15. スポーツテスト

 

 この日の時間割は通常のものとは異なっていた。

 全校生徒一斉に身体・体力測定が行われることになっている。よって通常の授業はない。


 生徒は記録用紙を持って各自で測定場所を回る方式だ。不正防止のため測定結果は各持ち場についた担当教師の判がなければ認められない。


 ジャージ姿の遥とつかさは視力検査の教室へ向かった。最初の測定場所だけはクラスごとに指定されていて、それが終われば以後自由に回ることができる。

 測定場所は身体測定が各教室、体力測定はグラウンド及び体育館となっていた。


 遥とつかさは視力検査を済ませ別の教室へ向かった。

 次の教室で順番待ちをしている列の中に遥とつかさの名前を呼ぶ小柄な少女の姿があった。


「二人ですか」

「そうだよ」

「じゃあ私も一緒に回っていいですか」

「もちろん」


 列の後方に並んでいた環奈は最後尾の遥たちの所まで下がった。


   〇


 早琴はクラスメイト三人と視力検査の順番待ちをしていた。

 その中で先頭に並んでいた巫之上みこのうえの番になった。


「右、下、上、左斜め下、右、右――」


 巫之上は指し棒で示された『C』の方位を即座に答えていった。


「巫之上さん目いいんだね」


 早琴は廊下に出てから巫之上に話しかけた。


「え、そんなによくないよ。むしろ悪いほうだと思う」

「でも二・〇だったよね」

「うん。簡単だったから」


 ゲームをクリアしたような言い方に早琴は自分の知る視力検査を疑った。


「簡単って何?」

「視力検査担当だった先生ね、選び方がワンパターンだったんだよ。正解なら毎回同じ順番で選ぶから並んでる間に覚えちゃった」

「え、それじゃ視力検査の意味ないんじゃ……」

「え、ランドルト環?」

「ランドル……え?」

「ランドルト環って言うのはね、視力検査のマークのこと」

「そうなんだ」

「そんなことよりも、身体測定は全部終わったから次は体力測定だね。体育館とグラウンドどっちから行く?」


 どちらでもいいとの声が多かったので早琴が決めた。


「じゃあグラウンドから行こうよ」

「うん。わかったぁ」


 巫之上が間延びした返事をした。


「じゃあ体育館から行こっか」

「え」


 ほとんど空気が抜けただけのような声が漏れた。周りはぽかんとしている者と苦笑している者に分かれていた。

 早琴は呆気に取られながら、ひょこひょこと歩き始めた巫之上を追う。

 巫之上と同じ中学に通っていたという井上が小声で言った。


「あの子昔からずっとあんな調子だから気にしないで。悪気はない、はず」


 体育館では握力、上体起こし、反復横跳びの順に回った。

 反復横跳びが終わったところで巫之上が貧血っぽいとダウンしてしまった。巫之上に付き添って井上も保健室へ行ってしまったので早琴はクラスメイトと二人になったのだが、その彼女とも混雑する体育館ではぐれてしまった。


