私のメイドは騎士(ナイト)様!

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【第1話】私のメイドは騎士(ナイト)様?

春先ののどかな陽気を肌で感じながら、庭師によって美しく洗練されたガーデンをゆっくりと歩いて行く。

宮殿の2階、バルコニーの欄干の上では水色の小鳥が2羽、唄でも奏でるように囀っており、まるで温かな季節の到来を祝福しているかのよう。


春の息吹をその身に受けて青々と輝き光る草木たちは、ゆるやかな風に吹かれてそよそよと。

舞い上がった噴水の水滴には陽光が乱反射して、庭園の彩りをさらに美麗に飾り付けてくれています。


カフェテラスに向かう道には大きさ長さ寸分違わず整えられた生け垣が左右にずらりと立ち並ぶ。

その表層で静かに咲き誇るこの白いお花は何というのかしら。

あとで、庭師のメロロアに尋ねておきましょう。


お付きメイドのエリエにドレスの身なりを軽く整えて貰いながら、温かな木漏れ日差すカフェテラスに辿り着けば、華美な衣装で身を包んだ男性がその頭を下げ、薄く透き通るようなブラウンの髪をふわっと浮き上がらせながら、こちらに向かってかしずいていた。


「姫様、ご機嫌麗しゅう。本日のドレスも大変お似合いで御座います」


「ええ、今日の公爵様とのお茶会のために、以前より作らせていたものでして。気に入って貰えれば何よりですわ」


「それはもう。仄かな赤色と、花弁を彷彿とさせる装飾は、理知的な姫様の容姿にぴったりで、先日お会いしたとき以上に輝いて見えるそのお姿に、思わず瞠目してしまいました」


「まぁ。相変わらずお上手ですこと。でも、そのお言葉、嬉しく頂戴しておきますわ」


端整な顔立ちから形作られる爽やかな笑顔に軽く目を奪われながらも、その手に導かれてガーデンチェアへと腰掛ける。

爺やとエリエが傍らでお茶会の準備をしている間も、公爵様のその美しくも凜々しいお姿に見惚れていた。


「この紅茶は美味しいですね。深緑を感じる風味を漂わせながらも、苦みや渋みは決してない。この逸品は、どちらからお取り寄せに?」


「南部プラーナ地方の茶葉をこの日のために取り寄せましたの。実はわたくしもこの紅茶を大変気に入っておりまして。公爵様にもお気に召して貰えましたのなら、何よりですわ」


「はい、この上品なクッキーの味わいと、この甘い紅茶の香り――、疲れた身体と心とが、ゆっくりと癒やされていくのを感じます」


「それはなによりですわ。先日まで出張だったと聞き及んでおりますが、今度はどちらにいらしたのでしょうか」


「はい、今回は北部のミウェレーレまで出向いておりました。市井を巡り市民の意見に耳を傾けるのは些か苦労も耐えない仕事なのですが、その分、勉強になることも多くて助かっております」


そう口火を切った公爵様は、そこからは身振り手振りを交えて今回の視察中に遭遇した様々な出来事などを語り始めました。

元々、まわりの貴族たちよりも格段お若くいらっしゃる公爵様のお顔が、このときばかりはそれよりもさらに若く――むしろ幼くすら見えてしまう気がします。


街の子供たちから”かくれんぼ”なる遊びに付き合わされたという話を面白おかしく、困ったような笑みで話してくださるそのお顔を見ていると、胸の奥あたりがきゅっと掴まれたようになります。


商人や職人の方々より、未だ悪路の多いこの国の街道を整備して欲しいとの声があがっているという話を耳にして、今の自分にも何か出来ることはないのかと真剣な表情で思索し始めるその逞しいお顔をとても愛おしく思うのです。


民衆の方々が今よりもずっと快適に暮らせる国をつくるのだと誇らしげに語り続けるその目は、夢を追う子供のように純粋で、やはりそのちょっとだけ幼く見えるお姿を、心温かな気持ちで見守るこの時間が、わたくしは大好きなのです。


普段はどちらかと言えば物静かな印象を受けるような性格の公爵様なのですが、こうやってこの国の未来像について楽しそうに語っているこの時だけは、それはもう普段とは比べようがないほど饒舌で、そんな子供っぽい愛嬌を携えた笑顔がなんだかちょっとだけおかしくて、


「え、あっ!?す、すみませんっ!また、私から一方的に話し続けてしまって――。こんな、仕事の話ばかりされても…、姫様はお退屈ですよね……」


急に我に返ったように動揺し、頬をうっすら紅潮させながら己の態度を恥じ入ってしまうその反応を、これまた愛おしく感じてしまいます。


「いえ、以前にもお話しさせて頂きました通りに、わたくしは公爵様のお仕事の話に耳を傾けているこの時間が大好きなのです。願わくば、いつまでもこの時間が続けばいいのにとさえ思えるほどに――」


「いや、爵位を頂いたばかりの新米の拙い仕事話など、姫様のお耳を汚してしまわないかと心配で。え、えっと…、そ、そうだ…っ、先日のパーティーでは姫様自らそのピアノの腕前を披露なさったとか――。仕事さえなければ是非とも同席させて頂きたかったと、今でも悔いておりますよ」


