第10話 令嬢は札付きの猛獣だった



 両手で額を指圧しながらオーロラは正直な感想を述べた。


「そんなんでよく別れなかったわね…。いや、なんで別れないの? あり得ないでしょう」


「それはですね。お二人が世俗へ戻されるにあたり、誓約させられているからです」


「誓約?」


「はい。それも事細かに定められていまして。まあその条項で一番に大きく掲げられたのが『一蓮托生』です」


 それは結婚の手続きとセットだった。


 立ち合いは文官、神官、魔導士、両家の両親及び次期当主、父の元婚約者の家族、母の姉の夫、そしてその姉の信奉者である高位貴族の皆々様。

 そして、新婚の二人の世話係に抜擢されたロバートも部屋の隅に控えていた。

 そうそうたる大人たちに囲まれ、若い二人は誓約書の条項の一つ一つに誓いの署名をする羽目になった。


「その注釈は『健やかなるときも辞める時も支え合い互いに対して責を負う。そして死が二人を分かつことはない。死ぬときはともにこの世を去り、来世でも共にあれ』でした」


「うわ、えげつないな。来世なんか本人の意思関係ないのに」


 身をもって知っているオーロラは思わず声を上げる。


「そうですね。でも、これくらい書いておかないと、二人の脳に刻まれないので」


「…実際、あまり効力はなかったような感じだけど?」


 その結果が、自分なのだから。


「もちろん、早々に発覚して査問会議と言う名の吊るし上げがございました。そこで奥様は約束通りの罰を受け、次はないと念を押されたのです。あの仮面舞踏会については元友人に騙され売り飛ばされたも同然でしたから、温情を下されました」


「罰は、何だったの?」


「実は修道院へ入れられた当初、教育というか躾ですが、相当難航しました。暴れるだけでなく脱走も試みた為、最終的には鞭打ちの刑を行うことになり、その痕がひざ下と背中、尻に残っています。それを哀れに思ったご両親が多額の金を積んで消しておりました。それを元に戻したのです」


 夜会では肌を大きく見せるドレスが主流だ。

 さらに、もう夫以外の男と親密な関係にはなれないだろう。


「それって、その修道院としては不本意な処罰だったという事かな?」


「ええ。シスターたちは守護者であって看守ではありませんから。道を外れてしまったご令嬢たちに質素倹約を教え、淑女教育のやり直しを負うところです。普通は修道院送りとなっただけでわりと大人しくなり、早く戻れるように努力するのですが」


 教養がゼロだったこともあり、収容一年の予定が三年以上かかった。


 もう、一生そのままで良いのでは? という声も上がったが、逆に修道院側からこれ以上面倒を見られないと泣きつかれたという楽しいエピソードまで聞かされ、オーロラは気が遠くなる。


「なんだろう、この衝撃は。すごい札付きだったのね。」


 それでよく中流階級の夫婦として生活させてもらえたなと、周囲の甘さ…いや懐の深さに涙が出そうだ。


「結婚当初はそれなりに真面目でしたが、だんだん緩んできて…。とにかく、次にやらかした場合、二人の命はないと思えというお達しでした」


 さらに追い打ちをかけたのが妊娠だった。

 不名誉な俗歌に怯えて寝室に閉じこもりきりだったトンプソン夫人は、不調の原因に気付くのが遅れたために堕胎できず、自慢の髪を徐々にありふれた色へ染めていき、周囲には悪阻の影響なのか髪質が変わってきたとごまかした。


 しかし生まれてきたのは、ストロベリー色の髪と瞳の女児。


 それを見るなりトンプソン夫人は奇声を上げながらベッドから飛び降り、産婆から赤ん坊を取り上げ、床に叩きつけようとするのをロバートたちが全力で止めた。


「ええと。助けてくれてありがとう?」


 なんと言ったらよいのかわからず、思わず疑問形でお礼を述べてしまうと、ロバートが眉尻を下げる。


「すみません。なんだかいろいろと…」


「ああ、いや、本当にその猛獣から助け出して、それに今まで虐待されることなく大切に育ててくれてありがとう。しかもなんだっけ、資産運用もしてくれているのよね」


 猛獣の子どもは育つにつれ猛獣になるのではないかと周囲も怯えただろうに、この年まで生かしておいてくれたことに感謝しよう。


「まあ、私をみたくないから物理的に距離を取って、周囲も容認していたことはこれでわかったわ。他に何か知っておくべきことはある?」


「今のところ、ございません。…ああ、そういえばトンプソン夫妻に関連することなのですが、お嬢様の誕生祝にと珍しく植えておられた林檎の木が、数日前に枯れて倒れたそうです。どうやら病気にかかっていたようで」


 敷地の隅で花を咲かせ、実をつけていた、大きな木を思い浮かべる。

 あの木の下に立つと、なぜか頭痛がしだすのであまり近寄らなかった。


「ふうん…。倒木したのはいつのこと?」


 そのリンゴの木がいきなり持ち込まれ、植えられたのは四、五歳のころだっただろうか。


「そうですね。十日ほど前の嵐の翌朝に倒れているのをリラが発見しました」


「あの日は凄い風雨と雷だったから、誰も気づかなかったのね。まあ、けが人が出なくて良かったわ。それに、植えた本人たちはぜったいあの林檎の木の事覚えていないでしょうね」


「ええ。なので、あちらに報告はしていません」


「ちなみに、その倒木はまだそこにあるの?」


「いえ、通いの庭師が刻んで持ち帰りました。薪にして売ったはずです。お嬢様はちょうど頭痛で臥せっておいででしたので、勝手ながら許可いたしました。」


「ああ、うん。構わないわ。なんだかあの木、ちょっと好きじゃなかったのよね。貴方もそれが分かっていたから、さくっと処分したのでしょう」


「はい」


「ありがとう。たすかったわ」


 ロバートをねぎらい、この日の学習会は終了した。


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