第二章

2 (0) 『退屈の終わり』

 一


 アメリーから南へずっと進み、果てしなく続く未開の荒野を抜けた先に、詳細版の地図でもなければ記載されない程に小さな町、ゴルフがあった。

 この、ゴルフという町を説明することは難しい。ゴルフは、もちろん、都会や街ではないが、逆に、村や田舎というわけでもない。微妙に家や店舗はあるが、微妙に人や物が少ない。正に『何もない町』と形容するに相応しかった。


 ゴルフの特徴を無理くり上げるとすれば、以下となる。

 ・フラン家領であること。

 ・南北に延びる直線道路に沿うように、ポツポツと商店や飲食店が立ち並び、その裏手に住宅地があること。

 ・アメリーから馬車で丸一日かかること。

 ・逆に、タンド(フラン・ガロ王国とラティア・ガロ共和国連邦の国境に位置する街。覚えてた?)までは、徒歩5,6時間で行けること。

 ・乾燥していて、あまり雨が降らないこと。

 ・出生率が低く、近い将来、町が無くなるであろうこと。


 しかし、一体全体、どうして私たちはこんな町に着目しなければならないのか?ゴルフについて知ることが、私たちとどう繋がるというのだろうか?

 一つに、ゴルフは、我らのラディカがアメリーの次に漂流した舞台であった。

 もう一つに、只今のゴルフには、ちょうど、どこぞのシスターに比肩する大天才が滞在していた。


 名を、マリエット。

 彼女は後に、ラディカにとって、あまりにもかけがえのない存在になるのであった。



 二


 直線道路の砂利道を進む足音は、こじんまりとした酒場の前で止んだ。次に、周囲に鳴ったのは扉の鈴音で、更にその後に続いたのは、シャツにズボンだけのラフな格好をした若女のぼんやりとした声であった。

