デート?

第1話

 オムレツの中のキクラゲを箸でつつくと、彼女は眉をひそめて「何これ?」と言った。


「キクラゲ、知らない?」

「こんな感じなんだ」


 煙草の臭いが広がった。隣の席ではサラリーマンの集団が盛り上がっていて、全員が真っ赤な顔で煙を吹かしていた。ウィンストン、マルボロ、メビウス……彼らの銘柄を順に眺めていると、不意に「美味しい」と声がした。


「美味しい?」

「キクラゲ。コリコリしてる。ちょっとしょっぱいけど」

「それは卵の味じゃないかな」


 高校時代の友人曰く、彼女は職場のアルバイトらしい。まだ大学生。昨日二十歳になったばかり。堂々とお酒を飲みたいと言うので、五反田の小奇麗な中華居酒屋に赴いている。


「ねえ、私のことどう思う?」


 彼女は言った。口の端に硬くなった黄身が付いていた。


「面白いと思う」

「可愛いとか素敵だなとか、そういのはないの?」

「あると思う。そういうのも」

「たぶん?」

「たぶん」


 もっと上手く取り繕うべきなのかもしれなかった。彼女が退屈そうに失望する顔を見たくないので、ひと息にビールを呷った。二十歳の女の子を喜ばせるにはどうしたらいいのか、僕には知る由もない。年齢は五つ離れているけど、五歳なんてちょっとした違いに過ぎない――なんて思うのは僕だけで、彼女からしたら僕は立派な年上なのだろう。


「僕のことはどう思う?」

「素敵だなって思う」


 今度は彼女がビールを呷った。

 頑なに彼女のことを『彼女』としか言わないのは、名前を呼んだことがないからだ。本名は知っている。中川田二咲。にさき、という名前がいい。みさきじゃなくて、にさき。二月に生まれたことに由来していると、彼女は言っていた。


「ごま団子食べたい。いい?」

「いいよ。ついでに杏仁豆腐も」


 彼女は両手を挙げて店員を呼ぶと、杏仁豆腐とゴマ団子を二つずつ注文した。店に入って一時間半が経っている。仕事の愚痴を女子大生に零しても仕方がないし、大学やアルバイトの愚痴を聞いても「そっか」「大変だね」「頑張ってるんだね」と返すばかり。お互いがお互いのパーソナルに踏み込まず、自分の現実をなぞるだけの会話で、僕らは三回もデートを重ねていた。デートという響きが気持ち悪かった。


「これってデート?」


 前に彼女に聞かれたことがある。


「少なくとも他の人が見たら、僕たちはデートしていることになるんだと思う。たぶん」


 僕の答えに満足したのか分からない風に、彼女は「ふうん」と唇を尖らせた。だから僕らが二人で顔を合わせている時間は、便宜的にデートと呼ぶしかなかった。年下の女の子と一緒にお酒を飲んで、会計のときは少しだけ多めに出して、手も繋がずに駅まで送って帰る。本当に他人が見たら、これをデートと呼ぶのだろうか。


 運ばれてきたゴマ団子を口に入れると、彼女の頬が内側からぷくりと膨らんだ。右の頬、左の頬、もう一度右の頬。やがてゆっくりと咀嚼されると、口の膨らみはしぼんでいく。


「美味しい」

「うん、このあんこ甘い。美味しい」

「油もの食べちゃったから明日は運動しないと」


 煙草の臭いが漂ってきた。

 駅までの道のりで百円ショップに寄った。彼女は子ども用の小さな縄跳びを買っていた。

「明日はこれ」


「小さいでしょ。跳べるの?」

「いけるいける」


 軽率に頷く彼女が明日に一一〇円を棒に振る未来を思って、そこまでを負う意味が僕にはないのだと気付いたときには、縄跳びはトートバッグの中にしまわれていた。

 JRを使う彼女とメトロを使う僕は構内への入り口も違うのだけれど、JRの改札まで見送るのが一連の流れだった。電車通勤の僕には定期があるから、わざわざ遠回りをして帰るつもりもない。かといって「こっちだから」と素っ気なく分かれるのにも気が引けて、結果的に妥協気味に落ち着くのが改札前までの見送りだ。


「明日は何するの?」

「どうだろう。まだ何も決めてないけど」

「私は午後からバイト」

「そうなんだ、頑張ってね」


 現実をなぞる会話。彼女は手を振ってから改札を抜けて、そのまま一度も振り返らずにホームへ登って行った。

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デート? @ZUMAXZUMAZUMA

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