22. 心がへし折れる音
なにあれ。
原田藍は呆気にとられていた。
速い奴とはこれまで何度も対戦してきた。いくら速くても動き出す瞬間方向はわかった。でもあの子はそれすらわからなかった。反応が遅れたんじゃない。反応すらさせてもらえなかった。
「すごいねあの子」
耳元で蘭佳が囁いた。立ち尽くしていた藍ははっとする。
「相手のエースにやられたらうちのエースもやり返さないとね。だから次は藍ちゃんの番だよ。がんばってね」
蘭佳はボールを運びながら指示を飛ばし、
右サイドに蘭佳を含む三人と左サイドの一人が外に広がり待機する。御崎のディフェンスはマンツーマン。こちらが動けばあちらもある程度はついてくる。蘭佳は藍に勝負させるためスペースを空けさせたのだ。
わかってんじゃん。
藍は口元にうっすら笑みを浮かべる。あんな一方的なやられ方をしたままでいいわけがなかった。藍をマークしているのは先ほどのマッチアップ同様、つかさと呼ばれた少女。
蘭佳からボールを受け取る。
「スクリーンいこうか」
スクリーン(ピック)――味方が壁となりディフェンスの進路を塞ぐプレー。有利に攻撃を進めることができる。シンプル故に強力。バスケットボールにおいて多用されるプレーの一つ。
「いらない。余計なことしなくていいから」
ボールを持つ味方のディフェンスにスクリーンをかけにいく、いわゆる
しかし、つかさには小細工なしで点を取られた。だから自分もここはスクリーンは使わない。
つかさは脱力した構えで藍が動き出すのをじっと観察していた。
どう動いてもさっと反応されてしまいそうな凄みのようなものが伝わってくる。藍は思わず後ずさりそうになった。
冗談でしょ。
弱気になりかけた気持ちを身体から追い出す。オフェンス力は認める。だがあれと同じレベルでディフェンスもできるとは限らない。
お返しだ。ぶち抜いてやる。
スピードに乗ってのクロスジャブから得意のクロスオーバーで一気に抜きにかかる。藍の身体能力をもってすれば初見の相手はまず反応できない、はずだった。
つかさは手の内を知っていたかのように、左右どちらの揺さぶりにも振られることなくきっちりコースに入ってきた。
「や、やるじゃん」
気を取り直して駆け引きを仕掛ける。
が、まるで通じない。
抜けないのであれば、とミドルシュートに持ち込もうとする。しかしその間合いすらも与えてくれない。試合の頭から、しかも初対戦の相手に何もさせてもらえないのは初めての経験だった。
くそっ! ディフェンスもできんのかよ。
藍はたまらず蘭佳にボールを戻す。するとすぐさまリターンパス。
「はい、もう一回」
純粋な一対一では勝てるビジョンが見えなかった。
「十、九――」
ベンチの味方がカウントダウンを始めた。藍は二十四秒のショットクロックが十秒を切ったことを知る。オフェンスは二十四秒以内にシュートを打ち、ゴールないしはリングに当てなくてはならない。
スクリーンがほしい。でも、いらないと偉そうに拒否した手前、それを要求しては格好がつかない。
攻めあぐねていると、逆サイドのコーナー付近で待機していた利佐が見かねてスクリーンをかけにやってきた。
藍は内心ほっとする。
スクリーンでつかさとの間にズレさえ作れればどうにかなるだろうし、もしディフェンスがスイッチして一時的にマークが入れ替わればより楽な攻めが可能になる。
利佐がつかさの右側にスクリーンをセットした。その方向を攻めにかかると、スクリーンが甘かったのか、利佐の前をすり抜けたつかさがぴたっと正面に入ってきた。
「くっ……」
「まだ! もう一回」
言いつつ利佐はつかさの左側にスクリーンをセットし直した。
藍は左へ進路を変更するため、ドリブルする手をフロントチェンジで右から左に変えようとしたその瞬間、つかさの手がすっと伸びてきた。
