1 (12) 『愛に恵まれて』
一
「そうでしたか…。貴女が彼の義子さんでしたか…」
がらんどうのシテの大聖堂、その大礼拝堂に、私とレジティ様はいた。
がらんどうなのは、本来なら観光地として人でごった返しているはずの大聖堂全域を、レジティ様が、私とお義父さんのために、今だけ立入禁止にしてくれたから。
おかげで、何千人もが一斉に礼拝できる巨大な空間には、私たちと数人の高位神官以外、本当に誰も居なかった。
気持ちいいくらい吹き抜けた空間だった。
「あの…本当に良いんですか…?」
大礼拝堂の最前列の長椅子に小さく座る私は、大礼拝堂の奥、“処置室”を一瞥した後、隣に座るレジティ様に尋ねた。
「…お義父さんは確かにシテ勤めの高位神官で、高級職者でした。でも、それは昔の話です。お義父さんは自ら神官長様に神官の認可を返上し、一介のバラルダ公領民に戻りました…」
「…だから、このような荘厳な場所で処置や葬儀をしてくださるのは、少し厳か過ぎる気が…」
私がそう言うと、レジティ様はおずおずと尋ねた。
「…もっとひっそりと弔うべきでしたか?」
私は咄嗟に首を横に振った。
「いえ…!むしろ、レジティ様にここまでして頂けて、お義父さんも喜んでいるはずです…!」
レジティ様は「それなら良かった…」と、柔和に安堵した表情を私に見せた。
レジティ様は、俯いて話した。
「…ジーヴル・ベル。残念ですが、王家の臣下に牙を向けた以上、彼は王国への反逆者です。本当に悔しいところですが、今の制度上、それを覆すことは出来ません」
「彼は重罪人です。…ですが、それ以前に、彼は神学校時代の私の“恩師”でありました。…どんな教師よりも気高く、“正しく”、素晴らしい方でした。彼の教えを受けることが出来たことは、私の生涯における何よりの幸運で、誇りなのです」
「個人的に、彼には返しきれない恩があります。だから私は、今の世情に反してでも彼を丁重に弔いたかった…」
…レジティ様とお義父さんに交流があった事実。
それは、確かに驚嘆すべき情報だった。
でも、でもだね。
情報の意外性とは、そのショッキングとは、より身近な秘密であるほど、大きいものになるものだ。
だって、そうだ。
身近な秘密の方が、それを知らなかった事実を突きつけられた時の罪悪が凄まじいのだから。
…家族というものは、どこか神聖で、言葉が無くとも通じ合える存在であるべきだと考えられて、何よりも、互いが互いのことを何でも知っているべきだとされる。
家族でなくても、そういう緊密な関係が尊いとされる。
私だってそう思う。
大切な人のことを何も知らないって、気味悪いと思う。
…だからこそ、私はレジティ様の話を聞いて、顔が真っ青になった。
私って、そんなことも知らなかったの?
お義父さんの子なのに?
お義父さんのことを、あれだけ愛して止まなかったのに?
