クリムゾン・ザ・ミレニアム
箱庭師
第1章 英雄 (1) 異色の双眼
——パチン!
艦橋で、大きな椅子に佇む、小さな少女は、足を組み、頬杖をついたまま、指先を弾いた。
副官が駆け寄り、命を待つ。
「砲戦準備」
ポツリ、そう少女は呟く。
拝命した副官は、各所へ指示を飛ばす。
——総員、砲戦準備!
——全艦隊、順次、集中防御陣形を解け!
——高粒子加農砲、エネルギー充填!
——第二艦隊イオは、防御シールド、出力最大!
——各所、警戒を厳と為せ!
広々とした艦橋が、途端、この少女のひとことで慌ただしくなる。
少女は再び、指先を弾く。
パチン!
「第四艦隊を……、ガニメデ艦隊へ繋げ」
フッ、と少女の左手前にモニターが浮かび上がる。
「元帥閣下! ガニメデ艦隊司令官、ゴトフリー中将であります!」
モニターに映る筋骨隆々の大男は、その四角い顎に、縮れた髭を蓄えていた。
元帥と呼ばれた少女、ベアトリーチェ=ジル=ア=ラインが眉を顰める。
「ヒゲ」
「はっ?」
「今度会うまでにその汚いヒゲを、せめて綺麗に揃えておけ」
「承知しました、閣下!」
少女は、混沌を嫌う。
例えば、机にペンを置くなら、それは机の端に対して常に平行でなければならず、鉛筆を筆箱に収納するなら、それは長さの順に並んでいなければならない。
ネクタイを締めるなら、首元で正確な逆三角形を作らねばならず、軍靴は鏡面に負けぬぐらい磨かれていなければならない。
では、髭は?
無論、綺麗に切り揃えていなければならないのだ。
同盟艦隊を率いる総司令官、ベアトリーチェ=ジル=ア=ラインとは、斯くなる人物であった。
咳払いした彼女は、命を告げる。
「まもなく、全軍をあげて総攻撃を敢行する。貴官は、敵、連合艦隊、左翼の突破を図り、これを砕け」
ここで言葉を切った少女は、ヒゲの大男にニヤリと口角を上げる。
「確か、突撃はお前の特技だったな」
「ご賢察、恐れ入ります!」
「だが、何事も過ぎたるは及ばざるが如し、だ」
「はっ!」
モニター越しのヒゲは、改めて敬礼をする。
「然るのちに、敵旗艦『マーズ』に肉薄、その退路を断て」
少女は頬杖を解き、背筋を正した。
白いワイシャツの首元で、深紅の逆三角形を作るネクタイは、胸の中心を真っ直ぐに貫き、黒い軍靴は、足先から膝の手前まで白いズボンを覆う。
肩にかかる長い白髪を無造作に払いのけ、そして少女は、その双眼でヒゲをひたっと睨みつける。
その双眼——
少女は、その左の
いわゆる、オッドアイ。
「諸君ら、ガニメデ艦隊の
「大命、謹んで承りました!」
スッ、とモニターが消え、ヒゲの大男は去った。
同盟艦隊の象徴、極00式太陽系外洋型航空宇宙戦闘艦『獲于露波』級の一番艦であり、艦隊の総旗艦「エウロパ」の艦橋で、少女は組んでいた足をほどいた。
向かい合う眼前の敵、連合艦隊は、物量にまかせておびただしい砲撃を、彼女の艦隊に浴びせている。だが、同盟の防御シールドはこれを、悉く弾き返していた。
少女はすくっと立ち上がると、椅子に掛けていた、純白の軍服に袖をとおす。その開襟は、深紅に染められていた。
純白とは——
エウロパ、イオ、カリスト、ガニメデに住む人類、つまり、
すなわち彼らの純真な、矜持の彩り。
深紅とは——
アンドロイドによる支配を目論んだ連合に、民衆が反旗を翻し、おびただしい血が流れた、あの独立戦争。
すなわち彼らの断固たる、意思の彩り。
ボタンを止めた少女は、紅糸で編まれた元帥ローブを、その肩に纏う。
腰にも届かぬ長さの、そのローブの真ん中、剣と鍬を十字にした金糸の意匠は、同盟の紋章である。
最後に、その長く白き髪を纏め上げ、少女は、漆黒のツバが光る、純白の軍帽を深々と被った。
* * *
広大な宇宙、銀河の片隅にひっそりと佇む、太陽系——
その第四惑星、火星。
それは、七十億の人々が住む、連合領「火星」である。
そして、その衛星の「ケレス」。
今、同盟と連合の両艦隊が、その沖合で戦闘を続けていた。
ここまで、連合が一方的に砲戦を仕掛け、同盟は、一発も応戦せず、時は、三か月を経過しようとしていた。
なお、ケレスのほかにも小惑星帯が、火星を周回している。
ケレスは、本来、非武装中立地帯である。
そこに、連合の火星艦隊が、一方的に侵攻したことに、この戦いは端を発する。
すなわち、第三次ケレス沖海戦である。
連合が侵攻を開始——
その報に同盟は、全軍の約八割にあたる、総隻数1,525、を動員した。
連合の戦力は、火星艦隊3,568隻である。だが、これは連合軍の約二割に過ぎない。主力艦隊を温存しているのだ。
同盟と連合。兵力差にして、二倍以上。
ただ、同盟の将兵には、一つの揺るぎ無い確信があった。それは、信仰といってよい。
——われわれには、あの英雄がいる。
十年前、第二次星間大戦で、滅亡の淵に追い込まれた同盟を、奇跡の勝利へ導いた国民的英雄、同盟元帥、あの異色の双眼——
同盟艦隊を率いる総司令官、ベアトリーチェ=ジル=ア=ラインとは、斯くなる人物であった。
* * *
パチン、と次にモニターに現れたのは、第二艦隊、通称イオ艦隊のノックス少将と、第三艦隊、通称カリスト艦隊のハイゼル中将である。
エウロパの艦橋は、船体の一番高いところにあり、鷹の頭のようなシャープな外見に比して、その室内は、高さ十メートルほどのドームをなしている。
その丸い部屋の隅にずらりと並ぶ照明は、壁を煌々と照らし、後方、つまり艦尾の方向に設られた舞台には、白亜の司令席が、床から五段登ったその壇上で、ずしりとその存在感を放っている。
前方の大型ビジョンは戦況などを伝え、天井は宇宙の星々を映し出していた。
オペレーターたちの座席などはなく、彼らは司令室に詰め、命令を待つ。
概ね、同盟の艦橋はこのような作りをしている。
司令席で足を組む少女とその傍らに佇む副官は、モニターに映る二提督と相対していた。
ここにきて同盟艦隊は、その陣形を大きく変えようとしている。
防御に強いとされる方陣から、火力を遺憾なく発揮できる横陣を敷こうとしている。だが、その陣形には弱点がある。突破に脆いのだ。
少女は、大型ビジョンが映す艦隊配置図で、その意図を、二提督に短く語った。
「作戦の概要は、以上だ。異論があれば、忌憚なく述べよ」
総攻撃のあらまし、その最後をこう締め括った少女は、純白の司令席、そこに敷かれた深紅のビロードの上で、足を組み直す。
「畏れながら申し上げます……」
まずは、青髪で端正な顔立ちの提督、ノックス少将が口を開く。普段の男ぶりは影をひそめ、眉間に皺を寄せた思案顔だ。
「危険です。ご再考を」
「なぜだ」
「敵は、当方の二倍です。この横陣では、万一、物量で突破を図られた場合、支えきれません。わが同盟艦隊が総崩れになります。それともう一つ……」
少女はその異色の双眼を、ノックスの緑眼にひたっと狙いをつける。
「何だ、言ってみろ」
「総旗艦エウロパの配置が、最前線になっています。これでは、敵に撃ってくれ、と言っているようなものです」
「それで?」
「それで? って……」
唖然としたノックスは、知らず知らず、自らの親指の爪を噛む。
「私には頼れる盾、イオ艦隊がついている」
当の司令官、ノックスの動揺もどこ吹く風。少女はあっけらかんとそう言ってのけた。
イオ艦隊の備える防護壁は強力で、ノックスの指揮する防御戦は高く評価されている。人々はそれを讃え、青髪の提督を「防人のノックス」、そう呼んだ。
「それとも、私を守れないとでも? 防人のノックス」
「……元帥は、ずるい」
「知っている」
「そんなこと言われたら、頑張るしかないじゃないですか!」
「戯れだ。許せ」
あえなく具申の通らなかったノックスは、ため息をついて渋々、引き下がった。
少女は、そう言えば、と続ける。
「イオは、ヒトマル式を積んでいるな」
イオ艦隊は、すべて巡洋艦で編成されており、打撃力で他の艦隊に劣る。だが高速を活かして、敵艦隊の後方撹乱、或いは通商破壊で活躍していた。
その旗艦が、司令官のノックスが座乗する捷96式太陽系内洋型航空宇宙巡洋艦、イオである。
少女のいう「ヒトマル式」は、その後部甲板に積まれている。
「極10式、単座式の秘匿艇ですね」
「使え」
「お言葉ですが、搭乗員がいません」
「よい。遠隔操作で。戦闘の詳報が欲しいのだ。私ではなく、アンジェ、いや、参謀次長殿が、な」
「畏まりました。投入時期は?」
「任せる」
ノックスは敬礼をすると、スッと消えた。
「ところで閣下。最近、ガニメデの大男を見かけませんが」
エウロパの艦橋、そのドームにテノールが響く。
カリスト艦隊司令官のハイゼルである。紳士然としたその黒髪は、神経質に眼鏡を触る。
「気になるか?」
そう問われれば、答え難い。
軍人たるもの、戦場に散るは本懐である。
ガニメデのゴトフリーとは、半年以上、音信不通であった。
特務を帯びている、と見るべきか?
ハイゼルは、一条、額に垂れた黒髪を掻き上げると咳払いした。
「いえ。ただ、元気だけが取り柄のあの男が、死ぬとも思えませが、出立前の合同作戦会議にも姿がありませんでしたので、つい」
気になりました、とは結ばず、ハイゼルは口を閉じた。
「案ずるな。ヤツは相変わらず、だ。まあ……」
珍しく言い淀んだ少女の言葉を、ハイゼルが引き取る。
「……ヒゲ、ですな?」
「そう、だな。あれは美しくない」
ハイゼルもまた、敬礼をすると、スッと消えた。
「閣下。全軍の指揮は司令室で?」
「ここでよい」
副官は、万一に備え、艦橋よりも厚い装甲の施された司令室を、準備していたのだ。
だが、少女は、それを退けた。
司令室ではなく、艦橋を選んだ指揮官が、この戦に決着をつける覚悟であることを知り、副官は艦橋を後にした。
ひとり、少女は艦橋に残された。
あと数時間後には、総攻撃が始まる。同盟艦隊が陣を整えるまでには、そのぐらいかかるのだ。
たとえ将兵を百人並べても余りある艦橋に、少女がひとり。
彼女は、司令席を離れ、階段を降りた。
床に敷かれてた深紅の絨毯。
その中央、木星の大斑点を模した、純白のそこで、少女は片膝をついた。脱帽し、首を垂れる。
木星の方角へ向かって。
そして、目を伏せると祈りを始めた。
「ジュピターよ。生を慈しみ、愛を奏で、死を尊ぶ、われらの神よ」
同盟艦隊は、ゆっくりと横陣を敷きつつあった。
「願わくば、われらを慈しんだ父母に、深甚なる感謝を伝え給へ」
総旗艦エウロパは、その中央、そして最前線に立つべく、舵を切る。
「そして、われらを案ずる妻に、永久の誓いを偲ばせ給へ」
依然として、連合艦隊の激しい砲撃は、同盟艦隊に降り注いでいる。
だが、シールドがそれを悉く弾き返す。
「また、われらのために涙する幼子に、安らかなひと時を授け給へ」
艦首を悠然と回頭したエウロパは、宿敵、連合艦隊と正対する。
「最後に、私の愛する将兵たちに、決して朽ちることのない名誉を、賜らんことを……」
少女は、決戦前の儀式を終え、立ち上がった。
そして、軍帽を被ると艦橋の大型ビジョンが映す、連合艦隊をその視界に収める。
だが、その異色の双眼に、咆哮する敵は映っていなかった。同盟のシールドに阻まれ、砕け散る砲撃が、チカチカと、その白い頬で明滅する。
ただただ、宇宙の果て、その水平線に視線を注いでいた。
「エウロパよ」
二十年に及んだ第二次星間大戦が終結してから、十年。
その最後の年に就役した同盟艦隊の総旗艦に、少女は語る。
「なあ、私の願いを聞いてくれ」
遠雷のような砲声だけが時を刻む。それでも艦橋はしんっとしていた。
少女とともに死線を掻い潜ってきた鋼鉄の伴侶は、黙して語らない。
「戦が終わったら、ともに
ため息をついた少女は、回れ右をして艦橋の舞台へ登る。
それから司令席に腰掛けると、足を組み、頬杖をついた。床の絨毯を彩る「大斑点」に視線を落とす。
振り返れば戦いばかりの日々だったな、ふとそんなことを思う。
そして、今日の
それは、月並みの心象か、或いは嵐の前の静けさ、なのか……。
同盟艦隊を率いる総司令官、ベアトリーチェ=ジル=ア=ラインとは、斯くなる人物であった。
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