【カクヨムコン9】出水~イヅミにて~

豆ははこ

第1話 龍と異世界の泉

『ここは……』

 若き龍は、目を開いた。


 そして、己の故郷、幻獣界とは異なる世界であることをすぐに理解した。


 ここは、そう。異世界。


 何故なら、空気が、違う。

 魔力を持つものが生きる世界の、あの独特の空気。それをほぼ、感じないのだ。


 精霊の気配は……ある。精霊獣もいるのかも知れない。だが、聖霊や聖霊獣、自分のような龍にも似た霊獣、幻獣には。


『恐らくは、会えまいな。ここは、話に聞く異世界であろう。幻獣界で普通に午睡に励んでいたはずが。……界の狭間にでも、落ちてしまったか』

 界の狭間。

 何らかの理由で生じる、界の穴。

 別の世界、次元に通じるというが、まさか、自分がはまってしまうとは。


 精霊王様、聖霊王様とも親しく交わられるほどに偉大なるお方、幻獣王様がお治めになる故郷、幻獣界。


 異世界を渡る高位の精霊殿、精霊獣殿達も稀にはあられるとは聞くが、自分はまだ、よわい数百年程度。鱗の色を名として名乗る年にも満たぬ若輩者。


 そのような栄誉があるはずもない。


 つまりは、本当にたまたま、だ。


 ……帰りたい。


 だが、帰るすべは、あるのだろうか。


 高位殿に見つけて頂ければよいが、この世界にいらして頂けたとしても、たまたまこの地、この時代になり得るのか。


『異世界人の転生にでも立ち会えれば……』

 つい、可能性が更に低いことも考えてしまった。


 幻獣界からこの地……異世界へ。または、異世界から幻獣界への転移、転生。


 それは幻獣王様方が幾重にも重ねて備えられねば、叶わぬこと。しかも、命あるものは狭間の衝撃に耐えられぬ。


 ……姿があるのは、わたしが、龍であるからか。


 見てみれば、鱗の色が、常とは異なる。

 色が、薄い。


 幻獣としての力が消耗しているのだろう。


 恐らくは、地龍、水龍ほどのりきのみ。


 そのように推察していたら、気配を感じた。


『この泉のものか』


「龍様。どうか、私達が御身にお仕えしますことをお許し下さいませ」

 泉に長く住むという、古老の鯉であった。


『許すも許さないも、わたしの方こそ、異世界よりいきなり現れ、其方達の住まいを荒らしたものぞ。良いのか?』

 龍の名は、年を重ねたものが鱗の色をそれとして名乗る。こちらの世界の龍もまたそうであるのかは知らぬが、それを伝えても鯉から寄せられる敬意は深く、そして澄んでいた。


「無論にございまする」

 鯉は再び、礼をする。


 水質のよい、異世界の泉。


 古老の鯉は、この地を治める殿様は清廉潔白、人にしておくには惜しい、よきものと伝えた。


 この泉を管理している名主なぬしも、民から慕われるよきもので、泉に生きるもの達をむやみに捕るようなこともないという。


『食するために、を恨むものはこの泉にはおりませぬ。わしが村の網にかかりますと、「泉の主にすまぬ」と村のものたちが自ら、泉にかえしてくれますしのう』


 ……ふむ。


 理由もなく異世界に転移してしまったことはともかくとして、悪くはない地ではあるようだ。


 しばらくは、この泉に居候しようか。


 こちらでも幻術が使えるようならば、己が姿に術を掛けねばな。


 そう思った、刹那。


「龍様にあられますか!」

 しまった。人の声だ。


 静かに暮らしているこの泉のもの達に迷惑は掛けられらぬ。


 場合によっては、人の意識を奪わねば。


 叫ばれるか、他のものを呼ぼうとされるのか。


 どちらだ。


 龍の双眸が、声の主を見る。


 すると。

「なんて、なんて、お美しいの!」


 ただ、ひと言。


 声の主、若い娘は、うっとりとして、立ち続けていた。


『いきなり、何を……』


 龍が、心の声、念話でそう伝えるまで、ずっと。










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