第1話
山口県は山口市。
中枢中核都市として名を馳せる大都市のメインストリートには、中小企業が共同で政府から借り上げたダンジョンがあった。
ダンジョンは冒険者協会の建物内に収められ、その付近には冒険者を対象とした店々が並んでいる。
俺は表通りに面するお高級な建物を見上げた。
入り口に掲げられた「冒険者協会」という頭の悪い字面の看板を鼻で笑ってからビルの中へ足を踏み入れると、豪華絢爛なホテルにも似たロビーが出迎えてくれる。
床は高級感のあるピカピカの大理石、壁際には西洋建築で度々見られる彫刻の施された乳白色の柱が並んでいた。
これこそ、山口が全国に誇る「秋芳ダンジョン」であるッッ!!!
秋芳があるのは山口市ではなく美祢市なのだけれど、その事は誰も不思議に思わないのだろうか。
俺は周囲に蔓延る派手な衣装に身を包んだパリピ共を無視して左手の受付へと向かう。カウンターには若い女性がおり、俺に気がついて笑みを浮かべた。
「あの、冒険者登録をしたいんですけど」
「かしこまりました。それでは身分証明書をご提示くださいませ」
俺は言われるがままに免許証を取り出した。ピカピカのゴールド免許だ。
因みに自家用車は持っていない。
「「
「知りません」
「それでは重要事項について簡単にご説明いたします。まず初めに、ダンジョン内では撮影用のドローンが飛んでおります。協会は御客様が冒険者登録をなさった時点で、ネット配信に映る事を許容したと判断させて頂きます」
「ダンジョン内外における冒険者の死傷や損害に関しまして、協会は一切関与致しませんご了承ください」
冒険者活動は全て自己責任で行え。という事か。
配信に関しては知らん。
「続いて冒険者ランクや貢献ポイントに関してご説明します」
「冒険者のランクは全部で7つ。上からSランク、A、B、C、D、E、Fランクとなっております」
「協会が認可した依頼を遂行する事で、冒険者様方には貢献ポイントが貯まって行きます。上限にまで達しましたら冒険者ランクが上がる他、様々な特典があるんですよ」
「特典?」
「具体的には税金の控除等ですね。Sランクにまでなれば全ての税が免除になり、毎月非課税の報奨金が国から与えられます」
免除?報奨金?
何だそれは!!!つまり政府が認めたニートと言う事か!?
俺目指すよ!!ニート、じゃない。Sランク目指すよ!!!
「税に関する待遇はEランクから段階的に良くなりますので、是非とも高ランクを目指してみてくださいね。現在の貢献度につきましてましては冒険者協会のウェブページにログインする事でご確認いただけます」
「以上の事項をご理解頂けましたら、生体認証とステータスの確認を致します。鑑定石に御手をかざして下さいませ」
そう言って受付のお姉さんが指さしたのは、透明な水晶が渾天儀の様なフレームで覆われた機械だ。
言葉に従って鑑定石と呼ばれた道具に軽く触れると、青く明滅する粒子がどこからともなく現れた。ふよふよとその場を漂っていた光は徐々にその数を増やしつつ、動きに指向性を見出して行く。
幻想的な光景だ。
俺は年甲斐もなく心を躍らせ、きょろきょろと周囲を見渡しながら事の顛末を見守った。
青の粒子は鑑定石を中心に円を描きながらゆっくりと、幻想的な光景を作り上げながら段々と、明るさを強めながら元の鞘へと収束する。
やがて最後の粒子が鑑定石の中に吸い込まれた時、中央の水晶が一層明るく光を放った。
「はい、結構ですよ」
朗らかにそう言った受け付け嬢は、水晶の中央を覗きながら慣れた手つきで紙に何かを書き込んでいる。
「……防御力が高い様ですので、鎧装備店の紹介状をお渡しておきますね」
彼女はそう言いながら名刺の様な紙を差し出した。
一緒に渡された羊皮紙の表には、俺の能力を数値化した『ステータス』が記載されてる。
俺は跳ねる心臓を服の上から握りつつ、渡された羊皮紙に視線を落とした。
【香箱 志遠 『Lv.0』】
『生命力』10
『物理攻撃』3
『魔法攻撃』3
『物理防御』10
『魔法防御』6
『俊敏』2
『精神』1
【スキル】なし
数値の大小はさておいて、俺が昔やっていたゲームとは随分と勝手が違うらしい。
名前やレベル表記は良いのだが、所謂
「俺ってMPが無いんですか?」
「えむ、ぴー?」
しかしその問いに受付嬢は困った様に眉を顰めるばかり。彼女が無知なのか、それとも彼女くらいの年代の人間にとっては既に死語なのか。
俺は質問を変えた。
「魔法やスキルを使う時には何のエネルギーも消費しないんですか?」
すると彼女は背景に花を浮かばせる勢いの笑みを浮かべつつ、質問を肯定した。
どういう事だ?情報は出たのに混乱は増すばかりである。
「流石に職業はありますよね?」
俺の古びたゲームの知識では戦士やら魔法使いといった、その人間のステータスや特技に即した固有の役職が与えられる筈だ。