そんな、気にすることなどありませんのに。

もっと貴方のその天真爛漫な素顔を眺めていたかったのに――、もっと貴方のその純白な笑顔を楽しんでいたかったのに――

そんな風にちょっとだけ残念な気持ちを胸の内で抱えながらも、爺やが淹れてくれた紅茶の風味を堪能しつつほっと息を吐いて、テラスを覆う数々の花たちの方に目をやり、本当にこの幸せな時間が永遠に続けばいいのになと――、そして、願わくば公爵様も同じように思っていてくれればなと――、そう思うのです。




公爵様――ジュリオ・アルテア様とは幼き頃より婚約者ではありましたが、正式に婚儀を結ぶことが決定したのはごく最近のこと。


先代のアルテア当主様――ジュリオ様のお父様にあたるのですが、その方がお若くしてお亡くなりになられてしまったことで、ジュリオ様は未だ20にも達していないそのお歳で跡を継ぐことになられたのですが、幼き頃より神童と謳われ、他の貴族様たちよりも二回り以上離れた年齢でありながらも、その貴族様たちと同等かそれ以上に勤勉で卓越した才能をお持ちの彼を、お父上様――国王様は以前より高くお買いになっておりまして、結果、その若さでありながらも公爵位を賜るという快挙を成し遂げたのです。

過去に似たようなケースが存在しないほどの異例中の異例の出来事だということらしく、一時は王宮中が大騒ぎになったもので、そんな誰もが認める公爵様のその栄誉を、わたくしはとても誇らしく思ったものです。


本来は、わたくしが16歳を迎えた昨年頃には、国を挙げて大々的に結婚式を執り行う予定ではあったのですが、当時は戦後間もなく国中が疲弊していたということで、公爵様自ら、今はその機会ではないと――、国民の方々が戦争から立ち直り、心より私たちの結婚を祝福してくれるその時まで待ってはくれないかと――、そう頭を下げて嘆願されてしまった際には、その民を想う尊いお姿を見て思わず涙を流してしまい、そういうことならばと、喜んでその提案に頷き返しました。


「あの――、お話しが急に変わってしまい大変申し訳なく思うのですが、式の日程の件は、そろそろお決まりになられましたでしょうか?」


そして、そんな事情がありながらも、それでもこうやって急かし付けるように結婚式の話を出してしまうわたくしを、公爵様はお嫌いになったりしないでしょうか。


「あの、本当に、不躾ですよね……、でも、わたくし、公爵様と一緒になれるのが、どうしても待ちきれなくって――」


そして、こんなわたくしの我が儘にも、


「いえ、私も同じ気持ちですよ、姫様」


こうやって柔和な笑みで優しく囁いてくれる公爵様に対して、またひとつ愛が積み重なっていくのです。


「すみません、まだ諸々の手続きに手間取っておりまして、日程を決めるところまでは辿り着けていないのですが…。その代わりと言っては何なのですが、ウェディングドレス発注の方はようやく目処が立ちそうです」


「えっ!?それでは――」


「はい、兼ねてより打診を続けていた海外の職人様より、ようやく色よい返事を頂くことが叶いました」


「――――っ!?」


世界で最も権威ある服飾職人。

お母上様のウェディングドレスも仕立てたあの方に、わたくしも結婚衣装を作ってもらいたい。

そんな半ば叶うことなどないだろうと思い込んでいた願いすらも、公爵様は実現してみせてくれた。

その事実に、思わず涙が一筋、頬を流れていってしまう。


「ひ、姫様っ!?」


そんなわたくしの様子を見て慌てたように立ち上がってしまう公爵様に対し「大丈夫です」と手で制しながら、エリエが差し出したハンカチでそっと涙を拭う。


「嬉し、かったのです…。わたくし、こんな――こんなにも、公爵様に愛して頂いて――」


多忙を極めるそのご身分でありながらも、わたくしのために海を隔てた向こうの国の職人の方にまで連絡を取って頂いて――、そこまでして頂きながら、こんなにも節操もなく式の話を持ち出し続ける自分が、ちょっとだけ情けなく感じてしまう。


「そう、ですか――、いえ、喜んで頂けたのなら、何よりでございます」


あぁ、もっと――、彼の隣に自信を持って並び立てるような女性にならなければ。

社交界にも、彼に対して憧れを抱く女性は多いのだ。

そんな才覚と容姿に恵まれた公爵様の隣に立っても、決して恥ずかしく思うことのないような自分に、わたくしはなれるのでしょうか。


「当の職人様はまだ海外におられるので、制作開始までにはまだ幾らかの時間を頂くことになりそうなのですが、彼のつくったドレスのいくつかをお借りすることは出来ましたので、今度、実際にその目でご覧になられますか?」


「えっ!?それは、是非とも見てみたいですっ!」


でも、まだ、もうちょっとだけ――

もうちょっとだけ――、そんな年上の男性に甘えるだけの無邪気な少女でいられるこの時間を、謳歌していてもいいでしょうか――




久しぶりの公爵様とのお茶会は、今までにないほどに至福の時間でありまして、あぁ、そういえばその前のお茶会のときも、そんなことを思ったっけと、夜半の寝室で一人クスリと笑ってしまう。


