ユウレイの、正体見たり、喋ったり②

「……飲み物買ってくるから待ってろって言ったのに」


屋上。隠神は乾いたプールサイドで大の字に寝転がっていた。俺の両手にひとつずつ握られた缶コーラは、もうぬるくなりかけている。

レイバーン先生から"放送室の幽霊部員"の真相を聞いたあと、隠神はフラフラと学校の外へ出ていこうとした。俺は衝動的に隠神の手を掴み、生徒会室で待っているようにと言い含めてから自販機へ走った。

別段、引き留めてどうしようという考えがあったわけでもない。ただ、隠神をこのまま帰してはいけないような気がしただけだった。だけど俺自身、ユウレイラジオの真実をどう噛み砕くべきか悩んでいる。だから少しだけ考える時間が欲しくて、飲み物を言い訳に使った。

結局これといって考えはまとまらず……校門付近の自販機でコーラを二本買い、俺は生徒会室へ向かった。しかしそこに隠神の姿はなく。放送室、体育館、運動場とうろうろ探して、ようやく屋上プールで隠神を発見したのである。

眩しそうに青空を見上げていた隠神は、むくっと起き上がって「どうも」とコーラを受け取った。


「コーンポタージュがよかったです」

「売ってねぇよ。もうすぐ夏だぞ」


そうは言いつつ、隠神は受け取ったコーラを一気に飲み干した。それから空っぽの缶をプールサイドに置き、靴下を脱いでプールの淵に腰掛ける。すらりと長い脚を水につけ、不機嫌そうにパシャパシャと蹴っている。

俺も制服のズボンを膝までまくりあげて、足だけ水につけてみる。体の中に溜まった熱が、すーっと水に溶けていくような気がした。


「和泉ちゃんは気づいてたんですか? DJユウレイのこと」


右脚でプールをかき混ぜながら、隠神はそう聞いてきた。俺は「なんとなく」とだけ返事をする。

なんとなく、気づいていた。ユウレイラジオの真実は、おそらく隠神にとって良い話ではないと。隠神はDJユウレイに会えないのだと。察してしまったから、なかなか言い出せなかった。


俺はプールに足を漬けたまま、ごろんと仰向けになる。目が痛いほど青色の空に、雲の塊がするすると流れていく。

ちゃぷ、ちゃぷ、水の音だけが足元で鳴る。隠神がぽつりと「ユウレイラジオ、終わっちゃったんですね」と呟き、またプールに跳ね返る水の音だけが続いた。


伊江尾 葵の死後も延々と続いてきたユウレイラジオ。レイバーン先生が守り、レイバーン先生を悩ませたあの番組は、この日をもって唐突に終わりを迎えた。

レギュラー放送時も含めて二十年近くも放送され続けたご長寿番組でありながら、その終わりは決して大団円と言えるものではなかった。最後を飾る特別プログラムもなければ、番組終了のアナウンスさえなく。ただ、チェンジャーデッキの主電源が落とされて、ユウレイラジオの歴史は幕を閉じた。

きっとユウレイラジオの放送終了を惜しむ生徒はほとんどいない。番組が終わったことに気づかない生徒も多いだろう。なにしろユウレイラジオのリスナーは絶滅危惧種なのだ。隠神と俺、あとはレイバーン先生。ユウレイラジオの終了に何かを想うのは、今やもうこの3人だけなのかもしれない。


「私が出しゃばらなければ、ユウレイラジオはこの先も続いたんでしょうか」

「もうしばらくは続いたかもな。けど、これでよかったんだと俺は思う。DJユウレイのためにも、レイバーン先生のためにも」


けど、これは隠神のための結末ではない。ユウレイラジオに救われて、ユウレイラジオに変えられた隠神。彼女にとってユウレイラジオは青春の象徴だった。

だからこそ隠神はユウレイラジオのために立ち上がった。ユウレイラジオの悪評を振り払うために戦った。結果として、それがユウレイラジオの終焉に繋がった。


「私のせいでユウレイラジオが終わったのは事実じゃないですか」


隠神はそう呟くと、制服のままプールに飛び込んだ。だぱん、と重い水音がして、水しぶきが跳ねる。

起き上がって「なにやってんだよ」と尋ねたが、返事はない。隠神はすっかりずぶ濡れで、長い黒髪を頬に張りつけていた。ぽた、ぽた、頬を伝って水が垂れていく。飛び込んだそばから、隠神の瞳は充血していた。