「ございません。失礼ですがお客様、ゲームと現実の世界を混同されておりませんか?」
……怒られてしまった。10歳以上年下の人に。
結局、冒険者として活動を行う上での事前情報に関してはウェブページにぶん投げられ。
その他の事も殆ど何も分からぬ儘ではあるけれど、俺は周囲の大学生から注がれる奇異の視線から逃げる様にしてその場を去った。
◇
そうして次に向かったのは、メインストリートから離れた雑多な通り。紹介状に乗っていた住所の場所だ。
所謂、路地裏の目立たない位置には、小ぢんまりとした木組みの建物があった。
ネットの前評判では、なんでも腕利きなのに偏屈な職人が居るという。
ここへ来るまでには、剣と炎の交差する無駄に派手な看板を背負った店もあったのだけれど。
目の前の「鉄鎧専門店」という硬派な文字を見るに、どうやら俺が迷い込んだのは鉄鎧の名前にも負けない堅物の、時代に置いて行かれた悲しき職人の店らしい。
扉を開け放つと、所狭しと並べられた武器の奥から不愛想なオジ様が出迎えてくれた。
と言っても、年は俺と変わらなさそうである。
いかにも武器屋の店主といった風貌の、いかつい店主が値踏みする様に眺めてくるが、どうやら入ってもよさそうな雰囲気だ。
俺も負けじと店主を見返す。
真っ黒な焼けた肌にツルリとしたスキンヘッド。肩幅は人間二人分くらいで、ピチピチの白いTシャツからは鍛え上げられた肉体が見え隠れしている。多分5人は殺している。
「何でぇ」
店主は心の臓を震わす、ドスの効いたバリトンボイスでそう言った。
「あのう、協会から斡旋されてやって来た香箱と申しますが……」
俺は社会人時代で身に着けた、非常に曖昧な笑みを貼り付けて返す。
腰は低く、扉は開けたままで、いつでも逃げ出せる様に。
相対する想定はさながら野生の虎である。
「……まだぁ消えてなかったか」
入っても良いと思ったのですが、消えた方が良かったのでしょうか?
だとすれば消えますけど。というか逃げますけど。
「待ちなぁ」
「へい」
俺は迷わず両手を突き出して自首のポーズをとる。
「久しぶりの客だ、逃がす訳ねぇだろ」
え?狩られる?
ボスモンスターからは逃げられない。それが太古から受け継がれる伝統的な世界の理だと言う事を忘れていた。
手を子招く店主を待たさないよう、俺は店の奥に小走りで向かう。
扉は閉めさせられたし、加えてここは路地裏である。もはや幾ら叫ぼうと誰も助けてはくれないだろう。
そのまま指さされた椅子に座った。丁度、カウンター越しに店主と向き合う構図だ。
「紙ぃ、寄越しな」
怖い怖い怖い
俺は殆ど投げ捨てる様な形で二枚の紙を手渡した。
引き笑いの如き嗚咽は「うるせぇ」と一蹴された為、涙をこらえて震えながら生唾を呑み込んで待機する。
就活生時代にも経験したことのない圧迫感に滝の様な汗を流していると、真剣な表情で羊皮紙を睨みつけていた店主が声を上げた。
「おめぇ、騎士志望か?」
「は、はぁ、ステータス的には、そんな感じになるんですかね」
別に騎士志望ではなかったけれど、それ以外に選択肢が無いというのも事実である。
「やめとけやめとけ、どうせ敵を倒せずに最前線でおっ死ぬだけだ」
まあ、そういう事もあるだろう。
だがそれも人生である。誰かに指図されることではない。
「おめぇみたいな防御特化の肉壁冒険者がよぉ、今ぁ何してるか知ってるか?」
彼は訳知り顔のしたり顔でそう問うた。
「そりゃあ冒険者でしょう」
しかし俺の答えは店主の鼻先で嘲笑された。一息で吹き飛ばす様に笑い飛ばされた。何がそんなに面白いのか、俺にはさっぱりわからない。
「違ぇ、屍だ」
「はぁ」
「剣は振れねぇ、魔法も撃てねぇ、動きも遅ぇ。硬ぇだけが取柄の雑魚はなぁ、中層以降のダンジョンじゃ足手まといになんだよぉ」
……確かにそうかもしれない。チームを組んでダンジョンに入る以上、誰かの足を引っ張ってしまう可能性は付きまとうのだ。
彼の言う通り、俺は昔から力が強くなかった。喧嘩で勝てた事など、ただの一度もない。
上手く魔法を操れる自信が無い程に、頭も良くなかった。どれだけ真面目に勉強をしても、テストでは要領の良い奴に勝てなかった。
のろまだと、すっとろいと、何度言われたかも分からない。かけっこでは常にビリっけつだったし、脚が早いだけでモテる男子を、ただ指を咥えて眺めていた。
今までに俺と同じようなステータスの人間が何人もダンジョンで死に、大成した前例が無いというのなら。
きっと、俺もダンジョンで死ぬのだろう。大成など出来ないのだろう。
「はっきり言って、そのステータスじゃぁ無理だ。真面目に企業へ就職するんだな」
成程、ネットの評判に違わぬ偏屈なおっさんだ。もう、そういう生き方しか知らないのだろう。出来ないのだろう。
あるいはその言葉が店主の優しさだったとしても。
就職しろ?
