どうせ全て忘れてしまうから。

furukawa rikka

第1話 AIが禁止されたサイトでAIの話をする。

※これはAI作品が禁止されたci-enというサイトに投稿するために書いた文章です。


坂本龍一さんのライブ配信を見ていた。opusが流れた時、聞いたことはあったが曲名は浮かばなかった。

https://youtu.be/1DziTk-3KtQ?si=ALKKPJxSShnT4ALt


人生を賭けて音楽を作るって何だろうか。

賞賛されたりされなかったり、wikipediaに数行程度の記述で消えていく音楽家の儚い人生も多分にある。いやwikipediaにすら私は生は残らないのだろう。


あれほど降り積もった雪も春には全て溶けて消えるのだ。

それに似ているのかもしれない。


さて本題に入ろう。

AIイラストって何だったのだろうか。

私がAIイラストを始めたのは純粋に新技術への興味関心であり、

自作曲をアップする際にサムネイル画像が必要なため、その生成ができれば便利だなという認識程度であった。


本当は音楽一本で勝負したい。それ以外のことは考えたくない。

でも動画コンテンツが当たり前の時代になった今にとって

wavファイルだけをアップすることは非常に心許ない。

sound cloudのようなサイトはあるにはあるが、大衆向けと言えばyoutubeが筆頭にあがるだろう。


音楽クリエイターの世界構造には多くの謎がある。

コンペという名目で無料で作品を作る作編曲家たち。

そこで歌や生演奏を求められ、ボーカルやギター演奏に謝礼を払う作曲家たち。


いやこれは作編曲家からみた景色だ。他の位置から見たら他の景色が見えるのだろう。


私の瞳に映された景色は降り頻る雪のように白い。

モノクロ映像を見ているようだ。


この世界への熱狂や興味関心は色が与えている側面がある。

もしモノクロの世界だったら、、、たとえばスマホの機能で全てをモノクロにできるが

モノクロにしてしまえばスマホへの興味は幾分か減るだろう。

だから、、、私も同じようになってしまったのかもしれない。


この世界への興味が薄れてしまったのかもしれない。


AIイラストは多くの問題を抱えている。

おそらくAI音楽も同じ道をたどる。


量産可能というのはAI独自の問題点だが

模倣や違法学習はAIだろうが人だろうが起こる。

やはり量産できてしまうことが1番の問題かもしれない。

そしてAIイラストが何から生まれてどんな問題点を孕んでいるかを

生成者が理解していないことが多いという問題もありそうだ。


ネットにアップされたものは永遠に消えないと思っていた。

雪は溶けて消える。秋に散る枯葉は人によって掃除される。

ネットのデータはどうなのだろうか。


友人が昔書いていたblogはいつの間にかネットの海から消えてしまった。

有名なサービスでもある日終わることもある。

私が大好きだったあの人と作っていた音楽をアップしていた

muzieだって。。。もうどこにもない。。。


今、何の思い入れもなく大量生産されたAI作品も

いつかこのデータの海から消えてしまうのかもしれない。


しかし、あれは作品だったのだろうか。

自分の音楽に対するサムネイルとしてちょうどよい画像を生成するために

100枚をAIに生成してもらい最高の1枚を選ぶ。

でもそれでも最高の1枚はできないことが多いんだ。

AIは万能じゃない。私の腕も万能じゃない。


最高のAIイラストを作るということは、大量な作品の中から1枚を選ぶという行為だ。

この作品は選ぶという行為で生み出された。


私が曲を作る時、多くのメロディーを書いては消し、いくつかの候補から絞っていく。

これも選ぶという行為で生み出されている。


そう言った意味ではAIがあろうがなかろうが、

私には選ぶ行為こそ創作活動の本質なんだろうか。


坂本龍一のopusを聴きながら、ふと思った。

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