人間の女の子は吸血鬼に噛まれてしまった

白髪の人間と黒髪の吸血鬼

 璃杏は初めて条例違反と法律違反をした。


 ホワイトブロンドに染めた髪を腰まで下ろし、だぶだぶのピンクのジャージ。長いネイルの施された手を掛けてインパルスの名を冠したバイクに乗る。ポケットにはきちんと免許証が入っている。化粧の施された顔は可愛らしく、街頭の古臭い光でも瞼はきらきら反射する。


 煙草屋の前でバイクを止める。フルフェイスマスクのまま、

「パーラメント。」

 と不愛想に声を掛ける。普段の璃杏は店員に優しく、「お願いします。」「ありがとうございます。」ときっちりにこやかに挨拶する。

 ではなぜか。ここは血の繋がった男が経営する店だからだ。高校生の身で喫煙したいと思った時、ここしか買える場所が思いつかなかった。

 予想どうり差し出された20本入りの箱に万札を突き付け、立ち去る。金なんてもういらなくなる。


 適当にバイクを走らせ、名も場所も知らない公園に行きついた。スマホの画面は2時を示す。照らされた表情には何も浮かんでいなかった。

 一時お香にハマった時に買ったライターで火をつける。吸い方の予習はばっちりしてきたし、何度も何度も見ていた。それでもやっぱり咳込んでしまった。

「でも、美味しいかな。」

 空には星と、有害物質の煙が見えた。


「おい。」

 突然現れた手に煙草を奪われる。警察か、冷や汗が噴き出る。この後の予定の為にも、補導されたり誰かに会うことは避けたかった。

「こんな夜更けになにしてる。お子様はさっさと寝ろ。」

 慣れた手つきで煙草を吸い始める。うっすら、口紅の色が移った。

「それ、私が買ったんですけど。お子様じゃないし。」

「はっ、どこからどうみても15か16だろう。」

 ぴったりと当てられ、思わず俯いてしまう。右手に握ったライターは頼りない。普通の女の子は変な男の人に声を掛けられれば逃げるんだろう。でも、そんな感覚は分からなかった。たとえこの男が包丁を持っていたとしても、それは変わらないだろう。


 父親あの人は私が女であることにしか興味が無かった。女だと言ってもまだ10そこらだった。そして、日常に入り込んだ暴力。

 これで大体察してもらえるだろうか。そのせいで彼女の貞操観念や危機感は狂った。犯されようが殴られようが何も無くならない。自分が我慢すればいいこと。いっそのこと死んでしまっても構わない。

 璃杏の背中には大きな痣があった。それが生まれつきなのか後天的なのか璃杏には分からない。


「…何の用ですか。これから予定あるので、失礼します。」

「こんな時間に予定か。どうせ自殺とかだろう?」

 またぴったりと当てられ、浮かしかけた腰を下ろさずにはいられない。男は肩に頭を乗せてきた。さすがに体は動かなくなる。

「これしきで恐怖を感じているのに、自殺なんかできるのか?くだらない。」

 男は隣のベンチに並んで座った。月明かりに照らされるま白い肌。肩につく黒髪に良く似合う黒い瞳の奥にどす黒い赤が見えたような気がした。

 指が、唇の当たりへ触れる。口に侵入し、歯を覗き見る。

「血液型は?」

 突拍子もない質問に、困惑する。

「知りません。親とほとんど話したことないので。」

 特に自虐の意味は無い。

「昔から髪に白髪が混ざっていないか?それに八重歯。あと、傷の治りが早い。」

 急に聞かれても、とは思ったがどれにも心当たりがあった。若白髪を揶揄られ、この髪色に染めている。八重歯はお気に入りだし、ピアス穴の安定が早いと言われたことがある。怪我は何か所も何度も繰り返していたから、治る速さという実感はあまり分からなかった。

