第387話

「兄上!!同盟者の北条に助成するのではなく、豊臣に降る為に参陣すると聞き及びましたが、本当ですか!?」


小次郎(伊達道政)が儂に詰め寄る。

家中の者の殆どを説得し既に合意を得ておる。

北条は既に虫の息であることも知らぬようだ。

いや、これだけ早く多くの情報を得られたのは蔵人様と知りおうてから藤林の諜報から情報を買うようになってからじゃ。

情報を買うと聞いた時には何を馬鹿なと思うたが、実際に使えば重宝する事この上ない。

我らが伊達家も黒脛巾組くろばきぐみと呼ばれる忍び集団を抱えておる。

諜報活動と流言飛語を得意とするが、流石に日ノ本の殆どの地域の情報を得ることは難しいし、何よりも藤林の諜報と比ぶれば地域に偏る。

命の危険も無く金さえ出せば情報が得られると言う事も大きい。

藤林から情報を買うようになってからは情報の速度にも重きを置く様になった。

そう言えば、藤林の者が言っておったな。

蔵人様はある時、「情報は正確性も重要だが、速度も重要」と言われたとか。

そして、その事を語った時に「時は金なり」と言ったそうじゃ。

まさに至言!!

儂もこの話を聞き、目から鱗の落ちる思いであった。


「聞いておるのですか兄上!!」


全く聞いていなかった。

いや、恐らくは聞く意味すらないことをダラダラと宣っておったのであろう。


「何と言おうが決定は覆らぬぞ」

「クッ!」


家督を奪おうとする野心は透けて見えるのであるが・・・

今、北条に与するは馬鹿のする事じゃ。

何故それが解らずに一部ではあるが家中を煽りそんな馬鹿な事を唱えるのか?

その心がよく解らぬ。


「まぁ決まった事であるならば仕方無き事ですな・・・」

「そうだな・・・」


取り合えず不承不承であるが認めるような態度。

小次郎の少し後ろに居る母(最上御前)を見やれば、あれほど可愛がって居ったと言うに冷めた目で小次郎を見詰めておる。

いや、母も呆れる程に小次郎は家督に拘り過ぎて大局を見失っておる。

小次郎が家督を手に入れても家が傾いては意味無いことでるのに、その事が抜け落ちておる。

話が一段落した段階で母が御付きに命じ労いの宴を用意してくださった。

母は言った。


「藤次郎(伊達政宗)を毒を盛ることを手伝えと言われました」

「左様ですか・・・」

「私は反対しましたが・・・」

「それでどの様に致しますか?」

「毒は貴方の食す方の吸い物に盛ると言っておりました」

「・・・」

「本当に決行するのかは解り兼ねます・・・」

「やるでしょうね・・・」

「私は貴方の膳と小次郎の膳を入れ替えさせることだけを行います」


母は最後に小次郎に慈悲を掛けたのだ。

もし仮に毒を盛らなければ助かる道を・・・


「う・・・ぐっ・・・な、何で・・・」


弟は泡を吹いて倒れた。

何の毒かは解らぬが、間違いなく自分の盛った毒で自分が苦しみ喉を掻きむしり苦しんでおる。


「母上」

「はい・・・」

「小次郎は残念ながら何らかの原因で急死いたしました」

「その様ですね・・・」

「某はこれより小田原に向けて出立致しまするので、後はお任せ致しまする」


母は何も言わず深々と頭を下げるだけであった。

肩が震えているので泣いておられるのやもしれぬ・・・

儂は立ち上がりその場を後にした。


「殿!」

「小次郎が急死した」

「左様ですか・・・」


恐らくは儂への毒殺を疑っておったのやもしれぬ。

今回の宴席に赴く際、小十郎(片倉景綱)は出された物箸を付けぬようにと再三注意しておった。

確かに土壇場で母が此方を裏切れば・・・

いや、結果は小次郎の死で解っておる。

あれほど可愛がっておった小次郎に手を下すことは如何程の苦痛であったことであろうか。

この事を考えれば考える程に気が滅入る思いがするので、小十郎に指示を出し考えを切替えることとした。


「準備は出来ておるか?」

「はい・・・本当におやりになるので?」

「勿論じゃ!!」

「幾ら蔵人様が関白様の度肝を抜けばお許しになるだろうと言われたからといって・・・」


そう、藤林の諜報から蔵人様の伝言を聞いた。

関白は大の派手好きであり、赦して貰うならばど派手な事を行えば気に入って赦されるだろうと言ったそうじゃ。

それに賭ける事とした。


「まぁ儂も中央の者たちに奥州に伊達あり!と言う事を知らしめてやりたいのじゃ」

「左様で・・・」


小十郎は乗り気ではないが、儂は楽しみで仕方ない!!


「まぁもし赦されねば一戦交えるまでよ!!」


〇~~~~~~〇


小田原征伐×伊達政宗と言えばあれです!!

次回、ですかね~

さて、伊達家は北条だけではなく上杉家とも同盟関係にありました。

越後国→信濃国→甲斐国を経由して小田原に至ったと云われていますが、事前に上杉景勝に申請していた様です。

会津領を没収されましたが、本領の72万石は安堵されました。

まぁそれは置いておき、やはり語るならば今回は「黒脛巾組」でしょう!!

一応は剣豪と忍者メインお話ですから!!

え?全然そうじゃない?・・・そのようなクレームは受け付けません!!

さてさて、「黒脛巾組」は伊達政宗が創設したとされる忍者集団と云われます。

黒革製の脛巾をトレードマークの様に装着していたようです。

彼らは組頭と呼ばれる頭領的存在がおり、土地に詳しい古くからの土着氏族の出身で武辺の者である彼らを伊達政宗直轄の諜報部隊として活用したようです。

柳原やなぎはら戸兵衛とへえという名の組頭が有名です。

大体50人から30人の組に分かれ活動したようですが、組頭の中には世瀬よせ蔵人という主人公と同じ名の者が居たようです。

作中でも書きましたが諜報活動、戦時等の流言飛語が得意で、伊賀や甲賀の様な忍者忍者とした感じではなく、商人・山伏・行者等の形をして活動して武力行動はあまり行わなかったようです。

諸国に潜入させ情報を集める事がメインだったようです。

この事からも、伊達政宗が如何に情報の取り扱いを大事にしていたかが伺えます。

任務は戦時などの道案内や探索の他に兵糧・財物・武器などの運搬もしたと云われますが、恐らく、商人としてではないかな~と思います。

人取橋の戦いでは可成り活躍したようで、流言飛語で連合軍を撤退まで追い込んだと云われています。

小田原征伐時には、伊達政宗が豊臣秀吉の動向を探るべく太宰だざい金七きんひちという忍びを小田原に潜入させていたなどとも云われます。

この忍び集団の名残なのか、仙台藩領だった福島県には黒脛所縁のものなのか、脛の字の工の下に「巾」の姓の方が居るとか。

その方たちのご先祖様が忍者だったかどうかは不明ですけどね。

おっと、もう一つ、追加うんちくとして、「時は金なり(Time is Money)」はベンジャミン・フランクの名言・格言と云われています。

彼はアメリカの政治家で、「若き商人への手紙」という自身が書いたエッセイの中のフレーズ元ネタと云われます。

しかし、この言葉を一般的に有名にしたのはある新聞で「妻は『時は金なり…』と彼に教え込んだが無駄であった・・・」という様なフレーズである事を揶揄う為に使われたその一文が衆人の目に留まりウケたことによるとも云われます。

ギリシャには古い言葉で「時は高い出費だ」という言葉もありますので、大昔の人々も時間の大切さを知っており言葉にして教訓としていたようです。

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