「姫様…?」


あら、いけません。

隣にエリエが控えていたことを失念しておりましたわ。


「なんでもありませんわ。今日もご苦労でしたわ。もう下がってもよろしくてよ」


「はい、かしこまりました――」


エリエが退室したのを見届けた後、そのままベッドの上の枕に抱きついてしまう。


「ん…っ、んぅ…っ、公爵、様ぁ――」


少々行儀が悪いかもしれませんけれど、今だけはこんなわたくしを見過ごして頂けると助かります。


その日は、公爵様との幸せなひとときを思い起こしつつ、高鳴る胸の鼓動をぎゅっと抱き締めながら、温かな眠りに就くことができました。






翌朝、なにやら妙に騒がしい外の様子に急かされるように目を醒ましてしまいます。


「まったく、こんな朝から何事なのでしょうか――」


また材料の調達が遅れてしまったとかで、厨房の料理人が慌てているのかしら。

寛大なわたくしは、朝食のメニューからおかずが一品減ったくらいで怒ったりは致しませんけれど、せめて夜明けのこの時間帯くらいは、ゆったりとした静かなひとときを過ごしたいものです。


「エリエっ!?エリエはいるかしらっ!?ちょっと外の騒ぎを静めて来ては頂けないでしょうかっ!?」


この時間にはもう扉越しに控えているであろう侍女の名を呼ぶも、しかし、返ってくるのは廊下を騒がしく行き交う人々の雑音のみ。


「エリエっ!?エリエっ!?いないのですか…っ!?」


まったく、エリエまで。

今朝はいったいどうなっているのでしょうか。


「……、では、リンベルはっ!?リンベルもいないのですかっ!?」


まぁ、エリエの仕事はわたくしのお付き以外にもありますので、こうやってわたくしの傍を離れていることもままあるのですが、にしても、一言の断りもなしに他の仕事に就くなんてこと、今までにも無かったはずだけれど。

そういった際には代わりのお付きとしてリンベルが傍に控えることになっているはずなのですが、扉越しに呼びかけてもそんな彼女の声すらも返ってきませんでした。


「………、本当に、なんなんですの――」


寛大なわたくしでも、さすがにこれは許せる範囲を逸脱してしまっていますわ。

あとで、任を終えて帰ってきたエリエはたっぷり叱りつけるとして、ひとまずこの騒ぎをどうにかしなければ、落ち着いて朝のティータイムと洒落込むこともできませんわ。


そう思い立ちベッドから腰を上げたところで、突然部屋の扉がけたたましい音をたてながら開かれて、その大きな音に寝起きの心臓がきゅっと摘ままれてしまったかのようにびっくりしてしまう。


「…っ!?エリエっ!?これは何事ですのっ!?アナタ、一体どういうつもりで――」


「ひ、姫様…っ、早く…っ、お逃げ、ください…っ!?」


しかし、そこに居たのは古くよりわたくしに仕えてきた侍女の姿などではなく、この時間のこの場所で決して見えるはずのない爺やが、額に汗を垂らしながら入り込んできていた。


「じ、爺や…っ!?アナタ、何を勝手にわたくしの部屋に入ってきているのですか…っ!?」


普段から行儀やマナーに口うるさい爺やが、寝起きの女性の部屋にずかずかと入り込んでくるなんて――、一体今日はどうなっているのですか、まったく。


「は、はやく…っ、お逃げください…っ!?今すぐ、ここから――」


そんなわたくしの心中などまるで察することもなく、朝から騒ぎ立てる爺やをどう叱りつけてやろうかと思案していると、部屋の扉が今一度けたたましい音を響かせながら開かれ、その前に立っていた爺やはそれに押し出されるかたちで倒れ込んでしまう。


「じ、爺や――っ!?」


そして、その奥から物々しい甲冑に身を包んだ衛兵が2人姿を現して、爺やの身を取り押さえ始める。


「…っ!?…っ!?」


な、何が起こっているというの?

爺やが、なんで?衛兵たちに?これは、一体、どういうことなのですか!?


