血税って言うな

そうざ

Don't Refer to Taxpayers' Precious Money

              1


 携帯電話が鳴った。

 番号登録はしていないが、数字の並びを見ただけで表情筋に力が入った。

「はい」

才南さいなんさんの携帯端末で宜しかったでしょうか」

 聞き覚えのある声と空々しい定型文とが俺の眉根を更に深くさせる。何度も不毛なやり取りをしている身からすれば当然だろう。

「そうですがぁ」

名井ヶ城ないがしろ市役所〔サドン落下被害対策調査室〕ですが――」

「さっさと用件を言ってっ」

 希望的観測と嫌味とを込めて透かさず言い返した途端、徒労感が俺の記憶を一ヶ月前まで巻き戻した。


              2


 某月某日、直径約100メートルに及ぶ小惑星が地球に落下する可能性が限りなく高い事を、各国の小惑星監視システムが共同発表した。

 通称〔サドン〕と名付けられたその石の塊は、何らかの気紛れで火星、木星間の小惑星帯から離脱し、ちょっくら行って来っからと地球に向けて遠路遥々の片道旅行を思い立ったしい。

 一方その頃、この国のメディアは政界の下半身スキャンダル報道一色だった。某広告代理店のお膳立てで、男性閣僚の面々が風俗嬢やセクシー女優から性的な接待を受けていた事が発覚したのだ。

 当該議員は口を揃えて事実無根と空惚けるが、内閣支持率は下降の一途。SNSは『#即刻総辞職祭』と化し、メディアスクラムは狂喜乱舞の最高潮。いよいよ進退│きわまった政府は緊急記者会見を行うと発表した。

 張り詰めた空気の中、内閣総理大臣が用意された原稿を朗読し始めた。

「専門家に拠りますと、〔サドン〕が我が国に被害を及ぼす可能性は、限りなく低い事が判っております。国民の皆々様方に於かれましては、根も葉もない風評に惑わされる事のないようくれぐれもご注意頂き、また決して軽率な行動に訴える事なく、普段通りの日常生活を粛々と営んで頂き――」

 忽ちSNSは『#それじゃない祭り』がトレンド入り。政権与党は己のスキャンダルを一掃する為に〔サドン〕を宇宙の彼方から召喚した、とまことしやかに喧伝する陰謀論まで登場した。

 一部の姑息な地球人に汚名返上、面目躍如、起死回生の切り札としてお手軽に政治利用された〔サドン〕。どういう訳か俺は、この完全部外者の石ころに奇妙な同情を禁じ得なかった。


              ◇


 そして半月前、世界中の偉い先生方が事前に予測した通り、〔サドン〕は大気圏での摩擦や過熱に依って地表面に達する前に空中爆発、大小無数の欠片に分裂し、北緯30度から40度、東経150度から165度のエリアを中心に飛散、落下、太平洋の藻屑として儚く消えた。

 この時の衝撃波で海嘯つなみが生じたものの、周辺諸国の沿岸部に僅かな潮位変化をもたらすのみに留まった。これがもし陸地、殊に人口密集地への落下であったならば、甚大な人的及び物的被害は不可避だったろう。

 気紛れな来訪者が儚く砕け散るや否や、内閣総理大臣は可及的速やかに再び緊急記者会見を行った。

「前回の会見でご説明させて頂きましたように、我が国は〔サドン〕に依る災害被害を一切こうむる事はありませんでした。落下地点に最も近い文明国であったにも拘わらず、重大な局面を無事に乗り越える事が出来ました。我々は宇宙の邪悪な侵略者に勝ったのです。この勝利はひとえに現政権をご支持下さった有権者の方々のご尽力、ご協力あっての賜物と――」