「お義父さん、“神学校の教師”だったんですか…!?」
「…?えぇ、そうですが…」
「なんで…!?なんで、お義父さんが神学校にいたんですか…!?だって、お義父さんは…」
「…高給なことと、私への接触機会の確保を彼は理由として語っていましたが…」
「ご存じありませんでしたか…」
「…はい」
知らなかった。
本当に何も知らなかった。
思えば、私はお義父さんのことを知ろうともしていなかった。
私は穏やかな日々の中でも、お義父さんの帰りを待つことしかしたことがなかった。
頭を撫でてほしい、微笑んでほしい、それだけしか考えたことが無かった。
私という人間は本当に、『家族としてのお義父さん』以外に興味が無かった。
もしかしたら、自分の視点じゃ見えない裏面の方に、その人の持つ尊さがあるかもしれないというのに。
私は、清々しいくらい薄情な人間だった。
そのことに、私はこの期に及んでようやく気がついた。
「私は、お義父さんのことを…」
「何一つ…、知らない…」
「私は…、お義父さんのことを…!お義父さんのことを…!」
…この時の私は、少しばかりピーキーだったと思う。
そりゃ、あんなことが遭った後なんだから、無理はないと思う。
けど、恐るべき罪悪感が私を襲ったことは確か。
私は何もかも手遅れになって、ようやく、自分が全くお義父さんに恩返しできていなかったことを理解した。
ずっと私の内に蔓延っていた、お義父さんへの独善的感情に気づくことができた。
『有象無象が…!お義父さんのことを…、理解する気すらなかったくせに…!!』
よく言えたな、そんなこと。
お前だってそうじゃねぇか。
その後、私は思考と感情を無茶苦茶に拗らせて、大声を上げて泣きじゃくった。
そんな面倒臭い私の背を、レジティ様は何度もさすって、慰めてくれた。
「泣かないで」「貴女の落ち度じゃありません」と、優しい言葉をかけてくれた。
私は、優しくてたまらないレジティ様に申し訳なくてしょうがなかった。
…だって、そんな慰めじゃ、私の心は埋まらないのだから。
私は、どこまでいっても自分勝手なのだから。
あまりにも吹き抜けた静けさが残酷過ぎた。
鈍重に私を串刺しにする時間が、真綿で首を締めるように愚鈍に流れた。
二
…国王や皇のご遺体も担当する、大聖堂の高位神官らによる魔術的エンバーミングは非常に丁寧かつ迅速で、お義父さんの遺体はあっという間に清められた。
その後、大聖堂にて一晩かけて葬儀が行われた。お義父さんは典麗な棺桶に納められて、いよいよ死に逝った。
葬儀の唯一の参列者である私とレジティ様は、最期にお義父さんの元に寄った。
それと同時に、葬儀を執り行っていた高位神官らは皆、何も言わず、そそくさと大礼拝堂を後にした。
広々とした空間に、私と、レジティ様と、お義父さんだけになった。
…共にお義父さんの死に顔を見ているというのに、私とレジティ様では、随分様子が違った。
レジティ様は、なんというかホッとしていた。お義父さんをこれ以上なく良く弔えたことで、自分の役目を果たしたと言わんばかりだった。
レジティ様は、笑んでお義父さんを見送っていた。
一方で、私は違った。
私にはずっと、笑みなんてなかった。スッキリとした気分も、安心も、何もかもなかった。
あるのはただ一つで、今にも顔をグチャグチャに潰しかねない、お義父さんに対する大きすぎる後悔だった。
…静かに眠るお義父さんは、今も星型の石の首飾りを下げている。
私の、精一杯の想いを首に繋いでいる。
私からお義父さんに押し付けてしまった、最悪のエゴ。
それが目に映るほどに、私は、お義父さんに蘇ってほしい、今度こそ私はお義父さんのことを全部理解して、愛して、尽くすから、お願いだから目を開けてほしいと、未練がましい想いを膨らませた。
もうすぐ閉めなければならない棺桶の縁を両手でギュッと掴んで、決して閉めさせないようにしていた。
無駄な抵抗をしていた。
「…貴女は、本当に彼を愛していたのですね」
レジティ様が言った。
「葬儀とは、その者が持つ故人への想いが露骨に表れる、ある意味、最も利他的かつ独善的な場です。…もう、故人に想いを届けることができない。だからこそ、心の殻が溶けて消えて、真っ裸になるのでしょう」