やばッ……
危機感を抱いたときには既にボールは自分の手元から弾かれ、後ろを転がっていた。慌てて振り返るがボールを奪取せんとするつかさに体一つ分先を走られていた。
逆サイドを敵選手が駆け上がり、遅れて蘭佳が後を追う。ボールに追いついたつかさはすぐさまその選手の前方へパス。ターンオーバー(シュート以外のミスで相手に攻撃権を渡すこと)をしでかした藍もなんとか止めようと走るも追いつくことはできなかった。
「ナイスディフェンスつかささん。からの舞先輩ナイスラン」
藍はボールを拾いエンドラインの外へ。
「ごめん」
ボールをもらいにきた蘭佳に謝った。
「気にすることないよ。次は取られないようにがんばってね」
「え。それって」
「なに驚いてるの。もう一回だよ。当然でしょ?」
「まってよ……」
「は? 何それ。いつもの藍ちゃんなら相手が格上でも対抗心剥きだしで一対一にこだわるのに」
「だって今回の相手は」
「もうメンタルやられちゃったんだ。ざっこ」
嘲笑されても言い返すことはできなかった。
「らんらん怒ってる?」
「早くしないと相手ボールになっちゃうよ」
「ねえ、とりあえずさ」
蘭佳が背を向けた。
臨んだ攻撃。つかさとの一対一を強制させられると思いきや、
「一本取ろうー」
蘭佳はハンドサインを用いてセットプレーをコールする。チームで攻撃を組み立てようとしていた。
藍は安堵したが寂しくもなった。弱気になっている自分にこれ以上攻めさせるのは、たとえ練習試合といえど時間の無駄だと見限られたような気がした。
三年がシュートを決め、
4-4
同点に。
すぐ戻って守りにつく。
敵はまたもつかさにボールを託した。ドリブルしながらゆっくり歩み寄ってくる。姿勢が低くなった。藍も腰を落とす。
出会い頭にあっさり突破された映像が頭にこびりついて離れず、藍は3ポイントラインから外へ出ることができなかった。近づいたらスピードに対処できる自信がなかった。
つかさが軽く揺さぶりをかけながらじわじわと攻め寄ってくる。それに合わせて藍はじりじりと後退していく。いつ先ほどのようなスピードで仕掛けてくるのかと息が詰まる。
違和感があった。
ディフェンスをしていて今までに味わったことのない感覚。
何これ。リズムが、なんか変だ。
くるならくるで早くしてほしかった。本当に息が詰まる。精神的疲労でスタミナも削られていく。いつ集中の糸がぷつんと切れてもおかしくなかった。
つかさが小さくスキップをした。
藍は距離を保つため跳ねるようにして後ろへ下がる。両足が床から離れた瞬間、
「ちょっとまっ」
そのタイミングを狙ったかのようにつかさは瞬時にトップスピードに乗って入ってきた。空中にいる藍には彼女の侵攻を見送ることしかできない。またしても藍は無抵抗のまま一瞬にして抜かれてしまったのだった。
一方、続けざまに藍のところを攻めてきたとあって、味方のカバー意識は強かった。
ペイントエリア内で利佐が立ちはだかる。わずかに遅れてもう一人、つかさの進路を塞ぎに入った。
無理に突破しようとすれば
つかさはそれを見るや、ボールを保持し、右、左とステップし跳躍。片手でシュート体勢に入った。慌てて前に出た利佐がシュートブロックに飛ぶ。つかさはふわっとボールを押し上げる。高いアーチを描くボールはブロックの上を鷹揚と浮遊する。
つかさの放ったフローターショットを利佐は仰ぎ、見送る。リバウンドに備えてシュートが外れるのを祈るほかなかった。下降してきたボールはネットをわずかに揺らしゴールを射抜いた。
引いて守っても止められなかった。藍はどうしていいかわからなくなる。
御崎の次の攻撃。
つかさにパスが回った。一対一を仕掛けようとしている。
また!?
