第21話 売られた人の娘の行方
右を見れば化け猫が呼び、左を見れば天狗が駆ける。何処を見ても妖かしが歩いてその多さに目が回る。商業街は食事処から甘味処、反物屋に米屋と店々が並び建ち、呼び込みの声で賑わいをみせていた。
ミズキは目に映るそれらにほわーっと声を溢す。見るモノ見るモノが人間ではない生き物たちで、人間の世界ではこの光景はお目にかかれない。きょろきょろと周囲を興味深げに見ていれば
「離れないようにね」
「は、はい!」
紅緑の手を握り、ミズキはくっつく。二人の側を杏子と凰牙が腕を組んで歩いていた。今日も賑やかねと彼女は落ち着いた様子だ。もうすでに何度か訪れているから余裕がある。冬士郎はそんな夫婦を何とも言い難い表情で眺めていた。
「あらぁ。紅緑じゃなぁい」
商人の店まで紅緑が案内していると声をかけられた。
綺麗に結い上げた艶のある煤竹色の髪を簪で彩った花魁衣装の女が妖艶な笑みをみせてやってくる。肩を見せ、胸元が見せそうなのも気にも止めずに紅緑の腕に抱きついた。
「最近、つれないじゃなぁい」
囁くように甘い息を吐く。ミズキが誰だろうかと眺めていれば、杏子が小声で
この辺りでは有名な妖かしのようだ。麻焼の裏通りにある遊郭を仕切っているらしく、男を取っ替え引っ替えしているとかいないとか。ほえーっと驚きながら絡新婦を見ると彼女と目が合った。冷たい冷たい眼差しに思わず、紅緑の背に隠れてしまう。
「やめてくれるかい、
低い声で言いながら紅緑は花菊と呼んだ絡新婦の腕を振り解いた。触れられたことが嫌なのか眉間に皺を寄せている。隠れるミズキを自身の背にさらに隠せば彼女はへぇと小さく呟く。
「噂で聞いていたけど、本当に人間を妻にしたのねぇ」
「別にアナタには関係ないだろう」
「いやよ、気になるわ。人間なんて大して興味なかったじゃあないのよ」
絡新婦は「あんたが気に入った子を知りたいわぁ」と目を細める。ミズキはその鋭い視線をひしひしと感じていた。
「いい加減にしてくれるかい」
低いそれは低い声音だった、威嚇をするようになそんな声。圧のあるそれに花菊は引き、少し寂しげに目を伏せて「わかったわよ」と吐き捨てるように駆けていく。
ミズキの横を通り過ぎた瞬間だった、彼女の殺気立った眼に睨まれた。ぞわりと悪寒が走りミズキは紅緑に抱きつく。
「すまないね、ミズキ」
「い、いえ……」
「あーー、噂には聞いてたけど性格悪いわぁ、あの女!」
杏子ははーっと息を吐いて嫌だ嫌だと呟く。口を出すのは悪いと思い、黙っていたが何か言ってやればよかったと。
「嫉妬なんて醜いわぁ」
「あれはなー」
「紅緑、さっさと縁切れ」
「腐れ縁を切るのは至難の業なんだよ、冬士郎。あぁ、嫌だねぇ。ミズキ、あれは気にしなくていいからね?」
紅緑は優しくミズキの頭を撫でる。彼に続くようにあんな女を気にする必要はないと杏子も言った。
睨まれはしたけれど、特に何かをされたわけでもないのでミズキは少し怖かったなと思ったぐらいだった。二人が気にしないでいいというのでそれもそうかと頷く。
そうして商業街を歩くと怪しげな店が一つ見えてきた。薄汚れた看板には見世物屋と記されている。古びた引き戸を開ければ、雑多に荷物が置かれているのが目に入った。
動物の剥製や壷、着物に掛け軸など様々な商品らしい物で埋め尽くされている。少し埃くさい室内の奥には老顔の男らしき河童ががざがざと荷物を仕分けていた。
「店主」
「うん? おやおやおや! 紅緑様ではないですか!」
河童の店主は紅緑の顔を見るや否や目の色を変えて、へこへこと頭を下げながら「どうかしましたか」と近寄ってくる。側にいたミズキたちに気づくと「おや?」と首を傾げた。
「こないな大人数でどうなさいましたか?」
「この前の人間、まだいるかい?」
「人間? あぁ、あの人間ですかな。いますよ、います。なかなか売れなくて……」
困ったように眉を下げながら店主は言う。
久々の人間だからと少し高めに値を出したけれど、見にくる妖かしはおれど買っていく者はいなかった。綺麗に整えてやったがやはり美人とも可愛らしいとも違う普通の娘というのはなかなか売れぬと。
「もう少し、美人か可愛らしければ良かったのですがなぁ」
「まだいるなら丁度いい。この鬼がその娘に興味あるらしいのさ。ちょっと見せてくれないかい?」
「えぇ、構いませんよ。少々お待ちくだされ」
店主は店の奥の引き戸を開けて引っ込むも、それほど時間もかからずに彼は一人の娘を連れて戻ってきた。
長い藍髪を束ねた雀色の三白眼の娘は怯えたように紅緑たちを見ていた。商品であるためか白くしっかりとした着物を着ており身綺麗にされている。身体を震わせて恐怖で立てなくなったように娘はしゃがみこんだので杏子が慌てて声をかける。
「うちらはあんたさんと同じ人間よ!」
安心させるように微笑めば、驚いたように目を見開かれた。杏子とミズキを交互に見遣りながら困惑している。
「こっちいる赤鬼がうちの旦那なの。うちらは妖かしに嫁いだんよ」
「と、嫁ぐ?」
やっと口を開いた娘の声はか細い。杏子は簡単にこの世界のことを説明した、此処は人間の住まう世界とは違う世界であることを。所有印がない人間が出歩くと危険であることを分かりやすく簡潔に。
優しく話す杏子の言葉に娘は落ち着きを取り戻したのか、なるほどと頷いている。これならば会話ができるかもしれないとミズキは話しかけた。
「名前は?」
「こ、小雪……」
「貴女、いくつなん?」
「えっと、十八……」
「あら、うちらより年下やね。どうしてここに?」
「その……領主様のところで、ずっと働いてて……」
両親を若くに亡くした小雪は地元の領主の元で小間使いとして働いていた。目立つことなく細々と生活していたのだが、主人の元に土蜘蛛がやってきたのだという。
娘を差し出さねば喰らうぞとそう脅されて主人は贄を出さなければならなくなった。自分の子供を差し出すのが嫌だった彼は身寄りもなく、娘と同じ歳だった小雪を身代わりにしたのだという。
拒否権などない小雪はそのまま土蜘蛛に攫われてこの世界へとやってきた。このまま食べられてしまうのが一番なのはわかっていたけれど、死への恐怖で逃げ出してしまったのだ。
「領主様に、恩はある。でも、し、死にたくなくて……」
今頃、どうなってしまったのか。それを考えるたびに小雪は自身のしたことが恐ろしくなっていた。
「あぁ、土蜘蛛なら暫くは人間の世にはいけないだろうねぇ」
小雪の話を聞いて紅緑は話す。一度、人間の世界へと行き、戻ってきた妖かしというのは力を消費している。あまり力が無い者が戻ってきた場合、次にまた行くには回復する時間が必要になる。
土蜘蛛は図体は大きいが力が豊富というわけではないので暫くは人間の世界には行けないだろうと。
「それに、おまえを身代わりにした人間など気にしなくてもいいだろう。身内可愛さに他人を売る人間など」
「で、でも……」
「おまえは生き残った、生きることを選択してしまった。ならば、生きねばならない。今更、土蜘蛛の贄になったって遅いよ」
土蜘蛛の贄になったとて、それで満足するかは相手次第だ。生き残ってしまったのならば、もう開き直って生きるほうがいい。贄を求める妖かしというのは何度でもそういうことをするのだから。
紅緑の言葉に小雪は黙る。そうかもしれないと理解はしたけれど、眉を下げながらまだ悩んではいるようだ。
「生きてしまったのやから仕方あらへんよ。ほら、冬士郎さん。小雪どう?」
「うーん」
杏子は小雪の肩を掴んで冬士郎に問う。彼は話を聞きながら何やら唸って考えている様子だ。
上から下へとじっくり見られ、頬に触れられて突然のことに小雪はは思わずぎゅっと目を瞑った。顔をまじまじと観察して冬士郎は手を離した。
恐る恐る瞼を上げれば、悩ましげに見つめる瞳と目が合う。
「顔はなぁ、悪くはない」
「性格だって悪くはないわよ、きっと。誰だって死にたくなくて逃げることもあるわ。大人しい子だし」
「まぁ、騒がしい娘じゃないのは良いが……。人間……」
人間というのをまだ気にしているようだ。そんな冬士郎の耳を杏子は掴んで「自分好みに育てればいいのよ」と囁く。
「人間なら貴方の好みに育てやすかろ? 妖かしと違って力はないんやし」
その誘惑にぐらりと冬士郎の心は揺れたようだ。自分の好みに育てるというのは確かに魅力的ではある。
うむむと悩む彼に杏子はちらりと小雪を見た、その瞳は小雪にもと訴えるようで。ミズキはあと一押しを彼女にさせたいのだなと察する。
「あの、小雪さん。冬士郎さんのところに行くのが一番だと思いますよ?」
「それは、どういう……」
「冬士郎さんの嫁候補として買われれば、此処に居なくてすむかと」
このまま此処にいて、売れずに店主が値を下げて叩き売られるかもしれない。買う妖かしにもよるけれど殆どが喰われるか、奴隷として酷い目にあうかだと言われている。
冬士郎の嫁候補なら生きていられる上に、妻にならずとも小間使いとして雇ってもらえる。酷い目にあうということは避けられるだろう。
「このままどうなるか不安なままよりかはいいかなぁって……」
不安要素が無いわけではないけれど、少なくとも此処にいるよりかは良いのではないかと思わなくもない。ミズキの言葉に小雪は確かにそうかもしれないと思ったようだ。意を決したように少し震える声で冬士郎に声をかけた。
「なんだ、娘」
「あ、あたし、妻になれるかは分かりません。で、でも小間使いの経験はあるので、働くことはできます。その、ど、どうでしょうか……」
頑張りますのでとか細くけれどはっきりと頼む小雪は不安と恐怖からなのか、瞳が潤んでいた。そんな涙に濡れる三白眼に冬士郎はうっと声を詰まらせる。
今だと杏子はほらほらと小突きながらやりがいあるわよと追い討ちをかけた。
「わかった。だが、まだ妻にするわけじゃないぞ! 見定めるだけだ!」
「あ、本気で買うのか、お前」
「凰牙?」
怖がらせないために黙っていた凰牙の小さな呟きに杏子がぎろりと睨む。その眼光にぴたりとまた口を閉ざしてしまった。
彼女の言葉が決め手になったようで、見定めるだけだと言いながら冬士郎は買うことを決断した。
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