チャリパイEp.2~東京爆破テロを防げ!~

夏目 漱一郎

第1話 喧嘩上等

 ある日曜日の陽も暮れかかる時刻、森永探偵事務所がある新宿区ではわりと有名なスーパー『アキナイ』。その【お米コーナー】の前に立ち尽くし、てぃーだは愕然としていた。


「大変! お米の【広告の品コシヒカリ5キロ入り】が売り切れているわっ!」


つい先ほどてぃーだが確認したときには、確かに5キロ入りのコシヒカリが2袋程残っていたはずなのだ。


重いものは最後に買おうと、その時にスルーしてしまったのが大きな間違いだった。

すぐに売り切れる事はないだろうと高を括っていたてぃーだのミスである。


「きっと、さっきのオバサンが買っていったんだわ……残っているのは30キロ入りのお徳用コシヒカリだけか……」


いくら”お徳用”とは言っても、30キロ入りのコシヒカリは女性のてぃーだには重すぎる。こういうものは、たいていこれだけを目的に車でやってくる屈強な男性陣が買っていくものだ。


でも、だからといってお米を買わないわけにはいかない。てぃーだは、バッグからスマホを取り出し応援を呼ぶことにした。


「あっ、シチロー? 今、スーパー《アキナイ》にいるんだけどね……」


それから十数分後、アキナイの駐車場には不機嫌そうな表情で愛車のドアを開けるシチローの姿があった。シチローはてぃーだの姿を見つけると、その仏頂面のまま声をかける。


「なんだよ、用事って”荷物持ち”だったのか……『絶対車で来て』なんて言うから、おかしいと思ったんだよな」


「まあ、そう言わないでよ。から」


「子供かっ!」


おコメ売り場の前に立ち、ちらりとてぃーだを横目で見るシチロー。30キロとはどれくらいかと思っていたが、見た感じかなり重そうに見える。


「これを買うの?」


「だって、5キロが売り切れちゃってそれしかないのよ。シチロー持てるでしょ?」


「まぁ、持てないことは無いと思うけど……」


元々体力にあまり自信がないシチローは勢いをつけて米袋を持ち上げそのまま自分の右肩に乗せるも、そのまま頼りなくふらついてしまった。


「重っ! たく、こんなの買うなんてどこかの大家族ぐらいのもんだぞ!」


「でも、ウチだってコブちゃん(子豚のこと)がいるからこれ位のお米だったらすぐなくなっちゃうわよ」


文句を言っても仕方がない。他は売り切れて残りはそれしかないのだから。


「じゃあシチロー、アタシはまだ買うものがあるからそれ持って先にレジに行っててくれる?」


「OK」


短く応えてふらつく足取りでレジへと向かったシチロー。だが、日曜のスーパーのレジはシチローの想像を遥かに超えて混雑していた。


「ええ~っ! こんなに並んでるのかよっ!」


 お客の人数だけならまだしも、今日は何か特別なイベントでもやっているのか、各々の買い物の量がやけに多い。重い米袋を担いでこの列に並ぶのかと思うと、シチローはうんざりした表情で溜息を洩らした。


「ハァ……ったくティダめ、この貸しは高価くつくからな!」


同じ30キロでも米袋の様な形の定まらない物は体感的に実際よりも重く感じるというものだ。


「持ち辛……なんでこんな混んでる時にこんな重いもん持って並ばにゃならんのだ。早くレジ空かないかな……」


と、なかなか回ってこない順番に次第に苛つきだすシチロー。そして、漸く自分の順番が回ってくるという、その時だった。


「あっ!」


いきなり、ひとりの”スキンヘッド”の男がしれっとシチローの前に割り込んできたのだ。


「おいお前! みんな並んでるだろうが! ちゃんと後ろに付けよっ!」


「はぁ?」


「はぁじゃないよ! 一番後ろに付けってんだよ!」


その男、スキンヘッドにサングラスの髭面で一見堅気の職業では無いのかと思われる風貌。気の弱い一般人ならこんな時泣き寝入りしてしまいそうだが、シチローは違った。


 重い米袋を担いで行列に並び、漸く自分の番になったところでの割り込みである。腹が立たない訳がない……しかもその男、謝るどころか悪びれもせずシチローにこう言い放ったのだ。


