未来という名のヒトツ

世良ストラ

本編

「なあ、アリス。聞いたか朝の放送?」

「ああ、聞いたよ、ボブ」

「お前どうする? 俺は行くかどうか迷ってるんだが」

「俺も迷ってる」

「じゃあ一回、様子だけでも見に行ってみないか」



 ということで、カップに残っていたコーヒーを飲み干した。

 カフェにあるメニューで一番安い、お代わり自由なコーヒーだ。

 味はイマイチだが、カフェで時間を潰すにはちょうどいい味だった。



「ごちそうさま」

「アリガトウゴザイマシタ」



 人の姿をした店員から発せられたプログラム済みの声を聞きながら、カフェの外に出れば、そこは大勢の人が行き交う大通りだ。

 いつもは往来の激しい道だが、今日は皆、一方向に向かっていた。



「コチラカラナランデクダサイ。オサナイヨウニ」



 交通警備隊が出動し、同じフレーズを繰り返しながら、テキパキと動き回っている。



「おいおい、この地区担当の施設まで、まだ二駅以上もあるんだぞ! ここから並ぶのかよ!」

「ナニカアリマシタカ」



 ボブの声の異変を感知した交通警備隊の一人が近寄ってきた。



「施設の様子を見に行くだけなので、こちらを通ってもいいですか?」

「ソウデスカ。ソレデハコチラカラドウゾ」



 ボブが荒い口調でこれ以上の注意を受ける前に割って入り、ありがとうと形式的なお礼をして、大通りから外れた小道へと入った。



「あんなに並ぶのかよ……」



 ボブは肩を落としていた。



「まあ、国民全員が対象だからな。それより、警備隊の前で声を荒げるなよな。目を付けられるだろ?」



 わかったよ、といった風にボブは相槌を打ち、コートの内ポケットからタバコを取り出し、火をつけると、なんとそのタバコからは煙が出てきた。



「おい、それって、煙が出る違法タバコじゃないのか。見つかったらやばいぞ」



 十数年前から、政府容認のタバコは、煙が出ないように改良されていたのだ。



「お前も吸うか? やっぱりタバコは煙が出ないと、吸った気にはなれないよ」



 とタバコを差し出されたが、煙を払うように断った。


 それから、ぷかぷかとタバコを吸うボブを隠すように裏道を通りながら、頭の中では朝のニュースを思い返していた。

 ニュースといっても、人の映像に合わせて音声が流れるだけの、機械的なものだが。



「本日政府より発表のあった施策に今、注目が集まっています。施策により、本日は全国民が休日となり、新しい日常の始まりに乗り遅れないようにと、すでに国中で長蛇の列ができている模様……」



「着いたぞ、目的地に」


 

