第10話
「――それで、話を戻しますけども。おんし、いつまでお続けるになるつもりかや」
仰臥する妖がまたぞろ問うてきたものだから、
「そりゃぁ、お前さん。何か活きの良いのが掛かるまでは梃でも動かねぇ、ってのが釣師の本意じゃござんせんかね」
と応えて寄越す。
「そうですか。お地蔵さまに苔生すのとどちらが早いかしら」
「置きゃあがれ、こちとらこんなオモチャの竿で本気で釣ろうなんざ思っちゃいねぇ。第一食い扶持の為ってんなら、端っから網でも仕掛けてらぁ」
「ホホホ、釣れぬのを承知でただ漫然と腰かけておったと申されますか。これはまた妙な趣味をお持ちよの」
「おんや、こちらの妖怪サマは釣りの醍醐味ってモンをご存じでねぇらしい」
凡夫は妖の勿怪顔に半眼の視線、じっとり浴びせてくつくつと喉で笑う、これまで虚仮にしてくれた意趣返しと言わんばかりに。すると妖はすっくと起き上がり、頬には朱の熾る、微かに柳眉の引き攣ったのまではっきり見えて、どうせまた軽く遇われようと踏んだ凡夫は存外のご立腹にたじろいだものの、撒いた水をどうして呂尚でもないこの男が盆に返すこと能おうか。
「別に大したことじゃねぇ。釣りは目的でなく手段、ってだけの話よ。物思いの暇を用立てるのに釣りを選ぶ奴もありゃぁ、ダチ公と語らう口実で釣りに誘う奴だってあらぁ。要は釣りの恰好をして、そいつの心魂が満たされるのなら何だっていい。飯の種になるかどうかなんてのは二の次だ。それをお前さん、ガキの背比べじゃあるまいに、釣果が多いの寡いのに血眼になるばかりが釣りの妙味だと思われちゃ……おい、だんまりこいてねぇで何とか言ったらどうよ」
垂れ流すに任せた講釈を結局自ら引っ込めて、凡夫はお冠であられる妖の様を伺えば、見下ろす妖は白き面に泥眼張り付かせたままピクリとも動きやしない。冷ややかなる目差しに吸い込まれた凡夫の心は薄氷の道を行くかのよう、いつ割れる、いつぞや忿怒、音に聞こえる般若が顔を出すかと気が気でならぬ。すわや――
「……ええい。わかった、俺っちが悪かった。けどお前さん、用があるならそうと――」
「おっほほほほほほほほ!」
――爆ぜん、となるのを阻止すべく下手に出た凡夫の臆断は見事、空振りにて已みにけり。耳を聾するのは激憤でなく高笑い、ああ騙された、また騙された、だまされた。露骨に舌打つ凡夫は肚裡に呟いた、なまじ別嬪だからいかぬのだ、と。
「何を申すかと思えば、よくもまぁ。左様な長広舌は、道を究めし
「……おっしゃる通りで」
「ホホホ、そう悄気ずともよい。吾とておんしの言に否やを唱えるつもりはありませんとも。ただのぅ、吾はそろそろひもじゅうなりました」
「あん、お前さん腹は減らねぇんじゃなかったか」
「左様なことは一言も。食わずとも大事ないのは確かですが、吾とて食の愉しみと無縁でおられるほど達観してはおらぬでな。それに何より――」
と、そこで妖は
「――人の子が、それも吾の為に釣った魚は如何ばかりか美味であろうと、そう思うたらお腹の虫が疼いてしもうてなぁ」
「あーさいですか」
落としどころは結局そこかぃと、凡夫は悪態吐くもそうまんざらでもない顔つきに。何より妖は行き倒れの己を拾うてくれた(これが誤認であることは諸氏の胸奥に秘められたし)、そのうえ極上の美酒まで振舞われたとあっては、恩を返さぬわけにはゆくまいて。斯様な形で相殺となればむしろ儲けものだが、竿を一から作り直すのは面倒だ――。
斯くの如く情と打算の天秤は右に左に、振れるに合わせて凡夫も
パキリ――音がした。凡夫は盛大にすっころんだ。
「おお。ようやっと機が熟したようじゃのぅ」
暢気な妖の調子を耳に聴きつつ、凡夫は徐に身を起こして先ずは痛む背中をさするところから、続いてどこぞと首を振る、我が身を襲った災難の種はしかし、探すまでもなく目の前に。
其はまさしく巨大な種の形、椅子代わりに酷使された木の実はひび割れて、隙間より柘榴めいた濃き赤の汁を滴らせてあった。その姿から凡夫が連想したものといえば、苦行に耐え兼ねついに
「……なぁるほど。だから、木波羅蜜ってか、ふざけやがって」
「はぁてはて、何のことやら」
「とぼけるなぃ、意味もなくそんなけったいな名をつける奴があるものか――お前さん、俺っちを試したな」
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