第五章:猿神の悪習
第23話 朝顔の村
「
囲炉裏端でミズキはそう言って彼の髪の毛に触れる。さらさらと手触りが良く、艶があり傷んでいるようには見えない。地面につくほどに長いというのによく手入れがされていた。櫛で梳くのは大変ではないだろうかとミズキは紅緑の髪をいじりながら思う。
「ワタシは腕が沢山あるようなものだからねぇ」
にゅるりと左腕を無数の液体のような触手に変えて、背後でずっと髪をいじっているミズキを捕まえると自身の膝の上に下ろした。
まだ触っていたかったのだけれどとミズキが不満げに紅緑を見つめれば、彼は笑みを見せながら抱きしめてきた。
「この腕で梳けばあっという間さね」
「確かに両腕とも沢山増えますもね、なるほど」
ミズキが「切りたいと思ったことはないのですか?」と聞いてみれば、「特には」と返された。長くて邪魔だと思ったことはないのでこのままでいいと紅緑は答える。
「流石に地面を擦るほどになったら少し整えるけどねぇ。短い方がいいかい?」
「いえ、このままで! 切るとか勿体無い!」
こんなにも綺麗で手入れがされた髪を切るなど勿体無いと、ミズキが慌てたように言うものだから紅緑は笑ってしまった。
「大丈夫、切らないよ。おまえがこのままでいいと言うならこのままにするさ」
おまえが気に入っているのであればこのままにする。別に困っていないのだから切る必要もないと紅緑はミズキの髪を梳く。
「おまえも綺麗じゃないか」
「紅緑様には負けますよ」
そこまで綺麗じゃないとミズキは首を振ればmそれほど変わらないだろうにと紅緑は不思議そうだった。
今度はぐるりと巻かれた触手をミズキは触っていた。見た目は液体のようだというのに感触はふにふにしている。こんなふうだが力も強く、重い物を軽々持つし、絞め上げることもできる。
「うーん、不思議」
「人間にとっては珍しいのかもしれないねぇ」
「珍しいとか、そんなもの以上ですよ。見たことないですもん、こんなの」
こんな生き物のようなものは見たことがない。そもそも、両腕を触手にする存在など人間の世界にはいないので珍しいという以前の問題だ。
「あの、腕戻さないのですか?」
「巻きついていたい気分だ」
「なんですか、それ」
紅緑の言葉にミズキはくすりと笑う、どんな気分だそれはと。言った通り、彼は腕を元には戻さない。これは暫くこのままかなと思いっているとがたりと音がした。
「あー、仲良いところすまないね」
「
勝手口から土間へと入ってきたのは夜哉だった。紅緑は彼を見るや面倒くさげに表情を変える。
「そんな嫌な顔をするな、紅緑。あ、ミズキちゃんこれお団子ね」
「わー! 有難う御座います!」
目を輝かせながらミズキは手土産を受け取る。それがあまりにも嬉しそうにしているものだから、紅緑は何も言えず。そんな彼女の様子に夜哉は甘味が好きだねと笑い、そうだと手を叩いた。
「ミズキちゃん、朝顔に来てみるかい?」
「はぁ?」
「紅緑、そんな睨まないでくれ」
別に下心があるわけではないのだと夜哉は言う。ずっと閉じこもっているのも暇だろうし、人間の精神にもあまり良くはない。気晴らしに何処かへ散歩など、外に出て気分転換するのも良いのではないか。
朝顔の村ならば花を眺めながら菓子を楽しめるし、余程のことがない限りは安全な場所でもある。
「気晴らしになるだろう? それにお前にも頼みたいことがあるし丁度良い」
「アナタの目的はその頼み事でしょう」
紅緑の突っ込みに夜哉は「そうなんだけどね」と笑って、「両方同時にできるのだからいいだろう」と返した。家に一人でいるのを心配しているのならば共に連れて来ればいいのだ。
「僕の屋敷には
夜哉に「ミズキちゃんも気晴らしに外に出てみたいだろう?」と問われて、ミズキは朝顔の村ならば行ってみたいなと思わなくもなかった。怖くないわけではないけれど、一人で外に出るわけでもない。水神が守護している村ならば、彼の言う通り余程のことがない限りは問題は起こらないはずだ。