 ボブに肩を叩かれ、見上げた先には何百階にも達する高層ビルが立ちはだかっていた。

 ここが地区ごとにある、政府管轄の施設だ。



「順調に人は入っているみたいだな。出てきている人はと……」



 ボブはあたりを見回して、建物から出てくる人を捜していた。



「建物からはまだ、誰も出てきてないみたいだ……」

「まあ、そうだろう。さすがに、施術が必要だろうからな」

「これだけの人がもう並んでいるなら、ほとんどの人が施術を受けることになるんじゃないのか? 迷っていたら、乗り遅れることになるぞ……」



 ボブの性格的に、少数派になることだけは避けたいのだろう。

 ボブは来た道を戻るように走り出し、少し先で振り返った。



「お前はどうするんだ?」

「俺はお前が戻ってきてから考えるよ。いつもの場所で気長に待ってるさ」



 了解というように、ボブは片手を高く上げると、視界から消えていった。







 数日経っても、いつものカフェにボブが現れることはなく、

 その間、町の空気が明らかに変わったことを肌で感じていた。

 いつもは警備隊が出動し、サイレンが常時鳴っている治安の悪いこの町だが、今では路上のケンカはゼロになっている。

 人々が不規則に行き交っていた大通りでは、右側通行が守られているようだ。

 自由をいつも謳っていたこの町の人々が、何かしらの規則に従っているようだった。

 それでいて、彼らの表情に苦痛の色が見えないことが理解できない。

 そして、町ゆく人々が、進行方向以外の別の何かを見ているのも気がかりだ。


 今日も一人、カフェでコーヒーを飲む。

 二人席に一人だけだ。

 周りに人はいるものの、誰一人として声を発さない。

 向かい合って座っているはずの知り合い同士らしき人達も、会話をしていないように見える。

 元々、外れ者だった俺にとって、別に耐えがたい状況ではなかったが、唯一気の合ったボブから、音沙汰がないことは気になっていた。

 メッセージを送っても返信がないのだ。



「今日も来なかったか……」



 と、席を立とうとした。

 そのとき、カフェの入り口から見覚えのある顔が入ってきた。



「よう、久しぶり」

「心配してたんだぞ。メッセージにも返信しないで、どこで何やってたんだよ」



 いつもは冷静さを取り柄にしているが、さすがに声も大きくなる。



「まあまあ、落ち着いて。見ての通り俺は元気だ。ちょっと、手間取ってな」



 ボブに促され、もといた席に戻った。



「で、今まで、何していたんだ?」



 お代わりしたコーヒーに口をつけた。

 ボブはいつも頼んでいたコーヒーをめずらしく頼まなかった。



「やってもらったよ。ちょっと並ぶのが遅くて、施術まで時間がかかったがな」

「ていうことは、お前の中にチップが入ってるのか?」



 ボブは人差し指で、額をクリックした。



「そう、ここに入ってるよ。施術してまだ時間が浅いから、この飲み物を飲めって言われててさ」



 ボブは銀色に光るボトルをテーブルの中心に置いた。



「薬なのか、それ?」

「まあ、そうなんじゃないか? 俺は医者じゃないから詳しいことはわからん」



 ボブは薬らしき飲み物をいつものコーヒーの代わりに一口飲んだ。

 特に不味そうな顔も、うまい顔もしなかったから、無味なのだろう。



「それはどうでもいいんだよ。それより……」



 ボブは今まで見せたことのないような笑顔を見せた。



「すごいんだぜ、これ。まずは手始めに、何でも検索できる。チップを介して、脳がネットとつながっているからな」



 ボブの目がカメレオンのように、ぐるぐると回りだした。



「それで、検索した結果はどこに出るんだ?」

「すまんすまん。お前には見えていなかったよな。俺の視界は例えるなら、コンピュータのモニターだ。今は、お前に視点を合わせているから、真ん中付近の視界はあいているが、そうじゃないときは、いくつものウィンドウが目の前に広がっているんだぜ。かっこいいだろ? これがあれば、今までの小型デバイスなんてお払い箱さ」



 ここで理解した。

 町ゆく人々の視点が定まっていないのは、風景じゃない別の何か、モニターらしきものを見ているからだったのだ。



「でも、モニター……、って呼ぶけど、その視界に映ってるやつ? そんなものを見て歩いていたら危ないだろ」



 ボブは得意げな表情を浮かべ、メトロノームのように人差し指を左右に揺らした。



「検索は前菜みたいなものさ。チップの能力のメインディッシュは別にある」



 ボブはそう言って俺を外に誘った。


 ボブは、俺がカフェから出てくるのを見ると、こちらに顔を向けたまま、規則正しい人の流れのなかへ、後ろ向きで走っていった。



「おい、危ないぞ!」



 ボブはこちらを見ていて、後ろは見えていないはずだ。

 なのに、視界外の人の動きをすべて把握しているかのように、ボブは人の流れの中を華麗に分け入り、反対側までものの数秒で到達していた。



「さっきのは何だったんだ? お前、後ろに目でも付いているんじゃないのか?」



 戻ってきたボブに問いかけた。



「実は後頭部に目を付けてもらったんだ……」



 と言って、ボブは後頭部の髪をかき上げた。



「冗談だよ。そんなもの付いてるわけがないだろ? さっきのはチップのおかげだよ」

「チップのか? それとさっきのパフォーマンスが、どう関係してるんだ?」

「チップの検索機能。これはさっき説明したよな?」

「あぁ」

「脳がチップを介して、ネットとつながっているわけだ。ネットで検索以外にすることといったら何だ?」

「えっと……、アプリとかゲームとかか? あとは……、データのアップロードとかダウンロード」

「まあ、そんなもんだ。チップを入れた人は、チップを介して、脳が政府管轄のデータベースにつながっている。そこにあるデータやプログラムは自由に使い放題ってわけだ。国民の権利ってやつさ。それがさっき見せたパフォーマンスに関係してくる」



 いまいち要領を得ない。

 データやプログラムを使い放題で、それでなんなんだ?