 前回は『国民の皆々様』と言っていたのに今回は『有権者の方々』と名指す嫌らしさも然る事ながら、とどの詰まりは我が政党、我が派閥、我が政権がこの国を守りましたと言わんばかりの得意気でご満悦なご尊顔で、実際に内閣支持率が微回復してしまうという全く以てお目出度おめでい空気と共に何だかよく解らないぼんやりとした国民的お祝いムードの中、無名の一国民が苛立ちの線グラフを急上昇させている事など露知らず、血税でたんと御飯おまんまをお上がりになっているのだと思うと、俺はED状態の毛根で怒髪天を衝きながら、空きっ腹でむかっ腹が立って仕方がなかった。

「甚大な被害を無事に回避したこの日を、国民の新たな休日に制定する事が先程、閣議決定致しました――」



              3


 いよいよ〔サドン〕が地球に落下すると目されていた当夜、俺が何をしていたかと言えば、何処吹く風でパチンコに入り浸っていた。

 確変に継ぐ確変の確変祭り、こりゃ隕石が幸運を運んで来たかと、その後は飲んでは吐いて吐いては飲んでのプチ豪遊と洒落込み、暗い田舎道を浮かれ気分で帰宅した。

 やがて見えて来た我が家は、亡き両親から引き継いだ築半世紀にもなる木造モルタル平屋建てのあばら屋で、近年いよいよ限界集落の烙印を押された寂しい谷戸のどん詰まりに立地し、今更リフォームをするつもりもなく風雪のまにまに任せている物件だが、暗がりの玄関ドアを開けた途端、隙間風にしては余りに強い風に違和感を覚えた。

 電灯を点けようにも、壁のスイッチが反応しない。仕方なく暗闇を手探りし、上がりかまちから二、三歩進んだ所で身体が不意にがくっと沈んだ。

「いっで〜っ!!」

 床が抜けたなんて生易しいものではない。例えるのならば、交友関係の過半が悪友で、そいつらがほんの思い付きで密かに落とし穴をこさえ、テッテテ〜ッ、ドッキリ大成功〜っという悪巫山戯わるふざけを実行に移したのかと思う程の落ちっ振りだったが、実際の俺はそんな愉快な友達など一人も居ない天涯孤独の身である。

 次第に夜目が慣れると、自分が床下に出来た割りと深目の窪みに落ちている事が判った。手探りでそこら辺りの地面を撫でると、指が熱を帯びた何かに触れた。

「うひゃっ!」

 急いで斜面を這い上がり、慌てて携帯電話のライトを窪みへ向けた。

 茶の間の床全体が無惨に吹き飛んでいて、四方の壁も飛ばされている。見上げれば星月夜。天井板どころか屋根のほとんどがなくなり、傾いた何本かの柱が辛くも踏ん張っているだけという、最早、部屋とは言えないし、民家よりも廃墟という称号が似つかわしい、あり得ない状態だったのだ。


              ◇


 折りしも〔サドン〕の落下当夜である。爆発、飛散した〔サドン〕の欠片が何の因果か我が家を直撃した事くらいど素人の俺にだって想像に難くなかったが、通報から程なく駆け付けた警察や消防は、地震雷火事親父、経年劣化の安普請、地盤の沈下に旋風つむじかぜ、挙げ句の果てには地底人の仕業かと軽口を叩く始末で、〔サドン〕のサの字も口にせず、最終的判断は然るべき専門家の意見を仰いでからと早々と帰り支度を始めた。

 それはそれとして、取り敢えず何処かに一晩の宿を手配して欲しいと申し立てたが、その返事は鰾膠にべもないものだった。

「原因が特定出来ない以上、貴方は〔サドン〕の被災者とは言えません。あやふやな案件に血税は使えませんので、どうぞ自己責任で」

 パチンコの稼ぎは丸々酒に消えたばかり、すってんてんの俺だ。集落に親しい者の居ない鼻摘み者としては、ここで持ち前の意固地を発揮しないでいつするんだと、辛うじて形を残していた便所の中で一夜を明かしたのだった。