「マルルー、ルニヨンー?いるー?」

 その、彼女の呼びかけに、酒場はシンとした静寂で返した。

「…いないの?」

 時間は正午。ランチタイムなんてハイカラなことはやっていない酒場としては、明確に営業時間外であった。

 マリエットは、扉から頭をひょこっと出して、店内をキョロキョロした。

 テーブル席が二席。カウンターが六席。

 全てが木製の、静かな店内。

 明かりは点いていない。自然の光だけがほのかにある。

 カウンター奥にある、店主と夫人の住まいに続く扉からも、人の気配はない。

「扉に鍵かけてなかったのー?不用心ねぇー?」

 マリエットは、堂々と店内に足を踏み入れた後、「ねぇー?こんな様じゃ、泥棒され放題だよー?ねぇー?」と、どこか店主の不在を再確認するように声掛けした。

 その声掛けにも、当然、誰も、何も、無反応だった。

 マリエットの目の前、カウンター裏に、美味しそうなワインとチーズが見えた。

「…盗っちゃお」

 その行動は、彼女の大雑把で大らかな性格が故のものであった。

 が、何よりも、彼女が、ここの店主と最も良好な関係にあるからであった。



 三


 その証拠に、買出しから帰ってきた店主のマルルは、平然と住居侵入と空き巣をしていたマリエットを見かけても、怒鳴りはせず、ただ呆れ果てるだけであった。

「…おい、わんぱく娘」

 両手に食料や生活用品の詰まった紙袋を抱えたマルルは、カウンター裏で、胡坐をかいて、ワインとチーズで一杯やってるマリエットの背をつま先で小突いて呼びかけた。

「おぁ…?」

 マリエットは振り返り、口にチーズを含みながら彼を見上げた。

「…んっく、あー、おかえりーマルル―。ルニヨンはー?」

 彼女はチーズを飲み込みながら、彼の女房について呑気に尋ねた。

「お…?呼んでも返事なかったのか?」

「うんー」

「じゃあ、今は寝てるな。まぁ、昨日は理外に客が多くて忙しかったからな」

「そっかぁ」

 マルルからの回答に、マリエットは気の抜けた返事を続けた。

 生まれながらに両親を失い、彼と、ルニヨンと、もう一人、ベイという大男に育てられた彼女にとって、これら三人は、自分の素をさらけ出しても平気な家族なのであった。



 四


 地べたから、カウンター席に座り直したマリエットは、マルルが買い出したモノの中に新聞が入っていたことを見つけて、これを手に取った。

 南シタニア新聞。多分、フラン・ガロ王国で最も情報が遅い新聞。

「お…、大ニュース書いてあんじゃん」

 カウンターに広げた新聞を横目に、マリエットは呟いた。

「第一王子の婚姻の直後に、国王の隠居発表、更には第二王子の消息不明かぁ…」

「ここまで露骨に政争をするなんて、もはやクーデターねぇ…」

「何考えてんのかしらねぇ、新王妃様は…。いや、考えてることは何となく予想つくか…。だって…、なんせ…」

「うーん…」

 カウンター席の上でも相変わらず胡坐をかき、ワイングラス片手に、新聞を睨んでぶつくさ言うマリエットは、なんだか、公園のベンチでワンカップ大関片手にスポーツ新聞を読み散らかしているオッサンのようであった。

 そういう、えも言われぬ人生の憐れが、雰囲気として彼女を包んでいた。

「…暇なのか?」

 マルルは買い出したモノの片付けをしながら、ぼそりと尋ねた。

「んぁ?んー…」

「正直言って、めちゃくちゃ暇ね。この前貰った、ラティア古語翻訳の仕事はもう終わったし、ベイは『メラヴィアに面白い仕事があるかもしれない!』って飛び出して行ったきり、帰ってこないし」

「次の仕事までの間、遊ぶにしたって、この町には酒場くらいしか娯楽施設が無いし、かといって、他の街に行くのは辺境過ぎてしんどいし、周りの景色は荒野ばっかりで面白味に欠けるし、挙句の果てには、私以外に若い子なんて一人もいないし」