「……お前が責任を感じることじゃない」


それ以外にどう声をかけるべきかわからずに、俺は再びプールサイドに背をつけた。

隠神は何も応えず、水面を笹船のように浮かんでいる。静かだった。休日の学校、屋上のプール。隠神の制服にとぷとぷと水が絡みつく音だけが流れていった。


「あはは」


ふと、小さな笑い声が聞こえた。声のしたほうを見やると、そこには壊れたままの配管がぽっかりと口を開けている。"生者を笑うモノ"の原因となった、例のパイプだ。

きっと一階のもう片方のパイプの先端で、園芸部あたりの誰かが談笑でもしていたのだろう。その音が伝声管代わりのパイプを通り抜けて、こちらに届いてきたのだ。


「こっちの怪談は相変わらず健在か。ままならないなぁ」


"生者を笑うモノ"の解明後、生徒会からはパイプの修理を提言しておいた。しかし正直、学校側の反応は思わしくない。

例のパイプは何年も壊れたまま放置されていたが、これといって不都合はなかったからだ。ただ不気味な音がするというだけの理由で、修理または撤去の予算を組むことを学校側は渋っていた。

俺たちはたしかに"生者を笑うモノ"の仕組みを解き明かした。けれども原因のパイプがそこに鎮座し続けている限り、不気味な笑い声はこれからも響き続けるのだろう。


……そもそも。原因を取り除けば怪談が消える、という見積もり自体が甘かった。

パイプを修理すれば本当に"生者を笑うモノ"の噂は消えるだろうか? 残念ながら、きっとそう簡単な話ではない。あの不気味な笑い声が屋上に届かなくなっても、"生者を笑うモノ"という怪談がすぐに忘れ去られるわけではないからだ。

きっと他の怪談だって同じだ。ヴィーナス像を買い替えても"血涙のヴィーナス"の噂は消えない。体育館の壁を塗り替えても"壁になった女の子"の噂は消えない。人形を捨てても"皮削ぎビリィちゃん"の噂は消えない。……ユウレイラジオが終わったって、"放送室の幽霊部員"の噂は消えないのだろう。

怪談の本質は"情報"だ。ヴィーナス像も、卒業壁画も、壊れたパイプも、不気味な人形も、所詮は怪談を生み出したキッカケに過ぎない。今さらキッカケひとつ取り除いたところで、皆の脳内に刻まれた情報を取り除くことはできないのだ。


「悔しいけど、怪談は強いな」


情報には、情報を。怪談は真相で書き換えるしかない。そう思っていたから、必死に百鬼椰行を解き明かしてきた。しかしどうにかこうにか導き出した真実よりも、怪談のほうが情報として圧倒的に強かった。

俺たちが百鬼椰行を解き明かしたという話はなかなか広まらない。どころか解き明かしたはずの百鬼椰行は今も当たり前のように校内で語り継がれ、恐れられている。何十年と語り継がれてきた百鬼椰行という情報の塊に、俺たちの拡散力ではまったく歯が立たなかったのだ。

情報の強さとは、面白さなのだと思う。嘘か真かはさしたる問題ではない。人は真実よりも面白さに食いつくのだと、この数ヵ月で痛感させられた。真実を面白く魅せる力がなければ、人はより面白く、恐ろしく、魅力のある、嘘のほうを信じ続けてしまうのだろう。


「俺たちがやってきたことって、なんだったんだろうな」


ぽつりと口にして、悔しさが膨らむ。言ってしまったことを後悔するほど、それは俺にとって敗北宣言に等しい言葉だった。

貴重な青春時代を割き、大嫌いな怪談と向き合い、恐怖に耐えながら、百鬼椰行と戦ってきたつもりだった。その結果がこれだ。

隠神の愛したユウレイラジオは終わりを迎え、俺の目標だった百鬼椰行の撲滅には手が届かない。残ったのは、無力感だけ。だとしたら俺たちは一体、なんのために。


「……えいっ」

「どぅわッ!!?」


隠神に足を引っ張られた、と認識したのはプールに落ちた後だった。ばしゃあん、ごぼ、ごぼ。鼓膜に水の音が鈍く響く。鼻の奥がつんと痛む。プールの人工的な青と、細く白い泡の群れ。その奥に、水中で揺蕩う隠神のスカートが見えた。

感情の昂ぶりを鎮めることを「頭を冷やす」とはよく言ったもので。熱を帯びた何かが、プールの水に溶けていくような気がした。ポケットにスマホを入れたままだったかな、こないだよりプールの水が綺麗になっているな、などと、冷えた頭にいろんな考えが巡っていく。


