第7話 同じ妖かしの妻になったのだから友達になりましょう
手を引かれるがままに杏子に着いていくと彼女の私室へと通された。「そう固くならずにゆっくりして」とミズキは座らされる。
杏子の私室はそれほど広くはなくて、化粧台に箪笥があるぐらいで質素なものだった。ミズキの目の前に座ると彼女は「何から話そうか」と楽しそうだ。余程、人間と話せるのが嬉しいのだろう。
「杏子ちゃんはどうやって此処に来たんですか?」
「うちかい? 凰牙に連れてこられたんよ」
杏子は経緯を話してくれた。
杏子の育った村には鬼が祀られている社があった。そこは子供の遊び場には丁度良い広さがあったので、幼い頃からそこで遊んでいたのだという。
成長するとあまり手入れのされていない社が気になり掃除をするようになった。何のためにと村人に言われたことはある。目的というものはなくてただ気になったというのと、汚いよりは綺麗な方がいいだろうという自己満足だった。
そうやって毎日のように掃除をし、お供物をあげてから数年。杏子も二十歳となったあくる日、もともと良いところの家の娘だった彼女には複数の縁談が来ていた。
縁談が来るのはわかっていた、この歳なのだからと。けれど、どの人がいいのか分からず社の前で悩んでいた時だ。突風が吹き抜けて、どんと空気が重くなる。何だと杏子は社の方を振り返って目を見開いた。
身体が大きく筋肉隆々の厳つい顔の男が立っていた。燃えるような赤く短い髪を跳ねさせ、金の瞳は真っ直ぐに杏子を射抜いている。
男の頭には鬼の角が生えており、すぐに人間ではないと気づいた。恐怖と驚きで声も出ず、体も動かない。
のっしのっしと男は近づいてきたかと思うと腕を掴んだ。喰われてしまうのか、そんな恐怖に固まっていると男は身体を屈ませて言った。
『俺の妻になってくれ!』
一瞬、何が起こったのか分からなかった。妻という言葉が頭に響く。困惑しながら、「妻とは」と問えば、鬼は「そのままの意味だ!」と強く返された。
妻、妻か。そこで鬼に求婚されているのだと理解した。杏子は鬼に言い寄られることなどした覚えはない。たまたま見かけて惚れられたのかとも思ったが、そうではないらしい。
鬼は凰牙と名乗り、自身は妖かしの世界で社を通じて人間を観察していたと話した。
凰牙は妻にするならば、感情豊かな人間が良いと探していた。この社の前は子供の遊び場になっているから見定めるには丁度良かったのだ。
そうやってくる日もくる日も幼子を見ていた時だ、杏子を見つけたのは。子供にしては表情が少ないと感じた。そこでよく見ていると時たまに笑みを見せることに気づき、その愛らしい笑顔に惹かれた。
成長していくのを見ていれば、今度は誰に言われるでもなく社を掃除し始める。やらなくてもいいと村人に言われても、「汚いより綺麗な方がいいわ」と言って聞かなかった。そんな優しさにさらに心は動かされた。
『お前のような娘を妻にしたい。どうか、どうか嫁に来てくれないか』
鬼の求婚に杏子はどうしたものかと考える。社から見ていたということは此処に祀られている鬼というのはこの男のことなのだろう。断った後のことを想像して少し怖かった、何かされるのではないかとそう思ったのだ。
縁談話もあるというのに鬼の求婚まで来てはと頭を悩ませた。どちらにすればいいのだ、鬼は諦めてくれそうにはない。
縁談はと考えて気づく。どれもこれも父親にしか得をしない話ばかりだったなと。一族を栄えさせるため、父が徳をするためだけ。母はお前のためだと言うけれど、そうとは思わなかった。
結婚したとしても形だけの愛も何もない夫婦になるのは目に見えていた。では、この鬼はどうだろうか。杏子は「貴方はうちを愛してくれるのかい?」と問う。すると凰牙は「当然だろう」と答えた。迷いない瞳を向けながら言ったのだ。
鬼の言うことなどと思ったけれど、どっちにいってもさして変わらないと思った。
ならばと杏子は条件をつけた。
『うちを一番とし、生涯愛し続け大切にし、縛りつけないと約束できるのであれば、貴方の側で生きてもいいわ』
凰牙はその条件を受け入れ、杏子は鬼の妻となった。
「それでそのまま連れ去られたわけ」
「え! じゃあ、ご両親には……」
「別れなんて告げてないわ。申し訳ないとは思っているけれど、鬼の嫁になるだなんて言ったら騒ぎになるでしょう? だからこっそりとね」
杏子は「後悔はないわ」と笑う。
ミズキの「戸惑いませんでしたか」という問いに杏子は「特に」と返した。人の世と違う世界であるのは鬼が住まうというだけで理解できたし、人間が一人歩きするのは危険であるというのも想像できた。
凰牙に言われたことを守っって入れば、小間使いが全てをしてくれるので困ることはないし、頼めば外にも連れて行ってくれるので息苦しいとも感じない。
「三月も経てば慣れるわよ」
「な、なるほど……。でも、よく決断できましたね」
「だって、愛されたいじゃない」
愛してくれる存在と一緒にいる方が幸せでしょうと。彼が愛してくれるのであれば、うちも愛そう。彼女の言葉は優しく愛しげだった。
きっと言葉の通り、凰牙に愛されて、愛しているのだろうと伝わってくる。
「うちのことはこれでわかった? なら、ミズキちゃんのも聞かせてぇな」
「え! えーっと……」
わくわくしたふうに目を輝かせて聞いてくる彼女からミズキは目を逸らす。自分の経緯との差に少し言いづらかった。それでも、そんな瞳を向けられるものだがら話すしかなかった。
ミズキの話をふむふむと聞いていた杏子は「それは可哀想やな」と呟いた。花嫁など聞こえは良いが生贄と変わらないと。
「よく決断できたわねぇ。ミズキちゃんすごいわ」
そう言われてミズキが「あれしか選択がなかったですし」と返せば、「それでもすごいわよ」と杏子は言った。生贄となると、妻になると決断できたのだからそれはすごいことだと。
妻になった感覚というのはまだない。紅緑のことをよく知らないというのもあった。ミズキは杏子に「彼のこと知ってますか」と聞いてみる。すると、彼女は「少し怖くて不思議な方かしら」と答えた。
紅緑とは何度か顔を合わせている。凰牙の知り合いということもあり、話すときはそれほど恐怖というのは感じない。何を考えているのか分からないなぐらいだ。
彼が苛立っていた時に会ったことがある。凰牙が落ち着かせていたが、考えが読めない眼が揺らめいているのを見て寒気がした。紅緑は怒らせてはいけない、そう言っていた小間使いの鬼の言葉の通りかもしれないと。
「貰ってきた人間が逃げても放置するって聞いてたから冷たいお方なのかなって。あと、あの瞳を見てちょっと怖いと思ったわ。でも、何考えてるか分からないし、凰牙の無理矢理な誘いにも面倒そうにしながらも相手してくれるから不思議なのよねぇ」
「なるほど……」
「まぁ、まだ数日でしょう? 少しずつ彼のことを知っていったらどうかしら?」
時間は逃げないし、焦る必要もないと言われてそれもそうかとミズキは頷く、何を慌てる必要もないのだ。
「でも、妖かしの妻って不安になることもあるわよね。そういう時は遠慮なく話においでよ」
同じ人間なんだもの、仲良くしていこうと杏子は優しく微笑みながらミズキの手を取った。
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