ずっと学校で暮らしてる
華川とうふ
プロローグ
如何にして私は行方真宵の親友になりにしか
初めて彼女を見たとき、彼女は間違いなく選ばれた側の人間だと思った。
大きな瞳に白い肌、さらさらとした髪には天使の輪が光っていた。
あれだけの美少女ならば、たとえどんなに性格が悪くても人気者になる。
それくらい彼女の美しさは特別なものだった。
美少女なんて言葉では言い表しきれない、人を惹きつける魅力があった。
私はそんな彼女をみて落胆した。
ああ、これじゃ序列が変わらないなって。
新しい人間が来れば、もしかしたら私の日常は変わるかもしれない。
そう期待していたのに。
自分より下の人間ができれば、この毎日感じている疎外感から逃れられると思っていた。
だけれど、真宵は間違いなく、序列の上位に食い込むだろう。
私のこの教室での序列は最下位であることには変わらない。
むしろ、彼女一人分、私の上に立つ人間が増えたと考えてもいいかもしれない。
教室の底辺で這いずっていた私は、もしかしたら行方真宵の言動によっては、這いつくばるどころかつぶれてしまうかもしれない。
真宵の星の輝く真っ黒な瞳が一瞬こちらを捕らえたとき、そんなことに気づいて身が竦んだ。
私はこの町が嫌いだ。
生まれ育ったにも関らず。
私はいつもどこかよそ者の気分だった。
因習村なんてネットミームを聞いたときは、まさにこの教室、いやこの町のことだと思った。
閉ざされていて息苦しくて、しきたりに縛られている。
別に怪しげな祠があるとか、変なものを祀っているとか、外れの湖に生贄を捧げているなんてことはない。
だけれど、どうしようもなく息苦しい。
子供のころからそんな風に感じていた。
だから、小さなころは転校生が来る度に私は彼女たちと仲良くするようにした。
この町に染まっていない空気。
外の世界に触れることができるような気がしたから。
町の人間以外と話しているときは息ができるような気がしたのだ。
だけれど、どんなに仲良くなっても転校してきた子たちはたいていこの町をでていく。
別になにかあったわけではない。
親の仕事などで連れてこられたのなら、その仕事が終わればまた別な場所に引っ越していくだけ。ただ、それだけ。
最初は手紙のやりとりなんかもするけれど、転校先で友達ができれば徐々にその返信は減っていく。
どんなに仲良くなったつもりでも、私はあの子たちにとっては仮初の友達でしかないのだ。
この息苦しい、排他的な町で近寄ってくる一時しのぎの友達。
孤立しないようにするための、ただそれだけの関係。
でも、そんな友達でさえ、私には必要だった。
だって、息苦しくて死にそうだったから。
行方真宵はそんな私の友達にはなりそうにないな。
一目、彼女をみて判断した。
あまりにも美しい彼女はこの田舎町で特別な存在になることが分かったから。
場合によってはこの教室の頂点に君臨するかもしれない。
それくらい特別な美しさを彼女はもっていたのだ。
案の定、彼女のための親睦会はすぐに企画された。
普通なら、せいぜい放課後に希望者を募って学校の帰りに近くのミスタードーナツでお茶をするくらいだけれど、行方真宵は特別だった。
あまりにも彼女と親睦を深めたい人が多すぎて、いつもの通りではキャパが足りなかったのだ。
行方真宵の親睦会は彼女が転校してきて初めての土曜日に開かれることになった。
いつものミスドではなく、ちょっと気取ったパスタ屋で。
学校からは少し離れるけれど、『一週間ビル』というよくPTAとかそういうので集まりのあとに母親たちがランチとかで使うちょっとした商業施設があつまったビルの中のイタリアン。
正確には、『ニューポートテラス一週間』なんて無駄に気取った名前がついているらしい。
予約したイタリアンの店はクラスメイトの誰かの親戚がやっているらしい。おかげで、学生価格にしてくれる上に少々さわいでもいいように、ランチタイムが過ぎたころに貸し切りにしてくれるということだった。
もちろん、私は参加などしたくないけれど、私のところにその話が来たときはクラスの全員が参加したいと思っている前提で話が決定されたあとだった。
ごちゃごちゃ言われるのもめんどうなので、私は曖昧な表情で頷くとクラスの中心的女子たちは会費を伝えて満足そうに去っていった。
