第七章③ まってて由里ちゃん

 ワイパーが左右にせわしなく動く。以前に高木くんから見せてもらった大きな見やすいバックミラーがちゃんと取り付けられていた。


 雪を掻き分けて、国道13号をまずは目指す。居酒屋のバイトをしていたときに毎日くぐった明田地下道を通り抜けた。


「なんだか揺れるね」


 道路の雪のせいだろうか。振動がいちいち大きいように感じる。


 高木くんが楽しそうにシフトチェンジをがしゃこん、がしゃこんと繰り返す。


「シビックタイプRは足回りが固いんだよ。かっ飛ばして走るためのセッティングだから、街乗りの快適性は犠牲にしている。スピードが出るとエンジン音もうるさいから、この先我慢してね」


「ほう」

 彼はえらいとんがった車を買ったものだ。これから遊びに行く時には歩とわたしで頻繁にお世話になりそうなので、こっちが慣れるしかないか。わたしはこのときそう思った。


 高木くんのシビック談義は続く。


「でも、走行距離が1000km超えるまでは慣らしの時期だから、回転数をあんまり上げたくないんだ。ディーラーの人の話だとVTECエンジンの場合、遠慮していると回わらない、おとなしいエンジンになっちゃうから、早い時期から積極的に回したほうがいいって考え方もあるそうなんだけど」


「そういうものなんだ」

「エンジンは、ドライバーが育てなくちゃいけないのだ」

 深いなあ。


「うわ」

 後部座席の歩が、驚愕の声をあげた。


「ラックに道路地図帳がある。東北版と、関東版」

「それも前から買ってたの?」

「当然じゃん」


 あきれたが、これは助かった。座席の間から歩が分厚い地図帳を開いて差し出した。わたしは体をひねってそれを覗き込む。


「歩、くわしい場所は聞いてる?」

「岩沢駅を出たあとって言ってた。この区間のどこか」


 秋田県横手市と岩手県北上市を結ぶJR北上線は、国道107号線に併走している。高木くんがちらっと地図を見た。

「秋田自動車道とも重なってる」

「そうね」


「高速が通行止めになると、たいがいそれに沿った下道で渋滞が起こる。時間が思った以上にかかるかも。あ、ガソリンを入れてくね」

 