一人で家にいるよりも夜哉の屋敷にいる方が安全だろう。何かあっても蛟という妖かしがいるので対応はできるはずだと、思いたい。
ちらりと紅緑を見遣れば、彼はなんとも言えない表情をしていた。一人で待たせるのと蛟二人いる屋敷で共にいるのとどちらが良いのか考えているようだ。
「……仕方ないねぇ」
紅緑は諦めたように息を吐く。どうやらミズキを連れて行くことに決めたようで、夜哉は朝顔の村で待ってるよと笑みを見せた。
「お前がいると早く片付くから助かる」
「対価はちゃんと頂くからね」
紅緑に「タダで働くなど嫌だよ」と言われて、夜哉は「わかっているさ」と返事をした。
***
朝顔では今の時期、特に朝顔の花が咲き乱れる。この時期になると様々な妖かしが花見見物にくるのだという。ミズキは色とりどりの朝顔の花に目を輝かせた。
木々に蔓を巻き、あるいは立てられた棒に巻きつきながら花が咲いている。地面を這うようにひっそりと咲いているものもあった。
その見事な咲きっぷりにミズキはわーっと声を上げる。楽しそうに花を眺める彼女の姿に紅緑は優しげに目を細めていた。
村人以外にも花見客のような妖かしが見受けられて、彼らも朝顔を眺めながら感嘆の声を上げている。
村の名物というのもあるのか、あちこちに甘味何処があった。出店でお土産用のお菓子を売っているところもあれば、座ってゆっくりと花を眺めながらお茶ができるお店もある。そんな村の中を通って行くと石畳が見えて、紅緑にこの先に朝顔池があると教えてくれた。
朝顔池は池を囲むように花々が咲いており、村中以上に色鮮やかな朝顔たちで溢れていた。その奥に水神が住う屋敷があって、池の中心に浮かぶように建てられている。
池の辺で二人を待っていた夜哉がやぁと手を振った。
「よくきたね」
「すごいですね!」
「あぁ、綺麗に咲いているだろう? 年中咲いているけれど、この時期は特に色鮮やかに咲くんだよ」
「そうなんですね、とても綺麗です!」
ミズキが嬉しそうに答えれば、そんな彼女の笑みに夜哉は頬を綻ばせる。そして、つんとした鋭い視線を感じた。
「紅緑。そう睨まないでくれ」
紅緑の痛い眼差しに気づいた夜哉は苦笑しながら「何もしないさ」と言う、誰も友人の妻を奪ったりなどしないと。そこまで落ちてはいないのだ。
「それは分かっているさ。アナタはそこを弁えているからねぇ」
「なら、その眼をやめてくれないか?」
「どうも、ミズキのことになるとこうなるもので」
難しいねぇと紅緑は目を細める。そんな彼にお前は本当に嫉妬深いなと夜哉は呆れたように片笑んだ。
紅緑に呆れつつも夜哉は二人を屋敷へと案内する道すがら彼を呼んだ理由を話した。朝顔の村を囲む山があるのだが、ここ最近になって荒らされているのだという。
山を不要に荒らし、動物たちを追いやったり、木の実など山の幸を食い荒らす者がいるのだと。夜哉だけでは探すのに苦労するらしい。領地はあれど守護する村もなく余裕がある紅緑に手伝ってくれという頼みだった。
「僕だけでも探してみたけれど、ちょこまかと逃げているようでね」
「アナタは探索には不向きだからでしょうに」
「まぁ、僕は探すのが苦手だからなぁ」
殺気は感じれるけれど探すということに関しては不得意だ。魑魅魍魎のように気配を辿りやすいものならばいいが、そうでないものに対しては夜哉は苦手だった。それを理解しているので紅緑は協力することにしたようで、仕方ないと頷く。
「ミズキちゃんは屋敷でゆっくりしていってくれ。客間からの景色は良い眺めだよ。甘味も用意しているから」
「わかりました!」
甘味と聞いてミズキは目を輝かせる。それだけで好きなものであることがわかるので、夜哉は本当にわかりやすいなぁと笑った。
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