「確かにそうかも…。」

 顔を上げ、男を見ると、口角に笑みがたたえられていた。


「暴れるなよ。」

 左腕の袖がめくられる。しっかりと掴まれた手首は全く動かない。男はそのまま、噛んだ。

「ちょっと…!」

 激痛、ではなくゆるやかな痛みを感じる。その瞬間、身体は自由を失い脱力する。背中を支えられてはいたが、今にも崩れ落ちそうだった。

 ほんの2,3秒だろうか。唇が離れ、軽く血の雫が拭われれば噛み痕は消えた。地の抜けていく感覚だけが残り、気持ち悪い。

「当たりだ。お前、吸血鬼の始祖の子だな。煙草のせいで少し不味くなっているのが最悪だ。」

 だんだん身体に力が戻ってくる。感じたことのない恐怖を感じ、男から離れようとするも、次はめまいが襲ってきた。直ぐに瞼を閉じるが焼き付いた景色がぐるぐる回る。その様子に男は驚いた。

 吸血鬼。創作物によく出てくるワードだが、なんの冗談だろうか。だって、吸血鬼って白髪で赤い目で爪が長いんじゃないの?男はどれにも当てはまらない。むしろ私の方が_。

「吸血されるのも初めてか。これは幸運だな。」

 妙に真剣な顔つきで指先を濡らした雫に口をつけ、揺れる私を抱き寄せる。

「吸血鬼の始まりは人間だ。今の血液型に当てはまらない、Y型の人間の突然変異種が吸血鬼の始祖になる。つまり、お前はY型だということを理解すればいい。」

 続けた。ポケットに手が入る。

「天根璃杏。平成19年の2月22日生まれ。16じゃないか。」

 先程の予想的中に気づき、笑う。呼吸が浅く、辛そうにする私の髪を短い爪の長い指で梳いた。

「悪い。が、直ぐに慣れるさ。そのまま眠ってしまえばいい。」

 ぽんぽんとあやされ、璃杏は悲しくも眠りについた。


「そういわれて普通寝るか。」

 軽く頬を叩いてももう目を覚まさない。余裕に振る舞ってはいたが、吸血鬼にも少々反動があった。体中に広がる痺れの中、口内に残った甘い血液を余すことのなく楽しむ。

 やっと見つけた。1000余年探し続けた、Y型の人間。しかも、めっちゃ可愛い。超好み。シンプルにナンパしようと思って後をつけていたが、まさかこんなことになるとは。

 璃杏と《契約》をしなければ後数年で消滅してしまうし、璃杏に至っては数日で死ぬだろう。もう俺たちは切って離せない。それが幸福で仕方なかった。

 もう少し、このままで。俺に全て預けた彼女を見つめ、免許証を見つめながら煙草を楽しんだ。


 朝日と毎日同じ時間に鳴るスマートフォンのアラームで目を覚ます。いつものベッドにいつものサメのぬいぐるみ。それまでは普通だった。

「起きたか。」

 突然整った顔が目と鼻の先に出てきた。少し長い髪を後ろで縛り、小学校の家庭科で作ったキャラクターのエプロンをしている。

「メイクは落として、カラーコンタクトも外したぞ。」

 そう言って眼鏡を掛けられる。ナイトキャップまで被っていた。起き上がり少し混乱する。

「…ありがとうございます?」

「どういたしまして。」

 とにっこり。住人が私だけのはずの部屋に、昨晩の男がいる。しかも妙に気が利いている。低い折り畳み式のテーブルに窮屈そうに座り、朝食らしきものを指さす。

「ドレッシングはゴマか?マヨネーズもかけるか?」

 首を傾げてからうなずく。質問を考える暇もなく決定事項のようにこう言われた。

「璃杏、このままだと数日で死ぬぞ。」


「…まず、どなたですか。」

「名前のことか?有栖だ。あと敬語はいらない。」

 どこぞやのおとぎ話で聞いたような名前だ。

「有栖は吸血鬼なの。」

「理解が早くていい。俺が言ったことだが急に砕けたな。」