 道路沿いのガソリンスタンドに入って、ハイオクを補充する。この時点で午後八時。


「おおそうだ。問い詰めておこうかな」

 車が再び走りだしてから、歩が唐突に言った。


「長友、和さんと待ち合わせしてたのね」

「む、どういうことだ。みどり」


「別にいいじゃないの。一緒に晩ごはん食べる約束してたのよ」

「おお、長友が開き直った」

「悪びれるでもなく、開き直った」


「こんな事になったからしょうがないけどね。ああ、彼もきっと楽しみにしていただろうに、あんな寒いところに一人残してきてしまった」


 例の『否定しないほうがむしろ良い』を使ってみた。ついでなので調子に乗ってみた。


「ごめんね和さん。本当にごめん」

「うるさいな。わかったよ」


 わたしはドアのハンドルをぐるぐる回して窓を全開にして「和さーん」と絶叫した。


「こら長友、風が、雪が、寒い、冷たい。早く閉めて」


「かーずーさーん!」

びゅおおおおお。


「みどり、お前もう降りろ」


 国道13号は普段より混んでいた。進みも遅くて、車間距離が短い。途中でやたら車線変更を繰り返す軽自動車がいて、急いでいるのだろうが少し危なかった。


 夏に喜多方遠征でこの道を通った際には、横手市まで二時間で行くことができたが、今日はどのくらいかかるかわからない。


 ときおり電光掲示板に高速道路の状況が表示されていたが、通行止めの赤い文字のままだった。


 歩が何度か由里ちゃんに連絡を取ろうとしたがだめだった。電話の持ち主があちこちに連絡をとっているのかもしれない。


 途中の大曲市を過ぎたあたりから車の流れがどんどん悪くなり、やがて何もない山道でついに止まった。


「これは」

「何これ、どういうこと?」

「たぶん、自動車事故があった。トラックの横転とか」


「通行止め? そんな」

「いや、ほら、ゆっくりは進むみたいだ。たぶん片側の車線が塞がっちゃって、交代に流しているんだと思う。あせってもしょうがない。腹をくくっていこう」


 わたしは溜息をついた。落ち着こう。現在時刻は十時。


「わたしCDを買ったんだけど、この車ほんとにオーディオがないのね」

「ラジオすらしょぼいっていったろ。走りに必要ないものはとことん排除してるんだ」


「音楽は走りに必要だわ」

 わたしが抗議したところでどうにもならなかった。


「あれ、いま」

 高木くんは呟いたが、言葉は途中で途切れた。わたしがどうしたのかとたずねると、しばらく間をおいた後彼は、「カモシカを見た気がした」と言った。


 横手市内にようやく入ったときには十二時だった。コンビニで一度停まって手早くトイレ休憩。食料も何点か買い込んでまたすぐに車に戻った。


 国道13号線から分岐して、国道107線に入る。

「やっぱり一晩中混んでそうだなあ。トラックが多い」


 高速をやむなく降りたトラック。運転手たちはこんなとき気が立っているものなのだろう。


 あたりを見回しながら進むわたしたちの車が速度を緩めていたら、後ろからどすの利いたクラクションであおられた


「岩沢駅はここだ」

 雪で見づらかったが表示があった。次の駅までは七kmほどある。


 その間のどこかに今も電車が止まっているはずだ。


「うまいこと道路沿いだといいんだけどな」


 このへんのPHSの電波は不安定だ。連絡をつけることはできそうにない。

 

 わたしと歩は、雪で視界の悪い窓の外の様子に注意を払い続ける。


 岩沢駅の表示を見てから4kmを過ぎたときのことだった。前方にただの車とは違う明かりを見つける。


「高木くん」

「あれだ」


 闇の中に電車の車両の明かりが横一列に並んでいた。乗客の姿がうかがえる。黄色いランプをともした車が傍らに控えていた。そこはちょうど、タイヤ交換用のスペースとして道路がふくらんだ形になっていたのだ。


 由里ちゃんを見つけなければ。


 さらに近づいていくと、シビックの三台前を走っていた大型トラックが突然よれてクラクションを鳴らした。


 トラックのヘッドライトに照らされて、一瞬人の姿が見えたような気がした。


「ん、なんだ」

 高木くんが、車のスピードを落とす。


 そのトラックの後ろの車も、何かをかわすようにして電車の横を通っていく。


 わたしたちのすぐ前の車がクラクションを鳴らしたとき、ベージュのコートを着た女性が道路の真ん中で前の車に向けて両手を大きく振っているのが、ライトに照らし出されてはっきり見えた。


 女性は必死に何かを叫んでいた。


「由里ちゃんのお母さん」


 わたしは、吹雪が入り込んでくるのもかまわず窓を開ける。風に乗って悲鳴のような声が届く。


「娘を乗せてください。お願い、受験なんです!」


 彼女の髪は吹雪で乱れてしまっている。


 前の車は無視して通り過ぎていく。


 高木くんはハザードランプをつけて道路のふくらみの部分に停めた。


 由里ちゃんのお母さんがこちらに向って足をもつれさせながら駆け寄ってくる。わたしは車を降りた。雪が髪を巻き上げる。


 彼女はわたしが誰だか気付いた。立ち止まってぜいぜいと苦しそうに呼吸をしながら、お化けでも見るような目でわたしのことを見つめる。


 そのはるか向こうには由里ちゃんが立ち尽くしている姿が見えた。


「お久しぶりです。お母さん」

「どうして、あなたが」

「多分わたしのせいなんです。あなたの言うとおり。だからわたしはここに来なければならなかったんです」


 わたしとお母さんの横を高木くんが、とことこととのんきな足取りで通り過ぎる。彼は由里ちゃんの元へと向った。わたしも彼を追いかける。


「おっとこんなところに美人さんを見つけたぞ。ねえ君、良かったら俺の車に乗っていかないかい?」


「高木さん? みどり先生?」

「由里ちゃん。すごいことになっちゃったね。古川までつれてってあげる。早く車に乗って」


「来てくれたんですか、わたしのために。あ、お母さん、どうしたの?」


 振り返るとお母さんは雪の上に両膝をついて、座り込んでしまっていた。


「お母さん! お母さん!」


 走り出す由里ちゃんの涙声。


 駆け寄ると、お母さんはか細い声で、大丈夫、平気、と言った。顔色が青い。


 高木くんが彼女を支えてあげた。


「ずっと叫び通しだったんでしょ。よくがんばりましたね」


「わたし人を呼んでくる」

 歩が駆けていった。


「お母さんは、ここで休んでいてください。由里ちゃんはわたしたちが必ず送り届けます」

 わたしは体をかがめて告げた。


 お母さんは頷いた。それから自分のコートから封をしてある携帯カイロを取り出して、由里ちゃんに差し出した。


「手、試験のときかじかむと、鉛筆がもてなくなるから、使って」

 由里ちゃんははそれが神聖なものであるかのように受け取った。


「わがまま言ってごめんね、お母さん。受かるから、必ず」


 車掌さんにお母さんのことをお願いして、わたしたちはシビックのところへ戻った。


「凄い、かっこいい」

 由里ちゃんが後部座席に座りながら言った。


「もっと誉めてくれ、さあ、行くぞ」


「いいお母さんじゃない。今日のこと、一生感謝するのよ」

 歩の言葉に、由里ちゃんがまた涙ぐむ。


 本当だわ。わたしは思った。


 どうやらわたしはあの人のことを見くびっていたようだ。


「さて、これで間に合わなかったら、格好がつかんな」

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