「姫様…っ、早く、お逃げくださ――」


「お前は、黙ってろッ!」


衛兵の片割れから頬に拳を叩きつけられた爺やは、呻きながらその場に突っ伏してしまう。

その口元から赤い液体が流れ出ているのが見えた瞬間、頭の中が瞬時に煮えたってしまった。


「あ、あなた達ッ!?何をしているのですかッ!?爺やに向かって――ッ、それに、ここがどこだか理解しているのですかッ!?」


爺やのその身を押さえつけることに必死だった衛兵達の顔が、ふとこちらに向けられる。

その眼光は、わたくしの身分などまるで知らないとでも言うかのように鋭くて、それに一瞬怯みそうになってしまうけれど、それでも意を決して高々と宣言します。


「わたくしのことを、この国の第一王女リゥル・ラウラースだと知っての狼藉ですかッ!?このことをお父上様に報告すれば、アナタ達、死罪は免れませんよッ!?」


しかし、そんなわたくしの堂々たる名乗りに対しても、ぽかんとした顔を一瞬浮かべるだけ。


「これは、その国王様からのご命令ですので――」


そして、あろうことか、そんな有り得ないような作り話まででっち上げてくる始末。


「そんな――、お父上様がそんな命令お出しになるはずがありませんわッ!?嘘も大概にしてくださいッ!」


この衛兵は一体何を馬鹿なことを抜かしているのですか。

爺やは――このカーティス・ベルベティアは、お父上様が最も信頼を置いている腹心の配下ですよ。

この宮殿で勤めながら、そんなことすらもご存じないだなんて――


「いえ、確かに国王様直々のご命令です。間違いはございません」


「何を馬鹿なことを――ッ!?いいから、爺やから離れなさいッ!?この不届き者ッ!」


由緒正しい我らが王家に、こんなにも無能な兵士がいただなんて――

こんなこと、絶対にあってはならないことですわ。

後ほど騎士団長のユーグにもきつく言い聞かせておかなくては――


「それに、捕縛命令が出ているのは、ベルベティア様だけではございません――」


「アナタ…ッ、そこまでにしておかないと、本当に命を保証は――」


「姫様…、貴殿にも捕縛命令が出されています。国王様より直々に」


「………、は?」


そんな頭の片隅にもなかった有り得ない話を聞かされて、しばし呆然とその衛兵の顔を見返してしまう。


「ですが、丁重に扱えとのご命令も受けております。なので、おとなしく従ってはもらえないでしょうか?」


この男は一体何を言っているの。

お父上様が?わたくしを?そんな見え透いた嘘、わたくしどころか、国中を探しても信じる者などいませんよ?


「では、失礼致します。さすがに姫様にまで錠をはめることは出来ませんので。その代わりにお手を拝借させて頂くことになりますが、よろしいですか?」


このわたくしが、捕まる?

何故?どうして?

わたくしは何故、こうやって罪人みたいな扱いを受けているの?

わたくしはどうして、こうやって見ず知らずの男に腕を掴み上げられているの?


「ご協力感謝致します。では、このまま地下牢に直行しますので、ご同行お願いします」


煮え立つような怒りが、頭の上の方からふつふつを湧き上がってくる。

わたくしを誰だと思っているのですか!?

この国で最も権威ある、ラウラース王族の第一王女ですよ!?

そんなわたくしに対して、このような辱めを与えて――この者達には、もはや死罪すら生ぬるいほどですわ。


「――ッ」


「あ――っ、姫様っ!?」


そんな不届き者達の腕を勢いよく振り払うと、寝間着姿であることすらも忘れて部屋を飛び出していく。


「よくも――ッ、よくも――ッ、よくも――ッ、このわたくしに…っ、お父上様に、言いつけてやりますからッ!」


そして、お父上様の姿を探して宮殿の廊下を走り回っていく。


「死罪だけでは、許しません――ッ!妻も、子も…っ、一族郎党、皆殺しにしても…っ、まだ事足りませんわッ!?」


この時間帯ならまだ寝室でお眠りになられている頃かと思い、一瞬そちらに足が向きかけるも、会議場の方が騒がしいことに気がついて、途中で進路をそちらに変更する。


「このわたくしに――ッ、あんな恥辱を与えたこと…っ、未来永劫…っ、末代に渡ってまで、後悔させて、やりますから――ッ!」


そんな怒りを腕に込めて勢いよく扉を開け放つと、何故だか早朝から集っていた貴族達の視線が寝間着姿で飛び込んできたわたくしの元へと一斉に向けられる。

しかし、そんな状況もまるで気にすることもなく、その最奥で椅子に腰掛けているお父上様の所へと駆け寄っていく。


「お父上様――ッ!?あの…っ、あの不埒者を…っ、処刑してくださいッ!」


そんなわたくしを姿を目にして、まるで先程の衛兵がして見せたかのような呆然とした顔を向けてくるお父上様に、さらに詰め寄って叫びかける。


「いえッ!処刑だけでは、物足りませんッ!もっと、わたくしが受けたこの恥辱を何倍にもして返したような――ッ、生まれたことを後悔してくるような、重罪をお与えくださいッ!」


しんっと静まった会議場に、わたくしの声が響き渡っていく。

何故、こんな朝にこんなに多くの人が集まっているのかは存じ上げませんが、今はそんなことを気にしている余裕などありません。


「お父上様――ッ!?お願いします…っ、あの無礼な兵士を――」


「リゥルよ……」


しばらくの間、ぽかんとした顔でこちらを見つめていたお父上様は、しかしその顔を崩すことないままに、妙に掠れた声でわたくしの名前を呼ぶ。


「お父上様――ッ、ですから――」


「おぬし、何故まだここにおるのだ…?」


「え――」


そして、その言葉を聞いて初めて、お父上様のわたくしを見る眼が、愛する娘を見るものとは大きくかけ離れたような色をしていることに気がついてしまった。


「おぬしは、今頃はもう、牢に囚われていなければならないではないか――。一体ここで何をしておるのだ…?」


「お父上、様…っ?」


「ああ、だめだ。おぬしはこんなところに居ては、ダメなのだよ…っ。おぬしは…、ワシにその顔を見せるようなことがあっては――、ダメなのだよ…っ」


「お父上様…?どうしてしまわれたのですか…?」


わざとらしく見えるほど大胆に頭を抱えながら、駄々をこねる子供のように左右に首を振る――、これまで見たことのないようなお父上様の姿に、激しく狼狽してしまう。

久しくお目に掛かっていない間に、こうも様変わりすることなどあるのだろうか?


