2. 入学


 はらりと桜が舞う。うららかな陽気のもと、期待と不安を抱いてスタートした遥の高校生活は二日目を迎えていた。


 進学先の御崎高校までは自宅から徒歩で十分と少し。

 遥は教室に入ると自分の席へ向かった。

 席替えはまだ行われておらず出席番号順の席次となっている。出席番号は四十人いるクラスの最後。席は窓際の最後尾だ。


「おはよう」


 まだまだ馴染めていないクラスメイトとぎこちない挨拶を交わす。

 女子が多いのはこのクラスに限ったことではない。御崎高校全体の男女比は三対七。どのクラスも女子が多いのだ。


 遥は斜向かいの席に目をやった。空席だ。

 担任が教室に入ってきた。委員長がまだ決まっていないので担任の号令で起立し、挨拶をする。HRが始まり、担任が出席をとり始めた。


 今日もあの子は遅刻かな。

 斜向かいの席をぼんやり眺めながらそんなことを思う。

 高校生活初日の昨日も彼女は遅刻だった。


 その少女を初めて見たときの率直な感想は、無感情で冷たい感じがするけどなぜか放っておけない気がする不思議な子、であった。初日から遅刻したにも関わらず、教室に入ってきた彼女には慌てた様子はこれっぽっちもなく、だからといって堂々としているわけでもなかった。彼女は不思議としか言いようのない空気を纏っていた。


 クラス全員の点呼が終了し担任が本日の連絡事項を告げていると、がらがら、と教室後ろの引き戸が静かに開き、女子生徒が寝ぼけ眼をこすりながら入ってきた。寝癖だろう、髪がぴょんとはねている。まだ半分寝ているような、ふらふらした足取りで自分の席へ向かう。


西宮にしみや、初日から続けて遅刻だぞ」


 窘めるように言われた女子生徒は、「がんばります」とそこはかとなく冷たい、透明感のある声でそう言った。

 直後、この少女に限り遅刻は許容されてしかるべき事柄なのでは、とでもいうような空気が教室内に充満した。


 あ。

 遥は斜向かいの席に腰を下ろした少女、西宮つかさが土足であることに気づいた。


「ま、まあ明日からは気をつけるようにな」


 担任は一度閉じた出席簿を開き、ちょいっと遅刻マークを記入した。



   〇



「一年生入ってきそうか」


 昼休憩中の職員室。御崎高校バスケットボール部顧問の岩平いわひらひろしは、部員たちに新入部員について尋ねた。


「今のところ入ってきそうな気配はないね」


 バスケ部二年、寺田てらだあんずが答えた。


「中学の後輩もうちには来てないもんね」


 と、同じく二年のバスケ部員、近衛このえもなかが補足する。

 二人ともえらく呑気なものだった。


「そうか。今月中に二人入部しないと同好会に格下げだぞ」

「へいへい、二人入部しないと廃部ね。……って廃部!?」

「そっかー……え、はははは廃部!? まあでもどうにかなるんじゃない」

「同好会に格下げだって言ってんだろ。活動自体は続けられるよ」

「でもそれだと大会どころか練習試合もできないじゃん」

「もちろん」

「試合したいよねー」

「ちなみに三年の舞が引退してからも試合に出たかったら最低三人は必要だぞ」


 バスケは五対五で行う競技。現在、御崎高校女子バスケ部には三年一名、二年二名の計三名しか所属していない。


「あ、そうだった」

「うっかりしてたね。てか三人て結構きつくない?」

「それは……とにかくこんなところで呑気にしてる場合じゃないってことは確かだ。もなか、部員勧誘だ」

「うん、行こう」


 二人が職員室を後にしたのとほぼ同時、昼休憩終了の鐘が木霊した。



   〇



 朝のHR後、遥は西宮つかさに土足であることを伝えた。

 すると一瞬、言葉の意味が理解できていないような表情を浮かべたが、その後足下に目を落とし、抑揚のない声で「ありがとう」と言って靴を脱ぎ、教室から出ていった。

 これにより、西宮つかさに対する「放っておけない気がする」という気持ちが確信に変わった。


 そして現在、一日の授業を終えた遥は、


「今日から二週間、仮入部期間が始まる。興味のある部があれば――」


 部活か。千里ちゃんは元気にやってるかな。

 終わりのHRで仮入部期間の説明をぼんやり聞きながら、別の高校へ進学した幼馴染のことを考えていた。


 遥にとって千里は最も親しい友人である。それは遥がバスケを辞めると告げた以降も変わりない。

 しかし中学の引退試合を境に、二人はバスケに関する話をほとんどしなくなった。バスケに関する話といえば、県外の高校で寮に入ってバスケをすると千里から報告を受けたときと、千里が高校の練習に参加し始めた頃、電話でバスケ部のことを少し聞いたときのみである。


 練習やバスケ部のことを聞いたのはあくまで千里を案じて聞いただけ。高校バスケへの興味からではなかった。

 千里もそれをわかってか、自分が練習についていけているか、チームメイトとうまくやれているかなど最低限のことしか話さなかった。


 なぜなら、遥はもう昔のようにバスケが好きではないから。

 中学の、あのチームに身を置くうち団体競技に対する苦手意識が芽生え、ひいてはバスケというスポーツそのものを嫌悪するようになってしまったから。


 担任が入部届の用紙を配り始めた。前から後ろの席へと用紙が回される。何人かが入部届を手にするなり躊躇なく記入し始めた。

 斜向かいの席に目をやる。彼女、西宮つかさもまた入部届に何やら記入していた。


「それじゃあ終わり。委員長、はまだ決まってないから、はい起立」


 つかさが何部への入部を希望しているのか気になった。それを話題に話しかけてみようか。とりあえず先に帰り支度をする。


 あれ、いない。

 諦めることにした。彼女の姿はもうどこにもなかった。



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