「故人へ抱いていた愛が大きい人ほど、それがグロデスクに露出して、過度に焦燥し、後悔するのです」
レジティ様は、どこまでも優しかった。
それなのに、私は厚顔無恥にも言い返した。
「そんなの違いますよ…」
「こうして、亡くなった大切な人に対して、悲しくて、悔しくて、しょうがなくなるのは、生前の自分が故人を十分に愛せていなかったからですよ…」
「だって、『こうしておけば良かった』なんて気持ちは、故人に対し、自分が怠慢だったからこそ出てくる悔恨なんですから…!」
「お義父さんに対する、取り返しのつかない過ちなんですから…!」
私が震える声でそう言うと、レジティ様はそっと私の肩を抱き寄せてくれた。
今にも泣き崩れそうになっていた私を、支えてくれた。
「…貴女と彼の関係は、彼から伺っています。だからこそ、私は断言できます」
「貴女は何も悪くない。…先ほども伝えましたが、貴女が彼の職業を知らなかったこともまた、貴女の落ち度じゃない。何もかも、貴女のせいではなく、貴女たち親子が特別だったが故、仕方がないことだったのです」
「だから、どうか、その点で自分を責めることは…」
「…そんなの、知ったことじゃありませんよ!!」
私は、強烈にレジティ様を否定した。
「特別とか、仕方がないとか、そんなものはハッキリ言って慰めにもならない…!だって…」
「だって…!今、私の目の前にあるのは、ただひたすらに、失意の内に亡くなったお義父さんの姿なんですから…!!」
…レジティ様の言うことは、一つだけ正しい。
私の心は、確かに殻が無くなって、裸になっていた。
だから私は、周りの迷惑なんか考えず、レジティ様に激情をぶつけた。
膝から崩れ落ちて、レジティ様の服を引っ張りながら、…こんな私を慰めてほしいとすがりながら。
私は私のために叫んだ。
「私はもっとお義父さんの考えを理解すべきだった…!正しい歴史とか、真の支配者とか、そんな言葉の数々を真剣に受け止めるべきだった…!」
「だって、そんな世迷言、陰謀論、変なことの中にこそ、お義父さんの夢はあったんだから…!そのためなら死んでも良いとさえ思える、とても大切な気持ちがあったんだから…!」
「それなのに、私は、お義父さんが大切にしているモノを、合理的じゃないって切り捨ててしまっていた…!挙句の果てには、お義父さんのことを非常識なおかしい人だって思ってしまっていた…!」
「結局、私は殺してしまいたい程に憎い私の方が大切で、だから、お義父さんを無碍にできてしまった…!」
「本当なら、私は『シャトー・ブリアン』であるべきだった…!思えば、私はそのために拾われて、育てられたんだから…!」
「もっと冷酷になるべきだった…!それこそ、うさぎ一羽を殺した程度で苦しまない、倫理も欠片も知らない人間になるべきだった…!」
「もっと愚かになるべきだった…!それこそ、お義父さんの言うことなら全て正しいと、何も峻別せずに呑み込めてしまえる、論理の欠片もない人間になるべきだった…!」
「なのに…、私は普通さを求めて、穏やかさを求めて、お義父さんの子で在りたがった…!態度じゃお義父さんに尽くそうとしていたけど、その実は、ただ単にお義父さんに褒められたいから、頭を撫でてほしいから尻尾を振っているだけだった…!」
「私は、どこまでいっても希望を捨てられなかった…!一人ぼっちになるのが嫌で、お義父さんとはずっと家族でいたくて…」
「あまつさえ、お義父さんと、ずっと一緒に何もない日々を過ごせればって願って…、その想いをお義父さんに押し付けていた…!『狂人』で在りたかっただろうお義父さんを、無理に“お義父さん”にさせてしまっていた…!」
「だから、その愚かしさの末路として、お義父さんは夢の一つすら叶えられず後悔まみれに死んで…」
「安らかに眠ることさえできなかった…!!」
私は、レジティ様の服を涙と鼻水でグショグショにしながら訴えた。
…レジティ様的には、こんなことを自分に訴えられても困るだろうけど。
でも、私は救われたかった。
誰でもいいから救ってほしかった。
