第1章2 無名の怪物 

16. 早琴は見た

 

 小さい頃から走るのが得意だった。


 走るのは楽しい。走るのは気持ちがいい。中学からは陸上部に所属し、練習漬けの日々の中にあってもその気持ちは変わらなかった。


 そんなある日、ふと自分の足を別の競技で試してみたくなった。


 小さな興味はやがて確固たるものへと変わる。

 進学を機に競技転向の意思を固めた早琴だったが、一方で部の仲間や顧問からは強く反対され引き止められた。


 もったいないという声が多く、そのどれも早琴には響かなかった。

 二度と陸上競技の場に戻れなくなるわけではないし、プロの陸上選手を目指しているわけでもない。それなのに他の競技に興味が向いたにも関わらず、陸上一筋を続ける理由が見当たらなかった。


 周囲の反対と、陸上強豪校からの誘いを断って進学先に選んだのは御崎高校だった。新しく始めるスポーツとして早琴は球技、ひいてはサッカーに興味を持ったのだが、高校と言えども女子サッカー部のある学校は少なく、消去法的に同部のある御崎高校への進学を決めたのだった。


 そうして始まった高校生活で早琴はクラスメイトからバレー部の部活見学に誘われた。

 バレーは始めたいスポーツの候補に入ってはいなかったが、せっかく誘ってくれたので一緒に参加することにした。


 見学に向かう道すがら。体育館横の格子戸から館内の様子が窺えた。早琴が何気なくそちらに目をやると、相対する二人の少女が見えた。片方はボールを持っていた。


 バスケか。中学の体育でやったことあるけどなんか違ったんだよね。足を活かすならこれじゃないなって。


 ボールを持った少女がドリブルを始めた。


 練習前にひと勝負ってやつかな。ちょっと見てみたいかも。と早琴の足が止まる。

 体操着ってことはあの二人もいちね――!

 なに今の……。


 それはさながら頭のてっぺんから爪先まで電流が駆け抜けていくような感覚であった。

 目を疑うような速さ。しかし速いだけでは到底できない動きを早琴は目の当たりにし、これだと思った。

 あんなふうに動けたら絶対気持ちいい。絶対楽しい。私も、あんな風に動いてみたい。


「久我さーん。何してるの」


 早琴ははっとする。先を行っていたクラスメイトが呼んでいた。


「ごめん。いま行く」


 早琴は今すぐにでもバスケ部に飛び込みたい衝動を抑え込む。


 館内に一瞥をくれてからその場を離れようとして気づく。同じ扉前で自分以外にもあの光景に釘付けになっていた少女がいたことに。

 夢中になっていて全く気づかなかった。綺麗なブロンドヘアー。でも誰だろう。


 早琴はそれどころな状態ではなかった。先ほどの少女の動きが頭から離れず、繰り返し何度も頭の中で再生されていた。


 これだ。これだよ。これだったんだよ。見つけちゃった。出会っちゃった。

 早琴は水を得た魚のようにクラスメイトたちを追いかけた。


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