              4


 人騒がせな〔サドン〕の話題が収束し、世間一般にはすっかり退屈な日常が戻った頃、ようやく我が家に本格的調査が入る事になった。         

わたくし、名井ヶ城市役所内に新設されました〔サドン落下被害対策調査室〕主任の尾坐也おざなりと申します」

 主任にしてはやけに若い職員が名刺を差し出すと、付き従っていた年配の小男も間髪を入れず名刺を差し出した。

「名井ヶ城市様からご依頼を受けまして、県立天文台から調査に参りました尚坐利なおざりと申します」

 人員はたった二人、しかも似たような名前で紛らわしいったらありゃしない――などとはおくびにも出さず、三顧の礼とばかりに歓待した。

 事前の案内に、〔サドン〕の被災と認定されれば見舞金とやらが出ると聞かされているのだ。ここは心証を良くしておいた方が良いに決まっている。思い掛けずパチンコ代の原資が、否々いやいや、我が家の修繕費用に当てられるとなれば鼻息も荒くなる。

「ちょちょっ、靴っ……」

 両人共、土足のまま上がり框に足を掛けている。

「はい?」

「あぁ、まぁ良いです。もう床なんてないも同然っ、あはっははっ」

 全ては見舞金、見舞金、見舞金、の為――にしても、二人して〔サドン落下被害対策調査室〕というご大層な腕章をし、やけにお洒落な防災服に、ぴかぴかの安全靴と傷一つないヘルメットで身を包んでいる。