「ねぇ…、レジティ様…!?私はどうすれば良かったんですか…!?私がどう生きれば、お義父さんは最期の最後まで幸せになれたんですか…!?」
「やっぱり、私には『シャトー・ブリアン』しか許されていなかったんですか…!?お義父さんの子じゃいられないんですか…!?でも、そんなの、残酷過ぎて耐えられない…!!」
「だって、私の本心は、この期に及んでも、夢なんて、陰謀論なんて、『ラディカ様』なんて、そんな“下らないモノ”のためにお義父さんが死んでほしくなかったって、心の底から思っていて…」
「どこまでいってもお義父さんの夢を嫌っていて、憎んでさえいるんだから…!!」
「これなんですか…!?この考えこそが、お義父さんの幸せを奪っていたんですか…!?」
「私の…、愚かな私の罪なんですか…!?」
…レジティ様は本当に慈悲深い方で、こんなにも愚かで情けない私にも親身だった。
レジティ様は屈んで、自分の胸に私を抱き寄せてくれてくれた。思う存分、私を悲しませてくれた。
ポン、ポンと背を優しく叩いて、あやしてさえくれた。
「…シャトーさん」
レジティ様が呼びかけてくれた。
見上げると、レジティ様は私を安心させるように微笑んでいた。
ただし、その笑みは苦しそうだった。レジティ様の目は腫れぼったくて、頬には涙の跡があった。
レジティ様は、私の目を見つめて言った。
「これはあくまでも、貴女ほどに彼への愛に深くない、不埒で、他人な私の勝手な所感ですが…」
「私には、彼が不幸だったとは思えません」
「未練でも、後悔ばかりでも、貴女にそこまで想ってもらえたのなら、彼は幸せだったと思います」
「貴女が彼を想い、彼が貴女を想った。それは、この世の何よりも素晴らしいことです」
「だからこそ、貴女はそんなにも素敵な人に育ったのだと思いますよ…」
レジティ様は、私をギュッと抱き締めて伝えてくれた。
未だ嗚咽を漏らす私を、言葉で、行動で、慰めてくれた。
…ラディカ様じゃなくて、この人のためならば、私もお義父さんと同じように命をかけても良かったかもしれないと思う私は、やっぱり今も憎い私だった。
私の方こそ、棺桶に入るべきだった。
三
浅ましくも出せる嗚咽が枯れた後、私はレジティ様に尋ねた。
「…結局、私は国家転覆が出来ませんでした。物質創造だってそう…。私は、お義父さんの夢を全部叶える力を持っていたけど、どれもこれも、最後まで使いませんでした。唯一、使おうと思えたのは、お義父さんが死んでしまった直後の、無茶苦茶だった時だけ…」
「ねぇ、レジティ様…?こんな役立たずの私が『シャトー・ブリアン』として拾われた意味は、一体何だったんですか…?」
レジティ様は静かに答えた。
「貴女は、名をシャトー・ブリアンというだけの、ただの彼の子だったのですよ」
「それだけが、尊い真実なのですよ」
その言葉を発するレジティ様は、どこか羨ましそうな目で私を見つめた。
でも、私はレジティ様から目を背けて、俯いてしまった。
だって、自分の責任を、愛への対価を支払わないなんて、身勝手にも程があると思うから。
「…自分を許せませんか?」
「だって…、こんな後悔、したくなかったから…」
私がそう答えると、レジティ様は軽くため息をついた。「本当に凄い方ですね、貴女は」と呟いた。
その後、何かを決意したレジティ様は、私に顔を上げるように言った。
私の両目に溜まった涙を指で拭った。前のめりになって、手で私の前髪を軽く上げた。
…そして、レジティ様はポカンとする私の額に、そっとキスをされた。
じんわりと、温かさが広がった。
「…これは、勇気が出るおまじないです」
「昔…、大切な人に教えて貰いました」
「大切な人…」
「えぇ。とてつもない後悔の中で亡くしてしまった、大切な人。私の、唯の家族だったかもしれない人」
「あの人の全てを信じることが出来たのなら、私はきっと、あの人を失うことも、後悔することもなかった…」
レジティ様はふっと自分を嘲笑した。
「…だからこそ、私は変わるのです。貴女だってそう。私とそっくりな貴女だって、変わる必要がある…」
「そのために、私は貴女に勇気を与えたのです」