「ホント、何も無い町よねぇ…」

「…まぁ、私たちみたいな犯罪者が身を隠すには丁度いい町なんだろうけどねぇ」

 そう言って、大きくため息をついたマリエットは、カウンターに突っ伏した後、モゾモゾしながら、はぁー、どこかに可愛い女の子でも落ちてないかなぁー…?と、ぶーたれた。

 若くて、この上なくフレッシュなのに、暇で、暇で、お酒くらいしかやることなくて、頬を真っ赤にする彼女は、なんかもう、色々と限界だった。



 五


 彼女の様子を見かねたマルルは、苦々しく口を開いた。

「…今の仕事にしがみついてる限り、ずっとその調子だぞ」

 その言葉に、マリエットはピクッと反応した。情けなさ満点のモゾモゾとした動きをピタリと止めた。

 マルルは苦言を続けた。

「ベイの奴は、お前の才能に惚れ込んでるから、お前が今の仕事に執着することを歓迎してるんだろうがな。俺としちゃ、お前にはもっと自由に生きて欲しい」

「別に今の仕事じゃなくても、お前なら何処でだって成功できるだろ。お前は強くて、器用で、顔だって母親に似て美人なんだから」

「…別に、無理に両親の背を追いかける必要は無いだろ。お前くらいは、俺たちロクデナシと違って、陽の下を歩けばいいだろ」

 マルルの表情は、凄く寂しそうだった。

 マリエットは静かに身体を起こした後、胸ポケットから取り出したシガレットケースから、常喫の一本を取り出した。

 ラ・ペの79番。

 彼女が今の仕事を始めた頃に、大人ぶるために吸い始めた銘柄。

 彼女は、この一本を深くふかした後、天井を見上げた。

 その後、彼女は、先ほどまでの気だるげな態度から一変して、この世の何よりも凛々しい目をしてマルルを見つめた。

 そして、彼女は言った。

「別に、今が不幸だとは言ってないわよ」

「私は、自分の選択に後悔なんてしない。その選択の末に、地獄の窯の底に沈んだとしても、思いっきり笑い転げてやるわ」

「それに、何より…」

 マリエットは、ズボンのポッケから取り出した硬貨数枚を、マルルの方に弾いてみせた。

 飛んできた硬貨をキャッチした彼に、彼女は指差して伝えた。

「今の仕事でも、十分食っていけてるわ。それだけで、大人としては立派なもんじゃない?」

 マリエットは、マルルに軽く微笑んだ後、彼の酒場から颯爽と立ち去って行った。

 その後ろ姿は清々しくて、何も知らずに見ればカッコよかった。

 だが、彼女が隠し持つ息苦しさをよく知っているマルルにとっては、その背は完全に、都合の悪さから逃げおおせる時のしょぼくれた背であった。

「いつもなら、開店ギリギリまで堂々と居座って、アレもコレもって無銭飲食しまくるくせに…」

 マルルは、マリエットから受け取った硬貨を見つめた。

 1スー硬貨が三枚。

 安物のワインと、しなびたチーズ代。

「わんぱく娘が…」

「足りねぇよ。これじゃあ…」



 六


 マリエット。

 ファミリーネームは無い。

 黒の短髪、翠の目。

 スリムだが、筋肉がしっかりとついた、スポーティーな体型。

 着古した綿のシャツに、ポッケまみれのウールパンツという、女性としてはあまりにもラフな格好を好む。

 魔術は使えないが、100m走なら誰にも負けない。…とある分野の研究者としてならば、もっと負けない。


 そんな彼女は、過去を決して振り返らない。彼女は今と、未来しか見ない。

 どうしようとも、何があろうとも、徹底的に自立していて、徹底的に我が道を行く。

 それだけが、自分が自分たる最大の意味であると自認し、そして実行する。


 マリエットは、一言でいえば、“あまりにも強い女性”であった。



 七


 だからこそ、マリエットは、先ほどにマルルから深刻な話をされたというのに、もうケロッとしていた。

 彼女にとっては、あんな陰鬱とした話題よりも、今に自分の前に横たわる圧倒的暇の方が重大問題だった。

「はぁ…」

「酒飲んだのにテンション上がらない…」

「あぁ…!ホント、どうしてこの町はこんなにも寂れてるのかしら!」

 酔っ払いのマリエットは、砂利道に死ぬほどある小石を片っ端から蹴っ飛ばし始めた。

 しかし、小石はマジで死ぬほどあったので、彼女がどれだけ蹴っ飛ばしても、この町は欠片も変化しなかった。

 ゴルフは、相変わらず、何もない町であった。

「はぁ…」

「欲求不満~…」

 彼女は肩を落として、トボトボと直線道路を歩いた。

 彼女は、ここ最近、こんな感じの生活を繰り返し続けていた。

 だが、今日は特別な日、転換点であった。

 この後、彼女は、町の北側入り口を直前にして、立ち止まることになった。



 八


 マリエットなど、ゴルフの住人が唯一アクセスできる南シタニア新聞は、多分ではなく、本当に、フラン・ガロ王国で最も情報が遅い新聞であった。

 その速度は正に壊滅的で、歴史の教科書に載るレベルの大事件であるフラン家面々の処刑ですら、事件から一ヵ月後にようやく報道する程であった。

 そんな、破壊的体たらくを誇る新聞が、二週間前にド辺境で勃発した事件を報じるなんて、出来るはずが無かった。

 とどのつまり、アメリーへの突如とした魔族の攻撃と、街の消滅を、ゴルフに居座って退屈しまくっていたマリエットが知る余地なんて、あるはずがなかった。


 だからこそ、彼女が次の瞬間に目撃したソレは、不可解そのものであった。


 町の入り口に出来ていた人だかりをかき分けて、そして見つけた、素っ裸で、不思議な色合いの布だけをまとっていて、全身をボロボロにしてぶっ倒れている、やけに大柄な銀髪美女の正体なんて、いくら天賦の才を持つ彼女でも、推察しようがなかった。






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【人物紹介】


『マリエット』


18歳。身長172cm。体重58kg。

自由奔放に、どこまでも走り抜ける最強の女性。

邪魔だからと乱雑に切り落とされたショートのボサボサ黒髪。資料の読み過ぎで視力の悪い翠の目。活発に動き回るために鍛えられた身体。無化粧。ズボンに慣れたせいで常に大股開きな脚。それら全ては、彼女が仕事第一の凛々しい人間であることを非常に良く物語る。

ただ、そんな、女子力をゴミ箱にポイした全体像に反して、顔は、貴族令嬢のように静けな整い方をしている。

家族以外の他者には常に強気でツンケンしているが、家族にはベトベトに甘える。強がりな分、寂しがり。

両親のことはあんまり知らない。マルルと、ルニヨンと、ベイがいつも一緒に居てくれたから、寂しくなかった。だから、両親について特に聞いてない。三人とは仕事仲間だったとだけ聞いてる。

訳あって、犯罪者に成らざるを得ない、とある職に就いている。

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