第17話 目撃
とりあえず土曜については予定が空いていると返事をしようと考え込む。固すぎてもどうかと思うし、軽すぎても戸惑うだろう。その中間を意識して文章を作り送信する。
すると、少しして明るい文章とスタンプが返ってくる。有名キャラクターのスタンプだった。犬が笑ってお辞儀をしている様子が分かる。
そんな何気ないことに、ぐっと心臓が痛くなる。
彼女が好きなものがまた一つ、分かった。
「これが好きなのか……」
少し意外な気もした。さばさばして気が強そうなのに、こんな可愛らしいキャラクターが好きだなんて。いやでも、動物が好きそうではある。
すぐに販売中のスタンプを探し出して全種類購入した。スタンプだなんて、この人生で初めて使う。メールだってラインだって、なにか伝達事項のためにしか使ってこなかった。こんな女性向けの犬のキャラクターのスタンプがスマホに入っているなんて、今までの自分を知っている人間が見たら怪訝な顔をするに違いない。
手に入れたばかりの一つを、彼女に送ってみる。するとやはり、すぐに興奮したような返事が来た。
『神園さんもそのキャラ好きなんですか!? 可愛い!』
ふ、と自分の口元が緩む。湧き出てくる高揚感が止められない。
何気ない会話が続いている。同時に、今まで全く興味のなかった犬のキャラがとてつもなく可愛く見えた。愛嬌のある顔をしているし、他のキャラも味がある。
『このキャラクター、可愛いので結構好きです。愛嬌がある顔をしていて、癒し系というか。スタンプをたくさん持ってるよ』
『ほんとだ、私それは持ってないです! 男性が好きなのは珍しい気がします』
『男はグッズを身に着けるにはちょっと抵抗があるけど……本当は色々ほしいんだけどね。キーホルダーはさすがに使えないけど、付箋とかボールペンぐらいなら許されるかな、と』
『神園さんがこのキャラのボールペンを使ってるシーンを想像したら、ちょっと面白くて笑ってしまいました』
嘘は一つも言っていない。
俺は月乃が好きだと知った今、このキャラが可愛く見えてとても好きになった。あの人が好きなら色々なグッズもほしいとすら思った。
メッセージを待つ隙間時間に、ネットであのキャラのグッズを大量に購入する。ボールペン、ノート、マグカップに箸。調べると大量に出てくるのでありがたかった。これで明日には色々と届くはずだ。
あの人が好きなチョコレート、好きなキャラのグッズ。それら一つ一つが増えていくのが幸せで嬉しかった。好きな人が好きなものは、こんなにも輝いてみえるのか。
ラインは遅くまで続いた。そして、今度はそのキャラのグッズが多く売っているショップにも行ってみよう、というところまで話が進み、自分の喜びは宇宙まで達しそうだった。
翌日。その日は金曜だった。
昨晩はしばらくラインのやり取りをしたのち、向こうが『おやすみなさい』と言ったのを機に終わりになった。名残惜しくなったものの、無理に引き留めることはせずにそのまま終了した。
朝出社し、普段通り仕事をこなす。あと一週間過ごせば月乃と出かけられる、という予定の楽しみだけを頼りに時間を過ごした。今までは仕事のことで頭がいっぱいだったのに、完全に脳内を占める割合が変わってしまっている。
とはいえミスをするわけにはいかないので、自分を叱咤して仕事に励む。会社を発展させることは、彼女のためにもなる。そう思うと、俄然力が湧く気が気がした。
いつも通り仕事を終え、東野に伝達事項だけして部屋を出る。駐車場に向かい自分の車に乗り込んで発進させ、時間があるので何をしようかとぼんやり考えていた。トラブルも落ち着いたので、余裕が出てきているのだ。
今までなら何をしていたっけ。家に帰ってぼーっと映画を見たり、急ぎでもない仕事をこなしてみたり、時間が過ぎるのをただ待つだけだった。
でも今は、初めて『やりたいこと』がある。本屋にでも行って、美味しいケーキ屋の雑誌でも買ってみるか。あのキャラのグッズが置いてある雑貨屋に行ってみてもいいかもしれない。コンビニで甘いものを全種類購入してみても。
次に会った時、話題になりそうなものをたくさん入手しておきたかった。少しでも話が盛り上がって、一分でも長く会話が続くようにしたい。あの人が好きなものは俺の好きなものでもある。
心が弾むような感覚になりながらハンドルを握って信号待ちをしていると、ふと大通りの歩道に見覚えのある後姿を見つけた。背筋を伸ばしてまっすぐ前を見ながら歩くその姿を、自分が見間違えるわけがないと思った。
血流が一気に増えたようになる。
月乃はそのまま、近くにある飲食店に入って行った。その時丁度青信号になり、自分は慌てて車を発進させると、すぐそばにあるコインパーキングに車を停めた。偶然を装って、少しでも会話を交わしたいと思ってしまったのだ。
車を降りて店に向かう。よくある海鮮を売りにした和食屋のようで、俺は入ったことがなかった。迷わず中に足を踏み入れる。
仕事終わりに友人と食事に来たのかもしれない。もしかすると、あの由真という女性なのかも。彼女の友人関係は全く分からないので、また一つ月乃について知れるかもしれないと心が躍る。
店員に案内され、カウンター席に通される。ちらりと店内を見てみると、奥の席に月乃の後姿を見つけた。頬が緩むのを必死に隠し、声を掛けようと席に近づいていく。
「……ですね! まだ入ったばかりなんですけど、楽しくやってますよ」
月乃の明るい声が耳に入って微笑んだ時、次に聞こえてきた声に足が止まった。
「すぐに就職先が見つかってよかったよ。しかも、神園ならむしろ前の会社辞めてよかったじゃん」
低い、男の声だ。
高ぶっていた心臓は冷えたようになった。呼吸すら忘れてその場に立ち止まる。
男。男だ、男? いや待て、複数人でいるのかもしれない。それなら付き合いで飲むことだってあるだろう。俺だってあるのだから。
そうわずかな望みにかけて数歩進み、向こうの席の様子が視界に入ったところで、自分は絶望することになる。
月乃の正面に座っていたのは、男性たった一人だった。
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