第185話

その年は霜台爺さん(松永久秀)が信長に再臣従した。

そして、伊賀と甲賀の武力衝突があったとのことで急ぎ長門守が仲裁に向かったりがあった。

師匠は順調に仙術を習熟し、数年間は九州各地を回り新陰流を広めるそうだ。

俺は剣術や仙術を更に学びながら、里子に剣術を含め色々教えたり、弟子たちに兵法を教えたりなど色々だ。

次の年は越前で一向一揆が猛威を振るった。

顕如が死しても相変らずのようである。

一揆扇動するのは本願寺のもはやお家芸だしね~信長とぶつかって更に弱体しないと止めないだろうね~

この年は親友の家さん(徳川家康)にとっては大事件が起こった。

前世の俺の知る知識では大賀弥四郎事件と言ったかな?

家さんとこの家来が甲斐武田と内通した。

藤林の者には家さんの正妻と長男を見張る様に言付けていたんだけど、嫁さんの築山殿の周りでウロチョロしていたこの大賀弥四郎と言う人物が怪しいと言うことで服部さん所と合同で内偵調査が行われた。

この内通発見で徳川家からそれなりの報酬が出たけど、家さんもやりきれないよね。

嫡男の家臣らしいので息子も怪しいが・・・

今回はこの大賀のみが証拠十分で裁かれたが・・・

俺は相も変わらずと言った感じで切原野に留まり引き籠っている感じかな?

翌年はあの有名な長篠の合戦が起こった。

それから近隣知人では戸次道雪さんとこの娘さん(誾千代ぎんちよ)が家督と城などを譲られたらしい。

御年7歳、一応はお祝いを贈ったよ。

吉弘よしひろ艦理あきまさ(9話登場)の息子さん(高橋鎮種しげたね、後の高橋紹運じょううん)が息子の高橋弥七郎やしちろう君を預けて来た。

御年9歳・・・あれ?この子って後の立花宗茂(俺の弟子?)かな?

彼の爺様との約束で兵法を教えることを約束していたけど、艦理あきまささんは残念な事に数年前に亡くなられた。

同じ蔵人佐と言う事で仲良くしていたけど残念だ。

そして、その約束として子・孫に兵法を教えるとしていたんだけどね~まさかこっちに送って寄越すとは・・・まぁ来てしまったのは仕方ない。

懇切丁寧に教えてやろう!!

さて、何故か戸次道雪さんとこの娘さん(誾千代ぎんちよ)も一緒に送られて来た。

うん、色々言いたいけど、もういいや~


「長師匠!!」

「ん?弥七(高橋弥七郎、後の立花宗茂)どうした?」

「仙術は教えていただけないのですか?」

「そうだな~千代が良いと言えば教えられるが・・・」

「千代?あの幼女が?」


うん、そうだよね~現在、里子7歳で同い年と言うことにしている妖狐の千代も御年7歳と言う設定。

2歳下の者に了解を取るのは疑問かもしれないね。

まぁその前にまだまだ剣術とか色々が拙い。

そっちが先でしょ?とは思うが、住み込みの彼にとっては俺達の修練を見て羨ましく思うのだろう。

何せ、仙術を使うと跳ぶは瞬間移動するはもう見ていて異常だし、憧れるのは解る。

千代の答えは「まだ早い」だった。

だよね~だよね~うちの娘・息子たちが異常なだけ!!

里子は天然の天才だった。

俺達に接しているだけでナチュラルに仙術の基本を覚え始めている。

仙術の特性が一番高いのは羽かな?

4歳になるが、最近は翼を出さないようにと躾けたので無暗に出さないが、軽身功を自在に使う。

そして、春・麗華も負けていない。

羽ほどの軽身功は身に着けていないが、立体機動に近い動きをする。

4歳児の動きではない。

利は身体的な能力は4歳児より上ではあるが、他の子どもたちよりは普通だ。

しかし、頭脳明晰で莉里と丸目家の経営戦略を考える程で・・・体は幼児、頭脳は大人とかじゃないよね?

