この世界に、もはや時効は存在しない

kayako

規則は破る為にある――それが美徳だった時代は、遠く。



「聞いてください、刑事さん」


 取調室にて、そのみすぼらしい男は俺に呟いた。


「30年前の万引きって……

 ここまでされにゃならんほどのことですかねぇ?」

「何を言ってるんですか」


 ため息をつきながら、俺は答えた。


「貴方が万引きしたのは、昨日ですよ。現行犯逮捕です。

 コンビニでパンを盗もうとして、店員に捕まった。それは事実でしょう」

「いやいや、違うんですよ」


 それでもその男は頭を振る。

 恐らく1週間は洗っていないであろうそのごましお頭から、フケが雪のように散らばった。


「刑事さん。私が再び万引きせざるを得なくなった、その理由はご存じですかい?」

「ある程度は」


 襟の汚れが際立つワイシャツは逮捕時のまま。左肘と右肩が擦り切れてボロボロだが、捕まえた時に揉みあったからではない。そのずっと前から擦り切れていたのだろう。

 男の無精ひげを見つめながら、俺は調書を手に取った。



「少し前、ネットで貴方のことが話題になりましたね。

 30年前。まだ中学生だった貴方は、ほんの出来心からゲームソフトを万引きした。

 そのゲームソフトの現物を、今になってうっかり、SNSに載せてしまったばかりに……」

「そう――そして私は炎上した。

 それまで何気なくSNSに投稿していた日常の写真から、住所や名前まで特定され、遂には全ての個人情報がネット上に晒されてしまった。

 結果私は、勤めていた会社を追われた。その上、どれほど再就職を望んでも、どの会社も蹴られてばかりで……

 友人どころか親兄弟からすら見捨てられ、住む家さえなくなり、今やこのザマです」



 このような事件は最近、後を絶たない。

 右隣の取調室でも今、40代のOLが取り調べを受けている。高校の時、友人と無免許運転をして軽井沢までツーリングした件をネットでバラした途端、大炎上。

 パトカーと追いかけっこして超スリリングだった♪などと書き込んだらしい。本人的には武勇伝のつもりだったのだろう。

 炎上の最中、SNSに暴言を吐きまくった結果、誹謗中傷で捕まったそうだ。


 左隣の取調室では、学生時代に思い切り校舎のガラスを割りまくったとSNSに書き込んだ男が捕まっている。本人曰く、当時流行りのドラマや歌に影響されたらしい。

 しかし当然、これも大炎上。瞬く間に勤務先まで特定され、職場で乱闘騒ぎを起こして逮捕。



 いずれも30年前ぐらいの件をきっかけに炎上し、現実でトラブルを引き起こした。

 結果、警察の厄介になっている。

 正直、勘弁してもらいたい。似たような事件ばかりで、全国的に留置所は今どこも満杯なんだぞ。



 それだけじゃない。警察こそ関わらないものの――

 SNSでの炎上がきっかけで身を滅ぼす例が、ここのところ頻発している。

 この男のように自分からSNSでバラしたなら、ただの自業自得で済むからまだいい。

 自分からでなくとも、10年以上昔の書き込みやらを探られ、少しでもヤバイものが見つかれば炎上することもある。

 最悪の場合、現実の知人からSNSで遥か昔の悪行をバラされて炎上なんてケースもある。

 今やらかしたならともかく、何十年前の過去まで取り上げて炎上させるのはやりすぎだとは俺も感じる。おかげで仕事も増えやがるし。



 以前から問題にはなっていたが、最近異様に多すぎる。国会でも大きく取り上げられるレベルだ。

 何やっても炎上になるのではという恐怖さえある。だからなのか、ネットは最近どんなジャンルであっても当たり障りのない書き込みが多い。昔は様々なジャンルで辛口な批評サイトも多く楽しかったものだが、すっかり消えてしまった。