 ボブはそんな俺の様子を見て、まだわからないのか、といった風に口から一息吐いた。



「つまり、自動制御プログラムをダウンロードして使ってた、ということだ。視界情報や検索で目的地を設定すれば、あとはプログラムが、体を目的地まで自動で運んでくれる。チップをもとに、他人も含めた位置情報を把握すれば、人とぶつかることもないし、自分だけでなく他人の視界情報をも利用して、障害物も勝手に避けてくれるらしい。これ、めっちゃ便利だろ?」

「なるほど。そのプログラムを使ってるから、だからみんな右側通行みたいに、規則正しく歩くようになったんだな」



 この何の気なしに言った言葉が、今まで、全能の力を得たようにはしゃいでいたボブの表情を曇らせた。



「多分な……プログラムがそうやって組まれてるんだろう……とまあ、そんなことは気にすんなって。データとかプログラムをダウンロードするだけで、なんでもすぐに学べるし、できるようになる。これって最高だろ! お前も早く入れろよ!」

「俺はもう少し様子を見てからにするよ」



 促すように強く背中を叩かれたが、どうにもわざと明るく振る舞っているように見えるボブが気がかりで、すぐには賛同できなかった。



「そっか、じゃあしょうがないな……それじゃあ今度、沖まで船で行って、釣りでもしないか?」

「船でって、自動操縦のついた船なんか持ってないだろ? 誰かに頼むのか? お前、船舶免許持ってないよな?」



 そういうと、ボブの焦点がアリスから外れた。



「ちょっとお待ちを」



 ボブの目が忙しく回り出した。

 そして、目を閉じてその場で静止した。

 数秒後、ボブは目を開けた。



「今、船舶の操縦方法をダウンロードしたよ……おっと失礼、電話が入ったみたいだ。頭の中に直接な」



 ボブは自慢げにウインクした。



「またなアリス。早く仲間に入れよ!」



 ボブはそう言い残すと、プログラムに制御されている人波の中へ消えていった。







 それからというもの、俺はチップ未導入者として、チップの効力を目の当たりにすることとなった。

 町から殺人事件が無くなった。

 路上のケンカも無くなった。

 人の持っている悪の部分が無くなっていた。

 だが、町が安全になったことを手放しで喜べずにいた。

 安全と引き換えに、この町から、人の活気が消えていたのだ。


 確かに、店に入れば人はいる。

 通りには人が行き交っている。

 だが、その人達を「人」として感じられない。

 皆、静物のように言葉を発さなくなっていた。

 おそらく、脳内のネットで話し合っているのだろう。

 プログラム済みの声を発するロボットの方が、まだ人に近いと思えるほどだった。


 チップが普及した今のそんな町は、ここで生まれ育った俺にとって、パラレルワールドのようであった。

 町の風景は同じなのに、すべての住人が別人のようなのだ。

 個々人の予測できない行動が生み出すカオス、そこから生まれる秩序、それらが共存することで生まれていた自由な町の雰囲気は、見る影もない。


 そして今では、チップ未導入者の俺にコンタクトを取ってくる人は皆無になっていた。

 まるで、俺の存在を認識できていないかのようだった。

 周りから認識されないことは、存在しないことと同義だ。

 そんな俺を現実に引き留めてくれていたのは、唯一ボブという存在だった。


 だが、ボブとはあれから釣りに行った以来、再び音信不通になっていた。

 ボブを心配しながらも、俺にできることは、いつものカフェに毎日通い続けることだけ。

 そして、さらに心配を煽っていたのは、ボブも持っていたよく分からない飲み物を、チップ導入者が以前より頻繁に飲む光景が目に付くようになったことだった。

 飲み物ではなく薬ならば、それを常用しなければならない何かがあるのだろうか。

 俺はただ、傍観者として存在することしかできなかった。







 数ヶ月経っても、まだチップを入れる気にはなれなかった。

 というのも、ボブと何とか連絡がとれたものの、ボブの様子がおかしかったからだ。


 はじめは、新しいおもちゃを得た子供のようにはしゃいでいたチップ導入者に、異変が起こっていた。

 チップと脳との間の接続に、適合できない人々が現れ始めたのだ。

 あやしい飲み物はやはり薬で、チップが適合するのを促進するものらしいのだが、それでもうまく適合せず、思い通りに動きを制御できない人達が出てきてしまったらしい。


 そこで政府はすぐさま対策を講じた。

 チップ導入者全員に、アップデートプログラムを強制ダウンロードさせたのだ。

 ひとまずプログラムのおかげで、ボブも元の生活に戻ることができた。

 だがそれで、はいよかった、とはならなかった。


 対処療法的なプログラムが導入されてからというもの、チップ導入者が以前にもまして、ロボットと化してしまったのだ。

 誰もしゃべらない。

 同じ所作でしか動かない。

 決まった時間に決まったことしかしない。

 それは、ボブも例外ではなかった。

 ボブに話しかけても、返答がないのだ。

 ただひとつ反応があったのは、チップ批判をした時だけで、ボブだけでなく、周りの人からも尋問まがいの扱いを受けた。


 それ以来、ボブと会うことをやめた。

 もう町からは、人の声という音はほとんど消え去っていた。

 自分のような、チップ未導入者の少数派が作ったグループの中だけが、人を感じられる唯一の場所となっていた。







 ここで、ある人々が登場することになる。

 チップ未導入者のうち、行き過ぎた平和に飽き、違う刺激を求める過激派が現れたのだ。

 過激派は平和と真逆の刺激を求め、チップ導入者を暴行したり、殺したりし始めた。



「今からあなたを殺しますがいいですか?」



 チップ導入者は、ロボットのようにプログラムに従っているだけだ。

 彼らは誰一人として、殺されようとしても抵抗しなかった。

 抵抗がないことがつまらない過激派は、行動をさらにエスカレートさせていった。


 さすがに、政府も看過しているわけにもいかず、警備隊を増員し、チップ未導入者への監視の目を強化していった。

 結果、チップ未導入者は、決まった場所でしか買い物ができなくなった。

 決まった場所にしか住めなくなった。

 いつも行っていたカフェにさえ、顔を出せなくなっていた。



「チップを入れても、プログラムに従ったデクになるだけだ。かといって、チップを入れないと、政府から監視され、今までの人としての生活ができない。俺たちはどうすればいいんだ……」