「……ぶはぁッ! なにしてくれてんだ!」


なんとかプールの底に足をつけて、俺はもぐらたたきみたいに勢いよく水面から飛び出した。

隠神はまだ少し目を赤くしたままで、俺の頬に軽く指先をあてて「いえ、ちょっと気になったので」と宣った。


「和泉ちゃんって、プールに落としたら濡れるのかな? って」

「ぬ、濡れるが?? 俺の肌が撥水加工されてる可能性を試したってコト??」

「撥水加工、されてないんですね……」

「されててたまるか」


人をずぶ濡れにしておきながら、隠神は悪びれもせずに「涼しいですねぇ」とぷかぷか浮かぶ。どこまでも勝手気ままな奴だ。怒るのも馬鹿らしくなって、俺は「涼しいな」とだけ返した。


「そういや隠神よ。どうやって屋上開けたんだ? 職員室でカギをちょろまかしてきたのか?」

「そんな小悪党みたいな真似、するわけないでしょう。侵入するならカギくらいぶっ壊しますよ私は」

「ぶっ壊すな。……え? 待て待て、カギ壊したのか?」

「今回は壊してないです。私が来たときには開いてましたよ。たぶん、水泳部の方が閉め忘れたんじゃないですか」


そういえば"生者を笑うモノ"の調査をした時とは段違いに水が綺麗になっている。昨日か一昨日か、今年のプール開きに向けて清掃が行われたのだろう。綺麗になったプールで、水泳部はさっそく練習に勤しんでいたのかもしれない。

隠神は仰向けで流れながら「勝手に泳いでたら怒られますかね」と言い、俺は「何を今さら」と返事をした。水泳部はきっと昼食にでも行っているのだろう。彼らが戻ってきたら怒られるかもしれないが、べつにそれでも構わないという気分だった。

青空に飛行機雲が伸びていく。ジェットエンジンの騒音も聞こえないほど高い空に、豆粒のような飛行機が白い直線を描いていった。


「飛行機雲ですよ和泉ちゃん。お願いごとでもしてみたらどうですか」

「お願いごとって、流れ星にするもんじゃないか?」

「ロマンのない人ですねぇ。いいじゃないですか。願うだけタダなんですから。願っておかなきゃ損ですよ」

「損得勘定で願い事をするのもロマンに欠けるとは思うが……まぁいいや。えーと、お金持ちになれますように」

「では私もひとつ。全人類が手を取り合って、誰もが幸せな時代が訪れますように……」

「まてズルいぞ。後出しでそういう願い事されると、まるで俺が煩悩まみれみたいじゃないか」

「バカですねぇ和泉ちゃんは。どーせ叶うわけないんですから、こういうのは自分のイメージアップ戦略に利用するのが定石なんですよ?」

「なんてロマンのない奴なんだ」


背後から、くすくす、と笑い声が聞こえた。きっと"生者を笑うモノ"の声だろう。

幽霊の正体見たり枯れ尾花。仕組みが分かってしまえば、最初はあれだけ恐ろしかったのが嘘のようだ。


「お金持ちになりたい、なんて願いも大概ロマンチックじゃない気がしますけど」

「ロマンのある願い事ってなんだろうな。空を飛びたい、とか?」

「それはロマンチックかもしれませんけど、飛行機に対して『空を飛びたい』って願うのは滑稽じゃないですか」

「まぁ……飛行機に乗れよ、って話ではあるな」

「もっとロマンのある願い事があるはずですよ。『和泉ちゃんの皮膚が水を弾きますように』とか」

「どうしてお前は俺を撥水加工したがるの」

「便利でしょう? 雨の日、傘を忘れたら和泉ちゃんをさして帰れますし」

「俺をさすな。いや、俺をさすってなんだよ。ないよ、そんな概念は」


また、くすくすと笑い声が聞こえた。やけに音が近いような気がして、なにげなくパイプのほうに目を向ける。

その瞬間、誰かと目が合った。壊れたパイプの設置箇所、屋上プールの女子更衣室。その扉が少しだけ開いていて、中に誰かが隠れているのが見えたのだ。

俺は驚いて「どぅわ!?」と変な声をあげ、足を滑らせて軽く溺れた。すぐに隠神が首根っこを掴んで引き揚げてくれたので大事には至らなかったが、心臓がバクバクと鳴っている。