レジティ様は伝えた。
「貴女も既にご存じでしょうが、私たちの過ちは『信じなかった』ことでした。大切な人を、その人の想いを、全て受け止められなかったことでした」
「信じれば、信じられれば、どんな軋轢も、障害も、偏見も全て吹き飛ばせる…。信じることさえ出来れば、貴女はきっと彼の全てを愛することが出来て、彼の夢を継ぐ『シャトー・ブリアン』で在ることが出来た…」
私は頷いた。レジティ様は続けた。
「後悔することのない、愛に溢れた、澱みない生とは、言い訳の余地のない幸せとは、偏に“盲目”であることでしょう」
「…ですが、その道は本当に険しい。苦しみにまみれ、不自由に押し潰される、恐るべき道です。実際、貴女も私も、それに敗北した。自由と苦しみのなさを欲して、結果、愛を失って、後悔をした」
「…だから、私は変わることにしました。尤も、手法は貴女が取るべきそれとは逆で、『私の選択は正しい』『あの人なんて悪女に決まってる』と、そう思い込むことですが…」
私は尋ねた。
「レジティ様は、変わられているのですか…?」
「えぇ、まだ途上ですが。…それでも、少しずつですが自分が狂気に蝕まれていく感覚があります」
「恐ろしいですよ。信じて、信じて、愛にまみれると。まるで正常な判断が出来なくなっていく。同時に、根拠のない快楽が全身を包む」
「…このままじゃ、私という存在は壊れてしまうでしょうね」
…いつの間にか、レジティ様は私の修道服をギュッと掴んでいた。
掴む手は震えていて、レジティ様の顔は真っ青だった。
…本当に、レジティ様は壊れつつあるのだと理解した。
同時に、私は、そんなレジティ様にゾクゾクした。どうしようもなく追い詰められたレジティ様が素敵でしょうがなくて、心の底から良くない感情が湧いてきて、「私も早く同じようになりたい」と、強く願った。
「レジティ様」
私は、迷わなかった。
「教えてください。私は、どうすれば狂えますか?」
…その言葉に、レジティ様は本当に嬉しそうな顔をした。私を見る目が、この上なく恭しくなった。
まるで、同族を見つけた愚か者のような表情と態度。
レジティ様は目をキラキラさせて言った。
「ね、シャトーさん?これは私のわがままですが、もし、貴女がちゃんと『理想の自分』に成れて、今の自分が壊れちゃったら、一生私の側近として働いてくださいね?」
「壊れた者同士、ずっと一緒にいましょうね?そうしたら、もう家族が誰もいない貴女と私、互い身体を埋め合えるから、きっと二人で幸せになれますよ?」
レジティ様は小悪魔のようにクスクスと笑っていた。どこか淫靡な目つきで、今すぐにでも私を食べてしまいそうな雰囲気だった。
レジティ様の指が、私の指に絡んだ。
でも、私は最後まで頷かなかった。
いつか、頷ける日が来たら、その時になったら、私は応えようと思った。
四
…まさか、レジティ様にじゃがいも畑を片付ける手伝いをしていただけるとは思わなかった。
「…うん。やっぱり、ジーヴル・ベルにはこれくらいのヒッソリとしたお墓の方が似合いますね。何せ、彼は影の戦士ですから」
地面に小ぢんまりと立っている、名前が彫られただけのただの岩を眺めて、麦わら帽子を被っているレジティ様は感慨深そうに笑んだ。
その後、レジティ様は「ね、一緒に手を合わせましょう?」と、私の手を引いた。私は言われるがままお義父さんの墓前にかがみ、静かに祈りを捧げた。
その時、柔らかな風が吹いて、私たちを優しく撫でた。
レジティ様はゆっくりと目を開けて、言った。
「…良い所ですね、ここは。とても醜い王国の内だとは思えません」
「そう…、ですかね?」
「…?貴方はそうは思わないのですか?」
「そりゃあ、のどかな所だとは思いますよ?でも…」
私は、小教会の方に振り向いた。
「独りで暮らすには、あまりにも空っぽ過ぎます…」
柔らかな風は、私には少し冷た過ぎた。
「レジティ様。やっぱり、私もシテに戻ります」
「『フランの姉妹の強靭な城』として在ることは、私の本分です。レジティ様が受け入れてくださるのであれば、小間使いからでも忠義に励みます」
