第4話 龍と殿様

「殿、お逃げ下され! 龍が、龍が!」 

 いつもは冷静な家老が、慌てて、こけつまろびつやってきた。


「何ごとか。いや、よい」

 我々が、と留めようとする者達を制し、自ら動く殿様。


「ほう、これは」

 楼閣ろうかく格子窓こうしまどに近付くと、窓の外に浮かぶのは、紛う方無き、龍であった。


「逃げ場などは、なさそうだの」

 笑う殿様。


『愚かな子に比べ、勇なるものぞ』


 格子窓が、からりと音を立て、開く。

 あたかも、自ら龍を迎えるかの如く。


「あやつが何かを?」 

 愚かな子、は一人しか思い浮かばぬ。

 嫡男は唯一の男児ではあるが、無辜むこの民に害を成す者は許さぬと、謹慎という名の出家を命じたのであるが。


其方そなたが預けようとした寺にて、狼藉を。寺子屋に居た娘……手習師匠てならいししょうをその手にできぬからと、幼子を人質に。よって、ここまでの道すがら、寺の庭に転がしてきたぞ。ああ、そうだ。よき刀は、無事だ』

 善良な寺のもの、そして、龍が大切に思うあの女……娘や子ども達は全員無事だ。


 刃を突きつけられていた子ども達の代わりになると叫んでいた女。


 龍の姿を見て、驚き、そして安堵していた。


 ……あの表情は、実に笑えた。

 さすがに、呵々かか、と笑う場ではなく、控えはしたが。


 寺の僧侶も、実にまっとうなものだった。

 祈祷きとうをしながら、僧兵達を指揮しておった。


 そもそも、出家の為にやってきた領主の息子が帯刀していたばかりか、いきなり寺子屋を襲ったのだ。予想しろというのが酷である。


 それでも、領主から託された責任から、愚かなものを罰する気でおったのだろう。


「あのお方さまは、子ども達をお助け下さる方。騒ぐでない」


 見事な眼力だった。

 おかげで、龍だ! と騒がれることもなく、皆を救えた。


 そして、恐らくは刀の材となった玉鋼たまはがねに宿る精霊の声を聞いたものが打ったであろう、よき刀も。

 よき刀。愚かなものが、寺に送られるどさくさに、城から持ち出したのだろうか。


『この汚辱おじょくの手から救うて下さりましたこと、誠にありがとう存じます』と龍にこそりとささやいていた。


 愚かなものは、龍が何かをするまでもない愚物であった。


 空に浮かぶ龍と龍が落とした威嚇の雷への恐怖から、失禁寸前。

 赤子の手を……などと申せば赤子に失礼なほどであった。


 寺の中で体中から水分を出されては清めるのもたいへんだろうと、庭に転がしてきたのである。


「……愚かな。分かり申した」


 驚くべきことに、殿様は龍の言葉をすべて信とし、速やかに追っ手を差し向けた。


「向かうべき場所は、を預けしあの寺ぞ。決して我が子と思うな。卑劣なるとがを犯せし奴とみなせ。嫡男として扱うは厳禁ぞ」と。

「「「ははっ!」」」


 家老を筆頭に、あっという間にこの場を辞したもの達を見送る、龍と殿様。


『……礼を言う。そうだな。では、この地の水を守るものに、枯れぬ水場を求めておく。いずれ必ず、新たな水は湧く。適切な量を、争わずに使うように。それを守れば、水場は枯れぬ』


「ありがたきお言葉。民と、そして、あの刀をお救い下されましたこと、ありがとうございます」


 そして、龍は、殿様が許される限りの角度で頭を下げたのを見た。


『……よい。人も、刀も。其方のもとに在ればおだやかにあれようぞ。……では』


 龍は、再び、飛ぶ。

 

 あの泉の近くに、水源があった。


 新しい泉を、起こしてやろう。


 出水いづみよ、どうか。


 あの女を、守ってくれ。


 ……異世界へと戻る、わたしの代わりに。




 ※呵々……大声を上げて笑う様子。



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