 チップ未導入者の仲間が、ダンゴムシのように丸くなり嘆いているが、俺は違う。

 自分の意志のある今の状態の方が、チップで操られるよりはましだ、という考えだけは、徹頭徹尾持ち続けていた。


 後日、過激派は全員逮捕され、どこかへ連行された。

 チップ未導入者の仲間から聞いた話によると、チップ導入者の人波の中で、過激派のメンバーの一人を見たという。

 おそらく無理矢理にでもチップを入れられたのだろう。


 こうして政府の対策が功を奏したのか、殺人事件はなくなった。

 暴行事件もゼロだ。

 何も無いという名の平和な世界が戻ってきていた。


 チップ未導入者には、過激な行動をとる気力のある人は残っていなかった。

 唯一残された過激派の面影といえば、隠されているお手製の爆弾ぐらいなものだった。







 今まで町の人々となじめていなかった俺だったが、今では友と呼べる存在を多く得ていた。

 チップ未導入者というこの小さなコミュニティでは、チップを入れていないことが集団意識を強めたのだ。

 差別などは存在しなくなっていた。

 監視が付いていようとも、チップ未導入者達は、今できるそれなりの生活を謳歌していた。


 だが最近、チップ未導入者のコミュニティで変事が起きていた。

 仲間が一人、また一人と、いつの間にか消えていたのだ。



「おい、アリス! こっちに来い!」



 通りを監視していたリーダーのジャックが手招きしている。

 小声ながらも、逼迫した表情だ。



「あそこ、見えるか? あれ、エドじゃないのか?」



 ジャックの指し示す場所には、確かにエドがいた。

 エドは仲間だったが、つい最近、忽然と姿を消したのだ。

 そのエドが、今ではチップ導入者と化していた。


 はじめの頃、消えた仲間は、自らチップを入れにいったと皆思っていた。

 だが、リーダーのジャックが通りで見つかった時には皆、別の考えにたどり着いていた。


 今では、ジャックに代わって自分がリーダーだ。

 冷静な判断ができる点が評価されてのことだった。



「みんな……わかっているとは思うが、ここ最近、仲間が次々と、チップを入れられた状態で見つかっている……」



 仲間の中心に立ち、演説を始める。

 仲間はもう、手足の指で数えられるくらいしか残っていない。



「直近では、あのジャックまでもが……」



 ジャックを思い浮かべると同時に、親友だったボブにも思いを馳せた。



「彼らが自らチップを入れたはずはない。なら、どうやって?」



 皆の視線が俺に集まる。



「そうだ。チップ導入者が無理矢理さらっていったんだ。そこにはきっと、政府が関与しているに違いない」



 俺達がこの考えに至ったのには、ある理由があった。

 仲間の蒸発が続いているとき、ジャックに警護を付けていたのだが、ジャックは警護もろとも消え去っていたのだ。

 一人だけいなくなるのであれば、自分の意志だとも考えられなくもないが、複数人が一度に消えるとなると、何か大きな力が裏で働いているとしか、考えられないだろう。



「これから、俺達はどうすればいいんだ? ただ、誘拐されるのを待つのか!」



 仲間の一人が立ち上がった。



「いいや、違うだろ!」



 俺の言葉が引き金となり、皆が立ち上がった。



「普通にあいつらを相手にしても、数で負けるだけだ。チップ導入者をどうにか拉致し、何が起こっているのかをまず把握する。そこから反撃の狼煙をあげようではないか!」







 警備隊の目をそらすのがネックだったが、チップ導入者の老人を拉致するのは、拍子抜けするほどうまくいった。



「聞きたいことがある。なぜ、政府は俺たちを無理矢理さらうんだ? 俺たちは、君らに害になることはしていないはずだ」



