第9話 忘れなければ、思い出すこともない。

 

「お待たせ」


「ずいぶん時間がかかったのね」


「ははっ…」


 彼は笑っているが、落日の紅さはすでに宵闇の墨色へと移り変わっている。


「それにしてもこの人たちはなに?」


「よくわからない。急に触ってこようとしたり、襲い掛かってこようとしたから少しだけ相手をしてあげただけ」


 傍らには男の大人があちらこちらに倒れている。大体10体くらいだったと思う。


「おおよそ、ずっと一人だったわたしにちょっかいをかけようとしたんだろうけど、ご覧の通り」


 彼は顔をしかめて倒れこんだ男たちを見ている。


 過去に魔力が使えないわたしのため「トシュ・クウケン」という素手の武術を教えてもらったことがある。


 彼はきっとこの事態でしっかりと習得しているか試してわたしをひとりにしたんだ。


「あれおかしい…どういうこと、なんでだ?」


「どうかした?」


「あー、いやなんでもないよ、じゃあ行こうか」


 わたしたちは裏路地から離れ、コロッセオとは反対に街道を歩いていく。


 離れれば離れるほど人の活気は遠のいていき、ついには王城への道を通り抜け、先ほどまでは遠かった山の上に建てられた王城も見上げれるくらいには近づいていた。


「どこに行くの、会場は向こうでしょ?」


「実はいい所をその…まぁいいか。オタク少女に教えてもらったんだ。黒いオブジェがあるらしくて、そろそろ見えると思うんだけど…」


「黒いオブジェ?オタク少女?」


「お!あれかな…」


 最初は家屋に隠れていた黒いオブジェの頂の方向を目指していく。


 そうして近づくにつれ徐々にその全容が明らかになる──なったんだけど。


「…でかいな」


「…大きい」


「オブジェというよりなんかのタワーみたいだ」


「タワー?」


「塔ってこと。ほら最初の噴水にあった時計塔みたいな」


 たしかにこれはオブジェではなく塔、タワーだ。


 しかしさっきの時計塔はせいぜい家屋の二倍程度というものだろう。けれど、それと比べるのであれば、このタワーは時計塔何十個分もある。直線的だが黒色ということもあり、妙な威圧感があり気のせいか線で光っているようにも見える。


「これを…黒いオブジェを見つけたはいいけれど、どうするの?」


「…どうすればいい?」


 わたしは彼に問いかけ、その答えと言わんばかりに彼もわたしに問いかける。


 きっと彼はこの答えを考え付いているのだろう。少し考えればわかることだから。


 彼はあたりを見渡し、タワーを見上げる。


「それにしてもこのあたりには人がいないね。静かだ。気配もないよ」


 その証拠に彼は視線と言葉でわたしにヒントを示してくれる。


「…人がいない?」


 思いついた発想に思わず彼を見つめてしまう。


「どうしたの?」


 人がいないのなら彼に頼んで、でもそんなことをお願いしてもいいのだろうか。そうなったら身体が密着して…


「ちょっとまって、あと少しだけ…」


 やらずに後悔するより、やってからの後悔の方が良いと彼も言っていた。


 なら──


「わたしを、その…持ち上げてうえまで乗せてくれない?」


「え?あー、そうすればいいのか。忘れてた」


 顔を合わせるのが恥ずかしくて俯いてしまった。


「しっかりつかまってね」


 恥ずかしい…顔が熱いのがわかる。きっと赤くなってるんだ。彼が何を言ってるのかもわからない。


 すると腰に何かが這うような感触が伝わり咄嗟に顔上げる。


「じゃあ行くよ」


「え、あ、まって」


 顔上げた時にはすでに遅く、地面に引っ張られるような感覚と感じたことのない加速感と浮遊感。


 わたしはこの時思った。


 人は恐怖を感じると声すら上げられないということに。



 88888888888888888888888888888


 タワーの頂上は四角の形で中心は四角錐、外側に足を出す形にはなるが座ることができた。


「いやー高いね」


「そ、そう。た、たかいのね」


「ほらみてみなよ、あそこにコロッセオが見えるよ」


「……」


 たしかに見える。高いから。ついでに人通りもよく見える。手のひらに収まるくらい小さく見える。でも高い。


「あれ、もしかして高いの苦手?」


「…わからない。でも身体が変な感覚…」


 もっと言えば足元から何かがせりあがってくるような感覚で下を恐ろしくて見ることができない。


 …恐ろしい?


 そうか


「わたし──こわいんだ」


 彼から見捨てられるだけが恐怖だと思った。けど、違った。


 まさかわたしにもこわいものが他にもあったなんて。


「ふふっ…ふうっ…くくっ」


「壊れちゃった…」


 そう思うとなぜだかおかしくて、笑ってしまった。


 こらえようとするけど、笑いが止まらない。自分でも何がおかしいのかわからない。


 それなのに気分はすっきりしている。不思議だった。


 刹那、爆発音。


「あっ──」


 お腹を抱えるようにしていたから見ていなかったけど、それが花火の音だと気づいた時


 わたしは落ちていた


 でも、地面に落ちることはなかった。


「大丈夫?」


 なぜなら彼がわたしの手をつかんでいてくれたから。


 花火の光で、彼の顔が照らされる。


 なにを考えているのかわたしにはわからないけど──


「ごめん」


「次から気をつければいいさ」


 彼から与えてもらった命は大切にしたいと思った。


 ゆっくりと持ち上がるように頂上まで戻り、改めて座る。


「さぁせっかく来たんだ。楽しまないとね」


「うん」


 次々と打ちあがる花火は身体中に鳴り響き、大きいものから小さいものまで、それぞれがいろんな色を持って空に開花していた。


 はじめての花火を見るという経験、はじめて彼の時間をわたしのためだけに使ってくれている状況。


 そのすべてがわたしの人生においてかけがえのないものになると思った。


 打ちあがる花火がクライマックスを終え、名残惜しいが終わりの雰囲気が漂った頃、彼が突然言い出した。


「そういえば名前なんだけど」


 彼から名前という単語が出てきて、一気に心臓が跳ね上がるのを感じた。


「なまえ、名前がどうしたの?」


 はやる気持ちをおさえ、れいせいに尋ねる。


「今度の実戦が終わったら、名前を言おうと思ってるんだ。もちろん君のね」


「ほんとうに!?」


「うおぉ、びっくりした」


 落ち着いてなんていられなかった。


「ご、ごめんなさい」


「ま、まぁ時間をかけすぎちゃったから、そうなるのもしょうがない。というか僕のせいか」


「その、わたし…がんばるから」


 失敗するつもりもなかったけど、これで成功させなくてはならないと強く思った。


 それから花火大会が終わり、帰ろうとした時


「そういえば食事…うーん、なにか食べたいものある?」


 彼が聞いてきたので迷わず答える。


「───オムライスがいい」


 家に帰ってからも彼との満たされた時間を。


 わたしはこの日を決して、忘れることはないと思った。


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