「めんどくさいな」
帰り道、一人になったときに思わずため息のように言葉が漏れた。
誰も聞いていないはずだけど、私は自分の声に驚きあたりを見回した。
どうせ、みんなで行方真宵をちやほやするだけの会。
あとはいつも通りくだらない話とか噂話に花を咲かせる。
親たちと同じ。
そんなことを繰り返して、大人になり、年を取って死んでいく。
そんな何も作り出さないで繰り返すなんて、それこそ、まるで呪いのようだ。
行方真宵が人気者になるための土曜日。
私はうんざりしながら、身だしなみを整えて『一週間ビル』に向かった。
ユニクロで買ったボトムスに東京に遊びに行ったときに古着屋で買ったブラウス。
東京で買ったなんていうと、気取っているといわれそうなので、親戚からのおさがりということにしている。
一見、シンプルだけれど、来てみると体にフィットして着心地が良くシルエットも美しい。白い糸でこっそりと服のブランドが刺繍されている。刺繍の部分を触ると艶々とした糸のコシが指先に伝わって嬉しくなる。
シンプルだけど洗練した装い。
たぶん、クラスメイトたちは誰もそれに気づかないけれど、それでいい。
自分がこの装いをすることによって強くなれる気がする。
それだけでも装うことに意味があるのだから。
でも、心のどこかで思っていた。
この私の服装をみて行方真宵が私のことを感心して、気に入ってくれるかもしれないと。
自分のそんな心に気づくと苦虫をかみつぶしたように顔をしかめた。
そうでもしないと、自分が周りの人間と同じで、さらに浅はかだということに気づいてしまうから。
顔をゆがませたのはせめてもの抵抗だった。
だけれどその日、行方真宵に私の服がほめられることはなかった。
行方真宵は来なかったのだ。
多くのクラスメイトたちが期待に輝かせ彼女を待っていたのにも関わらず。
何の連絡もなく、彼女は『一週間ビル』に現れなかった。
「おはよう」
翌週の月曜日、彼女が教室に入ってきて挨拶をした瞬間、教室の空気は凍った。
そして、沈黙。
先週まで、行方真宵をとりまいていた歓迎ムードは一変した。
クラス全員が彼女に冷たい目をちらりとむけると、それ以上は彼女の存在などないかのように無視をした。
みんな土曜日の歓迎会に彼女が来なかったのを面白く思っていない。
裏切られたと感じているみたいだった。
子供の待ち合わせなのだから忘れたり、遅れたり、最悪来ないなんてことはしばしばあるし、みんな経験があるだろう。
そんな喧嘩もすぐに忘れる。
だけれど、行方真宵のときは特別だった。
普通なら、待ち合わせはごく親しい友人の集まり程度の話で収まる。
たとえ、その時の友人たちを怒らせたとしても、相手の怒りが収まるまで待てばいい。なんなら、その間はどこか別のグループの人間と遊べばいい。
だけれど、行方真宵は運が悪かった。
彼女が待ち合わせをしたのはクラス全員とだった。
つまり、どこにも逃げ場がない。
クラス全員を敵に回したのも同然だった。
教室の中の異様な空気に気づいた真宵の表情がこわばった。
「行方さん、土曜日はどうしたの? みんな心配したんだよ」
クラスの女子の中心である理華が言った。
理華のずるいところは「どうしたの?」のあとにちゃんと「心配してたんだよ」と付け加えるところだ。
本当は誰一人心配なんかしていないのに。
現に真宵のために開かれた親睦会は理華の周りの女子たちで真宵の噂話の場に変えられていた。
真宵は気まずそうな顔をしたあと、
「ごめんなさい」
と素直に謝った。
申し訳なさそうな顔まできれいで一瞬こちらが悪いことをしているのではないかと錯覚しそうになった。
だけれど、教室中の空気が真宵に同情的になった。
「なにか事情があったの?」
理華も少しだけ声のトーンを落として尋ねた。
事情によっては許してあげると顔に書いてある。
理華はこういうところが分かりやすい。根がまじめすぎるのだ。意地悪なことには変わりないけれど、それは理華の家の環境にも原因がある。
そんな空気に真宵は落ち着いた声で言った。
「道に迷ってしまったの。本当にごめんなさい」
首を垂れてしゅんとした真宵は全身で申し訳なさを示していた。
