(5)

 予想外の話が飛び出して驚いたものの、それは俺にとって決してネガティブな材料ではない。この野原がどのような特性を持っているかを知るための貴重な情報になるからだ。そして、俺がじいさんに聞きたかったことは野原の第三者評価そのものではない。これまで固定資産税を払ってきているし、相続関係の手続きでも税の計算に必要になるから、野原がどのくらいの資産価値を持つかはおおよそわかっている。さっきじいさんが言った通りで、中間原野と言っても二束三文なんだ。

 ただ、低い査定には『売れない』という外部評価が刺さり込んでいるのに、売れない根拠が皆目わからない。そのブラックボックスがどうにも気持ち悪いんだ。


「済みません、牟田さん。ちょっと原則のところに戻りますね」

「原則?」

「はい。父が亡くなってここを相続する時、資産評価を含めて弁護士さんに手続きをお願いしてあるんですよ」

「ふむ。ここの評価方法がわからないということだね」

「はい。納税額は知れたものだったので、ここが資産価値の乏しい原野であることはわかります。でも」


 野原に背を向け、ぐるりと眼下の住宅街を見渡す。じいさんも俺の目線を追った。


「これだけぎりぎりまで宅地化されているのにどうしてここだけが残ったのか、不思議に思いません?」

「ああ、確かにそうだ。最初に見た時に思ったんだよ。ここもいずれは家で埋まるだろうと。今の今まで原野のまま残っていたことがどうも腑に落ちない。だから最初に驚いたんだ」

「そうでしょう? この野原は、私の父の前に丘全体を所有していた穂坂さんという方が、売ろうとしてどうしても売れなかった場所なんです」

「どうしてだい?」

「いわゆる、事故物件だからですよ」


 じいさんが、ぐっと押し黙った。


「牟田さんが遭遇された出来事の前に、すでにいろいろあったんです。一番喧伝されたのは『神隠し』です」

「神隠し?」

「はい。ここの中のものが消えるという噂を聞きつけて、東京の私大の先生が野原の中を調査しにきたことがあったそうです。旅費を浮かせるために中で幕営されていたんですが」

「ふむ」

「さっきの残土と同じですね。テントごと消えてます。一夜にして」


 絶句したじいさんが、俺の顔を凝視している。


「本当か?」

「行方不明になったことは新聞記事になりましたし、警察でも捜査していますが、結局見つかっていません」

「……」

「その事件以降、ここは広く知られる訳ありになった。事件を知っているどのデベロッパーもここを忌避するようになったんです」

「なるほどな」

「その事件の前から、穂坂さんはこの野原が変化しない……いや違うな、変化に抵抗していることに気づいていました。野原の中にもともと存在しなかったものを置いておくと、翌日にはなくなっている。どこかに消えてしまうらしいんです」


 一度話を切って、牧柵のロープに背中を預ける。


「そういう訳あり地所を父が穂坂さんから買い、私が継いでしまった。いや、私は小さい頃からここに馴染んでいますし、事情もわかっているからいいんですが、地所の維持にはお金がかかります。税金だけでなく、外周の草刈り、ゴミ処理、牧柵の補修……いろいろね」

「そうだね」

「面倒事を子供らに押し付けたくないんですよ。子供らが納得して引き継ぐならいいんですが、きちんと背景を教えておかないと子供らがトラブルに巻き込まれることになる。訳ありの訳をちゃんと解き明かさないと、売るにしても持ち続けるにしても身動きが取れません」

「ああ、そういうことか。納得だ。なぜここが禁忌の土地になっているか、それを調べたいということだな」

「はい!」


 はあ。やあっと本題につながったよ。


「牟田さんの本業とはちょっとかけ離れていると思うんですが、ここの履歴を土地所有の面からさかのぼって調べていただきたいんです。もちろん報酬はお支払いいたします」

「真っ当だ。極めて真っ当だ」


 じいさんは、ぐんと頷いた。


「それは私が無償でやる。不用心な情報の垂れ流しが私の人生を捻じ曲げてしまったんだ。最後の修正くらいは自力で責任を持ってやりたい」

「いいんですか?」

「もう隠居じじいだよ。道楽の範囲でできる。だからと言っていい加減な調査をするつもりはない」

「助かります!」


 最後に一つ補足しておこう。


「今日牟田さんから伺った残土の話ですが」

「ああ」

「私がこれまで穂坂さんや父から聞いてきた事実と、一つだけ合わないんですよ」

「……。そうか。消えていないんだな」

「そうです。まさに意趣返し。こんなもの置いていきやがって! そっくりおまえらに返してやる! 野原の排他アクションが、邪魔だからどこか他に退かすという機械的なものではなく、意図的なんです」

「ううむむむ……」


 がつっと腕を組んだじいさんがじわじわ唸る。


「つまり、ここの訳にはどこか人間臭さを感じるんですよ」

「その示唆は助かる。どこまで遡る必要があるか、絞り込む必要があるからな」

「はい。で、私の個人的印象なんですが、何百年も前からということではないように思うんです」

「どうしてだ?」

「地元にはこれといった伝承がないんです。神隠しというのはとても大きなアクシデントです。もし頻繁に起こっていれば必ず地域の禁忌としてマークされているはず。でもこのあたりの地誌とかを漁ってみても、全くそういう類の記載は出てきません」

「訳の発生を近、現代に絞れるということだな」

「穂坂さんが購入された時にはすでにあった。なので、訳の発生はそれ以前だと思うんですが、三百年、四百年前ということでもないような」

「わかった。心得ておく」


 心の中にずっと抱え込んでいた重荷を下ろして、少しだけ楽になったんだろう。じいさんの表情が柔和になった。


「時に、佐々木さん」


 お? やっと、あんたから客扱いに移行したか。


「なんでしょう」

「孫は……京香はちゃんとやっとるのかね。どうもあいつは落ち着きがなくてなあ」

「いえいえ、とても優秀ですよ。仕事面では誰もが高評価しています」

「仕事面? というと?」

「ははは。ちょっと好奇心が強すぎるというか。いろいろなことに首を突っ込む癖があるというか。その好奇心を上手に活かしているので決して悪いことではないんですが、好奇心が猫を殺すということわざもあります。用心も同じくらいした方がいいかなあと」

「そうだな」


 振り返ったじいさんが、まだ枯れ色の野原をぐるりと見渡す。視線は相変わらず厳しい。


「京香には、ここの訳を教えない方が良さそうだな」

「ええ。そこは内密にお願いしますね」

「当然だ」


 値踏みをする……か。じいさんとのわずかな時間のやり取りで、印象は大きく変わった。話中のどこか一点でじいさんを値踏みしてしまったら、俺はまた大きな後悔を積み重ねることになっただろう。牟田さんの評価だってそうだ。プラスとマイナスは時に容易にひっくり返るからな。

 俺だって、一方的な値踏みはされたくない。スローモーで鈍感な牛男だと、自分で思うのと値踏みされるのとでは意味が全く違う。値踏みの功罪ってのを慎重に考えなければならない。

 そういう意味では永遠の野原も値踏みがひどく難しい。それが単なる地所なら値踏みは簡単さ。だが野原に意思、意図、人格がもし潜んでいたなら、値踏みなんてとてもできそうにない。


 じいさんに車のところまで先に降りてもらい、野原に向かって力なくぼやく。


「中にないものを退かすんなら、野原に置いた俺らの悩みもどっかに持ってってくれよ」



【第三話 値踏み 了】

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