 アニメも漫画もドラマも映画もゲームも、小説に至るまで、暴力シーンや性的シーンが消滅した。

 テレビでも、何の面白みもないタレントばかりが増えた。

 バラエティではお笑いが壊滅したのは勿論、炎上の危険がある場面が存在する過去の名作まで、テレビやネットから消えた。


 そして、炎上させようとする奴らは今や燃やすものがなくなったせいか、「現在」だけでなく「過去」まで探ってくるというわけだ。面倒きわまりない。



 目の前の男は視線をそらしながら、ボソボソと呟いた。


「今の若者は一つも悪さをせず、情けない。

 昔の自分はヤンチャだったと、そう言いたかっただけなんです」


 確かにそうだろう。

 この男が子供だった頃は、まだネットなんて存在しなかった。

 子供なら悪さの一つや二つやるぐらいが健康的。そう言われながら育った世代だ。

 今ネットで炎上の中心になりがちなのも、そんな痛い過去を探られたこの世代。


「私の子供の頃は、真面目に校則を守って大人の言いつけどおり勉強をする子供は、陰険で暗いとバカにされ。

 元気よく暴れまわって教師たちにツバを吐く、そんな子供がヒーローでした。

 規則は破る為にある。常識は蹴とばす為にある。それが美徳だった。

 世間の常識は、悪さをすることで身体で覚えていく。悪さをして、大人に叱られ、痛い目にあうことで、身体で常識を覚えていった。

 だから私も、私の周りの子供も、万引きをはじめ結構な悪さをしました。

 しかし、それが当然の時代だったんです」


 言いたいことは分かる。

 これまでどれだけ、この世代の愚痴を聞かされただろう。

 男が声を詰まらせたのを見ながら、俺は言葉を継いだ。


「言いたいことは分かります。

 今の若い世代は、最初からネットで良いことと悪いことを覚えていく。しかも昔よりずっと速いスピードで、常識を覚えて――

 しかも、常識から外れた行為は容赦なく叩き潰す。昔大人が子供を叱ったのとは違い、二度と社会復帰が出来ないレベルで徹底的に潰しにかかる」


 こくりと頷きながら、男は虚しく呟いた。眦には白く濁った涙さえ見える。


「その通りです。

 しかも何十年も昔のことさえ、彼らは容赦なく攻撃した。

 もう時効はとっくに切れているはずなのに……当時の私はただの中学生だったのに。

 ゲームをプレイする権利を他の客から何十年も不当に奪っていたという、もっともらしい理由や正論を振りかざして……うぅっ……

 あまりにも理不尽だと思いませんか」


 遂にはさめざめと泣きだす男。

 これもよくあるパターンだ。そして。



「今のご時世は――

 犯罪に時効のない世界なんですかねぇ?」



 犯罪に時効のない世界。

 そんなことになったら警察は、どれほど人手と時間があったところでぶっ壊れてしまうだろう。

 わが身を振り返ってみてもよく分かる。俺自身、過去にどれほど悪さをしたことやら。

 あれやこれやをネットでバラされたら、俺だってどうなるか分からん。

 しかし現実、世の中はそんな風になってしまったのかも知れない。



 ――男は愚痴り続ける。



「自分は生まれてこのかた、一度も悪さをしていないと堂々と宣言できる清廉潔白な人間が、どれだけいるというのでしょう。

 ネットで叩かれるようなことを、自分は一度もしていない。そう言い切れる人間はどれほどいるのでしょう。

 私などは逆に、そう言い切れてしまう人間の方が信用ならんと思うんですがねぇ」



 俺は静かに、諭すように、男を見据えて言った。


「いじめられた子の経験談はしょっちゅうネットで見るのに……

 いじめた子のそれを滅多に見ないのは、何故だと思います?」

「えっ?

 そ、そういえば……何故でしょう?」

「ネットで言えば炎上する。それが分かり切っているからです。

 だからかつてのいじめっ子たちは、狡猾な奴らであれば巧みに隠しとおし。

 真っ当に更生したのであれば、自分の心だけにしまい続けて墓場まで持っていく。

 いずれにせよ、その行為がネットに晒されることはありません」


 俺は一旦天井の蛍光灯を眺めつつ、息を継いだ。


「イジメっ子側が自ら過去を暴露するとしたら、本人にイジメの自覚がなく、ほんの遊びだと思ってネットに晒し、炎上するパターンが殆どです。

 そう――貴方がゲームソフトの万引きを、若かりし日のヤンチャ、若気の至りと思っていたように」


 俺は軽く深呼吸し、さらに言った。

 このテの事件の取り調べで必ず口にする、俺なりの定番の台詞を。


「殆どの人間は、色々隠しているんです。言えないような過去をね。

 しかし貴方は――というか、貴方がたのように炎上する人々の多くは。

 世間の流れを読めず、自分の過ちを過ちと自覚できないまま、過去の罪状を自らネットに晒してしまっています。

 自分に言わせれば、自業自得以外の何物でもありません」

「し、しかし……刑事さん……」


 はっきり言われ、何も言えずモゴモゴと口ごもる男。

 もう面倒くさい。今日はこのへんで切り上げるか。


「しかも貴方の場合、あろうことか同じ罪を今、再度犯した。

 30年間、反省がなかったと思われても仕方ありませんよ」



 **



 その日の深夜。

 自宅への道を、俺は一人寂しく歩いていた。

 住宅街はひっそりと静まり、人っ子一人いない。


 ふぅ……今日も疲れた。

 あの後も、一体何件の炎上事件を調べたか分からない。ここ最近、このテの事件は山積みだ。

 眠くて仕方ない。そうして欠伸をしかけた――その時だった。



 不意に、背中に熱いものがずぶりと食い込んでくる感触がした。



 刺されたと、すぐに分かった。

 畜生。腐っても警官たる俺が、不意をつかれるとは。

 炎上事件の連発のせいだ。あれのせいで最近、夜もろくに眠れなくて――



 振り返ると、そこにあったものは、真っ白い女の顔。

 どこかで見たような気がするが……


「あぁ……やっと見つけた」


 化粧っ気のない紫色の唇で、低く呟く女。

 背中から熱と共に、激痛が一気に突きあがってくる。

 そ、そういえば……この女、高校の時……そうだ。


「ふふ……すっかり忘れてたって顔しちゃって。

 でも、私は覚えてる。貴方は若気の至りだったかも知れないけど、私はちゃーんと、覚えてる。

 過去の貴方とのことを全部SNSにバラしたら、みんな後押ししてくれて、貴方の居場所を突き止めてくれたの」


 ……俺は、20年前、同じクラスの娘と……

 若いんだから一度ぐらい経験しとかなきゃって思って、俺、適当にそのへんの娘を誘って。

 一晩だけだったし、あんなことになると思わなくて……俺は。

 それが、それこそが俺の――

 墓場まで持っていこうと思っていた、俺の――



「そうね。貴方は忘れてても、私はしっかり覚えてる。

 そりゃそうよ。だってあの時の手術で、私、子供が生めなくなって――」



 それ以降の彼女の言葉は、俺の耳には届かなかった。

 20年前なのに。そんな俺の最期の言葉は、彼女に届くはずもなく。

 自業自得。あの男だけじゃない、俺だって同じだったじゃないか。

 あぁ。時効のない世界って……つらいなぁ。




 完



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