「うるせえっ! モタモタしてるお前が悪いんだよ!」


レジの前では必然的に二人の口論が始まる。


「なんだと、このハゲ!」

「何ィ、ハゲとはなんだ!」

「なんだとはなんだ!」

「なんだとはなんだとはなんだ!」

「なんだとはなんだとはなんだとはなんだ!」

「え~っなんだとはなんだとは……」

「ええい、うるさい! 大体お前が最初に割込みしてきたんだろが!」

「最初っていつだよ! 何時何分何秒に! 地球が何回まわった日だよ!」

「バ~カ! バ~カ! お前の母さんデ~ベ~ソ!」

「うっさい! バカっって言う方がバ~カ!」





「ええいっ! かっお前らは!」





いつのまにか買い物を終えたてぃーだが、シチローの後ろに付いていた。



「あ、ティダ。ちょっと聞いてよ! こいつがオイラの前に割り込んできてさ~」


シチローは口を尖らせながらスキンヘッド男の不正をアピールするのだが、てぃーだはそれを片手で遮った。


「まあ、いいから。それより早く車のキーちょうだい」


「えっ、ちょうだいって運転ならオイラが……」


「シチローはまだケンカの途中でしょ? こういうのは徹底的にやらなきゃ気がすまないんじゃない?」


「いや、ティダが帰るって言うなら……」


「なんだお前、なのか?」

「逃げるだと!?」


お米の会計が終わったらさっさと事務所へと帰るつもりでいたシチローだったが、このハゲオヤジにだけは逃げたなんて絶対に思われたくない。


やはりこの男とは、徹底的に遣り合う以外に方法がないのか。


「よーし、もうアッタマきた! 表に出やがれ~っ!」


「面白れぇ! 望むところだ!」


♢♢♢


 はっきり言ってシチローは、それ程ケンカは得意じゃない。格闘ならばシチローよりも、むしろ琉球空手の上級資格を持っているてぃーだの方が格段に強い筈であった。

シチローが今回この男にケンカを吹っ掛けたのも、いざとなったらてぃーだが助けてくれるだろうという見込みがあったからだ。


「ティダ、いざとなったら解ってるよね?」


「えっ、何が?」


「またまたトボけちゃって、こっちがやばくなったらティダが助っ人に入ってくれるんだろ?」


シチローは至極当然のように提案するが、それに対するてぃーだの答えはシチローの想定とは違っていた。


「あら、ごめんなさいシチロー。アタシ直ぐ帰らなきゃいけないからそういう時間無いの。」


「ええええ~っ! マジかよっ!」


てぃーだの援護が期待出来ないと知ると、シチローは途端に情けない表情になる。


「ホントに直ぐ帰らなきゃいけないの?」


「ええ、ごめんねシチロー」


「はぁ……」


こんな事なら、あのスキンヘッドに余計な事を言うんじゃなかったと後悔するが、今更後には引けない。



♢♢♢




「まぁ、逃げ出さずにここに来た事だけは褒めてやろう」


「へん! 偉そうな事言って、後で吠え面かくなよ!」


スーパー【アキナイ】の駐車場で対峙するシチローとスキンヘッド男。シチローは、ここに来るまでのほんの数分の間に、あの憎きスキンヘッドを倒す為の作戦を必死に立てていた。


(確か、『あしたのジョー』では、少年院で矢吹と力石が闘った時、矢吹は素人同然だったのに力石と引き分けにまで持ち込んだんだよな……)



漫画だけどね……



 一方、スキンヘッド男は喧嘩に自信があるのかといえば、その情報も正確とは言えなかった。スキンヘッドにサングラスそして髭面……、一見するとそういう修羅場は何度もくぐってきたように見えるが、実際はそうではない。


 彼の得意技は”はったり”で、揉め事がある度喧嘩になる前に相手の方から逃げたり謝ってきたりというのが常だった。だからシチローのように突っかかってくることは、正直スキンヘッド男にとって誤算だった。


「おいお前、いいのか? だぞ」


「へん、誰がお前なんかに!」


(クソッこいつ本気でやる気か?)