 それほど時間が経たないうちに見つけ出すことはできたが、既に彼女は別の輪に加わっていた。

 ここでの残る種目は長座体前屈のみ。早琴はグループに加えてもらうことよりも早く測定を終わらせることを選んだ。

 すると長座体前屈の場所に遥を見つけた。つかさと環奈も一緒だ。近づくと遥たちも早琴に気づいた。


「みんな一緒だったんだね」

「うん。環奈ちゃんとは途中で会ったんだ」

「早琴さんは一人で回ってるんですか」

「さっきまでクラスの人たちと回ってたけど、はぐれちゃって」

「じゃあ一緒に回りましょう」


 長座体前屈が終わってから、早琴は握力測定がまだだった遥たちを待った。それが終わってから四人でグラウンドの種目に向かった。


 グラウンドに出ると立ち幅跳び、ハンドボール投げ、五十メートル走が行われていた。持久走のみ各クラス体育の時間に記録を取ることになっていた。


「どこからいきましょう」

「すいてるところから回っていこう」


 遥が答え、環奈がグラウンドを見渡す。


「となると、まずは五十メートル走ですね」


 早琴たちはまず五十メートル走のゴール側にある机に記録用紙を預けてから、スタート地点の後ろで縦二列になって順番待ちをしている列に並んだ。

 早琴はつかさと横並び。後ろの列には遥と環奈がいる。


「つかさちゃん。勝負しようよ」

「いいよ」


 早琴たちの前にはこれからスタートする組を含めて六組が待機している。


「用意」スタート地点にいるスターター役の教師が片手を挙げた。「スタート」の声とともに腕を振り下ろした。


 次の組がスタートラインについた。早琴たちは一歩前へ進む。

 先頭になった組がスタートし、また一つ順番が近づく。フライングがなくどんどん列は進み、気づけば前の組がスタートするのを待っていた。


 気持ちがキリッとする。走る前独特の緊張感。

 何度となく経験してきたことだが早琴はこの緊張感が得意ではなかった。


 前の組がスタートした。早琴はスタートラインまで進む。

 前の組がゴールしタイムの記入が終わる。ゴール地点の教師からスターターに準備完了の合図が送られた。

 スタンディング・スタートと決められているので、早琴は石灰で引かれた白いラインぎりぎりに右足のつま先を合わせた。


「用意」


 スターターの声に集中する。


「スタート」


 早琴は飛び出す。


 いい感じ!


 好スタートを切った。

 なのに、つかさの背中が視界に入った。つかさとの距離が少しずつ開いていく。


 うそっ。普通に走ってもつかさちゃんのほうが速いの?


 短距離走だけは誰にも負けない自信があった。これだけならつかさにも勝てると思っていた。


 つかさの背中がどんどん遠くへ、いかなかった。 つかさが失速しているわけではなかった。


 あれ、もしかして追いつける?


 早琴はスタートした直後、つかさの足の速さは自分と同等かそれ以上だと思い込んだ。そのためスタートで出遅れた時点で五十メートル走のような短い距離では勝負は喫したも同然と決めつけていた。


 しかし実際はそうではなかった。

 力まず走れていた早琴がスピードに乗り始めるとつかさとの距離は徐々に縮まっていった。

 中間地点辺りでついにつかさと並んだ。早琴はなおも加速する。

 ここからどんどん引き離していく段階に入ったそのとき、早琴はゴールラインを越えた。


 タイムを計っていた男性教師が目を丸くしていた。つかさのゴールを確認してから、すぐさま食い入るようにストップウォッチに目を落とした。震えるようなため息を漏らした。


「驚いたわ。まさかここまで速いとは思わなかった」


 ゴールラインを走り抜け、減速しながら早琴に追いついたつかさは涼しい顔をしている。早琴は歩きながら呼吸を整える。


「驚いたのはこっちもだよ。バスケしてるつかさちゃんを考えれば別に不思議じゃないけど、それでもトップスピードになるまでが早すぎ」


 二人はタイムを聞くためにゴール地点へ戻っていくと、ストップウォッチを持った教師もまた、ゆっくりと近づいてきた。


「き、君たち。部活はどこかに入ってる?」

「はい」


 早琴は快活に答えた。


「バスケ部です」



                  〇



 昼休憩。握力測定担当だった岩平が職員室に入ると陸上部の顧問がすっ飛んできた。


「岩平先生! どうなってるんですか、バスケ部は」

「バスケ部がどうかしたんですか」


 岩平は恐る恐る尋ねた。嫌な予感しかしなかった。


「えー、どうかしてますよ。バスケ部一年生の五十メートル走のタイムが。手計測なので正確なものではないですが、それでも六秒台半ばですよ」


 岩平は胸をなで下ろした。


「なんだー。よかったー。てっきり何かやらかしたのかと」


 話しながら自分のデスクに向かい、腰掛けた。


「驚かないんですか」

「何がですか」

「六秒台ですよ! それも半ば! 高校生になったばかりの女子が! それも二人も!」


 六秒台。女子高生。それも二人。

 岩平は告げられた数字と単語を頭の中に並べた。


「五十メートル走のタイムですよ!」

「ええっ!」


 岩平は椅子から飛び上がった。

 にわかには信じがたい情報だった。

 それでも、岩平は期待と興奮で心が波立った。


 長所を最大限に活かしたチーム作りを行う上で目指すべきスタイルは、自分が教えたいスタイルのバスケットかもしれない。

 選手たちがコート内を縦横無尽に走り回り、相手選手を振り回し掻き乱す姿が脳内に展開された。


 岩平は改めて思う。人数は少なくても今年もおもしろい新入生が入ってきた。


「なんなんですか、なんでバスケ部なんですか。ああー! 絶対陸上部に入るべきだ!」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る