第103話 賽の河原。
「……ここは?」
薄暗い世界だった。
月も星も無い暗い空なのに、なんとなく周りが見える。
霧の深い夜のような場所だった。
目の前には川が流れていて、川の底は見えなかった。どうやら相当深いらしい。
「そうか。俺は死んだんだ」
なんとなく目の前に流れるこの川がいわゆる
足元には河原の石があった。
賽の河原と言えば鬼と石積みか、川を渡るとあの世に行くというのが定番だろう。いや川を渡るのは三途の川だったか。
だが鬼はいないし三途の川だったとしても川を渡ろうにも
底の見えない川の流れも速いので自力で渡るのは無理だろう。
そう思ったところで俺は途方に暮れた。
この世界でどうしろと言うのだろうか。
「拓斗」
俺を呼ぶ声がした。
その声の方を見ると川の向こう側に父さんと母さんが居た。
「……父さん、母さん……」
父さんも母さんも無表情だった。
だけど恐怖は感じなかった。
無表情なだけで無感情ではないと感じたからだ。
父さんは不意に明後日の方向に指を
その方向を見てみると、駅のホームがあった。
あそこに行けということかと一瞬思ったが違った。
駅のホームには男が居た。
スーツを着たその男が最初は誰かはわからなかったが、ひたすらに小声で「ごめんなさいごめんなさい」と呟いているのがわかった。
俺のいる場所からは50メートルくらい先にいるはずの男の小言がどうして聞こえるのかはよくわからなかったが、そう言っていることは間違いなかった。
そしてその男は姉ちゃんをあんな目に遭わせた高原という男だと言うことに気が付いた。
しばらくその男を見ていると不意に踏切の音が辺りに響いた。
快速なのか減速せずに近づいてくる電車。
男はその電車が通るタイミングで身を投げてグチャっと鈍い音を立てて
長い電車が通り過ぎたかと思ったら再び男は駅のホームに立っていた。
そうして何度もそれをひたすらに繰り返していた。
よく見れば電車の先頭車両には血肉がこびり付いていたり骨が窓ガラスに刺さっていたりしていた。
それでも電車も男も無意味な自殺を繰り返していた。
父さんはその男を哀れな目で見ていた。
「291291回」
父さんはそう呟いた。
その数字の意味が一瞬わからなかったが、ひたすらに繰り返すその自殺の回数だと察した。
難度も自殺を繰り返している。
それはもうある種の地獄だと思った。
「あの男はまだ自分が死んだことに気が付いていない」
「……だから、何度も繰り返してる、のか?」
そう問うと父さんは頷いた。
そうして「哀れだ」と呟いた。
「拓斗」
父さんは悟った目で俺を見ていた。
「なぜ人が自殺するかわかるか?」
「……理由は色々、あるだろ?」
「違う」
俺自身自殺したのだ。
だから咎められているのだと思ったが、父さんはただ俺の回答を否定しただけだった。
「あの男を見ろ」
そう言われてもう一度見た。
相も変わらず自殺を繰り返していた。なにも変わってはいない。
「あの男は死ぬために謝り続けながら電車が来るタイミングを測っていた。見えているのはそれだけだ。だから自分が既に死んだことに気付かない」
「……何が言いたいんだよ?」
「自殺する者は周りが見えてない。迷惑も考えない。見れないし考えられないんだよ。だから自分の事もわからない」
父さんがそう言うと、その男の後ろに立っていた年配の女性が男の名前を呼んでいた。
それでも男はその声に気付かない。
年配の女性には見覚えがあった。男の母親だった。
「拓斗」
母さんが俺を呼んだ。
親しみの篭ったその声は懐かしかった。
「周りをしっかり見て、声を聴いて、ちゃんと手を伸ばして生きなさい」
母さんはそう言って微笑んだ。
あんな風になるなと、母さんはそう言っている。
「……でも、俺はもう……」
俺は下を向いた。
今更もう遅い。
どうしようもない。
「……時間だ」
「ええ」
父さんはぼそりと呟いた。
母さんもそう答えて微笑んだ。
そして父さんと母さんは後ろを向いて歩き出した。
「待てよ! 父さん、母さん!!」
俺は、どうしたらいいんだよ……
教えてくれてよ……
「待ってくれてよ……まだ、話したいこといっぱいあるんだ……」
それでもふたりは歩みを止めなかった。
止めてくれなかった。
置いていかれるような気がした。
「父さんと、キャッチボールしてみたかったんだ」
父さんはいつも忙しそうにしてたから。
だからあの時はせっかくだからふたりでデートでもしてきたらって姉ちゃんの提案を俺も賛成した。
ほんとはキャッチボールとかしてみたかったけど、いつも頑張ってたのは知ってたから。
「母さん、俺さ。料理もそこそこできるようになったんだよ。でもまだ母さんの作る味を再現できなくてさ……教えてくれよ。まだ話したいことたくさんあるんだよ……行かないでくれよ」
それでもふたりは川の向こう側に歩き続けていた。
大人になったのに俺はいい歳して泣いていた。
親に置いていかれそうになって泣く子どもみたいにみっともなく泣いていた。
「拓斗」
母さんが立ち止まって振り返った。
そうしてまた微笑んだ。
「桃を頼むわね」
母さんはそう言ってまた父さんと歩き出した。
やがて霧がふたりを包んで姿が見えなくなった。
俺は河原に膝から崩れ落ちた。
そうして段々と意識が遠くなっていく。
倒れ込んだまま、不意に頭を撫でられたような感触がした。
その感触が心地よかった。
置いてきてしまった幼心を思い出せたような気がして安心した。
☆☆☆
「…………ぅ…………」
「タク?!」
「拓斗?!」
「痛てててっ?!」
目が覚めると病院だった。
旅館近くの病院らしいのでどことなく落ち着かなかった。
姉ちゃんが入院していた病院なら長いこと通っていたから居心地の悪さもなかったが、ここにはまだ慣れない。
自殺したはずの俺はどうしてか全身のかすり傷だけで済んでいたらしい。
話を聞くと樹の太い枝に服が引っかかって致命傷にならなかったらしい。
そしてこの話はどうしてか事故として処理されていた。
自殺未遂のはずなのにどうしてだろうかと疑問に思った。
デジタルではあるが遺書っぽいものまで書いたのに、トーク履歴を見ると遺書となる部分の文書が消えていた。
不自然に空いた行間の後に動画を見てくれとだけ残っていた。
あまりにも都合のいい展開に思えた。
だがそもそも生きているのがおかしい。
だけどなんとなく父さんと母さんが書き換えたのだろうと思うと納得した。
俺はべつに非科学的な事を信じているわけではないが、動画編集という仕事をしているとどうしたって不可解な現象を見たり聴いたりはどうしてもしてしまうもので、なので信じる・信じないというよりは受け入れることにした。
そういう解釈をするしかもうなかった。
俺の入院中の数日は姉ちゃんと椎名に介抱された。
動画を見て仲直りしたのだという。
やれることをやれと姉我好先生に言われて旅行を計画したが、本命はそもそもフォトアルバム作りの為だった。
結果的には3人仲良く過ごせるようになったのでかすり傷だけで済んだのは運がいいどころかお釣りがずいぶんと返ってきてしまったという話である。
復帰して家に帰ってきてからの初日の夜は3人で熱い夜を過ごした。
最高でしたはい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます