第17話 怒れば誰だって怖いと感じるものだ
ぱちぱちと炭の火が鳴る。暖かい空気を感じながら、ぼんやりとそれを眺めてはーっとミズキは息を吐いた。ゆっくりと自分を膝に乗せて抱きしめている
老師に攫われた事件から三日ほど経った。恐怖はまだあるものの、気持ちというのはだいぶ落ち着いてきていたミズキなのだが、紅緑の様子が少しだけおかしい。
離れず抱きしめてくるのは変わらないが口数か減った。ただ、ミズキの首根に顔を埋めているのが食事の支度をするまで続く。話しかければ答えてはくれるけれど、彼からは少ない。いや、声をかけようとして何かを考えてやめるというのが多々見受けられた。
どうしたのだろうかとミズキは心配だった。体調が悪いのだろうか、何かあったのだろうかと不安になる。
「あの、紅緑様?」
流石に堪えきれなくなったミズキは紅緑に声をかける。彼は「なんだい」と返事をするだけで顔を上げようとはしない。
「どうかしたのですか?」
「どうって?」
「その、あまり話してくださらないので……」
気になっていたことを問えば、紅緑は少し抱きしめる力を強めた。
暫くの間、黙っていた紅緑だったがミズキに「どうしましたか」ともう一度、言われてやっと口を開いた。
「ミズキを怖がらせてしまった」
か細く、後悔混じりに吐かれた言葉にミズキは目を瞬かせる。
怒り。久方ぶりにしてやられたことへの、過保護にしてきたミズキに手を出されたことへの怒りが支配した。我慢などできようもなかった。
殺意。老師への怒りがそれへと変わり、もう何も見えてはいなかった。ただ、そうただ生かしてはおけないと殺さねばと。邪魔するモノは排除する。だから、大百足を殺したが、鬼人は殺しはせずとも傷を負わせた。
老師も殺すつもりだった。生かしておくほど、この怒りと殺意は軽くない。放置してまた何か企まないように。
「でも、おまえを泣かせてしまった」
ミズキの泣く姿に冷静さを取り戻した。今の光景を人の娘が見たのならどう思うだろうかと。
恐怖。何も知らずに攫われたことに、目の前に現れた大百足に、喰われようとしていたことに。そして、紅緑の姿に。
泣かぬのが無理な話だった。頭で整理され、恐怖を受け入れたなら涙が自然と溢れる姿など見たくはなかった。
涙を流し、恐怖する姿など見たくはない。そんなふうに追い詰めたのは誰だろうか、そう考えて自分だと気づいた。
「ワタシが怖かっただろう」
恐いモノの側には居たくないだろう、そうは理解していても手放したくない。けれど、怖がらせたくはない。
紅緑の話にミズキはやっと彼の行動に納得した。彼は怖い対象だと認識されていると思っているのだ。
怖がらせたくはない、でも側から離したくない、手放すなどできようもない。抱きしめることをやめれず、けれど怖がってしまってはと考えて声をかけることができなかった。
「えっとですね、紅緑様」
ミズキはくるりと身体を回して紅緑と向かい合うようにする。今まで首根に顔を埋めていた彼の赤い瞳と目を合わせた。不安と驚きで揺れている瞳にこんな眼もするのだなとミズキは思う。
「私、紅緑様は怖くないですよ」
ミズキの言葉に紅緑は目を丸くさせた。
確かに怒った姿に怖いと思ったのは事実だ。けれど、誰だって怒れば怖いなと思うことはある。母だって父だって怒った姿に恐怖したことは多い。
ミズキは普段の紅緑を知っている。大事に過保護にしている、抱きしめて離れない彼を。何不自由なく生活できるようにしてくれて、そうやって優しくしてくれるのを見て感じてきた。怒った姿が本性というのならそれまでなのだが、そんなふうには思えかった。