お忍びで数日間小教会に来ていて、今日、『女皇』として禁裏に帰らなければならなかったレジティ様は、私の申し出に一瞬口角を上げた。
レジティ様は、クスッと笑って言った。
「…この世で最も強大な魔術師に雑用係は似合わないでしょう?」
「ダメですよ。ダメ。貴方にはまだ、ここでやるべきことが沢山あるのですから」
レジティ様は少し残念そうに首を横に振って、私の申し出を断った後、お義父さんの墓をチラッと見た。
私も、同じように墓の方に視線を向けた。
「…本当に“アレ”をすれば、私は『シャトー・ブリアン』に成れるのでしょうか?」
「焦らないで。一歩ずつ、一歩ずつですよ。受け入れ難きは身体に毒ですから、ゆっくりと慣らしていくのです」
「使命を、私が貴方に預けた責務をキチンと熟して…」
「時間をかけて、着実に壊れていくのです…」
その後、ポツポツと会話を重ねている内に、時間はあっという間に経った。
夕刻だった。レジティ様を迎えに来た特級の馬車が、小教会の前に止まった。
私は、自室から運んできたレジティ様の荷物を御方の執事に預けた後、小さく手を振って馬車を見送った。
「私の…、使命…」
ただ、それを為すことに対する漠然とした不安を覚えながら、私は暗がりになりつつあるこの世界に立っていた。
……
…
葬儀の最後。
絡み合った指同士が離れ離れになった時。
ぶつけられた言葉は、あまりにも理外の外だった。
『え…?』
『なんで、私に…?』
レジティ様は、もう一度言った。
『フラン家当主、女皇としてのお願いです』
『…私の家族の埋葬をお願いします』
『アメリーが、かつての人類の最前線であったことは周知の事実です』
『…が、それと同時に、あの地は、ガロより与えられし祝福の力で300年戦争を平定したフランの姉妹が降臨した地です』
『貴女方が住まう小教会は、フランの姉妹に初めて邂逅した人類…、放棄されたアメリー前哨基地の僅かな生き残りが建立した、大陸最古のガロの教会です』
『あの地、そして、小教会は、言うなればフラン家の聖地。この世のどこよりも、少なくとも、王家に毒されたシテなんかよりも、ずっとお姉様らを埋葬するのに相応しい…』
…私は愕然とした。
耳を疑った。
『でも…』
『それは…』
『だって…、なんで…?』
レジティ様がされた話。
放棄された前哨基地としてのアメリー。
フランの姉妹の降臨。
祝福の存在。
そして、小教会。
魔族の侵略に屈した人類の前に現れ、人々を導き、魔族を退け、そして、この国を作ったとされる、フランの姉妹の歴史。
…それは、お義父さんが訴え続けてきた『正しい歴史』そのものであった。
周囲が世迷言だと嘲笑い続けた、私が陰謀論だと蔑視し続けた、おかしな話であった。
『貴女にとって、これは途方もない不都合で、あまりにも信じがたい事実でしょう』
ですが、残念なことに『建国記』『オムファロス』は実在する禁書です。
『…なにせ、4年前にジーヴル・ベルが高位神官を辞職した理由は、正に禁書庫に侵入した罪が“フーシェ”によって暴かれそうになったことに際して、家族である貴女を危険に巻き込まないためでしたからね』
その事実は、私の心を粉々に砕いた。
私はあまりの絶望に、床に突っ伏して咽ぶことしかできなくなった。
そんな私に、レジティ様は同情するように言った。
『…真実とは、どうして自分の思うがままにはいかないのでしょうね』
『しかし、その自由さこそが罪なのです。苦しみから逃れようとする自己正当化が悪なのです』
『変わることを選んだ貴女は、この受け入れ難さを受け入れなければならない』
『真実を、背負わなければならない』
レジティ様は私を背にし、ツカツカと大礼拝堂の出口に歩んでいった。
動転する私を置いて。
確たるものだと信じていた現実に全てを裏切られて、焦燥する私を置いて。
レジティ様は、私にトドメをさせるように伝えた。
『…ジーヴル・ベルが訴え続けた歴史は、全て事実です。彼は何も間違っていなかった』
『私からのお願い、お受け頂けるのであれば、後日、シテの領市監査本局に連絡をください。内密に使者を送ります』
…その後、幾度かのやり取りの後に届いた伝書鳩からの手紙の最後には、こう綴られていた。