「ああ、本当に、なんてことだ――。これでその顔を永久に見なくて済むと安堵していたところに…、何故こんな――、こんな、こと…っ」


以前お会いしたときよりも幾分か老けては見えるものの、それを遙かに凌ぐほどに豹変しているお父上様の態度に、激しく困惑してしまう。

そして、そんなおかしなお父上様の様子を見ても、周りの貴族たちは誰一人として訝しむようなそぶりを見せないことが、わたくしの心をさらに惑わせてしまう。


「お父上様――ッ!?ですから…っ、あの衛兵達が、わたくしを捕らえるなどと酔狂なことを言ってまして――」


「――、あぁ、ワシが命令した」


「――――え?」


その言葉がお父上様の口から漏れ出た瞬間、会議場から――、いや世界から一切の音が無くなってしまったように思えた。


「そうだ、ワシが命令したのだよ。おぬしを捕らえよと。だというのに、おぬしは何故、まだこんなところにおるのだ…?」


「え…っ?え、え…っ?」


「あぁ、ダメではないか……。おぬしは、こんなところに居ては……、ワシの前に…、顔を見せるようなことがあっては…、ダメではないか…」


会議場の空気が――、いや、それをも包み込む世界そのものが、わたくしの理解よりも大きくずれてしまっているような気がして、頭の中が徐々に真っ白へと染め上げられていってしまう。


「お、お父上様?ご冗談…ですよね?何かの間違い…ですよね?」


「冗談…?それは、今のおぬしのほうだろう。何故まだここにいるのだ――。何故まだ囚われていないのだ――」


「…ッ!?お父上様ッ!?しっかりしてくださいッ!?本当に、どうしてしまわれたのですかッ!?」


お父上様がうわごとのような呟きをひたすらに垂れ流しているのに――、わたくしが喉をかき鳴らして叫び喚いているのに――、これだけ人の集まった会議場は、どうしてこんなに静まりかえっているのだろうか――


「…っ!?お母上様は?お母上様はどちらですかッ!?このような決定、お母上様もお許しになるはずがありませんッ!わたくしを愛し慈しんでくださる、お母上様なら、きっと――」


「あぁ…、フローラか――」


そうやってふと思い出したかのようにお母上様の名前を口にすると、


「フローラは、ちゃんと…、牢に閉じ込められているのだろうか?こうなると、ワシ直々に出向いて確認してみなければ…、不安でどうにかなってしまいそうだ――」


飼っている小鳥の餌の心配でもするかのように淡々と、そんなことを口にするお父上様。


「え――、今…っ、なんと、おっしゃいました…?」


「あぁ…っ、まさか、フローラまでもが、このじゃじゃ馬のように、ワシの命令に背くなんてことはないだろう――、そうは思うものの、やはり不安だ。よし、後で直接牢に出向いてその姿をしっかりとこの目で確認しなければ――」


そう誰に言い聞かせるでもないようなうわごとを呟き続けるお父上様の姿が、わたくしの知っている父親の姿とまるで重ならなくて、動揺で心臓がバクバクと跳ね上がり続けてゆく。


「何故、お母上様まで…?え?どうして?何故?」


「――ッ!?何故、だと――ッ!?」


「…っ!?」


そうやってわたくしを睨み付けてくる表情は、もはや愛する娘を見るそれではなかった。


「全部、あの女が――、フローラが悪いのだよッ!?このワシを謀った、あの女が――」


「お父上、様…っ?」


「ワシは、そなたを愛しておったのだッ!世界中の、誰よりも――、この身の全てを投げ出してもいいとすら思えるほどに――、愛しておったのだよ――ッ!?」


その様はもはや演説だった。

静かに見守る貴族たちに向けて、両腕を高々とあげて宣言するように、狂ったような告白を叫び続ける。


「そんなワシを裏切ったのは、そなたの方ではないか、フローラよ――っ!何故、何故ワシではないのだッ!?何故、あの男なのだッ!?」


その異様な光景に呑み込まれそうになって怯みかけるも、いや、ここで尻込みなどしていられないと、自身に活を入れ直す。

だって、こんなのは間違っている。絶対に間違っているのだから――


「お父上様…っ、落ち着いてください!きっと、何かの間違いです。だから――」


「間違い…?間違いなどあるものかっ!これが、間違いであればよかったと、ワシ自身が何度も望んでいたのだ…、なのに――ッ」


「…っ!?」


「リゥルッ!そなたのその美しく育った容姿が――、何もかもを終わらせてしまったのだッ!」


な、なにを言っているのですかお父上様…?

どうして、そんなことをおっしゃるのですか……。


「愛おしい我が子が…、宝物のように可愛がってきた我が娘が…、歳を経る毎に、あの憎き男そっくりに育っていく様を見せ付けられてきた、このワシの気持ちが分かるかッ!?貴様には理解できるのかッ!?」


わたくしには分かりません。

お父上様がどうしてそこまで激昂されているのか、理解できません。


「あぁ――、憎きアイゼンよ…、貴様は死して尚、このワシを苦しめようと言うのかッ!?このワシから、愛する妻と娘までをも奪おうというのかッ!?」


アイゼン――その名には聞き覚えが…ある。


「何故だッ!?何故、貴様はそうまでして、ワシを苦しめるのだッ!?どうして…っ、どうして、なのだ――っ」


たしか、わたくしが生まれる前の時代、国中を混沌の渦に叩き落としたという大罪人の名――


「リゥルっ!貴様には分かるのかッ!?愛する娘だと思っていた者が――、実は憎き仇敵が妻に孕ませて産ませた子――、あの憎きアイゼンの子供だったと知ったときの、ワシの気持ちがッ!?」


そして、わたくしが、その国賊の娘であると、お父上様の口自らそうおっしゃったとき、頭の中は完全な真っ白へと塗り変わり、悲しいはずなのに涙すら出てこなかった。


「年々、あの優男の面影が色濃く出てくる貴様の顔を見る度に、ワシがどれだけ苦痛を覚えていたのか、貴様に分かるかッ!?」


だから、ここ最近はまったく顔を合わせてくれなかったのですか?