「今だってこうして私のことを考えてくださっている。そんな方を怖いとは思いません」
「けれど……」
「そりゃあ、あの時は怖かったですけど。でも、私は普段の紅緑様を知っています。だから大丈夫です。その、それに……」
ミズキは照れたようにけれど真っ直ぐと瞳を向けたまま言う。
「私は紅緑様ともっとお話がしたいです」
はにかむその愛らしさに紅緑は嗚呼を溢し、片手で顔を覆うと天を見上げた。そうして少し、やっと顔をミズキに向けて覆っていた手で彼女の頭を撫でる。
「それは反則だねぇ」
「何がですか?」
「気にしなくていいよ。あぁ、ミズキ。おまえはワタシを怖くないと言うのだね?」
「はい。だって今はいつもの紅緑様じゃないですか」
「そうか、そうだねぇ。ワタシもおまえともっと話したい。話してくれるかい?」
「もちろん!」
にこっと花が咲いたように笑むミズキに紅緑はまた小さく声を溢して抱きしめた。
ぎゅっと抱きしめて、顔を上げて額に口付けを落とす。紅緑はいつものようにして、ぐりっと頭を擦り付けた。ミズキが撫でてあげると彼は嬉しそうに頬を緩ませる。
「あー、仲良くしているところ悪いけど、今いいかい?」
勝手知ったるといったふうに土間から顔を覗かせながら
「そう言うな、紅緑。やっと片付いた報告をしにきたんだ」
「全部丸投げしていたね、そういえば」
夜哉は「そうだよ、お前はミズキちゃんにべったりだったからね!」とそこを強調させながら文句を垂れる。実際、そうだったので紅緑は何も言い返せない。仕方なく、そう仕方なくといったふうに顔を上げた。
「鬼人の集落はこっちで管理することにした。もう悪さはしない」
「あれはどうした」
「老師かい? お前の目に入ると何するか分からないから、天狗経由で遠くにやったよ」
紅緑の行動範囲内に老師がいれば、何をするかわからない。かといって放置もできないので天狗に頼み、彼らの監視区のここから遠い場所へと島流しにした。
「天狗の監視もあるから大丈夫だろう」
「あれらは規則に厳しいからねぇ」
「それで、その様子だと仲は大丈夫そうかな?」
夜哉が「お前気にしていたけれど」と揶揄うように聞く。その態度に眉を寄せながら紅緑は「今しがた解決しました」と不機嫌そうに答えた。
「そうか、惜しかったなぁ」
「夜哉」
「いや、ミズキちゃんならうちで預かっても……。あぁ、その殺意やめてくれ、冗談だって冗談! 奪ったりしないさ!」
眼光鋭い視線に夜哉は慌てて言うが紅緑はそれでもやめる気はない。
なんと嫉妬深いことか。少し揶揄っただけでこれだからと夜哉は呆れたように息を吐く。これ以上やれば怪我では済まないだろうことは夜哉もわかっているふうだ。
「お前を揶揄うのは死と隣り合わせになるから嫌だな」
「やらなければいいことじゃないか」
「こういうのってやりたくなるものなんだよ。まぁいいさ。末永く仲良くしていてくれ。伝えることは伝えたからね」
じゃあと笑って手を振りながら夜哉は帰っていってしまった。用件だけ伝えにきただけのようだ、あるいは紅緑の機嫌をこれ以上悪くさせないためかもしれない。
全くと呟き、紅緑はミズキを見遣ってからまた頭を擦り付けた。もっと撫でてくれといっているようだ。
「紅緑様、頭撫でられるの好きですよね」
撫でながらぽつりと疑問に思ったことを口にする。
「ミズキに撫でられるのは嬉しいからねぇ」
甘えたいのさと紅緑が言うのでこれは彼なりの甘え方のようだ。少し子供のようで可愛らしいなとミズキはくすりと笑って、満足するまでやってあげようと優しく頭を撫で続けた。
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