、私が料理してたんだ。

 

 またシオンに元気になって欲しい。そして【保留】にしている問いに答えなきゃ。

 そうしたらシオン、また笑ってくれるかな。

 私、シオンの笑顔が見たい。リリたん、ってまた呼んで欲しい。


=====================================================


 目が覚めたら、そこには天使がいた。

 しかも一つで結った髪が後ろで揺れてて、更にはメイドのエプロンが胸を覆っている。嫁感がすごいマシマシなんだけど。

 えっ、リリたんなの?


「大丈夫ですか? ごはん食べれそうですか?」

 

 結婚したい。すぐに結婚して、抱きしめたい。 

 というか何、ここが天国だったの? 俺はまた死ぬの?

 もっと近くでリリたんの嫁姿を見たくて、俺は重たい体を起こす。


 すると小さな手で、銀の匙に乗せたスープを差し出してきた。

 り、リリたんの手料理……?


「はい、食べてください」


 あの伝説の……「あーん」!?

 馬鹿な! 奴は前世で絶滅したはずだーっ!


「じ、じじじ、自分で食べれ、まつ!」

「病人は無理しないでください。口開けてください。あーんして下さい」


 しかも俺が口を開けるまで、いつまでも待つつもりらしい。

 見えない愛で、咢がこじ開けられる。

 

「お、美味しい……」

「よかった……!」


 冗談じゃなく美味しい。この異世界で生きた12年間で、一番美味しい。

 リリたんへの愛補正が掛かってるんだろうけど、天地がひっくり返るような美味しさだった。きっと、全てを照らすような燦燦とした微笑みが、調味料になっているんだろうな。

 

「俺もう、やっぱ死んでもいいわ……」

「冗談でもそういう事言うのはやめてください!」


 笑顔から一変。思わず零れた言葉に、真剣な眼差しで怒ってきた。

 でも、初めて会った時の自棄になった苛立ちからではない。

 優しさから出た、俺を想っての真っ直ぐな心配からだった。

 

 スープはあっという間に無くなってしまった。温かさと温もりが重なり合ったリリたんの手料理は、俺の体を芯までぽっかぽかにしてくれた。

 思わずこのまま寝そうになっていると、今度はお湯の入った桶と、タオルを取り出してきた。


「あ、あの、体拭きますっ」

「あばばばば、待って待って、そこまでされると、もうなんかやばい」

「ダメです。体を清潔に保たないと、どんどん弱っていきますよ?」

 

 ぐい、と乗り出したリリたんに押され、俺は抵抗を止めた。

 そして一思いに、リリたんは俺の服の中に手を入れた。


「はわわ……」


 こっそり目を開けた瞬間、顔真っ赤にしてまた目を閉じちゃったよ。

 でも、俺の胸を這うタオルとリリたんの指は止まらない。

 俺が少しでも回復してほしいという真剣さが、その目から伝わってくる。


 ただただ、嬉しい。そして恥ずかしい。

 胸の内で、決壊してる感情を飲み込む。

 でも俺、今ものすごい幸せなことをされてる……?

 

 あれ? というか、この子今「はわわ」って言った……!?

 

「あの、あの、ず、ずずっずず、ズボンを降ろさせてもらってもよろしいでしょうか!?」


 上半身が吹き終わると、リリたんは眼をぐるぐるさせたまま、とんでもない提案をしてきた。

 いやそこまでやる気なのおおおおおお!?

 俺の下半身でリリたんを穢す訳にはいかねえええええっ!

 

「下は! 下は本当に自分がやるから大丈夫っ!」

「で、でででも、ちゃんと洗わなきゃ、た、体調、悪化しちゃう……っ!」

「大丈夫大丈夫! 自分の下半身拭くくらいの体力はあるから、ね?」


 流石にリリたんも折れた。

 というか自分の下半身を見られ、更に拭かれるなんて状況になったら、本当に死んでしまいます。二度とリリたんに顔向けできないです。


 リリたんにはあっちを向いてもらい、俺はタオルで下半身を拭く。

 終わって振り返った時のリリたんの頬が、林檎も顔負けの真っ赤な顔になってた。

 その顔を見られたくないのか、腕で不自然に顔を覆っている。


「すみません、至らぬ所ばかりで……体に障ると思うので、そろそろ……」

「待って!」


 手が、リリたんの服を掴んでいた。

 本当に反射的だった。流石に悪いと思った。

 でも幸せなひと時を、もう少しだけ手放したくないという気持ちが強かった。


「もうちょい隣に居てくれると、すごい、嬉しい」

「……分かりました」


 言われるがままに、リリたんは俺の隣に座ってくれた。

 暫く、気まずい沈黙が流れる。しかし、リリたんはやがてスカートを握り締めながら、自然と語りだす。


「最近、救神様について考える時間が少なくなってると、思います」

「それは、いいことだと思う」

「でもふとした時に、人が嫌になります。何もかもが許せない時が来ます。人類は、救神様に彩られるべきなんだって、考える時があります」


 綴るうちに、リリたんの顔が居た堪れないように曇っていく。

 人類は救神様に彩られるべきだ。そんな事を言う自分が、許せないかのような自責が表情に滲み出ている。


「でも、そんな風に考えていると、シオンの隣に居る資格がないんじゃないかって、自分の中で葛藤があります」

「そんな事ない!」


 思わず大きな声が出て、リリたんはびく、と肩を強張らせていた。

 次第に落ち着くのを見ながら、俺は「そんな事ない」ともう一度首を横に振った。


「リリたんは、優しいなぁ」

「そんなこと、ないです」

「俺は今日のスープが生まれてきて一番美味しかったし、俺の体を拭いてくれた時の真剣な顔が嬉しかったよ。そんな君に、俺の隣居る資格が無い訳、無いじゃないか」

「……シオンの方が、優しいです」

「寧ろ、俺の方がリリたんの隣にいる資格が無いんじゃないかって」


 と言うと、物凄い勢いで首を横に振ってきた。首が取れそうな勢いだ。

 違います。そんな事ないです。言わずとも、言いたい事は伝わってきた。

 

「人生に向き合わせてくれて、保留にしてくれて、ありがとうございます。もう一ヶ月だけ、考えさせてください」

「……分かった」


 なんか廊下の方でジョーロさんとルク姫が「きゃー、きゃー」って黄色い声援発してるのが見えた。

 

『可愛すぎない? リリたん可愛すぎない? 女だけど私も看病してほしい』

『そうっスよね! ったく、シオン様は羨ましい限りっス』

 

 全くもって同意何だがちょっと待って。なんでルク姫がいんの!?

 しかし体が動かず、扉まで辿り着けない。今日はこのまま寝るしかなさそうだ。

 体を横にして、疲れた脳が意識を閉じる瞬間を待っていると、隣から声が聞こえてきた。


「ねんねーしなー。いい子はねんねーしなー」


 ……明らかに幼児向けの歌詞。

 布団越しにとん、とんとリズムよく叩く感触。

 天使が、無垢な顔つきで子守唄を歌っている。優しい声色は、俺の全身を電気布団のように温めてくれる。聖母に抱かれているかのように、安堵感でいっぱいだ。

 ふと、我に返ったリリたんが弁明する。

 

「ごめんなさい。小さい頃、眠れない時に母が良くこうしていたので」


 リリたんって、やっぱり俺のママだったのでは?

 人一人の精神には収まらない母性に感動しながら、いい夢へと俺は堕ちていく。

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