悪女復活
なんでみんな頑張るの?
プロローグ
0『全ては事実の下に』
…殆どの子は母の声で安らぎを覚えるのだろう。
一方で私、私の場合は、過去に一度でもそんな体験をしたか?
そんなことは万に一つも無かった。
私の人生は、母という黒ずみ一点のせいで、何もかも無茶苦茶にされ続けてきた。
でも、だからこそ、私は今、殆どの子が体験しない体験を味わえている。
死を目前に絶望する母の泣き叫ぶ声を耳にして、安らぎを覚えている。
そういう歪さが子宮の奥にまでこびり付いてしまった、そんな人間こそ、『私』、もしくは『レジティ・ソロリス・セヴァディオス・フラン』と形容される。
『後悔にまみれたゴミ』と自称する。
一
晩春。
フラン・ガロ王国、首都シテ。その北部中央にあるシテの大広場。
そこに詰めかける王国中の民草は、かつての抑圧者であった大貴族『フラン家』の面々の公開処刑を、まるでサーカスのように楽しんでいた。
王国は、二重権力制であった。
王家である『レクトル家』の当主、『国王』。
貴族の頂点に君臨するフラン家の当主である『皇』。
その二対が支配権を分割していた。
国王は慎ましかった。国王はいつだって民草の味方で、意欲的な政治と、統治者にしては質素な生活で民草から大変好かれていた。
対し、女皇は愚かであった。散財と男漁りにばかり執心して、庶民の不甲斐なさを嘲け笑って、いつだって民衆の目の敵だった。
ただ、王国は人類の住まう大陸において覇権国であった。だから、女皇がいくら愚かであろうとも、民草はある程度豊かに暮らせていた。
したがって、あの悪女の存在なんて、せいぜい政治上の目の上のたんこぶだった。
…しかし、10年前に始まった魔族との戦争に伴う戦費と被害補填の捻出をキッカケに、王国の経済は一気に冷え込んだ。
民草は生活苦を強いられた。
それに対し、国王はいつも以上に民草に寄り添う姿勢を示した。
一方で、女皇は何も変わらなかった。
悪女は、どこまでいっても悪女のままだった。
だから、フラン家はこの結果を招いた。
フラン家の次女であるはずの私は、しかし笑いが止まらなかった。
二
先ほど、お父様の首が飛んだ。
次はお母様の番。
「死にたくない」と、お母様が処刑台へ続く階段の前でしゃがみ込んだ。しかし、そんなお母様を大男の一人が上から無理やり引っ張り、もう一人が下から無理やり押した。
かつて栄華を誇ったお母様は見る影もなく、今となってはまるで引っ越し時の大型家具みたいに運ばれようとしていた。
…罪人のくせに往生際が悪い。
いや、罪人だからこそ往生際が悪いのか?
どちらにしても、アレと血が繋がってるというだけで怖気がする。
…私にも、アレと似たところがあるのだろうか?
でも、今の私とお母様の立場は圧倒的だった。
現下、お母様が処刑台に首を押し込められそうになっているのに対し、
私は、処刑の様子が正面からよく見える広場前のホテル屋上、『特等席』から、無様なお母様を見下していた。
それが、今までの行いの差だと思った。
…世に、多くの復讐劇が存在することは理解している。
かつての無垢な私は、それらを一読する時、作品終盤あたりに大体描かれている激情の虚しさばかり気になっていた。
復讐で幸せになれるものはいない。
それは、ほぼ全ての復讐劇がお約束のように伝えている。
私もまた、そうなんだと学んでいた。
間違ったことを学んでいた。
…思うに、復讐の虚しさを知らしめる教訓共は、復讐が達成された時、復讐者が束の間の安息を得ることを完全に無視している。
人格者を語る奴らは、復讐が決して人生の意味と成り得ないことを説きながら、復讐が大したことであると解くのだ。
違う。
復讐とは、人生の意味と成り得ないのだから、大したことではない。
だからこそ、復讐の決行に係り勘案すべき費用対効果とは、チープなのだ。
復讐者は、みじめなのだ。
でも、それでいいのだ。
最終的勝利じゃない、一瞬の快楽のために、私たちは戦うんだ。
…実際、そう信じた私は、そういう下らない快楽のために、無垢だった自分を貶め、手を血みどろに汚した。
テロリストのようだった。短絡で人間の底辺だった。
でも、愚かしさに後悔は無い。
一向に無い
だって、私の内に癒えるべき傷があるのは確かだから。
「…」
そっと指を這わす。
私の身体は、右目元から頬、首、そして右肩まで指でなぞるとザラザラしている。
火傷痕。
