第25話 悪習を正す
(攫われるのはこれで二度目だなぁ……)
ミズキは溜息を吐きたくなった。
木々に覆われた山の中、大小さまざまな沢山の猿に囲まれながらミズキは自分はどうなるのだろうかと冷静に考えていた。
此処で慌てなかったのは一度、経験しているからだ。何を焦っても考えなど思いつくわけもないので落ち着いて様子を見る方がいい。
目の前に立つ猿神は妻になってくれと言う。逃げ場を無くしてから言質を取るつもりのようで、ミズキは首を左右に振って断る。
「嫌です」
「なぜだ!」
「ですから、私は紅緑様の妻でして……」
「所有印は上書きできると言っているだろう!」
そういう問題じゃないのだとミズキは叫びそうになるのを堪える。
猿神は何不自由なく縛ることもせずに愛してやるぞと提案する。ミズキは何度も言うが、今の生活に不満などないのでその必要はないと返す。そもそもだ、そんな紅緑を裏切るような行為はしたくはなかった。
「私は紅緑様の妻でいます」
「何故!」
「あの、話を聞いてますか? 何度も言っているじゃないですか。今の生活にも紅緑様にも不満はないって」
「アイツは平気で人間を放置する妖神ぞ!」
猿神に「今はそんなことしてなくとも、何れはお前も放置される」と言われて、ミズキはそうなる可能性はあるなと思った。
紅緑は貰った人間が逃げ出してもそのまま放置したことがある。自分も飽きられて放置されてしまうかもしれないなと、そんなことを考えたことは一度はある。
思った、思ったけれど首を縦には振らなかった。
「私は紅緑様の妻となったのです。だから、貴方様の妻にはなりません」
可能性というのがないわけではないのだから、その言葉を否定することはしない。けれど、紅緑から大事に扱ってくれているというのは伝わっていた。そう話すミズキに猿神は雄叫びを上げる、その声量に思わず耳を塞いだ。
「あんな奴よりもおれの方がいい! いいはずなのだ!」
猿神は「もう良い、もう良い!」と地面を殴ってミズキの肩を掴んだ。
「無理矢理に抱けばいい」
そうだ、無理矢理でもいいと猿神の目が本気の色をしていた。これは駄目だ、ミズキの全身を恐怖が襲った——瞬間だった。黒い何かが脇をすり抜けて猿神を捕らえると、勢いよく吹き飛ばした。
ぐえっと声を上げて猿神は倒れるもすぐに起き上がる。ミズキが振り返ればそこには紅緑が立っていた。
紅緑は穢らわしいモノを見るような眼を猿神に向けてながら、ミズキに近寄り右腕で抱き上げて――左腕を無数の触手に変えて放った。
猿神はそれらを飛び避ける、側にあった木々は触手によって薙ぎ倒された。
「人間の一人ぐらい良いだろうが!」
「ふざけるのも大概にしなさい」
低く苛立ちを含んだ声音だった。それだけで紅緑が少なからず怒っていることがわかる。
「アナタは本当にろくでなしですね。その悪習をやめなさい」
紅緑の言葉にミズキは首を傾げた。そんな様子に彼は「猿神というのは気に入った娘ならば相手に夫がいようと気にせず攫うのですよ」と説明した。
猿神というのは攫った娘を犯すだけ犯して飽きたら捨てるのだという。興味があるのは最初だけで、楽しむだけ楽しんだらそれで終わりらしい。それを聞いてなんだそれはとミズキは目を丸くさせる、言っている事と全然違うではないかと。
「五月蝿い!」
猿神は声を荒げるも、紅緑は睨み返すだけだ。そんな威嚇など彼には通用しない。
苛立ったように鳴きながら猿神は仲間の猿たちに命令を出そうと周囲を見渡して固まった。猿たちがぴくりとも動かないからだ。何かに縛られたように身動き一つせず、皆の表情は強張っている。
「彼らには黙ってもらうよ」
そう言って木々の影から夜哉が現れる。水神の術によって猿たちの動きは封じられたようだった。
数ならば猿神の優位だったというのに、仲間が動けないのであれば意味はない。それに妖神二人を相手にするのは不利だ。
「おのれぇ……」
二人の妖神と対峙して勝ち目が無いと判断したのか、猿神は悔しげに唇を噛んで鳴いた。
「覚えていろよ!」
叫んだかとおもうと走って行ってしまう。逃げ出したのだ、猿神は。それを見た夜哉が術を解くと猿たちは主人を追いかけるように逃げていく。
紅緑は猿神の行動に眉を寄せていたものの、深追いする気はないようでミズキを下ろして怪我をしていないかと確認した。
「乱暴される前だったので、大丈夫です」
「間に合ってよかったよ。全く……」
安堵の息を吐いて紅緑はミズキの頬を撫でた。
「紅緑様!」
「紅緑様っ!」
そこへ
「我々がいながら申し訳ありません!」
「奥様の身を危険に合わせてしまい、申し訳ありません!」
二人は猿神から守れなかったことを謝罪した。言葉を紡ぎながらも震える肩に気づいたミズキは紅緑を見遣る。彼は目を細めて少し考える素振りをみせてから小さく息を吐いた。
「もう良いですよ」
紅緑の言葉に風空と雷空が一斉に顔を上げる。
「
紅緑は「ただの妖かしのアナタたちではどうやっても逃げられてましたよ」と言う。それは二人の失態を許すという意味を持っていた。
「しかし……」
「よしなさい」
風空が口を開いたのを止めるように夜哉が割って入る、紅緑が許したのだからそれを受け取りなさいと。
「妖神が攫いに来るなど想定できなかったこちらも悪いのだ」
自身の陣地に堂々と挨拶も無しに入って来る妖神など想定はしていなかった。妖神に敵う妖かしなどそういるわけではない。蛟であり妖神に使える二人が迂闊に手を出せなかったことも想像できる。
それらを鑑みて風空と雷空には荷が重すぎたことは明白だ。逃げ足の速い猿神を見失わずに追いかけただけでもよくできたことだった。夜哉はそう話して二人の頭を優しく撫でた。
「紅緑もそれを理解しているからお前たちを許したんだよ。彼がそう言うのだから受け止めなさい」
「……はい」
「承知しました……」
二人は自身の力の至らなさに少なからず落ち込んでいるようだが、夜哉が「大丈夫だよ」と笑みを見せると落ち着きを取り戻したようだ。震えていた方も治っている。
そんな二人を眺めていれば夜哉から声をかけられた。
「ミズキちゃん、すまないね」
そう謝って話をしてくれた。どうやら山荒らしをしていたのは猿神だったようだ、群れを移動させてきていたのだという。彼らは移動を繰り返す妖かしなので、珍しい行動ではないのだが朝顔の方まで来るのは想定していたなかったらしい。
もう少し早く気づいていればと夜哉は申し訳ないと紅緑にも謝罪した。
「ミズキが無事なら良いですよ。猿神もまた移動することでしょうし」
用が済んだら猿神というのはさっさと去ってしまう。一度、逃げた以上は追うことはしないのだ。勝ち目のない戦いをするほど馬鹿ではない。
紅緑の領地まで来ることはないだろう、少しでも入ればその気配で察知することができるからだ。迂闊に足を踏み入れて反撃にあうなど頭の悪いことをする奴ではないのを知っている。
「まぁ、来たら次は仕留めるから大丈夫さ」
「それが怖いんだよ、こっちは」
紅緑の発言に夜哉ははぁと溜息をつく、その始末は誰がするのだと言いたいようだ。けれど何を言っても無駄なのは長い付き合いでよく知っているのでもう何も言わなかった。
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