「ごっ、ごめんなさい!」


女子更衣室の扉が大きく開いて、女子生徒が申し訳なさそうに飛び出してきた。

彼女の顔には見覚えがあった。先日、"生者を笑うモノ"の調査を依頼してきた水泳部員――真白 紀伊さんだ。


「驚かせちゃって、ごめんなさい……あの、わたし、更衣室のお掃除をしてたんですけど……いつの間にかお二人が入ってきて、出づらくなってしまって……」


真白さんは深々と頭を下げてきたが、無断で入ってきたのはこちらである。正当な理由でここにいる彼女と、勝手に泳いでいた俺たち。どちらに非があるのかは歴然だった。


「いやいやいや! 悪いのはこっちだから! 勝手に入ってきちゃってごめんね!」

「でもわたし、お二人のお話を盗み聞きするような真似を……」

「大丈夫だから! 聞かれて困るような話はしてないし!」

「そうですよ。和泉ちゃんの全身に撥水加工を施す予定を立てていただけですから」

「立ててない。そんな予定は」


真白さんは顔を上げ、くすくすと笑いだした。それでようやく、さっきまで聞こえていた笑い声が彼女のものだったのだと気づいた。真白さんは俺たちの無駄話を聞いて、笑っていたのだ。

彼女は微笑んで、「お二人って、いつもそんな話をしていますよね」と言った。隠神が「撥水加工の話ですか?」と素で答えたので、俺は「くだらない話ばっかしてるってことだろ」と訂正する。しかし言い方が悪かったか、真白さんが慌てたように「違います違います!」と手を振った。


「くだらないっていうより……笑える話、みたいな? お二人の掛け合いが面白いって言ってる子、周りにもけっこういるんですよ」


そういえば中庭でタイムカプセルを探していた時も、俺たちの無駄話に笑ったり野次を飛ばしたりする生徒たちがいた。

隠神が周囲に怖がられなくなってきたのは良い兆候だと思っていたが、まさか「面白い」とまで思われていたのか。誰も彼もが目を背け、畏れ、慄く。そんな数ヵ月前までの隠神の印象からは考えられない変化だった。


「隠神先輩の、隠れファンだって子もいたりして……えと、実はわたしもそうなんですけど……」


真白さんがしずしずと手を挙げる。なんでも"生者を笑うモノ"の一件で隠神に助けられてから、好感をもつようになったのだそうだ。……俺は? なんてカッコ悪いことは聞かないことにしよう。

もともと、隠神は人に好かれる素養を持っていたのかもしれない。学生離れした体格だってモデル体型だといえばそうだし、外見も地味ながら十二分に美人の部類に入るだろう。本当に人間かと疑いたくなるような身体能力だって、スポーツ万能、と言い換えれば自然になる。

そして何より、話してみるとなかなか面白い奴なのだ。今までの悪評さえ払拭できればきっと、隠神の魅力に気づく人は増えていくに違いない。


「この子、私のファンですって。和泉ちゃんに続いて二人目の」

「俺がいつお前のファンになったんだ」

「そんなこと言って。和泉ちゃん、私のこと大好きでしょう?」

「お前のその自信はどこからくるんだよ」


真白さんにファンだと告白され、隠神はドヤァァァ…と擬音が出そうなほど誇らしげな顔をしていた。まぁ、本人が喜んでいるなら何よりである。

ここ数ヵ月の百鬼椰行の調査で得たものは何もなかったと絶望しかけていたけれど、どうやら隠神は知らず知らずにファンを獲得していたらしい。成果がゼロでなかったのなら、それでよしとしよう。


「……あ、そうか」


すっかり機嫌を直した隠神を眺めていた、そのとき。俺は天啓に打たれた。

DJユウレイがやりたかったこと。俺がやりたかったこと。隠神が、やるべきこと。それら全てを一挙にまとめあげる妙案が浮かんだのだ。

俺は矢庭にプールから上がる。撥水加工の施されていない全身の衣類から、ざぶざぶと水が流れ落ちていった。


「隠神、もう一度レイバーン先生のところに行こう」

「え? 何をしにですか?」

「強いて言えば、願いごとをしに」

「よくわかりませんが……飛行機雲に願うよりは、叶いそうな気がしますね」


ざぶんと勢いよくプールサイドに上がり、隠神がスカートの裾を絞る。


「で、何をお願いするんです?」

「ユウレイラジオがもう一度始まりますように、だ」

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