だけれど、その言葉に教室の空気はわずかに熱を帯びてざわめいた。
真宵に対して同情的だったのが、一気に変わった。
無理もない。
『一週間ビル』にいくのに道に迷ったなんてこれ以上下手な言い訳はないだろう。
PTAの御用達なだけあって、『一週間ビル』は私たちの学校のすぐ近くにある。
学校の前の大通りをまっすぐ行くだけ。
見落とすような小さなビルでもないし、この学校まで通うことができるのなら迷う要素がない。
そんな下手な嘘までついて、自分たちとの約束を破ったのかと誰もが思っているのが分かった。
だけれど、真宵はその空気の変化についていくことができずに一人でおどおどしていた。
私はちょっとだけその様子を見て口の端を釣り上げてしまった。
意地の悪い思いからではない。
今にも泣きだしそうなその表情がとても可愛らしく見えたのだ。
そのまま泣かせてしまいたいという思いと、すぐにでも救ってあげたいという思いが混在する妙な気分だった。
たぶん、私は理華なんかよりも心根が曲がっていて、質の悪い人間なのだろう。
だから、この善良で無知な田舎の生活に馴染めないのかもしれない。
あの瞬間から、行方真宵はクラスの底辺に落ちてきた。
いや、教室という空間からもいないかのように扱われるようになった。
真宵はただわけも分からず、おどおどするだけ。
真宵のような女の子が誰かから無視されるなんてことは今までの人生でなかったのだろう。
行方真宵の輝きは時間を経るごとにくすみ、彼女の美しさは失われていった。
教室の中の誰もが、行方真宵を嫌っていた。
なぜって?
行方真宵が自分たちのことを嫌っていると思ったから。
あんな分かりやすい嘘をつくほど、自分たちの存在は軽んじられて、好かれていない。
田舎の人々にしては珍しいくらい早くに心を開き、彼女と仲良くしようとしたクラスメイトたちはその裏切りに耐えることができなかったのだ。
あれだけ美しかった、あとちょっとでクラスの女王に君臨してもおかしくない彼女が、孤立によって、その美しさという武器を失っていく様子を私は興味深く観察した。
造形は何一つ変わるはずがないのに、アーモンド形の大きな目も、完璧な位置に配置された顔のパーツ、細い指先を彩る桜貝のようなピンクの爪も、何一つ彼女は変っていないはずなのに、落ちぶれることによって変わって見えるその姿に私は驚き、行方真宵から目が離せなくなった。
まるで美しかった蝶が蜘蛛の巣にかかり、もがき苦しみ、最後は雲の餌食となるのから目を離せないような感覚だった。
そして、私は戯れに蝶に触れてみたくなった。
「ねえ、良かったらこの町案内してあげようか?」
クラスメイトたちが去り、独りぼっちの教室で教科書をカバンに詰める真宵に私は声をかけたのだった。
真宵は驚き、次の瞬間、その表情は輝きだした。
真宵はやっぱりとても綺麗な子だった。
だけれど、そのとき私は彼女の教科書が他の誰よりも古びてぐしゃぐしゃになっていることにも気づいて、想像していたよりも厄介なことにかかわってしまったことに気づいたのだった。
めんどうくさいことにかかわったと後悔した真宵との放課後は想像よりも楽しかった。
ありきたりな場所に連れて行っているにも関わらず、
「えっ、こんな場所があったの?」
と驚いた顔をして喜んでくれるのだ。
転校してきたばかりのとき、「この町はなにもないから、買い物にも困っている」と誰かと話しているときにぼやいていたのを思い出す。
そのときは、この町には自分のお眼鏡にかなうような買い物ができない田舎だといいたいのかと思って、気取っていて嫌な気分になっていた。
そりゃあ、学校からほど近い場所であっても知らないなら確かに買い物できる場所がないと思うかもしれない。
真宵は大喜びでいくつかの学校で必要なノートやそれを彩るシールなどを買っていた。
真宵は素直でいい子だった。
ひねくれた私よりも、理華との方が仲良くなれそう。
あまりにも、正直すぎるその様子は理華でも意地悪をするのをためらっただろう。理華も根はとてもいい子だから。
私は真宵に意地悪な質問を投げかけた。
屈託なく笑う真宵のことを見て、今なら何でも話してくれると踏んだから。
「ねえ、あの日なんで来なかったの?」
「道に迷ってしまったの」