さて、弥七も誾千代ぎんちよも優秀ではあるが突然変異の特殊個体だらけの我が家の子供たちと比べると・・・うん、比べるものではないね。

しかし、子供と言うのは張り合うもののようで弥七は特に年齢が下の里子たちに負けているのが悔しいらしい。


「千代!!仙術を習うことを了承しろ!!」

「何じゃ小童こわっぱ(弥七)、我は今忙しいのじゃ!!」


千代は安定のお菓子を貪っているようだ。

丁度今おやつタイムの休憩中だったので千代は殺気立っている。

おやつ食べている千代にちょっかい出すと危険だぞ!!


「おやつを渡すなら話だけでも聞いてやるのじゃ」

「もう食べたわ!!」


うん、千代が残念そうな顔をするが、人のおやつまで奪おうとするなよ。

我が家は今子供も増えて賑やかな限りだ。

そんな中、歴史は動いている。

長宗我部元就が土佐を平定したり、信長が越前の一向一揆を打倒し、越前も手中に収めた。

そうそう、北畠伊勢国司殿、現在の呼び名は天覚てんかくさん。

彼には過去に「甲斐武田に加担しすれば凶」と伝えておいたから、前世の史実で行った武田への協力の手配は行わなかったようだけど、信長とはやはり折り合いが悪いようだ。

「伊勢諦めて京かこっち(九州)来ないか?」と誘ったけど、伊勢を諦めきれないようだ。

う~ん史実通りに暗殺されるかもしれないが・・・助けるかどうか迷う所だけど、助けて暴君信長の火の粉がこちらに来ても嫌なので様子見だな。

助ける義理はないが、出来るなら助けたいが、本人の選択を曲げてまでと言う程でも無いからね。

さて、竜様(近衛前久)も信長包囲網を離脱して信長の奏上で朝廷に返り咲いた様だ。

お金が修行の為に九州に来たのだが、その時竜様の書状を持って来て居たので読むと、「羽毛の布団があったからこそ辛きを堪えられて候」だってさ~どんだけ羽毛布団をリスペクトしてんだよ!!

まぁ助かったと言うならそれは良かったね~という内容で返しの手紙を出しといたよ。


〇~~~~~~〇


弥七(高橋弥七郎、後の立花宗茂)と誾千代ぎんちよを弟子として預かりました!!

さて、私の押し武将、立花宗茂が登場です!!

史実でも丸目蔵人の弟子となっております。

しかし、面白いのが弟の立花直次は柳生宗矩の門弟となり「新陰治源流」を開祖したんですよね~

立花直次は関ケ原で西軍に味方し改易しましたが、その後に兄の立花宗茂と同様に徳川家に仕え旗本となりました。

そして、子の立花種次の代で旧領復帰して三池藩を立藩しました。

然もでですから価値ありの立藩です。

立花直次の功績が大きかったから成し得たことで藩祖とも呼ばれる存在となりました。

兄弟揃って知勇兼備だったようですね~

因みに末裔のひとりに麻生太郎さん(内閣総理大臣(第92代))がいらっしゃいます。

さてさて、立花宗茂は関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいますが、を回復した武将は立花宗茂ただ一人と言われています。

しかし、当代で大名に返り咲いた者も6名程しかいなかった様です。

その中で立花宗茂以外で注目は岩城貞隆ですね~

彼は伊達政宗の従兄弟さんです。

そして、佐竹義宣の弟となります。

他にも兄弟に蘆名義広、岩城宣隆、佐竹義直などが居ます。

この人物が面白いのが、徳川家康に再興を嘆願した結果、徳川家康第一のブレインである本多正信の配下の組の300人扶持となり、大坂夏の陣で正信に従って従軍し、戦功を挙げ、大名復帰するのですが、蘆名氏の一族と伝わる天海も彼の大名復帰に合力したと言うのですから面白いですね~

同族の縁故かもしれませんが、蘆名一族は優秀ですから彼も・・・

今回は押しではない人々の話でした。

押し(立花宗茂)の話はもっと先で語りたいですね~

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