第31話 ~名取の無料整体はじめます~ 愁一郎の語り


「四回で終わらせる」


 次の土曜日。僕は大屋敷の施術室で、ベッドで仰向けに寝ている名取に宣言した。

 一歩離れた所から見守っている真利亜さんから、「おお~っ」と拍手が贈られる。


「自信たっぷりやなぁ。ええやんか! まあ、うちやったら多めに見積もって三回やけどな」


 僕の前に名取の体をチェックした真利亜さんが、えへんと胸を張る。台詞の全ては、僕の未熟さを示していた。まあ、修行不足なのは自覚してるし、それを隠すつもりもないから別にいいんだけど。


 僕が検査したところ、名取の生理痛の原因は、本当に骨盤周辺だけに集中しているようだった。詳しくは、骨盤の捻転に伴って右の子宮仙骨靱帯しきゅうせんこつじんたいが緊張して、子宮をひっぱっていたんだ。

 そして骨盤のアライメントに問題を起こしている原因はおそらく、ほんの少しの脚長差。測ってみたら、左脚が右より五ミリほど長かった。これが日常生活の中で、骨盤の捻じれを誘発している。

 だから僕ができる施術は、捻じれっぱなしだった骨盤周辺をリリースして子宮仙骨靱帯の緊張を取り、右の靴にインソールを入れて脚長差を補ってあげること。後は、次の生理を待って痛みの程度を確認すればいい。

 骨盤のリリースとインソールの調整に一回から二回。後日のチェックに一回。次の生理での問診を含めると、四回になる。

 

 それらを名取に説明すると「よく分んないから後は任せた!」と親指を立てられた。

 ちなみに名取の施術は無料だ。練習台、という名目の、完全サービスだ。しかも名取は、施術後に何か美味いものを食べさせてもらえると期待している。前回のお粥で、味をしめたようだ。


「はいじゃあリリース始めまーす」


 僕の声からは明らかに不機嫌が滲み出ていた。ああ駄目だ。名取相手だとセラピストモードがキープできない。


 僕だって一応、整体師として給料もらってる身なんですよ。歩合制だけど。


 名取にそう言いたいのをぐっと我慢し、僕は施術を開始する。



 子宮の触診をしやすくする為に、名取には両膝を立ててもらった。それから、下腹部にある骨のでっぱりの中央――恥骨結合ちこつけつごう――とへその位置を示してもらい、足側に立った僕は名取が示した位置から子宮の場所を推測する。

 下腹部を軽く圧迫しながら指を下へ滑らせると、膀胱の後ろに卵型の塊を感じた。これが子宮だ。両手で子宮をとらえ、動きの悪い場所を確認していく。


 真利亜さんは名取の右腕に指先を乗せ、膜の動きを追いながら体の反応をみている。


 子宮仙骨靱帯の、特に仙骨への付着部に滑りにくさを感じた。そこに意識を集中して、固い場所を更に絞っていく。

 僕には骨盤周りの人体解剖図と、名取の骨盤周辺が重なってていた。実際目に見えているんじゃくて、視えているのは、頭の後ろの方。イメージとして浮かんでいる感じだ。解剖の知識が深まり触診力しょくしんりょくが上がれば上がるほど、頭の後ろに浮かぶイメージも鮮明になる。


「もっと絞れる。もっともっと。針の先一本分くらいまで絞るつもりで固めていき。まだ甘い」


 真利亜さんが珍しく真剣な顔と声で指導してくる。

 正直僕は、集中力を切らしかけていた。ちょっと態勢を間違えたみたいだ。若干、横っ腹が辛くなってきた。内側の脚を施術台に乗せたいところだけど、それをやってしまうとせっかく固めた部分を逃がしてしまう。


 多分あと少しだし、ガマンしよう。


 無理な体勢で集中を強いているからか、エアコンを効かせているのに汗が出て来た。


「愁、もっと集中し」


 真利亜さんの注意が入る。


「してます」


「ほんまにしてたら返事なんかできん」


 い、意地悪!


「大丈夫? 谷原クン」


 今度は名取が心配そうに話しかけてきた。多分、顎からしたたるほど汗をかいているからだ。この三人で、汗をかいているのは僕だけ。見苦しいけど、両手が塞がってるんだから仕方ない。

 撲は返事をせず施術に集中した。そしたら、真利亜さんからお叱りをくらう。

 

「患者の質問には答えい!」


「はい大丈夫ですスミマセン!」


 スパルター!


 そうだった、真利亜さんは指導となると人が変わったみたいに厳しくなるんだ。最近練習に付き合ってもらう機会がなかったから、忘れてた。


 やっと、真利亜さんの言う針の先一本分まで固い部分を絞り込んだ。


「よし、キープやで。集中切らすな」と鬼教官。


 分ってます。ここで気を緩めたら仕切り直しになっちゃいます。そんなの無理。


 早くリリースかかれ、と祈る事、数秒。膜に反応が起こり始めたかと思うと、絞り込んだ部分を中心にして、ふわっと名取の全身にさざなみのようなものが発生した。続けて、骨盤が意思を持ったように自ら歪みを正し、子宮にかかっているテンションが取れて、ついでに腰椎に存在していた軽い捻じれまでが連鎖的に解消されてゆく。最後に名取の胸郭きょうかくがぐいと持ちあがり、大きな吸気が起こった。


「おお、なんか息が吸いやすい」


 自分の体の変化に驚いた名取が、目をパチパチさせる。呼吸がしやすくなるのは、リリースが上手くいった証拠だ。


「よっしゃよっしゃ、確認してみ」


 微笑みかけてきた真利亜さんに頷いて、僕は絞り込みを一旦解放し、子宮の動きをチェックした。何となくまだベットリとした感じはあるけど、滑りは格段に良くなっている。


 僕は名取の頭の方に回り、斎藤さんにやったように頭蓋骨底部ずがいこつていぶに指を引っ掛けて全身をチェックした。

 検査で子宮部分に感じていた楔が消えている。

 

 次に、施術台から降りてもらい、フェイスタオルを二つ折りにして名取の右足の下に敷いた。

 まっすぐ立ってもらって、全体のアライメントをチェックする。


 骨盤の歪みが解消されていた。

 

 真利亜さんにも確認してもらい、「まあ合格」という一言を頂く。


 あ~疲れた。ポジショニングをしくじるなんて、まだまだ練習が足りないや。


 脱力した僕は、施術台にどさりと座ってうな垂れる。タオルを取りに行くのも億劫おっくうに感じ、シャツの裾で汗をぬぐった。


 あとはインソールを作らなきゃなんないけど、百円均一のやつを名取の足に合わせて切るだけだし、とりあえずちょっと休もう。


「あのね真利亜さん。なんかね、お腹があったかいんですよ!」


「せやろせやろ~。愁は将来有望やでぇ。今のうちに、唾つけときやー」

 

「ていうか教えてる真利亜さんがカッコよすぎてドキドキしましたよー」


「いやぁん、民ちゃん。うち既婚者やで〜。惚れたらダメダメよぉ」


 ……なんか女子二人がキャッキャ言ってる。

 

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