第1章 アイドル爆誕

第1話 ライフ・オーバー

 資料作りが終わった……。これで課長にどやされなくて済む。


 社会人になった記念に買った腕時計を見る。


 今から会社出れば、終電には十分間に合う。


 疲れたし、たまにはスマホじゃなく、家のテレビで推しのLIVE映像でも見ようかな。


「いや……」


 しかし、明日は9時から企画会議がある。プレゼン資料の見直しをしなきゃならない。


 一昨日のプレゼンでは、上司に誤字をめちゃくちゃ詰められたからな。


 今ここで確認しておくか?


 でも、確認したら絶対に今日も会社に泊まることになる。


 ワイシャツのストックはない。明日は取引先にも行かないといけないし、今の臭いで会ったら迷惑だ。


 着替えも含めて、家に帰ろう。


 荷物をまとめて、三波啓介と印字されている社員証の入った首下げ名札を机に置く。


 残業時間は数えてない。


 どうせ固定残業代3万円だけしか払ってくれない。残りはサビ残。数えたところで虚しいだけ。


 会社を出て、足早で終電に乗り込む。


 自宅の最寄り駅まで20分かかるが、絶対に座らない。座ると100%寝過ごす。そんなことになったら絶対発狂する。


 どれだけ眠くとも、目は閉じない。絶対に家に帰る。


 死ぬほど辛い眠気に耐えて、ついに最寄り駅に着いた。


 ここからは歩きで10分か。たどり着けるか微妙だな。


 重い足取りで暗い住宅街の道を歩いていると、場違いなほど綺麗な女性と、その女性とは服装が不釣り合いすぎる男性がいる。


「………あ……あれって……!」


 まさか、俺の推しのアイドル、四季(しき)メグルちゃん……っ!?


 なんでこんなところに!?


 いや、それよりもっ、なんであんな変な男性と?


 もしかして、ファンや事務所には内緒で彼氏をつくっていたとか…………。


 なんてことだ。


 せっかく自宅に帰れる日に、俺はなんてものを見てしまったんだ。


 メグルちゃんだけが、俺の社畜人生の唯一の心のよりどころだったのに。


 あの笑顔も、彼氏いない発言も、全て嘘だったのか。


 こんなことを知るくらいなら、会社でプレゼンの資料を見直して、朝まで発表練習していればよかった。


 最悪だ。


「……帰ろう……」


 虚しすぎる。あの子につぎ込んだ金も、時間も、全てが……。


 下を向こうとしたその時、四季メグルちゃんがその場で座り込んだ。


 ……おかしい。


 そう思ってよく見ると、メグルちゃんの顔は明らかに怯えていた。それに、男性の挙動も変だ。


 違う、あの男性は彼氏じゃない。


 そう考えた瞬間、メグルちゃんに向かって駆け出していた。


「何やってるんだ、お前!」


「ちっ!」


 帽子を深く被った男性が俺の方を向く。男性の目は血走っていた。普通じゃない。


 数秒遅れて、手にナイフが握られていることに気が付いた。


「お、お前っ!」


「めめめ、メグルちゃんは僕が救うんだ。僕だけが救えるんだ」


 そう言いながら、男性はメグルちゃんに向き直る。


 駄目だ。男はすでに錯乱している。


 叫んでも、おそらく警察や近隣住民が来る前にメグルちゃんに刃物が襲いかかる。


 それだけは避けなきゃならない。メグルちゃんの身体は絶対に傷付いちゃいけないんだ。


 こいつは俺が食い止める。


「やめろっ!」


 男性の肩を掴んで、メグルちゃんから遠ざける。男性はドサッと地面に転がった。


「メグルちゃん! 逃げて!」


「だ、だめ……腰が……」


 震えた声。


 まずい。これではメグルちゃんが逃げられない。


 なら警察を呼ぶしか。


 俺はポケットからスマホを出し、110を押して―――


 グサッ!!!


「うっ!!!」


 右足に今まで経験したことがない激痛が走る。

下を見ると、刃物が俺の太ももに刺さっていた。


 思わずその場で膝をついてしまう。


 このままでは―――


 ザクッ!!!!


「ぐっっ!!!」


 腹にさっきよりもさらに痛い激痛が全身を駆け巡る。


「アハッ、アハハハハッッッ!!!」


 男性の狂った笑い声が、酩酊する脳内につんざく。


 俺、死ぬ。


 でも、どうせ死ぬなら、絶対にメグルちゃんは無傷で救う。


 スマホをメグルちゃんに投げ渡す。


「110番っ! 繋がってるっ! 警察に伝えてっ!」


「アハハハハハっ!」


 男性が俺をまた刺そうとするなか、俺はすぅーと息を吸いながら男性にタックルし、


「助けてくれぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


 目いっぱい叫んだ。


「うっ」


 男性は俺の捨て身タックルに立ちむかえず、背中から地面に倒れた。


 倒れた衝撃で、手元から刃物が零れ落ちる。


 逃さないっ!


 俺は手で刃物を払って男性から遠ざけつつ、男性に覆い被さる。


「逃がすかよ。お前はここで殺人犯として刑務所にぶち込まれるんだ」


 俺は再び息を吸いこみ、SOSを叫ぶ。


 ぐぐぐっと男性の力が強まるが、ここは負けない。負けるわけにはいかない。


 警察が、近隣住民が来るまでは絶対にコイツを離さない。


 やがて周辺がガヤガヤとし始める。その頃には男性の力も弱くなっていった。


 周りが何か言っているが、全然聞き取れない。


 ……体が揺らされている。誰だろうが、知るか。このクソ野郎を離すもんか。


 ピーポーピーポー。


 このサイレン。警察が、やっと来てくれたか。


 ……よかった。多分、メグルちゃんは無事だ。


 メグルちゃん。俺のことは気にするな。この男は最低でも20年は出てこねぇ。


 その間に君は歳を取るだろう。その頃にはこのクソ野郎も新しい推しを見つけてるだろうよ。


 ともかく、メグルちゃん。長生きして、俺の分まで好きなように生きてくれ。


 悔いの多い人生だったけど……この瞬間だけは……良い人生であった……。

 



 プツンと意識が途切れた。


 ♢♢♢


 気付くと、俺は白い椅子に座っていた。


 周りは宇宙が広がっている。


 目の前には、俺が今座っている椅子よりも格式が高い椅子が置かれている。


「なんだここは……?」


「三波啓介」


 凛とした女性の声が後ろから聞こえた。


 コツコツ、と背後から足音が近づいてくる。


 俺の横を通り過ぎて俺の前に立つ人物は、見た目は16歳くらいなのに、今まで見たどの女性よりも神秘的だった。


「あなたは絶命しました」


「ぜつ……めい……?」


 白亜の椅子に、神秘的な女性は貴族のように偉そうに座る。


「ようこそ、死後の世界へ」


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