第十六話 「大橋の鬼」
社の境内を出て、鎮守の森を抜け、美奈木大橋に続く大通りを進む。
今朝と同じく人の姿はまったく見られず、空虚な雰囲気の大通りには姿を見せない虫たちの鳴き声が静かに響いていた。
美奈木大橋の手前まで来たところで、イズミはここで下ろしてほしいと青年に言った。
「だいぶ楽になりましたので、ここからは一人で歩けます」
青年はイズミを下ろし、大橋の向こうに広がる街を見る。街には明かりがひとつも灯っておらず、満月の明かりに照らされた街並みの姿は美しさとさびしさを感じさせた。
「なんにせよ、あとひと息ってところか」
青年は橋を渡り始める。少し遅れて、イズミもあとに続いた。
端に並んでいる法石は明かりを灯しておらず、月明りが彼らの行く手を照らしていた。
「どうして法石に明かりが灯っていないのでしょうか」
「さあな。神官団が例の件の調査をしていて、街の法石への霊力の供給にまで手が回ってないのかもしれねえ。それにしても」
青年は空を仰ぐ。
「月明りのきれいな夜に眠ると、いい夢を見れそうだ。お前さんもそう思わねえか」
「天士様って本当に眠ることがお好きなんですね」
「眠りは俺の人生そのものだからな」
「どうしてそんなに眠ることにこだわるんですか?」
「一言で言えば本能だな」
「本能、ですか?」
「誰だってうまいもんは腹いっぱいに食いたいし、好きな女の尻は追っかけたい。賭けで負けが続いても、次こそは大勝ちして負けた分を取り戻せると思い込む。理屈じゃねえんだよな、こういうのって。つまりはこれが本能だ。そして俺の本能は、眠りを求め続けているのさ。究極に理想的な、本当の眠りってやつをだ」
「わかるような、わからないような……。天士様が言う究極に理想的な本当の眠りって、どんなものなんですか?」
「さっぱりわからん」
「ええ……」
イズミは呆れたように言う。
「だから旅をしているのさ。俺にとって究極に理想的な、本当の眠りを見つけられるまで」
「そういうことですか」
「要するに、俺は俺がやりたいと思うことをやって生きている。たったそれだけのことさ。人間なんてのはみんなそういうもんだろうよ。お前さんだって、あのジイさんと一緒に暮らすのが楽しいから、ここにいるんじゃないのかい?」
そうですね、とイズミはうなずく。
「でもまあ、やりたいことをやりたいようにやって生きるためには、それなりに力が必要だけどな」
そんな話をしているうちに、二人は美奈木大橋の中央までやって来た。
青年は欄干のそばへ行き、川の水面をのぞきこむ。川の流れはとても緩やかで、水面は巨大な水鏡のように夜空を映し出していた。
「見事なもんだ。せっかくだから、お前さんも見に来いよ」
青年に言われ、イズミは彼の隣へ向かう。欄干に手をかけ、少しだけ身を乗り出して水面を眺めた。月明りは彼女の影を引き伸ばし、橋の真ん中あたりにまで影を落とさせる。
青年はイズミの影を一目見ると、再び水面に目を戻して、頭をかいた。
「本当ですね。星空がこんなにきれいに映っているところなんて、初めて見ました」
「だろ。ずっと見てたら、どっちが本物の星空なのかわからなくなっちまいそうだ」
「あはは。それはさすがにありませんよ」
「どうかな。人間の意識なんて、実に不確かなもんだぜ。お前さんも眠る時、意識があったはずなのに知らず知らずのうちに眠りに落ちてるだろ。眠りと目覚めの境界を明確に意識できるやつなんざ、まずいねえはずだ」
「言われてみれば、そうですね……」
「眠りに限ったことじゃねえ。たとえば昨日の怪物だ。核になった霊獣は、肉体的にはとっくに死んでるが、その意識は生きている時とおそらく何も変わらなかっただろう。あの霊獣自身も、自分はまだ生きていると思い込んでいたはずだ」
「そう、ですか。なんだか、つらい話ですね」
「だがお前さんはあの霊獣を弔った。弔われることで、あいつはきっと自分がもう死んでいるってことを理解できただろう。あいつの魂は、迷うことなく彼の国へ旅立ったはずだ」
「……あの。ひとつ、聞いてもいいですか
「なんだ」
「もし、天士様が旅の目的を果たせないまま死んでしまったら、どうしますか」
「どうもしねえ。どうしようもねえよ。死んじまったらそれっきりだ。ま、そこが俺の眠る場所だったってことだな」
「そういう運命だったと、納得するんですか」
「ああ。さてと、そろそろ行くか」
青年はイズミに背を向けて歩き出す。
歩きながら、青年はイズミの足音に耳を傾ける。
イズミは今までと変わらない歩調で歩いていた。
青年は、ついさっき見たイズミの影を思い出す。
彼女の影の頭のあたりからは、水牛のような角が二本、生えていた。
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