しかしこのとき藍の後ろでは敵味方が密集していて、オフェンスからすれば味方のスペーシングが悪くかなり攻めづらい状況ができていた。
普通ならこんな狭いところから攻めない。そう思いながらも藍は気を緩めない。いくらスペースが悪くても、この子ならすすーっとかいくぐっていっても不思議じゃない。
いや、さすがにないか。時間がないならまだしも、そうでないこの場面で普通そんなことはしない。買い被り、というかビビりすぎだ。
はたして、彼女に強行突破の意思はなかった。
つかさが数歩下がった。御崎の選手が外に広がり、それにディフェンスも引き連れられたことで窮屈だった場所にスペースが生まれた。つかさは再び攻めの姿勢に入った。
まさか、これって助走つけてくる感じ?
その通りだった。
縦のリズムを変えながらスピードに乗って向かってきた。へっぴり腰になってしまった藍はこれまたあっさりと抜かれてしまう。
つかさのドライブを警戒していた味方が三人がかりで止めに入った。つかさはスピードを緩めディフェンスを引きつけてからゴール下に飛び込んできた選手にパス。ボールを受けた選手が落ち着いて
まあそうなるよね。
「ナイス合わせ、舞はん」
点差が開くもその後三年生が3ポイントシュート決め、一点差とする。
御崎高校の攻撃。
今回起点となろうとしていたのは、またしても、つかさ。
もう許してよっ!
自分ばかり連続して攻めたてられ、心の叫びが口から出そうになった。
つかさはトップから少し横にずれた位置でボールを受けると、すぐさま単独で攻めに転じてきた。
身体がこわばる。腰も引けている。抜かれるのが怖くてまたじりじりと下がりかけ、踏み止まった。
ここまでつかさは何をやってもうまくいっている。今度は外から打ってきそうな気がした。藍は手をあげて前に出る。
つかさは3ポイントライン手前まで来ると、スキップを入れつつ右手にボールを溜めながら肩甲骨を引いた。この段階ではシュートとドライブどちらにも移行できる。とはいえ、藍との距離が近くこのままシュートに持ち込むのは苦しそうだ。
次の瞬間スピードで抜いてくる気がした。動き出すのを見てからついていこうとすれば結果は火を見るより明らか。抜かれて当然と割り切り、藍は一か八か、つかさが踏み込んできそうなタイミングに合わせて左右どちらかに飛び出そうと一念発起した。
つかさの重心が前に傾いた。左側を突破してきそうだと感じた。
ここだ!
動きを読めた感覚があった。つかさの動きに慣れてきたのかもしれない。真横へ飛び出そうとしたが、やはりそれでは間に合わないと即座に判断し斜め後ろへ下がる。これはもうギャンブルではない。動きを読んだ上でのディフェンスだ。
読み通り、つかさは藍の左手側へボールのある右手と右足を同時に出し突破を狙ってきた。
「あはは!」
藍は歓喜した。一回目のアタックで抜かれなかったというだけで嬉しかった。勇気が漲る。自信と積極性が噴出する。
試合はまだ始まったばかりだ!
「あれ……?」
なぜかつかさから遠ざかっていた。
鋭く、幅の広い一歩から急ストップしたつかさは右足前、左足後ろの半身となった体勢から、逆再生するかのように前方へ送り出したボールを引き戻し左手に。同時に上体を起こしながら軸足近くまで右足を寄せ、その足で床を蹴り小さくスッテプバック。重力を感じさせない軽やかな足運びで3ポイントラインの外へ舞い出ると流れるようにシュートを放った。
お互い各後方へ下がっていったこのわずかな時間。藍の目にはスローモーションに映っていた。だから前に出られそうに思えたが自分の体もスローの中にあるから間に合うはずがなく、それでも頭だけは通常の速さで動いているものだから考える時間だけはたっぷりあった。為す術がなかった。
藍、つかの間の強気であった。
ざしゅっとネットが翻る。
7-11
ステップバックからのスリーを華麗に決められ、点差は再び四点に。
それマジ。
スピードは言うに及ばず、その爆発的な勢いを足腰と体幹で意のままに制御できていることに藍は驚き、その場に立ち尽くしてしまう。
「あっはっはっはっはっはっ」
利佐のマッチアップ相手が笑っていた。
藍は自分が笑いものにされているのだと思った。やり返す気力も実力もない。涙が出そうになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます