第1章 英雄 (3) 同盟元帥

「悪くない、と思うんだがなあ」


 ゴトフリーは、自慢の顎髭を摩りながら、呟いた。

 総司令官から、連合艦隊、左翼への攻撃を拝命した、ガニメデ艦隊旗艦ガニメデの艦橋。

 司令席にもたれ掛かり、彼は、ふわっと欠伸をした。作戦行動には、まだ時間が早い。


「じゃあ剃りますか、提督?」


 傍の副官は、笑みを噛み殺し、わざと尋ねる。


「馬鹿を言え。この髭が無くなったら、お前たちは、提督が行方不明だ、って大騒ぎするだろ。そんなことが元帥や本国に知れたら、いい笑い者だ」


 たまらず副官は、吹き出す。


「まあ、元帥閣下は細かいことを気にされるお方ではない。このままにするさ」


 そう言って伸びをしたゴトフリーは、ところで、と前置きをすると、もう一度、ふわっと欠伸をした。


「知ってるか? 閣下の双眼」

「元帥のオッドアイのことですか?」

「そうだ」


 司令席にその大きな体躯を預けるゴトフリーは、腕を、そして足を組んだ。


「左の碧眼へきがんで、淡々と戦況を分析し、右の橙眼とうがんで、ズバッと沙汰を下す。いいか、この海戦で、その異色の双眼が選り抜いたのは、今日、この時、この戦場、というわけだ。すべてお見通しよ」


 彼の眼は、知らず知らず、艦橋の外を漂うゴツゴツとした大小様々な岩を追っている。

 火星の衛星は、ケレスのほかに、この岩石群も周回している。これらは一般に小惑星帯と呼称されていた。

 その岩にしがみついてじっと声を潜めているのが、ガニメデ艦隊というわけだ。

 第四艦隊、通称ガニメデ艦隊は、戦闘艦、巡洋艦、駆逐艦、補助艦などで編成されている。総隻数は525。エウロパが旗艦を務める第一艦隊と同じく均整の取れた構成である。それは、二正面作戦を強いられた時、エウロパに代わり作戦の指揮を期待されてのことだ。


 ケレス沖は、現在、膠着状態であるものの、これまで、押したり引いたり、と激しい駆け引きで、両艦隊は、絶え間なく宇宙を移ろっていた。

 まもなく、ガニメデ艦隊の張り付くその小惑星帯は、両艦隊の真ん中を通過する。


「それにしても、閣下はお人が悪い」


 ちぢれた茶褐色の頭を、ため息混じりのゴトフリーはイライラと掻く。

 不満なのだ。

 それはガニメデ人の気質に由来していた。


「ガニメデ人を半年もこんなところに貼り付けて、まったく気が滅入る」

「七か月です」

「俺たちは、宇宙の獅子と謳われた、ガニメデ人だ。肉を喰らい、歌い、踊り、そして広大な宇宙で大暴れしてこそ、だろう? じっとしているのは、どうにも性に合わん」

「仰るとおりで」

「だが、肉の大盤振る舞いには、心が躍ったな。それも毎日だ。そういえば、生肉もあったな……」


 同盟の艦隊食は、穀物類が主である。なぜなら炭水化物は、速やかに将兵たちの血肉になるからだ。

 もちろん、肉も週に一度ではあるが供される。だがそれも、水で戻した干し肉を調理した味気ないものだ。

 これが軍の原則であった。

 だから、毎日肉が供されることなどあり得ないのだ。


「ん?」


 ゴトフリーは、何事かに気がついて身を起こした。そして、眉を顰めて副官に問う。


「おい、それにしても、よく兵站が続いたな」


 昨日も生肉に齧り付いたゴトフリー。

 生鮮食品は、専用の補給艦が必要である。今回の作戦では、随伴していない。理由は、過剰な艦船を連れて行ける余裕がない、言い換えれば、ガニメデ艦隊が特務を負い、隠密行動を求められていたからに他ならなかった。


 副官は少し気まずそうに、「これは元帥からゴトフリー提督にはいうな、と命じられているのですが」と前置きをして言った。


「実は、貿易船に艤装した補給艦と、何度か接触しておりまして、それで精肉などを……」


 そう白状した副官は、「任務の秘匿性のため、すべては元帥閣下、直々のご差配を賜りました」とも付け加えた。


 有り余る肉の顛末は、ベアトリーチェの差金であった。

 副官は、「さすが元帥は、何もかもお見通しですね」と皮肉を残し、そそくさと艦橋を後にした。


 一人、艦橋に残されたゴトフリーは、むうっと唸ると、その大きな身体を司令席に深々と沈めた。

 そして、太い眉を寄せ、しきりに縮れた顎髭を摩る。


「やっぱり、少しそろえておくか……」


 そう呟いて、また、ふわっと欠伸をした。


 *  *  *


「聞け! わが紅國の兵士よ!」


 エウロパの艦橋で仁王立ちする、同盟艦隊総司令官、ベアトリーチェ=ジル=ア=ラインの演説が始まった。

 すなわち、決戦の時が来たのだ。


 同盟独立以来、百年の血塗られた歴史が、この異色の双眼、不世出の英雄を見下ろす。


 総旗艦エウロパの発した暗号通信は、瞬時に復号され、同盟本國と全艦隊にその姿と、その意思を伝えていた。

 すべての将兵は、持ち場で直立し、手近のモニターに正体している。

 かの少女に、畏敬の首を垂れながら、そして、静かに英雄の、その時を待つ。


「連合をかたる侵略者は、今や、その野心を隠そうともせず、麗しきわれらの祖國に、その獰猛な牙を剥かんと欲している!」


 軍帽を深々と被り、死装束にも似た純白の軍装にその身を包む少女は、異色の瞳を爛々とたぎらせ、力強く拳を振り上げる。


 ——その頃、同盟本國では、臨時の放送が全土に流されていた。

 人々は固唾を飲んで、モニターに映し出された英雄を見守る。

 それは、議長官邸で、同盟評議会で、参謀本部で、オフィスで、学校で、農場で、漁船で、病院で、工場で、自宅で……、皆それぞれに——


「彼らは、一方的に約定を破り、われら衛星人サテリアンの真心を踏み躙ったのだ! それは自らを野蛮人と告白するに等しい! 甚だ笑止!」


 ——放送は、同盟國歌「咲けよ、向日葵」、その伴奏を、演説の背景でひっそりと奏でていた。

 向日葵は、同盟において国花であり、かけがえのない人に想いを捧げる花、とされている。

 人々は、遥か彼方の宇宙うみに在る自らの将兵たちに、それぞれの向日葵を祈った。

 その母は、その恋人は、その姉は、涙を流して。

 その父は、その弟は、その息子は、帰還を信じ。

 皆、それぞれに想いを綴る——


 同盟艦隊は、いまや整然と三列の横陣を為し、敵、連合艦隊と対峙していた。

 すべて、準備は整ったのだ。

 そっと英雄の、その時を待つ。


「醜悪、ここに極まれり! 恥を知らぬ、この猛獣どもに、われらの断固たる意思を叩きつけなければならぬ!」


 そう言い放った少女は、一転、拳を収め、その碧眼と橙眼を細めた。

 そして自らを抱きしめ、ひとつ、またひとつと、言葉を紡ぐ。まるで赤子をあやすような、そんなさまであった。


 連合艦隊の砲声はすでになく、同盟艦隊に、そして宇宙うみに、しんっと静寂の帷が降りる。


「親愛なる将兵諸君……」


 同盟艦隊のすべての主砲塔は、冷たく眼前の敵を睨みつけていた。

 じっと英雄の、その時を待つ。


 少女は、淡々と語りかける。


「惑うこと勿れ。

 父と母が、われらに授けた慈愛は、逡巡し、躊躇う諸君らを、正しく教導するであろう」


 ——総旗艦、エウロパの砲術室に若者がいる。

 幼い時に父を亡くした彼は、軍学校に生活の糧を求めた。唇を噛む彼のその手には、ある物が握りしめられていた。

 宇宙は冷えるから、とその身を案じた、それは、母が毛糸で編んだマフラーだった——


 少女は、淡々と語りかける。


「憂うこと勿れ。

 妻が、添い遂げんと願ったまごころは、決して標べを違わず、諸君らの傍で佇むであろう」


 ——第二艦隊、旗艦イオの航海室に青年がいる。

 出征前、妻から妊娠を知らされた。

 険しい表情で、手元の写真を凝視している。

 二人でエウロパを訪れた、それは、新婚旅行の思い出の一枚であった——


 少女は、淡々と語りかける。


「案ずること勿れ。

 哀しみの河を渡る、傷心の幼子は、兄弟たちは、われらの眠る大地で、諸君らと必ず邂逅するであろう」


 ——第三艦隊、旗艦カリストの医務室に女がいる。

 先の戦役で夫を亡くし、娘を養うため軍へ志願した。手元の紙片、それを読む彼女の瞳は、涙を湛えていた。やがて一条、頬を伝い、流れ、ぽたりと落ちた。

 母を激励しそして案ずる、それは、幼い娘からの手紙であった——


 すべての砲身は、深紅に炎える幾億の高粒子で満たされていた。

 きらりと英雄の、その時を待つ。


 すると少女は、再び、異色の瞳を爛々とたぎらせ、力強く拳を振り上げる。


「そして、忘るること勿れ!

 諸君らの、その背には、常に、その奮戦をあまねく総覧する、……!」


 ——第四艦隊、旗艦ガニメデの機関室に初老の男がいる。

 数多の戦役を潜り抜け、そして、ことごとく戦友を見送ってきた。彼は額を這う、油混じりの汗を拭った。そしてぐっと握りしめた、それは、長年ともに戦ってきた戦友、スパナだった——


「同盟元帥たる! この、私がいる!!」


 少女の軍帽が宙を舞い、纏めていたその長く白き髪が、ふわりと艦橋で翻った。


 将兵たちは、士官から一兵卒、若年兵から老兵、そのつま先の、その血の一滴に至るまで、

 人々は、息を潜め、喉を渇かし、瞳を潤ませて、


 英雄の、その時を待つ。


「諸君らに、ジュピターの加護あれ! 同盟、万歳!」


 ——同盟、万歳!! 元帥閣下、万歳!!


 宇宙に弾ける、喚声かんせい。そして——


「——全軍!! 撃ち方はじめっ!!」


 英雄の咆哮に応えるかのように、同盟艦隊の主砲塔が、一斉に火を吹く。

 唸りをあげる、その深紅の高粒子は、一直線を描き、正面の敵、連合艦隊に襲いかかった——


 それは、第三次ケレス沖海戦における、同盟艦隊の初撃であった。



 *  *  *



 ——西暦3,810年


 人類は、惑星への移住——テラフォーミングを可能にした未来で、二つの陣営に分かれて争っていた。


 一つは、連合。


 太陽系惑星間連合(Solar System Inter Stella Union)、SSISU。

 通称「連合」。


 地球を中心に、月、火星、タイタン、カロンなどで構成される、太陽系の支配者である。

 そこは、『AIとの共存』を掲げて、人間とアンドロイドが、太陽系の開発と統一を目指す、進歩的な世界。


 連合において、人間とは、義務や労働、そして寿命からも解放され、娯楽や趣味に興じる、桃源郷を現出した、ある種の、勝者。

 或いは、生ける屍に堕した、ある種の、敗者。



 もう一つは、同盟。


 木星衛星間条約機構(Jupyter Inter Satellite Treaty Organisation)、 JISTOジスト、またはその衛星の発見者に因んで、ガリレオ同盟。

 通称「同盟」。


 ガス惑星である木星の衛星、エウロパ、イオ、カリスト、ガニメデで構成される國家。

 そこは、『人類の復興』を掲げて連合の支配を脱し、アンドロイドを否定した、人間の尊厳を追求する、復古的な世界。


 同盟において、人間とは、義務を負い、労働に勤しみ、寿命に束縛され、喜び、怒り、哀しみ、楽しみを営む、ある種の、賢者。

 或いは、同じ過ちを繰り返す、ある種の、愚者。


 連合と同盟。

 両陣営は、長きに亘り、そのイデオロギーをぶつけ合い、血を流し、斃れ、それでも互いに譲らなかった。


 始まりは、凡そ百年前。

 当時、連合の自治州だったエウロパ。

 とある平凡な家庭で、ままごとに興じていた幼児の発した一言が、パンドラの匣を開けてしまった。

 その父は、娘の言葉に絶句した。

 鼓動が、早鐘となってその胸を、叩く。


 そして、立ち上がった。


 ——アンドロイドは、出ていけ!


 奪われたものに気が付いた民衆たちは、連合の総督府を襲撃し、やがて戦火は瞬く間にエウロパ全土に拡がった。


 それが、百年前。

 すべての始まり。

 その蜂起は、四年後、同盟の成立で収束する。

 二億を超える人々の、血で贖って。

 つまり、第一次星間大戦、または同盟独立戦争である。


 そして、三十年前。

 太陽系の統一を目指し、連合が侵攻を開始した、戦争。

 後手に回った同盟は、敗北に敗北を重ね、本土に追い詰められ、滅亡を覚悟した、戦争。

 勝利を確信した連合の前に、あの英雄が現れた、戦争。

 そして開戦から二十年後、同盟が辛勝し、連合は二億人を超える犠牲を支払って終結した、戦争。

 つまり、第二次星間大戦、または二十年戦争である。


 そして、西暦3,810年——

 連合と同盟。

 時を超え、今日、ケレス沖で鉾を交える、宿敵。

 それは、国境の版図を巡る、ただの鍔迫り合いか。

 それとも、大戦への序曲か……


 ——これは、ある千年紀に、深紅の血潮で刻まれた、人類の叙事詩。


 つまりは、クリムゾン・ザ・ミレニアム——

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