 老人を皆で囲み、俺が一番前で代表して問いかける。

 念のため、老人の視界は目隠しで塞ぎ、手を縛って椅子に座らせてある。



「政府じゃあないよ。君らを誘拐しているのは」



 問いかけても何も答えてくれないと、少なくとも尋問には時間がかかるかと思っていたが、意外にもあっさりと老人は答えた。



「簡単に私を拉致できたと思っているのじゃろう? そりゃそうじゃ。お前等が拉致しやすいよう、警備隊もコントロールしていたからの」

「どういうことだ!」



 仲間の一人がすかさず声を荒げ、老人につかみかかったので、仲間全員で引きはがした。

 それでも、老人は何も起きていないかのように、落ち着いた年相応のかすれた声で続けた。



「政府はもちろん、全てのチップ導入者が我らの支配下にあるんだよ」



 老人は手を縛られたまま、立ち上がった。

 立ち上がったはずみで目隠しが取れた。

 目隠しの下から表れた目は、白目を剥き、文字通り、こちらを白い目で見ていた。



「我らの支配下だと? お前は誰だ! 老人じゃないな!」

「お前は誰なのか、ではない。お前達は誰なのか? それが正しい質問だ」



 老人は引きつったような笑顔を見せた。



「私は一種の集合体だ。一人一人だった個人がつながり、同一化しているのだ。分裂していた個人同士をチップがつなげたのだ」

「じゃあ、なんだ。お前は国民の意識からできた、別の集合意識だっていうのか!」

「その通り、私はもう別の次元へと昇華したのだ。今日は、君たちに選択を迫りにきた。私の一部として、新たな世界へと羽ばたくか、チップ未導入者として、私と生存競争を始めるのか」



 老人は通りの見える位置まで移動した。

 こっちに来て、通りを見てみろと無言で訴えているのだ。


 その挑発に乗り、通りを見下ろすと、老人を拉致するまでは普通に歩いていたチップ導入者達が、足を止め、こちらを白い目でじっと見つめていた。



「仲間になるなら歓迎しよう。施設までエスコートしてあげるよ」



 俺達はこの場で選択を迫られていた。

 個という概念を失う代わりに、別の何かへと進化するのか。

 個を維持するために争い続けるのか。


 周りの白い視線に耐えられなくなった俺以外の仲間達は、ポツポツと施設へ向かっていった。

 今残っているのは、俺、そして見た目が老人の何かだけだ。



「アリス。君には猶予をあげよう。明日の日の出までに決めてもらえればいいよ。それでは、『またなアリス。早く仲間に入れよ!』」



 老人はいつか聞いたボブと同じ台詞を、ボブの声で言い残し、消えていった。







 日の出まであと五分。光が町を照らし始めようとしていた。

 施設は目の前だが、周りに人はいなかった。


 施設を下から上までなめるように眺めながら、今まで、この町で生活してきた記憶を掘り起こした。

 一人孤独を感じ、社会に反抗していた学生時代。

 ボブと知り合い、仲間の良さを知ったあの時。

 ケンカや暴動、フェスティバルなどが至る所で繰り広げられていた、自由な町の雰囲気。

 チップがもたらした平和。

 チップがもたらした暴動。


 人にとって、何が幸せなのだろうか。

 まだ迷っている。

 何もないという名の平和なのか。

 刺激のあるカオスな空間なのか。

 個という存在にしがみついていることなのか。

 個を超越した何かになることなのか。


 日が昇った。

 いつの間にか、周りにはチップ導入者が集まり、俺を凝視していた。


 俺は覚悟を決め、施設へと入った。

 胸には、決意というを、隠し持ったまま……。

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