真宵は悲しそうな表情で言った。
そこには一点も嘘をついているような妖しい部分はなかった。
「でも、『一週間ビル』ってここだよ……こんなに学校から近くて見通しがいいのに迷うなんてことある?」
「でも、たどりつけなかったの……」
「誰かに道を聞いた? ものすごく方向音痴とか?」
真宵は静かに首を振った。
「私、方向音痴じゃないし、地図をみるのも得意。だけれど、あの日はどうしてもたどり着けなかったの。通りを歩く人にも道を聞いたよ。みんな不思議そうな顔をしていたけど。それでもたどりつけなかったの。それからみんな冷たいよね。ああやって、よそ者をいじめるのが慣習なの。それって、最悪」
真宵は憎々し気に言葉を吐き出した。
本気で怒っている。
自分は何も悪いことなどしていないのに。
キツネに化かされたような目にあわされたうえに、クラス中から無視されるのだ。
孤独で悲しくて、悔しかったに違いない。
「でも、不思議なんだよね。こうやって今はここに簡単に来られるのに、どうしてあの日、たどり着くことができなかったんだろう?」
彼女はこの町の秘密を知らないから。
というか、多くのこの町の住民が知らないことがある。
この町はとても意地悪だということを。
この町は生きている。
そしてとても。人見知りだ。
よそ者にすべてを見せないというのが正しいだろうか。
この町は一定期間住んだ人間にしかたどりつけない場所がある。
たとえば、今、真宵といる『一週間ビル』このビルはこの町に一週間以上住んでいないとたどりつくことができない。
だから真宵はあの日、クラスの親睦会に参加することができなかったのだ。
もちろん、誰かが学校で待ち合わせをするとか真宵と一緒に行動していれば、真宵も一週間住んでいなくても『一週間ビル』にたどり着くことはできただろう。
だけれど、あまりにも学校から近くて見通しがいいため誰も真宵を誘わなかった。
絶対に迷うはずがないと誰もが思っていたのだ。
この町に住んでいる人間は、町の秘密には気づいていない。
なぜなら生まれたときから住んでいるから、たいていの場所にはどこにでも行ける。
小さな子供であればだれか大人と一緒に行動することになるし。
この町に人によってたどりつけない場所があることに気づく人間なんていないだろう。
たとえ、よそから引っ越してきた人が真宵のようにたどり着くことができなかった場合、たいていの場合は道に迷ったのだろうという程度で片付けられる。
場合によっては相手に連絡して、迎えに来てもらえば町に意地悪されているなんて事実には気が付かない。
真宵は子供だから、美しかったから、運が悪かったのだ。
子供じゃなかったら待ち合わせの相手に連絡が取れたし。
あれほどの人気じゃなければみんなで放課後のよりみちで済んだのに。
行方真宵だったから、この町の意地悪がもろにダメージになってしまったのだ。
美しく誰もが仲良くなりたいと思う彼女だからこそ、仲間外れにされてしまったという悲劇である。
私があらかじめ彼女がそんな目に合わないようにしてあげればよかったって?
そんなの御免だ。
私は賭けていたのだ。
真宵が誰かとともにあの日、『一週間ビル』を訪れれば彼女と私が仲良くなるのはあきらめていた。
世界の違う人間として、彼女に惹かれながらも彼女を嫌っていただろう。
だけれど、真宵はこの町に意地悪をされて、私のところまで転がり落ちてきた。
ずるい方法だったかもしれない。
だけれど、私もこの町にはうんざりだった。
一人で秘密を知っているのは楽しいけれど、一人きりでいることにはうんざりしていたのだ。
真宵がこんなに魅力的じゃなかったら、私は彼女に一言助け舟をだしてあげていたかもしれない。
だけれど、美しい真宵をみて私は彼女を独り占めしたいと思ってしまったのだ。
彼女がこの町にきて一週間経過する前に一人で『一週間ビル』に向かうことになったのは私にとっては絶好のチャンスであった。
私はこの日、行方真宵の親友になった。
そして、それが私の日常に町の意地悪以上の秘密が入り込んでくるようになったと知るのはずいぶん先のことになる。
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