『…貴方はあまりにも理知的だから、簡単には真実を受け入れられないかもしれない』
『私は貴方のことが大好きです。貴方を全力でサポートします。…だから、いつか、常識の外に出られるといいですね』
『狂ってしまえるといいですね』
大礼拝堂の扉は重々しい音と共に閉ざされた。
そして私は、尊さに溺れて消えた。
五
「…マジか。立ち上がったぜ、アイツ…」
まるで狂気を見つけたかのように慄く暴漢二人の視線の先には、ムクリと起き上がったシスターがいた。
両目がなく、頭からダラダラ血を流す彼女。
足元こそおぼつかないが、存在しないはずの眼光は鋭く光っている。
暴漢らを睨んでいる。
「ラディカ様に…、触るな…!!」
広げた両足で地面をグッと踏み、腰を落として体を定める。
両手指を軽く組んだまま、腕を前に突き出す。
この世で最も強大な魔術師が、全力以上に力を振り絞る時。
「«匣天開門»」
世界を“匣(はこ)”に見立て、その“天”を“開門(ひら)”く絶技。
詠唱と共に、術者の頭上に天使の輪よりも神々しい白透明の輪が何重も顕現する。
世界の理を狂わせる、天上の輪。
驚異的な実力者のみに許された、魔術の極地。
「«存力強化»」
無数の輪が導き、術者の体内に、この世界全体に存在する魔力総量を遥かに超えた魔力が創出される。
その魔力の一部が大波のように体外に漏れ出し、大陸全土を覆いつくすほど巨大な渦を作り出す。
あまりにも巨大な力に、空間そのものが歪む。
魔力が見えない非魔術師でさえ、その神懸かり的光景の目撃者となる。
シャトーが、超越する。
自分と、この世の理の全てを。
その目的はただ一つ。
「«天位…»」
「«破壊魔術…!!»」
『禁書』が告げる、主に仇なす暴漢二人の排除。
シャトーは一切の躊躇もなく、お義父さんから愛を貰ったその日からずっと封印してきた『生命に対する破壊魔術』の詠唱を始めた。
…シャトーは不思議な気分だった。
何も見えないはずなのに、守るべきものがハッキリと見える。
重症にまみれて意識がフラフラなのに、身体は頑なに動く。
そして、何より、溢れている。
お義父さんと、ラディカへの愛が。
この世の何よりも優先する想いが。
『狂気』と名付ける以外に道がない、恐るべきほどに素直な感情。
シャトーはもはや、笑むしかなかった。
ただひたすらに、笑み。
シャトーは、あまりにも無茶苦茶になってしまった自分の無様な有り様が清々しくて、しょうがなくて、だからこそ、この上なく解放的だった。
「(…幸福を見つけた)」
「(ようやく理解した。馬鹿シャトーが、考え事が多すぎるんだよ)」
「(最初から、私の幸福なんて『シャトー・ブリアン』だけじゃないか。大切なものを守れないクソさを取るくらいなら、大切なものを守らなきゃいけないクソさを取るって、それだけじゃないか)」
「(嘘偽りない。そういう、不自由で、雁字搦めで、選択の余地がない有様こそ、本当の自分じゃないか)」
「それだけが…、私の全てじゃないか…!」
なら、手に取るべき未来は決まっている。
最初から、分かっている。
「ラディカ様の傍に一生お仕えする…!そして、あの方とずっと一緒に笑い合える世界に歩んでいく…!」
「それだけだ…!それだけのために、たとえ命を賭しても戦うだけだ…!」
「狂って、狂って、狂って、狂って…」
「大好きなラディカ様を守る、『強靭な城』になるだけだ!!」
「だから、畏怖しろ!!この世で最も強大である私の力を!!」
「この澱みなさを!!言い訳の余地もないほどに幸福な私を!!!」
「«恨無く…!!」
「…ッ!」
…狂い、狂い、“盲目になっていた”シャトーは、その時ようやく気がついた。
入れ墨が、既に自分の真ん前に佇んでいたことに。
…彼女に後悔はなかった。
ラディカを見殺しにして悶々と苦しむよりマシだった。
彼女は愛に応えたかった。
自分だけ助かって、身勝手な自由を享受するよりマシだった。
…しかし、想いに精一杯になり、熱に浮かされた代償とでも言うべきだろうか。
いみじくも、彼女が、因縁のある破壊魔術を唱えることに執着してしまったことを嘆くべきだろうか。