わたくしが面会を申し込んでも、執務が忙しいからと取り合ってもらえなかったのは、ぜんぶ嘘だったというのですか?


「あぁ……、フローラよ…、どうして、ワシを裏切ったのだ…っ、どうして、どうして…っ」


そして、再びうわごとのようにぶつぶつと小声で呟きながら、天井をぼんやり眺めるお父上様に再度食って掛かる気力はもはや無かった。


「ぁ…っ、ぁ――」


そんな醜態を見せ付ける国王の姿すらも黙って見つめる貴族達の顔を見渡してみれば、


「ぁ、ぁ…、ぁ――」


その顔なじみの貴族達は、誰1人わたくしと目を合わせようとしなかった。


「ぁ、ぁ、ぁぁ…っ、ぁぁぁ――っ」


その表情には一様に「関わりたくない」と書き記されているようで、そんな光景を目にして、真っ白になっていた脳内に、絶望の黒色が絵の具を零したかのようにぽたぽたとその姿を現してゆく。


「ぁ、ぁ――、あ…っ!」


そして、徐々に頭の中が黒く塗り込められていく最中、一筋の光の存在を見つけて、よろめきながらも彼の元へと歩いて行く。


「公爵、様――」


愛おしいあのお方。

幼き頃より、共に将来を誓い合い、いずれ共に国を背負っていくと決めた、あのお方。

いつでも、どこでも、どんなときでも、わたくしをその、限りなく広大な愛で包んでくれた、公爵様なら、ジュリオ様なら――


「公爵様、どうか……、わたくしを――」


こんな絶望の淵からでも、わたくしのことを掬いだしてくれる――


「寄るなッ!罪人の血が流れるその身体を…っ、由緒正しきアルテア家当主であるこの俺に近づけるなッ!」


そうして、救いを求めて差し出した手をあっけなく振り払われたとき――


「一時的にも貴様のような罪人の子と婚約を結んでいたなどと思い出せば、身体中に虫唾が走る…っ」


その美しいお顔が、まるで穢らわしいものでも見下すかのような目を携えて、わたくしのこの身に向けられている様を、その受け入れがたい現実を、まざまざと見せ付けられたとき――


「穢れた血に塗れた大罪人よ――、さっさとこの俺の前から立ち去れッ!」


わたくしの心は、そのすべてが真っ黒に――この世から光がすべて消え失せたかのように――暗い暗い漆黒に染め上げられてしまったのでした。






「あの、姫様?」


「そろそろ食事を取ってくれる気になりましたか?」


「牢での暮らしが不自由なのは理解できますが、せめて食事くらいは取って頂かないと――」


「姫様の処刑は国民の前で大々的に執り行う予定なのです」


「なのに、処刑の前にその罪人に死なれたとあっては、国としても恥となるのですよ」


「一応、貴方は先日まで王家に名を連ねていた一員であらせられるのでしょう?」


「でしたら、国の面子のために、ここはひとつ協力すると思って、考えてみてはくれませんかね?」


「…………」


「はあ……。おい、守衛!もうずっとこの調子なのか?」


「は、はい…っ!もう5日も、食事も取らず、身動きすら取らず、このように座り込んだままぼうっと天井を眺め続けています…」


「はぁ…。この世間知らずのガキめ。せめて死ぬときくらいは国のために尽くしてから死ねばいいものを――」


「どういたしますか?」


「……、いざとなれば、強引にその口へ食事を詰め込め。此奴はもう王族ではないのだ。いつまでも甘やかしていてはいかん」


「はっ!了解しました!」


「処刑の準備にはもうしばらく時を要する。そのときまで何としても保たせろっ!いいなっ!?」


「はっ!!!」




あれからいくつの夜を越えて、いくつの朝を迎えたのか、分からない…。

薄汚れた牢の外に、誰が来て、何を話して、どれだけ罵られたのかも、分からない…、興味がない。


王族の位を失ったこと、自分がお父上様の実の娘ではなかったこと、国を危機に追いやった大罪人の血を受け継いでいたこと、大勢の前で辱めを受けたこと、生まれて初めてこのようなカビくさい空間に閉じ込められたこと、その全てが最早どうでもよかった……。


頭の中で渦巻くのは、あの光景だけ――

暗闇に引きずり込まれそうになり、救いを求めて伸ばした手を、あのお方――、あの愛する公爵様に振り払われたあのときの光景だけが、水に浮かぶ油のようにこってりと脳裏に張り付いて離れてくれない。


子供の頃、庭の大きな樹の下で、花で編んだ指輪をはめて貰いながらプロポーズを受けた記憶。

わたくしのピアノを初めて聴いてくださったとき、涙を流しながら喜んでくれていた記憶。

正式な婚約が決定した際、二人でバルコニーから月を眺めて愛を語り合ったときの記憶。

あのときに抱いていた気持ちが、一体どういうものだったのかも、今ではもう、思い出せない。


黒く薄汚れた牢の天井を眺めながら、黒く濁ってしまったこれまでのわたくしの人生と向き合えば、そこにはもう、生きる気力のすべてを無くした罪人の女の姿しか残っていなかった――