 朝早くパン屋に並んで買ったというつやつやしたジャムパンをいただく。嘘だと思って聞いていたけど、昨日、ではなく今朝の出来事は本当のようだ。

「死ぬのはなぜ?」

 有栖から持ち掛けた話だが、何故か答えに詰まっている。

「食後にしよう。」


 カフェオレのスティックにお湯が注がれる。

「Y型の人間はんだ。つまり、璃杏の前のY型、純血と呼ぶが、その人が死んだから璃杏が生まれて、璃杏が死ねば次の純血が生まれる。母親か父親は亡くなっていないか?」

 確かに、母親は亡くなっている。死因は知らないが、あの人が生きているということは母が純血の人間ということになる。

「そして吸血鬼は純血の人間をように作られている。殺せなければ消滅する。人間でいう寿命みたいなもので縛られているからな。」

 特に動揺できなかった。じゃあなんで私は生きているのかの理解だけできなかった。その様子を有栖は面白がっている。

「怖がるな。俺は例外だ。そう、また一人だけ、純血を守るように作られている吸血鬼がいる。それが俺だ。」

 邪血と呼ばれているとも付け加えた。

「つまり、今いる吸血鬼たちは私を殺すことが生きる目標?」

 頬杖をついたまま頷かれた。

「俺が昨日吸血したことで璃杏は吸血される為の身体になっている。すれ違ってでもみたら純血だと見抜かれすぐに殺されるだろう。」

 有栖にとって深刻な状況な気もするが、本人はさほど気にしている様子ではない。

「ちなみに、どうやって殺すの?」

 ここ数日自殺方法をリサーチしまくっていた為、単純に興味が湧いた。

「良くある漫画みたいに血を操ってナイフ作って突き刺すとかイメージしたか?そんなことはできない。血を、すべて飲んでしまえばいいんだからな。」

 こんな死に方はインターネットには載っていなかった。流石に。

「これを解決するにはどうしたらいいか。簡単、俺と血を交換すればいい。そうすれば純血だと見分けることはできないし、俺も消滅を免れる。消滅は死と違って苦しいし、何も残らないから嫌なんだ。」

「消滅をしたくないのは分かった、協力してもいいけど、血を交換って意味が…。」

 これには答えが返ってこない。

「璃杏に拒否権も無いんだが、折角だから楽しもうと思ってな。」

 ベッドを背もたれにしていた私はそのまま動けなくなった。神経が全て途切れたように。ジャージは脱いでいて、今はTシャツ一枚だ。首元が引っ張られ、右肩が露出する。

「一回吸血されれば、もうそれのモノになってしまうからな。」

 金縛りのことを説明しているのだろうか。髪がよけられる。

 そのまま、肩へ牙が突き刺さった。


 また不思議とそこまで痛みを感じない。それでも感覚が全然違った。前のような不快感は消え去り、むしろ気分は悪くなかった。愛されているような、快楽。

「どうだ?」

 恍惚に笑う有栖は唇を噛み、血を流した。そのまま再び口をつける。

 何かが入ってくる。手足の神経が全て血管に回ってしまったように全てが分かる。吐息が零れていった。身体を何かが一周したところで、やっと痛みは消えた。

 軽く息が切れる。体温が上がっていたのは朝食のせいだけではない。頬は紅潮する。それは有栖も同じだった。

「これで俺も璃杏も幸せだ。ああ、でもこれは定期的にやる必要がある。それを100年も続ければ十分だろう。」

 カーペットに血が染みる。軽やかにそう笑った有栖はやっぱり人間ではないのかもしれない。

「死ぬまで一緒だ、璃杏。」


 吸血鬼に囚われた、まるで吸血鬼のような少女。人間を捕えたまるで人間のような吸血鬼。吸血鬼は死ぬまで人間と繋がり、人間は死ぬまで吸血鬼と繋がる。

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