 まさかこの一回こっきりの調査の為に血税を使って態々わざわざ新調したんじゃないだろうな――俺は湧き上がる疑念を柔和な笑顔で押し留めた。

 我が家の惨状を前にした二人は、うひぁとか、ほえぇとか、被災者様の心情を気にもせず他人事のような感嘆を吐いた。確かに他人事ではあるが、いけ好かない事この上ない。

 天文台の尚坐利は大穴を見て回ったものの、ずっと浮かない顔をしている。

「それらしい石が見当たりませんねぇ」

 すると、飽き性なのか外方そっぽを向いていた尾坐也が嬉々として声を上げた。

「じゃあ、隕石じゃないんだ、〔サドン〕じゃないんだ」

「それらしい石だったら便所の戸棚に仕舞ってありますよ、肝心の証拠がなくなったら大変なんでね」

 俺が慌てて言うと、尾坐也と尚坐利は大穴の上と下とで顔を見合わせ、舌打ちのような苦笑のような小さな音を発した。

 俺がいそいそと石を持って来ると、大穴から上がった尚坐利が素っ頓狂な声で言った。

「あぁ〜っ、素手で触っちゃいましたか〜っ」

「えっ、何、やばいの? 放射能とか出てるっ?」

「いえ、貴方の手の雑菌が付いただけですが、事故や事件と同様に現場保存が大事なんです。天から降って来たかどうかの判断に影響しますから」

 尾坐也はにやにやしながら尚坐利の講釈に耳を傾けている。

 俺が慌てて石の表面を服で拭っていると、尚坐利は冷静にそれを取り上げ、糸に吊るした磁石を近付けた。磁石はぴたっと吸い付いた。

「鉄を含んでいるので隕石の可能性はありますね」

「やったっ、見舞金が出るっ」

 すると、尾坐也が俺の顔を見もせずに呟いた。

「判ったのは隕石かも知れないって事だけで、まだ〔サドン〕とは言えませんよ」

「この大穴が確たる証拠でしょうがっ」

「隕石って想像以上によく飛来してるんですよねぇ」

 尚坐利が学者肌の口調で割り込む。

「だから何だって言うんですか?」

「隕石は隕石でも〔サドン〕であるか否かが証明出来ませんと――」

「――見舞金が出ないという事です」

 尚坐利の説明を尾坐也が締め括るという嫌らしい連携プレー。

「市民の血税を好い加減な精査で使う訳には参りませんからねぇ」

「でも、この石を宇宙研究所とかそういうのに持ってって元素なんかを鑑定すれば、はっきりするんでしょっ?」

「隕石である事は確定出来るでしょう。ですが〔サドン〕の一部であるか否かは、他の場所に落下したサンプルとの照合が不可欠になりますね」

「さっさとそれをやって下さいよっ」

「爆裂した〔サドン〕の欠片は太平洋に落ちたと見られていますから、現実的に考えて採取は不可能かと」

「だったらどうやって証明すれば良いんですかっ?」

「それは自己責任で考えて頂いて。市役所うちの仕事は見舞金の申請を受け付けて、精査して、支給するか否かを決める事だけですから」

 もうどっちが尚坐利でどっちが尾坐也なのかすら判らなくなっている俺が居た。


              ◇


 よくよく考えれば、いつものようにパチンコで負けが込んで早々に帰宅して不貞寝をしていたら家屋諸共、太鼓腹に大穴が開くところだったのだ。崩れ損ないの荒ら屋が半壊しただけで済んだのは正に不幸中の幸い、それこそ九死に一生、何はなくとも命あっての物種――などと自分を納得させてなるものか。

 未だに〔サドン〕の魔の手を退けたのは現政権の卓越した手腕、超越的神通力のお陰と宣う岩盤支持層が存在し、下半身から発射した精子入りミサイルで〔サドン〕を木っ端微塵に砕いたといういびつな陰謀論的賞賛まで見受けられる始末だ。

 俺に言わせるならば、手腕だの神通力だのミサイルだのが本当だろうが嘘だろうが、そんな事はどうでも良い。真実は唯一つ、〔サドン〕が俺を被災させた事だけは揺るぎないのだ。


              5


 その日、俺は名井ヶ城市役所へ殴り込みを掛けた。我が家の原状回復に必要な費用を一部でも良いから負担しろっ――というような要求を分厚いオブラートに包み、世にも可哀想な被災者の立場を心掛けながらぶちまける為だ。

 しかし、本当の孤独な闘いはここからだった。

 先ず受付で〔サドン落下被害対策調査室〕の名称を出した途端、露骨に汚物でも見るような顔をされた。そして、しばし待たされた後にやっと通された場所は、俺の想像とは大きく違った。

 その仰々しい名称から、それこそ血税をこれでもかと投入した立派な部署だろうと思っていたら、トイレ脇の休憩スペースがパーテーションで区切られ、部署名を手書きした紙が貼ってあるだけだったのだ。

 パイプ椅子と長テーブルが一組あるだけで、まるでたった今、急遽しつらえれられたかのような、と言うか絶対そうに違いない空間だった。

 よくよく考えてみれば、〔サドン〕の被害は一件もないとこの国で一番偉い筈の人物が断言してしまったのだから、対策調査室などはなから設置するつもりはなかったのだろう。そうなると、本当に見舞金を支払うつもりがあるのか否かさえ怪しくなる。

 全てはノイジーマイノリティー対策に過ぎないとでも言うのか――パイプ椅子で止め処なく貧乏揺すりをしていると、初老の職員がとぼとぼとやって来た。

「どうもお待たせしました」

「うちに来た職員っ……尾坐也、尚坐利、どっちだっけ? 兎に角、若い職員は居ないんですか?」

「彼はこの部署の専属ではないんです、他の業務が忙しいので。今日は偶々私が暇だったので、あぁ、えぇと、お話をお聞きします」

 名刺に記された登戸郡とどこおりという苗字に苛ついていると、先制攻撃をされた。

「保険会社へはご連絡されましたか?」

「保険?」

「火災保険には『建物外部からの物体の落下、飛来、衝突』という補償項目がありますから、きっと保険金が下りますよ」

「離婚した女房に子供三人分の養育費を払わなきゃならないんで、家の保険なんかっくの昔に解約してます」

 登戸郡が僅かに身を反らし、やれやれという表情をした。

 他に何も当てがないから役所に頼み込んでんだろっ――俺の頭にどんどん血の気が集まっている事に気付かないのか、登戸郡は温和に話し続ける。

「既に調査は完了しておりますので、これ以上、私共がご助力出来る事は何も……」

「あの夜、近隣で大きな音を聴いたと証言する人間が何人も居るんですよ」

「でも〔サドン〕の落下音とは限らないでしょう? ガス爆発かも知れないし、子供が花火をやってたとか、車のタイヤがパンクしたのかも」

 想像で語れば切りがない。確かに、俺が訊ね回った範囲では〔サドン〕の落下音を聞いたと断定出来る者は居なかった。たとえ落下の瞬間を目撃した者が居ても、映像がなければ確実な証拠にならない――そう言い返されるに決まっている。

