第28話 気になる人


 仕事を終え、コートに身を包んで外へと出た。残業もあったので、外はすでに暗くなっている。


 あれから神園さんについて、いろんな人が興味津々に質問してきたりして大変だったけど、調査報告もあってか後ろ指を指されることはなくなったし(違う意味で注目を浴びているけれど)何より自分が堂々と出来るようになった。彼のおかげだ。


 ふうと息を吐きながら駅に向かって歩いていると、後ろから声がした。


「中谷さん」


 振り向くと、東野さんが立っていた。


「あ……東野さん。お疲れ様です」


「お疲れ様です。今日は大変だったでしょう」


 笑いながら私の前に歩いてくる。私は頭を下げた。


「とんでもないです。東野さんも、ありがとうございました」


「私は社長の指示に従っただけなので。駅に向かうまでの間、少しお話、いいですか?」


 まさかの言葉に首を傾げながらも、断る理由はないので頷いた。大通りの歩道を、二人でそのままゆっくり歩きだす。


「本当はどこかでお茶でも飲みながら……と思ったんですが、多分社長に消されるだろうと思いまして」


「け、消されるって」


「本気ですよ、彼は結構嫉妬深いようなので……。なので歩きながらで失礼しますね。社長は中谷さんに言うと恩着せがましくなるから、と言いませんでしたが、私は知っておくべきだと思ったので」


「……土井とかのことですか?」


 彼は頷いた。


「彼を現行犯で捕まえたのは社長本人です」


「……え!? 神園さんがですが!? で、でもどうやって」


「土井と直接会って、あえて煽ったんです。『嫌がらせが繰り返されるようなら、中谷さんの異動を考えねばならない』ということを言って。その後、あらかじめ調べてあった土井のマンションでずっと見張っていたみたいです。土井はその夜のうちに動いたので決着は早かったですが、あの調子なら寝ずにずっと見張るつもりだったでしょうね」


 愕然とした。どう考えても、神園の社長がするような行動じゃない。執念が凄すぎるし、人間離れしている。


 東野さんが小さく笑った。


「社長は今日、『誰であっても不当な扱いを受ける社員は全力で守る』みたいなこと言ってましたけど……もちろん嘘はないですが、社長自ら動くのは中谷さんのためだけですよね」


「そ、そんなことをしてくれていたなんて」


「ちなみに、土井の行いについてはあちらの会社に抗議済みです。ついでに現場からの声も纏めて送っておきました。放置した向こうの社長にも責任はあると強く抗議し、すぐにあの男を解雇するという約束を取り付けました。そして、もしまたコネでどこかに再就職するとなったときも、今回の件を送付する予定ですので、彼はまともな会社には入れないかと」


「……徹底的ですね」


「それと、彼には結婚する予定の相手がいたのはご存知で?」


「え!?」


 知らない事実に驚く。だって、由真をさんざん誘っていたではないか。


 東野さんはこちらの気持ちを察したように続ける。


「近藤さんは二股相手として口説いていたんでしょう。本命はそこそこ良いところのお嬢さんでした。もちろん、今回の件は全て報告、結婚は白紙になっています」


 ごくりと自分が唾を飲み込んだ音がした。ざまあみろ、と言う気持ちよりも先に、神園さんのやり方の凄さに舌を巻いた。


 東野さんは眉尻を下げて続ける。


「困ってらしたのは春木高志という青年について。彼がやったことに社長は非常に憤っているのですが、故意に嫌がらせをしたわけでもないですし、処分のしようが」


「ああ、いいんですそんな! 私はもう縁を切ったし」


「でも今回の件で土井がいなくなれば、春木はいい思いをするだけでしょう」


「本当にいいんです。もう関係のない人ですから」


「……まあ、社長もただ黙ってるだけ、ということはないと思いますがね」


 東野さんはそう少しだけ笑った。そして話題を変えるように、声のトーンを上げる。


「社長を誘ってくれてありがとうございます。とっても喜んでましたよ」


「いや、今回これだけのことをしてもらったんですから、お礼ぐらいしないとですよ」


「そうですね、でも彼にとっては、初恋の相手から誘ってもらえた、という人生初の体験が、とてつもなく嬉しいんですよ」


 さらりと、東野さんから初恋だなんてワードが飛び出してむせかえった。告白された時も、『こんな風になるのは初めて』とか神園さんは言っていたけど……


「は、初恋って。いい大人じゃないですか」


「いい大人ですよ。でも、彼は今までそういう機会がなかったんです」


「そりゃ無理がありますよ。あれだけ顔もよくて、神園の社長ですよ? 黙ってても女性は寄ってくるだろうし、なんで私が相手なんだって感じですよ」


 笑ってそう言ったのだが、東野さんは黙っていた。まっすぐ前を向いて、ただ足を進めている。思ったより神妙な雰囲気に戸惑い、私も黙り込んでしまった。


 東野さんはこちらを見ないまま、言う。


「中谷さんには知っておいてほしいことがたくさんあるのですが……私の口から全て言うのは違うの思うので。少しだけ、お話します」


「は、はあ……」


「私の父は前社長……つまり会長ですね。まだ病に倒れる前まで、会長の秘書をしていたんです。会長が退くのと同時に辞め、引き継ぎだけして私が社長の秘書になりました。父と会長はプライベートでも仲が良く、付き合いが長いのです」


 つまりは、神園さんのお父様ということか。確か、病気になって神園さんがそのあとを継いだのだと聞いたことがある。


「なので、私も父から神園家について色々聞いています。小さな頃は神園家に遊びに行ったこともありますし」


「そうなんですか!」


「……ええ。だから、知ってることも多いんですが」


 そこまで言って、東野さんは言葉を止めた。駅が見えてきて、どちらともなく足が止まる。


 東野さんは私に向き直り、迷いつつも口を開いた。


「社長は元々、神園を継ぐ予定ではありませんでした。彼はお兄様がいらっしゃいますから」


「え……そうなんですか?」


「ええ。お兄様……大吾さんとおっしゃるんですが、彼が神園を継ぐはずだったんです。もし、大吾さんが弟で社長が兄だったとしても、同じだったでしょう」


「え?」


 きょとんとしてしまった。長男が会社を継ぐ、という流れはよくあることなので理解できる。勿論弟が継ぐパターンも多くあると思うが、とにかく子供が二人いるならば、どちらかが継ぐことになるだろう。


 でも東野さんの今の言い方じゃ、『神園さんは初めから後継ぎ候補に入っていなかった』ということになる。どうしてそうなったんだろう。


「なんでなんですか? 神園さんが嫌がってたとか?」


 尋ねてみたが、彼は何も言わず小さく首を振った。そしてわずかに口角を上げる。


「あとは本人に聞いてみてください。彼自身が話すのは大変だと思いますが、あなたは知っておいた方がいい。私は嬉しいんですよ、社長がやっと人間らしい生活を送れて」


 そんな意味深なことだけ言うと、東野さんは話を切り上げてしまった。私に別れの挨拶をすると、来た道を戻って歩いて去って行ってしまう。遠くなっていく黒いコートの後姿を見つめながら、ぼんやりと今までのことを思い出していた。


 そういえば、神園さんって……あんなに何でも持っていそうな人なのに、突然自己肯定感が低くなることがあったな。


 彼をそうさせる何かがあったんだろうか。


 恐ろしく冷酷な顔をしたり、優しくなったり、少年のようになったりと、あの人はいろんな顔を持っている。


 神園さんときちんと向き合いたいと思っていた。これだけのことを私にしてくれた人。


 彼が気になってることに、気付いていた。



 





 

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