だがしかしバッドナンセンス。
「じゃなんすか、俺に冒険者をやめろって言うんすか」
過去の俺は、今日の昼に生まれ変わったのだ。
否、その表現すらも正確じゃない。
「あぁそうだ。死ぬよりぁマシだろ」
店主は最終通告を言い渡すかの如く、きっぱりと言い放った。
ならば俺も言おう。
敢えて言おう。
こんなおっさん、どうせ二度も合わんからな。
「さっきから黙って聞いていれば、好き勝手言いやがって」
俺は声を張り上げた。
都合の良い事に、ここは雑多な裏路地で、室内も閉まりきっている。
「俺は死んだんだよ、今日の昼に。お前が言う企業とやらに見捨てられてな」
言ってから、自分の中でも驚く程にその言葉がピッタリと嵌まった。
死んだ。
その通りだ。香箱志遠は死んだんだ。
仮に生きているとしたら、それは、俺の持って生まれた能力が。
高過ぎる生命力故に、命への執着が、
高すぎる防御力故に、生きる事への執念が、
低すぎる精神故に、満足な死への渇望が…
「もう無理だって思って首を吊ったさ。でも死ねなかった!!!」
…人よりも、高かっただけに過ぎない。
「ロープは切れるし天井は落ちてくるしで散々だ!!」
俺は店主に向かって中指を立てて見せる。両手で。
「俺は日頃の散財で貯金がねぇ!!!!今ここで冒険者にならねぇと、ダンジョンで死ぬ前に大家にぶっ殺されんだよ!!」
これこそが自由!!これこそが憧れのアウトロー!!!
「いいかプリケツ頭ぁ!!!訳知り顔で世間を知った気になってんじゃねぇぞ!ステータスがどうだかは知らねぇけどよぉ!!テメェの尺度で俺を測れると思ってんじゃねぇ!付け上がってんじゃねぇ!!!分かったら俺に最高級の防具を寄越せってんだ!!!ついでに武器もなぁぁぁ!!」
あぁ、死んだ。
俺はきっとコイツに首を嚙み千切られて死ぬ。でもそれでいい。後悔はない。
どうせ一度は諦めた命。
折角、格好を付けた家畜を殺したんだから、最後くらいは格好が悪くてもいい。
だからついでに舌だって出しちゃう。
「覚悟ぁよぉ、出来てんのか!!!!!」
店主の声が、俺の鼓膜を劈いた。悪意を持って破らんとするかの如く。
「あ、いや、えっと」
大きな声で怒鳴られた。俺は涙ながらに答える。もうやけくそだ。
「出来てらぁぁぁっっ!!!!!!!」
「……」
店主は顔を真っ赤にして震えていた。
その振動は椅子に伝わり、テーブルに伝わり、そして部屋をも揺らす。
俺は最初、地獄の悪魔を怒髪天にさせたのかとも思ったが、どうにも違う。
……彼は笑っていた。
何が面白いのか、涙を浮かべてクツクツと笑っていた。
どうしてやろうか。殺してやろうか。
「こんな馬鹿ぁ始めて見たぜ」
俺が反応に困って舌をペロペロ動かしていると、立ち上がった店主に肩をぶん殴られた。多分折れた。というか多分死んだ。
「こん店の看板は見たか?」
「えぇ、はい。見ましたけど」
「何でぇ、手ば置いたくれぇで塩らしい」
手を、置いた?
怒りに任せて俺の肩を砕いたのではなく?
「鉄鎧専門店、毒島玄二。おめぇさんを立派な武士にしてやるよ」
……あぁ、武士かぁ。武士はなぁ、ちょっとなぁ。
だが先程までの流れからして、弱音は吐けなかった。
「嫌だ。と、言ったら?」
俺は努めてキリっとした顔で聞いた。
「男があれだけの啖呵ぁ切ったんだ。ダンジョンで死ぬ前に、大家が来る前に、オイラぁお前ぇさんを殺すぜ」
……はい。
という訳で俺は特注の鎧を作ってもらえる事になった。
とは言え一から鉄を打つとなればそれなりの時間が掛かるらしく、完成までは数カ月掛かるのだという。
どれだけ俺が早く昇級しても、暫くは初級のダンジョンにしか行けないだろうとの事だ。それまでは適当に見繕われた中古の鎧を着て過ごすことにした。
問題は、この店。クレジットカードが使えないのである。
だが店主も意外と良い所があるようで、防具の代金はツケて貰えることになった。
ツケ、つまりは借金だ。
俺は冒険者登録をしたその日から、12万4千円の借金を背負ってしまったらしい。
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