「ネットにはこんなに動画があるんですよっ」

 不毛な現場検証からこの方、俺は躍起になってネット動画を漁っていた。国内に影響は及ばないとの政府見解も手伝い、当夜は暢気に〔サドン〕見物をする人々が大勢居て、夜空を走る光の雨を捉えた動画は無数に存在していた。中には、名井ヶ城市内で撮影されたとされるものもあった。

「だけど、どれも貴方のお宅に落下した瞬間を映してはいませんよねぇ」

 登戸郡の言う通り、残念ながら決定的な動画は見付けられなかった。ネット上で自ら情報を募ってもみたが、これという証拠は得られなかった。

 反目の言葉に窮していると、登戸郡が紙切れを提示した。

「これね、〔サドン〕の落下証明書。もし何か証拠が見付かったら必要事項を書いて、改めて持って来て下さい」

 言い方こそ温和だが、最後通告に間違いなかった。

 しかし、泣き寝入りをしてなるものか。自腹で修繕してなるものか。

「残念な事に、世の中には市民の血税を不正受給しようとする人間が居りますのでね。あぁ、別に貴方がそうだとは言いませんよ」

 だったら、この如何にも慌てて用意したっぽい落下証明書なる紙切れも印刷代も、何ならパイプ椅子もテーブルもパーテーションも全て血税で賄っているだろうがっ――俺は遂に伝家の宝刀を抜く時が来たと覚った。

「SNSって知ってます?」

「……はい? ネットのですか?」

「炎上って知ってます?」

「……何を仰りたいんですか?」

 俺は携帯電話の画面を見せた。こんな事もあろうかと準備しておいた文章だ。


             ◆◆◆


 名井ヶ城市役所は現政権に忖度し捲るズブズブのドロドロのグチャグチャの関係だって知ってる?

 我が国は〔サドン〕の被害を全く受けませんでしたーっ、何故なら俺様がスゴいからーっと、偉い人が言い切っちまったが為に、被災民の存在を認められなくなっちゃったってワケ。

 被災者への見舞金制度なんかアリバイのように作っただけ。実際に支給するつもりなんか、これっぽっちもないよ。

 あれぇ? 今の総理大臣の出身地おひざもとって確か名井ヶ城市だよねぇ? これは単なる偶然に過ぎないのだろうか???

(以下、長々と続く)


             ◆◆◆


「指先で画面をポンッとすれば、世界中の人間がこれを読みます」

 ほんの数秒の間が生まれた。そして、登戸郡の表情に変化が顕れた。反応の鈍さは年齢の所為なのかどうか。

「ちょちょっとそのままお待ち下さいっ、そのまま、ポンッとしないで、そのままでお願いしますっ」

 そこから役所内が蜂の巣をつついて蟻の巣に水銀を流し込んだような騒ぎになるまでに時間は掛からなかった。若い職員であればある程、炎上の恐怖を想像出来るようで、上司連中に色々と進言しているようだった。

 後々この時の事を思い出す度に、俺は地獄の釜が煮え立つような笑いが込み上げる体質になってしまった。

 パーテーションの向こうで大勢が聞き耳を立てる中、低姿勢で現れたのは尾坐也だった。

 今頃になっての面下げてと睨み付けてやったが、こいつも貧乏籤を引かされて矢面やおもてに立たされたに過ぎないと思ったら何だか嗤えた。

 深くお辞儀をして対面に腰掛けた尾坐也は、分厚い本をそっとテーブルに置いた。六法全書だった。

「何だ何だっ、それから表現の自由について調べるのか? 俺がやろうとしてるのは誹謗中傷じゃないぞ、善良な一市民の窮状を広く世間様に知って頂くだけだっ」

「いえいえ、耳寄りな情報がございまして」

 そう言うと、汗だくの尾坐也は付箋の付いたページを開けた。中の人が入れ代わったかのように調査時の横柄な口調ではない。

「民法に『所有者のない動産は所有の意思を以て占有する事でその所有権を取得する』とあります」

「……何の話だっ?」

「掻い摘みますと、お宅に落下した〔サドン〕の欠片と思しき隕石は貴方の物という事です」

「それがどうしたっ、俺が欲しいのは石ころじゃないっ、金だっ!」

「隕石は高値が付きますっ」

「……マジかっ!!」


              6

 