もう、何もかもがどうでもいい。

あれこれ考えるのも疲れてしまった。

だから、もう、あとは何も考えずに、静かに、眠りたい――




「姫様っ!」


「遅くなってしまい申し訳ありませんっ!」


「わたしです!エリエですっ!」


「今、鍵を開けますね…っ」


「…っ!?あの者達、姫様に対して…、なんて扱いを――」


「参上するのが遅れてしまい、大変申し訳ありませんっ!」


「まさか、わたしが出征している隙を狙って、このような暴挙に打って出るとは――」


「衛兵はすべて打ち倒しましたが、いつ増援を呼ばれるか分かりません」


「すみません、そのお召し物のままで逃走して頂きますが、よろしいで――」


「――、姫様?」


柔らかな手に頬を撫でられて、天井からゆっくりと視線を下げていく。


「姫様?大丈夫ですか?姫様っ!?」


そこには昔から馴染みのある、燃えるような赤い髪と、未だ子供らしさの抜けきらない童顔が、わたくしの視界を塞いでいました。

古くからわたくしに仕えているメイドのエリエ――その面には不安げな表情がありありと浮かび上がっています。


「姫様っ!お気を確かにっ!姫様っ!?」


「あら?どうしたのかしら?エリエ?」


こうやっていると、ここがまるであの豪奢な寝室であるかのように錯覚してしまって、思わず笑みを浮かべてしまう。


「姫、様…?」


「あら?もうお昼ご飯の時間かしら?わたくしったら、眠りこけてしまっていたみたいで。恥ずかしいわ」


「姫様っ!?正気に戻ってください!ここから逃げますよっ!?」


「逃げる?何をおかしなことを言ってるのかしら、この子は。そんなことより、今日はお庭でランチを取りたい気分なの。用意をしてくれるかしら?」


「姫様っ!?しっかりしてくださいっ!?もうすぐ敵の増援がやってくる頃です!早く逃げないと――」


「ああ、わたくし、アレが食べたいわ。あの目玉焼きとベーコンを挟んだサンドウィッチ。料理がてんで上手くならない貴方でも、アレならそれなりに美味しく作れてたでしょう?だから、今日のお弁当にはアレを入れて頂戴――」


「姫様っ!?現実から目を背けるのもそこまでにしてくださいっ!早くここから逃げますよ――」


「――ッ!?逃げて、どうしろというのですか――ッ!?」


「…っ!?」


「逃げて…っ、どうしろと、いうのですか…っ」


ああ、枯れたと思っていた涙が、どうして今更になって溢れてくるのだろう――


「公爵様は――、ジュリオ様は…っ、わたくしにとっての全てだったのです…っ!そんなあの方に、見捨てられたわたくしに…っ、もはやこれ以上生きる理由などありませんっ!」


なんで、こんな――、公爵様に手を振り払われたあの瞬間すら、湧き出すことの無かった涙が、今こうして止め処なく溢れてくるのだろう――


「そんな――、そんなことはありませんっ!生きる理由が無いなどと…っ、そんなことはありませんっ!」


二人で野原を無邪気に駆け回った幼き日の記憶。

初めてお母上様のもとへ正式な婚約を結んだと二人並んで報告をしに行った日の記憶。

上品なクッキーと甘い紅茶を嗜みながら、国の――そして二人の将来を語り合った日の記憶。

そんな、楽しかった思い出の数々が、涙と共に次々と零れ落ちてゆく――


「もう…、わたくしのことは放っておいてくださいっ!」


「いけませんっ!わたしが姫様のことを諦めるなどと、そんなこと――絶対にできませんッ!」


あの幸せな時間がいつまでも続けばいいのに――、わたくしにはそれだけ――たったそれだけでよかったのに――


「姫様は生きなければならないお方です!こんな理不尽な罪を着せられて、理不尽に死ぬことなど…、あってはならないのですっ!」


本当に、それだけで――、そんなちっぽけな幸せだけで、よかったのに――


「だから、逃げましょうっ!姫様っ!」


「――、エリエ」


「姫様…?」


「お願いします。死なせてください――」


そんな小さな光すらも、今は見えなくて……、もう、全てが…、世界の全てが、黒色にしか見えなくて、だから――


「もう、死にたい――」


「…っ!…ッ!?」


頬を強い衝撃と鋭い痛みが襲うも、そんなことにすらもはや感心が持てなかった。


「死にたいなどと、王家の人間ともあろうお方が軽々しく口にしてはなりませんッ!」


「――――」


「――、いえ…っ、この世に生を受けた以上、自ら死を望むことなど、絶対にあってはならないのですッ!」


「――――」


「だから――っ、生きてください、姫様っ!ここから脱出しますよっ!?」


「――――、エリエ」


「はい、姫様っ!」


「わたくしはもう王家の人間ではありません。ですから、アナタがこうまでしてわたくしに付き従う義理などないのです」


「――っ!?」


「今までのアナタの忠義、大変感謝しております。どうか、わたくしのことなど忘れて、幸せになってください」


王家の人間ではない――どころか、もはや罪人扱いで人間とすらも扱われないこの身で、それでも出来ることがあるとすれば、こんなわたくしにも未だ愚直に忠義を示そうとしている彼女の心を解放してあげることじゃなかろうか――、それこそが、堕ちるところまで堕ちたわたくしの、この世においての最後の使命のように思えた。


「…………」


「わたくしは…、罪人です。この国の第一王女という肩書きは、最早そこにはありません。残されたのは、国を荒らした大罪人の娘という、死ぬことしか償えない烙印だけなのです」