お母様に『生意気に、整った顔立ちがイライラする』と唐突に言われ、アルコールを混ぜて煮立てたコップ一杯の熱湯をかけられて出来た、一生消えない傷。
これのせいで、私は多くの楽しみを奪われた。
傷が隠れるような服しか着れなくなった。傷が目立つから化粧が出来なくなった。
もう17歳なのに、傷が気持ち悪いからと、誰からもプロポーズされなかった。
『貴女なんか産みたくて産んだんじゃない』
その回答として、必死に生きてみせた末路がこれか。
…まだ、お母様の顔を見るほどに、吠えを聞くほどに、それら全てが自分に向けられたものじゃないかとパニックに陥る。
でも、深呼吸をして、事実を思い出せば落ち着ける。
事実。
私は今、“フラン家が隠蔽してきた悪事の数々を暴き、民衆の敵を死刑に追い込むキッカケを作り上げた国の功労者”として、第二王子を除いた王家の面々の隣に立っている。
どころか、私は今、第一王子に“彼の大切な人”として肩を抱かれている。
将来の安泰が決まっている。
そう。
事実は、常に私の味方をしてくれている。
…今、お母様の首が処刑台にすっぽりと収まったこと。
これもまた事実。
…お母様、いつの間にか顔を恐怖で歪めてる。
声の一つすら上げられなくなっている。
無理はない。
だって、これから自分の首も仕舞われるであろう、処刑台の前に置かれたバスケットの中には、既にもぎたての大粒リンゴみたいな自分の夫の首が転がっているのだから。
…あぁ、処刑のセッティングに小うるさく口出しして本当に良かった。
目隠しをあえて外させたのは正解だった。
お母様が、かつての私のような表情をするほどに頬が緩む。口角が上がる。微量ながら涎が垂れる。
…私ったらはしたない。
でもまぁ、いいか。
今日は家族の旅立ちの日なんだ。
特別な日なんだ。
最期くらい、“笑顔”で見送ってあげるのが筋だろう。
(肉と骨が立ち切れた音、それに続く、表現しようのない程に湧き上がる人々の歓声)
三
……
…
お母様が嬉しそうにお姉様を抱き締めていた。
『ラディカ~!この似顔絵、私のために描いてくれたの?流石、私の娘!最高の誕生日プレゼントだわ~!』
お母様ったら、涙目になって本当に幸せそうだった。
だから、私もお母様に差し出した。
『お、お母様…?わ、私もお母様の似顔絵を描き…、ました…』
『…え?』
お母様の表情が一気に冷え切った。
『…貴女も私の似顔絵を描いたの?へぇ…』
『…やっぱり、ラディカに比べると下手ね』
それだけ呟いて、お母様は私が描いた似顔絵をビリビリに破いた。
『“出来の悪い子”』
…お姉様と私で何が違うのか、私には分からなかった。
ただ、違いと言えば、お姉様も私も同じくらいお母様を愛していたにも関わらず、
お母様は、お姉様だけを愛していたことだけだった。
…
……
四
だから、お姉様にはお母様の後を追わせてあげようと思った。
それは、お母様へのソレと比べれば軽い、私からの軽い復讐。
お母様と一緒になって私から幸せを啜ったんだから、お母様と一緒に不幸になってね。
ラディカお姉様
ふふ、ふ、ふふふ…
…
……
………
…?
…って、あれ?
私のテンションに反して…、
広場、あんまり盛り上がってないな…。
…皆、お母様の死が嬉し過ぎて、今から死ぬお姉様に目なんかくれちゃいない。
民衆の一人が壇上に上がり、バスケットの中からお母様の髪を、まるでニンジンの葉を握るように掴んで、生首を持ち上げて皆に見せて回っている。
お母様の生首めがけて、靴や帽子が飛ぶ。その光景の背後で、お姉様がトボトボと死へ進んでいる。
あー…。
順番間違えたな、コレ。
私としては、お母様の寄生虫で、同じくらい私を無下にしてくれたお姉様の処刑は、この順がベストだと思ったんだけどな。
でもまぁ、そうか。劣化版お母様みたいな存在のお姉様が、お母様以上の醜態を晒して、嗤い物にされて、民衆を盛り上げるなんて無理か。
私ったら家族の全滅に舞い上がっちゃって、フロアの気持ちを考えられてなかったのかな。
反省。永遠に活かし得ないであろう反省。
だってお母様の命も、お姉様の命も、一度しか奪えないもんね。
ふふふ、ふ
へ…
…
え…?
ちょっと待って。
…“死へ進んでいる”?
やけに静かだと思ったら、お姉様、処刑人に引っ張られることも、背を押されることもなく、“自発的に足を進めている”。
自ら、進んで処刑台に向かっている?
喜んで死に前進している?
何で?お姉様はお母様と同類じゃないの?