「申し訳ありませんが、今回は見舞金の支給を見送らさせて頂く運びとなりました」

 電話の向こうから、おめでとうございます、という遠い声が聞こえた。誰かが窓口で婚姻届けでも提出したのかも知れない。


 隕石を売り飛ばしてパチンコの原資に、否々、我が家の修繕費用に当てようと期待したものの、古物商は精々が数千円程度と査定した。遠い宇宙の果てから遠路遥々お越しになって頂いても大きな塊でなければガキの小遣い程度というのが相場らしい。

「でもでもでも、これは世間で評判になったあの〔サドン〕の欠片ですよっ」

「昨今〔サドン〕だと偽って売り付けようとなさる方が増えておりまして、いえいえ、お客様がそうだと申し上げている訳では――」

 だったらもうネットオークションやフリマで売り飛ばしてやろうと思ったら、既に〔サドン〕は売買取引禁止品に指定されていた。詐欺が横行しているのがその理由だったが、どうせ建て前だろう。現政権への、総理大臣への忖度が働いたか、何なら政治家から圧力が掛かったに違いないのだ。

 飛んだ糠喜びをさせられた反動で、名井ヶ城市役所に対する怒りの炎が急速落下する隕石のように益々めらめらと燃え上がった。


「――もしもし、聞こえてらっしゃいますか?」

「聞いてるよっ!」

「実は先日、戸籍で貴方様のご身内の方を探させて頂いたのですが、ご兄弟もいらっしゃらないようで、仕方なく元の奥様にご連絡を差し上げまして」

「なっ何を勝手な事をしてんだっ、今回の件に関係ないだろっ!」

「以前、養育費のお話をされておりましたもので、つい……」

 肝心な事はしない癖に余計な事はする不条理なお役所仕事。やっぱりSNSで炎上させなければ改善出来ないらしい。

「それで本題なのですが……掻い摘んで申し上げますと、貴方様は除籍になりました」

「……ジョセキ?」

「死亡が確認されましたので、戸籍から籍を抜かせて頂きました」


 急に耳鳴りがしたと思ったら、周囲から音が消えた――と思ったら、パチンコ店の喧しさに包まれた。そしていつものように負けが込み、早々に帰宅して不貞寝をしていた。確変が続く愉快な夢を見ている最中、太鼓腹に何らかの衝撃を受けた事を思い出した。


「葬儀費用ですが、これは当市役所が責任を持って血税で賄いまして、無縁墓地の方へ――」

 こういう時は素早いお役所仕事。


              7


 俺は今も荒ら屋で暮らしている。

 風通しが良く、日当たりも良く、床下に寝転んで月見酒まで楽しめる。もう雨が降ろうが槍が降ろうが隕石が降ろうが関係ないのだから、決して悪くない環境だ。

 しかし、泣き寝入りをしてなるものか。自腹で修繕をしてなるものか。最近は空き家問題が何とかんとか、市役所の連中が土足でどかどか上がり込んで来やがるが、絶対に立ち退いてなるものか。

 俺は正真正銘の被災者様だ。泣く子を黙らせて寝かせて叩き起こす唯一無二の〔サドン〕の犠牲者様なのだ。

 もう血税なんかどうでも良い。そもそも低所得だったから市県民税は払っていなかったし、我が家の固定資産税も滞納していたし、もう納税の義務から完全に解放されたのだし、使いたければ勝手に使え。

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血税って言うな そうざ @so-za

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