彼女が自他共に認める圧倒的な才を有していることは明らかであった。
それこそ、人類はおろか、魔族相手ですら追随を許さない程であった。
…しかし、彼女は根本的に、魔術での戦闘経験が皆無だった。
また、彼女の魔術の講師を担当したジーヴルも、戦闘向きの魔術師ではなく、言うなれば門外漢であった。
そのために、彼女は、魔術で戦闘を行う上で最も重要な準備である、詠唱の省略と動作の簡素化を学ばずにいた。
また、同じく重要な、立ち回りの基本である、近接戦闘での相手との距離の重要性や、攻撃だけに囚われず最適な魔術を選択する柔軟性を、知らずにいた。
…尤も、それらの欠落は、彼女ほどの傑物であれば、問題なく解消することが出来た。
彼女なら、たとえ教えられなくとも、しばらく実践に触れていれば、魔術の詠唱が短縮できること、動作も最小限に出来ることに、自力で気づくことが出来た。
しかし、彼女は今まで、義父を見計らって、魔術に対し、自分から遠ざかっていた。
愛を求めて、お義父さんの子で在りたいがために。
ジーヴルもまた、極力、シャトーに魔術を使わせずにいた。
愛する彼女を、『シャトー・ブリアン』で在らせないために。
立ち回りの基本だって、彼女の優れた頭脳であれば、知らずとも、少し頭を回せば簡単に発掘することが出来た。
実際、彼女はこの直前まで似たようなアイデアを考えついていた。
しかし、彼女は只今に、自分を吹っ切らせるために考えることを止めていた。
理知を捨てて、ラディカを守るために。
自分を捨てて、お義父さんを信じるために。
愛に、応えるために。
『…貴女、愛に育てられたのですね。剥き出しの殺意の割に、まるで戦い慣れていない』
そう、全ては愛故に自明であった。
シャトーの顔面が、入れ墨のゴツゴツした手により、わし掴みにされることは。
そして、後頭部を、傍の壁に思いっ切り叩き付けられて、頭を無残に割られることは。
全てを破壊し尽くせる魔術の才を持ちながら、誰一人手にかけることなく、この世を去ることは。
どれだけ歪もうとも、愛に恵まれて生を過ごしたシャトーにとっては、あまりにも幸せな、当然の最期であった。
──────────────────────────
【人物紹介】
『シャトー』
お義父さんの死後、フラン家面々の埋葬準備を進める傍ら、一人で布教活動を続けた。
…正しい歴史が本当に正しいのか、お義父さんの発言がどこまで真実なのか、醜い自分はまだ穿っている。
でも、布教活動だけは、欠かさずに続けた。
雨の日も、風の日も。一人ぼっちの不安にも、冷たい世間にも負けずに、必死に、拙い演説を振るった。
それこそが、お義父さんの全てを信じることだと思ったから。
…だけども、布教活動をする程に神に与えられたのは、ひたすらに貧困と迫害だった。
…たまに、なんで自分はこんなにも自由じゃないんだと、苦しくて、泣いてしまう日もあった。
それでも、何とか自分を奮い立たせ、前を向いて、布教活動を続けた。死ぬまで続けるつもりだ。
だって、私は誇らしいシャトー・ブリアンで、お義父さんの子で、どうしてもお義父さんへの感謝が忘れられないから。
『ジーヴル』
愛する我が子に自分の思想を押し付けてしまったことを何よりも後悔している。
…シャトーを大切な我が子として育てると決意した時、もう夢は見ないと自分を切り捨てたはずなのに。
平穏な日々が過ぎるほどに、依然誤った世相を目の当たりにするほどに、野心が再燃し、いつしか元に戻ってしまっていた。
自分の執着心が恐ろしい。変われない自分が情けない。心の底から自分に呆れ、そして憎んだ。
…結局私は、愛する我が子を途方もなく苦しめ、かつて与えてしまった呪縛すら、取り払えなかった。
最初から最期まで、私は父親失格だった。
…もう、取り返しはつかないのだろうけど、せめて、自分が死ぬ前に、アイツの頭を撫でて、頬笑んで「お前は道具なんかじゃない。お前は自由に生きて良いんだ」と伝え、謝りたかった。
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