何で?何で?
何で…?
「なん…」
「…あ」
…ずっと家族の顔色を窺って生きてきたツケが、ここに来て回った。
清々しい、お姉様の表情。
気づいた時には、もう遅かった。
私は、“この期に及んで”理解してしまった。
理解しなくてよかったものを、もしかしたら、杞憂でしかないかもしれないことを。
でも、私は既に頭にそれをよぎらせてしまった。
目が見開いて、乾き出した。
息が苦しくて、潰れそうになった。
お姉様の行動と、その意図を理解するほどに、私から笑みが消えていった。
「なんで…」
「お姉様は…」
「私のことを、愛していた…?」
いや、違う。
お姉様が私を愛してるはずがない。
ファンド女皇に並ぶ、悪女ラディカ。
お姉様とお母様に、違いがあるはずないのに。
でも、なら、このお姉様は何?
「違わない…?そんな…、でも、なんで…?」
動揺する私に、第一王子が驚き、どうしたんだと宥めようとする。
でも、私の焦りは止まらない。
もしかしたら、今のマツリゴトが間違いだとしたら。
だとしたら、だとしたら…
私は第一王子の腕を振りほどいて叫んだ。
「何で…、何で…、何で…!お姉様…!!いつもみたいに悪女らしくあってよ…!!」
「『死にたくない』とか、私への恨み言とか、“そこ”で喋れる話題はいっぱいあるでしょ…!!?」
「お姉様…、なんとか言って…!言ってよ…!!」
「待ってよ…!何でそんなに従順なの…!?断罪に、死に、私に、どうして抗おうとしないのよ…!!」
「貴女なんて、お母様と同じで、私を傷つけることしか出来ない、私に愛のない人のはずでしょ…!?」
「それなのに、なんで、そんな…、しょぼくれた顔をして処刑台に頭を突っ込んでるの…?」
「なんで…?」
「罪を…、受け入れてるの…?」
違う。
お姉様に限って、そんなわけはない。
思い込みたい。
そうだ。
そうだよ。傷はまだ残ってるんだ。
私と友達になった相手が何されるか分からないからって、本当は仲良くなりたかった人と友達になれなかったのも。
自分の本を持っていたら、「つけあがるな」って、全部取り上げられるから、本当は欲しかった小説の一冊すら、碌に買うことが出来なかったのも。
私の髪。本当は可愛く伸ばしたい、けど未だに肩ほどの長さしかない、この髪だって、可愛く目立ってお姉様の癪に障らないようにしなきゃって、今でも私のトラウマとして心と体に染みついているからで。
…私が“私らしい幸せ”の全てを失い続けてきたのは、お母様とお姉様のせいで。
お姉様は、私の不幸を心の底から嗤った“お母様と同じ人間”で…、だから…。
『レジティ…、ごめん…、ごめんね…。お母様に逆らえない、不甲斐ないお姉ちゃんで本当にごめんね…』
『でも…、忘れないでね…?私はどんなに醜くなろうとも、レジティのことを愛してるからね…?』
…そういや私は、お母様に似顔絵を破かれた時、お姉様がどんな顔をしていたか覚えていない。
「あ…」
「おねえさ…」
つい、手を伸ばした。処刑台の方へ、お姉様の方へ。
何を望んだ手なのかは分からないけど、伸ばしたくて、伸ばした。
…それでも、私のことなんて全く待たずに、お姉様を地獄へと誘う刃が重力に引きずり込まれた。
その時、お姉様は一言、ただ一言、自分への悲哀でも、私への恨み言でも、なんでもなく。
「ごめんなさい」と、焦燥した私の目を見つめて呟いた。
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【人物紹介】
『レジティ・ソロリス・セヴァディオス・フラン』
17歳。身長160cm。体重34kg。
肩より少し下程の長さしかない短髪の銀髪、一本一本が細く、引っ張ると簡単に抜けてしまう。排水が流入した川のように濁った碧の目、猛禽類のように鋭い。
嫌な言葉が聞こえないように折り畳まれた耳。自己主張を閉ざすことに慣れ過ぎた口。長年の家庭内暴力とストレス性の拒食により極度のやせ型。凹凸が少なく、シルエットだけでは男か女か分からない。
少し黄みがかった白肌には決して消えない大きな火傷痕と、いくつもの打撲痕が刻まれている。
ですます口調。焦ると酷く崩れる。
猫が嫌い。犬も子犬は嫌い。何か知らんけどチューリップを見ると無性に腹立つ。くすぐったいのに弱い。
第一王子の“ペニー”と、その婚約者の“ナパレ”は、お母様とお姉様の魔の手を退けられた、生涯唯一の友人。信心深く、勉強熱心。
理想主義者。
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