(クーッ、このハゲ強そうなんだよなぁ)


本当は二人共出来ることなら戦いたくないのだが、そんなこと自分からは口が裂けても言えなかった。



試合開始のゴングなんてこの場所には無いのだが、なぜか二人の脳内ではそれが同時に鳴らされたように聞こえた。


「てめえ、後で後悔したって知らねえからなああああっ!」


「それはこっちのセリフだああああああっ!」


鋭いスタートダッシュで相手めがけ渾身の右ストレートを繰り出す両者。


そして、その結果……


「んぐっ」


「ぶぼっ」


実際のボクシングの試合ではほとんど見る事は無い、ある意味シチローの作戦通りとも言える漫画【あしたのジョー】の名シーン……クロスカウンターがさく裂した!



ただし、シチローの方がリーチが短かったので、ダメージはむしろシチローの方が大きかった。



♢♢♢



それから約一時間後の森永探偵事務所……



「じゃあ、シチロー置いて先に帰って来ちゃったの?ティダは」


「だって、あんな所で喧嘩始めるなんて恥ずかしいったらありゃしないわよ!」


「だね、もしあたしでも『他人のフリ』するかも」


「じゃあきっと、わねシチロー」


三人でシチローの噂話をしていると、そこへシチローの帰宅を知らせる声が聞こえた。


「ただいまー」


「あっ、帰ってきた」


真っ先に玄関に出て行った子豚は、シチローの変わり果てた姿を見て驚嘆の声を上げた。


「どうしたのシチロー! そんなしちゃって!」


『ジャガイモみたい』とは上手い例えである。シチローの顔はコブとアザにまみれ、まさにジャガイモのようになっていた。あれからよっぽど殴り合っていたに違いない。


「また、派手にやられたわね」


事のいきさつを知っているてぃーだが、予想通りという顔で呆れたように呟いた。


「やられてなんかいないよ! アイツのパンチなんて、これっぽっちも効いてないんだってば!」


シチローは、スキンヘッド男のパンチは全然自分には効いていないのだと力説する。


「その点、オイラのパンチは効いたね! こう避けてこう! こう躱してこう!」


誰も頼んでもいないのに、その場で喧嘩の様子を再現し得意になって解説するシチロー。もしもそうならどうしてというツッコミはあえてせずに、シラケた表情でてぃーだと子豚はそれを聞いていた。


「もう! 動かないでよ、薬が塗れないでしょ」


さっきからシチローの傷の手当をしていたひろきが、少しはおとなしくしていろとクレームをつける。


「それよりもシチロー、さっきこれが来てたんだけど、なにか心当たりある?」


てぃーだの手には、『東京都危機管理課』という部署から届いた一通の郵便物があった。


「何これ、東京都に『危機管理課』なんてあったかな……」


「シチロー、アンタ税金払ってないんじゃないの?」


「なんでそうなるんだよ! ちゃんと払ってるよ!」


「それかもしかして、仕事の依頼じゃないの?」


「どれどれ……」


新宿歌舞伎町にある森永探偵事務所には、東京都から郵便物が届く事もそんなに珍しい事ではない。しかし、『危機管理課』なんていう部署名は今まで聞いた事がなかった。



シチローははさみで封筒を開け、中に入っていた書類を確認するとそこには驚くべき内容が書かれていた。








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