「……………………」


「だから、アナタはもう、わたくしの従者などではありません。こんな穢れた血筋の女なんて放っておいて、アナタは自身の道を歩みなさい――」


それが、幼き頃より共に姉妹のように育てられてきた――そして、わたくしの下に最後まで残ってくれた忠臣に向けての、王家の人間としての最後の勤め――


「――、では……、貴方はもう、姫様ではないのですね?」


「ええ」


「わたしが忠義を持って従わなければならない、ご主人様ではないのですね?」


「ええ、そうです」


「でしたら――」


ああ、これで、わたくしの人生に思い残すことなど、もう――


「――、貴方のその身、その心、わたしが貰い受けてもかまいませんね?」


「ええ、かまいませ――、はい…っ?」


死を覚悟した瞬間に耳をついた言葉が、あまりにも場違いだったため、思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまった。


「いいのですよね?姫様のそのお身体、わたしのモノにしてしまっても――」


「いや…、アナタ、一体何を言って――」


「姫様――、ちょっと失礼っ」


「ちょっと…、わたくしの話を聞いて――んむっ!?んぅ…っ!?」


その唇は、もぎたての果実のように瑞々しく――、どこまでも沈み込みそうなほどに柔らかく――、脳を揺さ振られるほどに甘々しく――、そして、ほんのちょっとだけ硝煙の味がした。


「んぅ~っ!?んんぅ~っ!?んん…っ、ぷはっ!?」


「――ぷはっ…、はぁ、はぁ、姫、様ぁ…っ」


幼さの残るその顔立ちが、このときばかりは年上の女性のような艶やかさを醸し出していて、そんな幼馴染みの表情に、動揺と狼狽をまるで隠すことができない。


「な、な、な、な、ななななな、なぁ…っ!?」


「姫様っ!姫様っ!姫様ぁぁ!!!」


「あ、あなたっ!?一体何をしているのですかっ!?」


今し方、エリエのそれと重なり合った己の唇を指でなぞってしまいながら、そのあまりにも場違いな状況に、先程まで死を受け入れて静かにゆっくりと鳴っていたはずの心臓が、バクバクと外に音が漏れ出てしまいそうなほどに大暴れしてしまっている。


「すみません、どうしてもやりたくなってしまって…、思わず――」


「思わず――、ではありませんっ!?わたくし、初めてでしたのよっ!?」


「…?ということは、ジュリオ様ともまだ、こういったことを経験したことが無いのですか?」


「あ、ありませんわよっ!?」


そうですよ!?

公爵様に捧げるはずだった初めての口づけが――


「ふぅ~ん…、そう、なんだ…っ、フフフっ、そうなんだぁ…っ、フフっ、フフフ…っ」


「って、何を怪しげに笑っているのですか!?笑い事ではありませんよっ!?」


「…っ!?これは失礼いたしました…。でも――」


いえ、それ以前に…、幼き時分より姉妹のように育てられてきたお付きと、口づけを交わすだなんて、そんな、こと――


「どうせ近日死ぬ予定だったのでしょう?であれば、初めてがどうのとか関係ないのではありませんか?」


「そ、そういう問題ではありませんっ!アナタ、一体どういうつもりで――」


「し…っ、姫様――」


「んむ…っ!?」


先刻までの暗い気持ちなどいつのまにか霧散してしまっていて、狭い牢の中でもがき喚き散らすわたくしの唇を閉ざすように、その上に人差し指をかぶせてくるエリエ。

至近距離に顔を詰められながらも、その水気を多分に含んだ艶やか唇からまるで目が離せず、あの感触が脳裏の中をぐるぐると這い回りつづけてしまう。


「言いましたよね?姫様のその身は、もうわたしのモノなのです。なので、この可愛らしい唇もわたしの好きにさせてもらいます」


「んむ…っ、ん、ぅ…!?」


その有無を言わさないような薄く細められた目つきに洗脳でもされてしまったのか、身体がびくりと硬直してしまう。


「大丈夫です。姫様の御身は、わたしが身命を賭してお守りいたします。誰にも――、何人たりとも――、指一つ触れさせはしません」


そして、わたくしよりも僅かに小さいその身体に覆われるように抱きすくめられて、彼女のその身体のやわらかさに、頭と胸と吐息が甘ったるい熱を帯びてゆく。

唇が餌を求める雛のようにだらしなく開いているのが自分でも理解でき、そんな様子を見て口角を少しだけ吊り上げて微笑を浮かべるエリエの妖艶な顔から、まるで目を離すことが出来ない。


「だから…、姫様――」


だから、そんな――心も身体も、今のこの状況にまるで追いつけないままに――


「アナタには、わたしのモノとして…、これからも生き続けて頂きます」


ただただ彼女の優しい抱擁と、硝煙と女体の香りに包まれたまま――


「そして、わたしのモノとして――、幸せになってもらいます」


おでこをぴったりと張り付けられて、卑しげな眼差しで射竦められてしまえば――


「いいですね?姫様――」


「は、はひ…っ」


無心で首を縦に振ることしか、できなかった――







【あとがき】


ひとまず1話はこれにて終了。

キリの良いところまで書き締めたかったので、ちょっとだけ長くなってしまいましたが。


例によって2話以降は反響次第で執筆する予定です。

続きが気になるって方はいいね!と拡散の方ヨロシク!


てか、これって全年齢指定で大丈夫なのかな…。

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