第三話 値踏み

(1)

 三月に入ってだいぶ暖かくなってきた。底冷えする間は不機嫌そのものだった軽も、いくらか運動不足による筋肉痛が癒えたのかエンジン音が澄んできたようだ。もっとも、同乗者が一人増えると途端に文句を言うのは変わらないと思うが。


 車をカーポートから出す前に、一度目を瞑る。


「さて、と。どういう値踏みになるか、だな」


 今日は、あの野原にちょっと違った心構えで出向くことになる。豊島さんには急がなくていいと言ったものの、俺が出来る下調査はしておかないと結局何もかもがずるずる先延ばしになってしまう。元来面倒くさがりでスローモーな俺が「まあいいか、明日で」を口癖にするようになれば、結局これまでの放置と変わらなくなるんだ。それはまずい。

 なので、とりあえず不動産としての野原の価値を見直すことにした。売る売らないは別として資産価値の第三者評価をしてもらわないと、次のステップに進めないからな。土地評価のお墨付きは自分の手札だ。そいつをデベロッパーより先に持っていないと、ろくでもない業者の魂胆を見破れなくなる。売るにしても断るにしても、だ。


 ただ不動産鑑定士に評価を依頼するとなるとそれなりにカネがかかる。しかも、俺の依頼は決してストレートじゃないんだ。最初から売る気満々とか、隣接している他の地主とずっと揉めてるとか、どっかの業者と組んで自主開発するとかの、どれにも当てはまらない。

 地価の高い都会のど真ん中ならともかく、住宅地の近くといっても人の波が引きつつある地区の狭い原野だ。そこが二束三文にしかならないのは誰にでも分かる。それをなんでわざわざ値踏みするんだ……と痛くない腹を探られてもしかたないんだよな。デベロッパーにひっついてる鑑定士を掴んじまうと、薮をつついて蛇を出すはめになりかねないし。


 で、しばらくどうするか悩んだんだ。野原の在所近辺で不動産鑑定士を探せば、結局俺の動きがどこかのデベロッパーに漏れかねない。売れるのであればそいつらからの商談持ち込みがひどくなるし、売れないようならそいつらにあらぬ噂を立てられそうだ。俺の現住所近辺かもうちょい東京寄りで探そうとすると、今度は選択肢が多すぎて誰が適任なのかわからなくなる。俺はしょせん門外漢だからなあ。

 途方に暮れていたんだが、ひょんなことからとある鑑定士の老人に野原を見てもらえることになったんだ。ただ……相当癖が強そうなんだよなあ。私鉄の駅前でピックアップすることになっているんだが、今ひとつ気乗りしない。中途半端な気分のままで、サイドブレーキを解除してアクセルを踏んだ。本当に行くのかと訝るように、軽が一度ぶるっと身震いしてから走り出した。


「ああ、おまえと同じ気分だよ」


◇ ◇ ◇


 その鑑定士は俺の想定にはまるっきり入っていなかった。社で見つかったからだ。親父と章子が相次いで逝去したことは、同じ課の連中ならみんな知ってる。だから、死後の後始末で俺がばたついていることも衆知の事実だ。あの野原をどうするか決めかねていることも社の連中には隠していない。もちろん、永遠の……という部分は伏せてあるが。いや、伏せなくたって誰も信じないだろうけどな。

 それゆえ、親から引き継いだ地所の後始末が面倒臭いという愚痴を、折に触れて同僚にぼそぼそこぼしていた。


「俺はもう自宅を建ててるし、子供らは今賃貸暮らしで、将来マンションとかを買うにしてももっと便利のいいところにと考えるだろう。あすこは使い道のない土地なんだよなあ。ただ先々のことがあるから売れる売れないに関係なく値踏みは必要なんだが、どうにも気合いが入んないんだよ」

「住んでないところだとそうなりますよねえ」


 社食で昼飯を食いながら同じ課の坂口とそんな話をしていたところに、通りかかった牟田むたさんという若い女性事務員がひょいと首を突っ込んできた。

 牟田さんは昨年入社したばかりだから、うちの課では一番若い。無駄口を叩かず仕事をちゃっちゃっとこなし、だらしないところやちゃらけたところがないので課内での評判は概ね高い。ただ……好奇心がどえらく強い。いろいろな話に突然刺さってくるので心臓に悪いんだ。白けた若い連中が多い中にあって、変わりダネと言えるかもしれない。


「佐々木さん、そこって広いんですか?」

「むぅ。広いと言えば広いし、狭いと言えば狭い」

「どういうことですか?」

「面積は一町歩。あ、若い人にはわかりにくいか。一ヘクタールくらいかな。丘陵地にある住宅街てっぺんの野原だよ」

「あ、そうか。野原だと狭くて、住宅地としては広い。そういうことですね」

「まあな。あれだ。ザビエル頭を想像してもらえばいい」


 俺の使い古されたギャグは、苦笑でさらっと流された。


「電気も水道も入ってないし、ずっとのっぱらのままだから、大した価値はないよ。だけどどっかで資産価値を押さえておかないと、今回みたいなことがあった時にまたごたつくなあと思ってさ」

「佐々木さんー、縁起でもないこと言わないでくださいー」


 俺が振り向いたまま牟田さんと話し始めたのを見て、坂口が食器の乗ったトレーを持って立った。


「牟田さん、座って話したら? 佐々木さん、お先ですー」

「おー」

「あ、すいませーん」


 ちゃっかり坂口と入れ替わった牟田さんが、興味津々で身を乗り出してきた。やれやれ。


「じゃあ、不動産鑑定士さんに査定してもらうってことになるんですよね」

「そう。ただ、売ること前提ではないからさ。誰でもいいってわけにはいかないんだ」

「あのー」

「ん?」


 牟田さんが、ひょっと首を傾げた。


「わたしの祖父が昔鑑定士をやってたんです。今は仕事としてそっち系受けてないので、業界とのしがらみはないはずです。聞いてみましょうか?」

「適任の人を紹介してもらえるかもしれないってことだな」

「はい!」

「それはすごく助かる。さっきも言ったが売ること前提じゃないんで、デベロッパーべったりの人は勘弁してほしい。あと、そんなに大金は払えないんで……」

「わかりますー。条件は伝えておきます」

「じゃあ、あてにしていいかい?」

「任せてください!」


 あの野原の住所と地番を書き記した紙を牟田さんに渡し、連絡を待つことにした。好奇心の塊と言っても、その好奇心は彼女の人脈作りにちゃんと活かされている。至極真っ当で上等の活用例だろう。息子のまさるにも見習ってもらいたいもんだが、あいつは俺以上の昼行灯だからなあ。


◇ ◇ ◇


 まあ、そういう経緯いきさつがあって。なんと牟田さんのおじいさんが直接出張でばってくれることになった。ただ……嫌な予感がしたんだよ。電話でのやり取りで、牟田さんのおじいさんがいわゆる偏屈じじいの最たるものだということがわかってしまったからだ。


「偏屈は豊島さんだけで間に合ってるんだけどなあ……」


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